第166話 早く責任者は出て来いよ!
「カルラさん、お久しぶりですね」
「エリーゼさん。そういえば、バウマイスター伯爵様の婚約者になられたのでしたね。こんなところでお会いするとは思いませんでした」
「私もそう思っています」
「これで終わったとは思いませんが、肩の荷は下りました。いくらお飾りの総大将代理とはいえ、私には荷が重かったので」
ブライヒレーダー辺境伯たちとの会合を終えた俺たちは、その足で預かったカルラ嬢を連れて自分たちの野戦陣地へ戻った。
彼女はブロワ辺境伯の娘であり、ブロワ辺境伯家諸侯軍の総大将代理でもある。
丁重に扱わねばならないが、何分ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍には女性など一人もおらず、うちで預かることになったわけだ。
まずは社交辞令的に挨拶をしてから、彼女と世話役で一緒にいたメイド二人を連れて歩く。
ブライヒレーダー辺境伯は女性は彼女だけと言ったが、やはり世話をするメイドくらいはいたようだ。
共に二十歳前の若い女性だったので、彼女たちの管理も面倒だと思って俺に押しつけたのだろう。
うちには女性がいるからな。
野戦陣地内のテントに入ると、そこには兵士たちへの治療を終えたエリーゼが護衛のヴィルマと共に戻って来ていた。
お互いに知己であった二人は、前世で言うところのお嬢様女子高の『ごきげんよう』よろしく挨拶を交わしたわけだ。
「カルラさん、いきなり総大将代理とは大変でしたね」
「兄たちは、もう意識もなく、いつ天に召されても不思議ではない父から離れたくなかったそうで……」
カルラ嬢は、今さら情報を隠しても仕方がないと思っているのか?
こちらが苦労して推測した情報の真偽を、隠すことなく世間話に混ぜて教えてくれた。
拷問でもされると思ったのか、それともあまりブロワ辺境伯家が好きではないのか。
家族問題というプライベートな質問をするほど仲がいいわけではないので、それは聞かないけど。
それと、やはりブロワ辺境伯はいつ死んでもおかしくない状態であったようだ。
「あの……いいのですか?」
「今隠したところで、どうせブライヒレーダー辺境伯家も掴んでいる情報のはずです。そう思われませんか?」
「ええまあ……」
すでに、ブライヒレーダー辺境伯にも話しているそうだ。
明日にも死にそうなブロワ辺境伯の病床で、二人の兄たちがお互いに出し抜かれまいと常に寄り添っているから前線に顔を出すわけがないという事実や、そのせいで自分が総大将代理にされたことも。
家督騒動と紛争。
同時に実行可能だと思っている部分が度し難いというか、カルラ嬢も兄たちに呆れているのかもしれない。
「その出兵ですが……」
「二人の兄は、共に関わっています」
軍人しかいないので長男フィリップの独断なのかと思えば、次男クリストフも関与しているそうだ。
諸侯軍の軍人全員がフィリップの支持者というわけではなく、補給など裏方を担当する軍政官の中には、公然とクリストフを支持する勢力も存在する。
どうやらこの兄弟喧嘩の背景には、昔からよくある話だが、武官と文官の勢力争いも原因にあるようだ。
そもそも、クリストフを支持する財務系の家臣たちが許可を出さないと予算が出ないのだから、彼の関与も当然であった。
「つまり、今回の出兵は両者の競合であると?」
「最初は、フィリップ兄様の独断でした……」
事の起こりは、一年ほど前から体調を崩していたブロワ辺境伯が、ついにこん睡状態に陥ってしまったことから始まる。
彼は二人の息子のうち、どちらを後継者にするか決めないまま意識を失ってしまったそうだ。
「フィリップ兄様と彼を支持する家臣たちは、『そもそも、長男であるフィリップ様が継ぐのが妥当で、お館様の遺言など必要ない』と言い放ち、クリストフ兄様と彼を支持する家臣たちは、『クリストフ様は、正妻であるヒルデガルデ様のお子である。血筋の正当性から見ても、クリストフ様が継ぐのが正しいのは言うまでもない』と反論いたしまして……」
両者とそれを支持する家臣たちによって、現在領内は混乱の極地にあるのだとカルラは説明してくれた。
特に、ブロワ辺境伯がこん睡状態に陥ってからは、息を引き取ったあと、勝手に遺言の偽造やら、相手を出し抜いて王都に相続の報告をされないよう、お互い屋敷内で監視し合っている状態なのだそうだ。
「どうしてブロワ辺境伯様は、後継者を指名しなかったのでしょうか?」
「どちらかに決めると、内乱の可能性も否定できなかったからです」
物騒な話ではあったが、両者の勢力が拮抗しているせいで、いきなり片方に決めるともう片方の反発が予想された。
家臣たちも勝者を支持していれば出世に繋がるが、敗者を支持していると左遷や最悪クビになるかもしれない。
もうそうなったら家族の将来もお先真っ暗なので、自然と争いが大きくなってしまうのだろう。
みんな、勝者の側に組しようと必死なのだ。
「加えて、今回の未開地開発特需からの締め出しです」
「その件で、俺に文句を言われてもねぇ……」
「もし私がバウマイスター伯爵様でも、同じ判断をすると思います」
自分たちがブライヒレーダー辺境伯にした嫌がらせの数々を考えると、締め出されても文句は言えないのはわかっている。
だが、ここで頭を下げるわけにもいかず、プライドを保つと寄子たちの苦情が増すという板挟みだったわけか。
そこで、それらの不満を解消するために、フィリップと彼を支持する軍系の家臣たちが、今回の出兵と、バウマイスター騎士爵領への後方かく乱を行ったのが今回の戦いの真相だそうだ。
「内部のゴタゴタを、外との戦争で紛らわすか……よくあるような、ないような……。それで、どちらが主役なのです?」
「一応、フィリップ兄様がメインです。軍部の支持が厚いので」
ブライヒレーダー辺境伯に組する貴族たちから少しでも利権を奪ってブロワ辺境伯に組する貴族たちの不満を抑えつつ、もし紛争に勝利できれば、その功労者である諸侯軍の希望であるフィリップの継承が進めやすくなるわけか。
基本的に貴族は軍人なので、紛争に勝利したフィリップの功績は比類なく、当主こん睡で決まっていない後継者争いでも有利に立てるというわけか。
病床で意識がないブロワ辺境伯を世話していたカルラは、その手の話を山ほど聞いていたのであろう。
「それで、次男のクリストフ殿が出兵に反対のスタンスなのか?」
「表面上はそうですが、必ずしもそうとは言えません」
内政を担当する家臣たちの支持が厚いクリストフは、表面上は今回の戦争に利益はないと反対の立場を取っている。
だが、諸侯軍を出すには予算の執行が必要であり、それが問題なく出ている時点で百パーセント絶対に反対とも言えないのだ。
「それって、どっちの結果になっても俺には功績があるってこと?」
「多分……」
補給などもちゃんと行われているので、戦争に勝てば『後方支援において、クリストフ様の功績が大きかった』と宣伝するだろうし、もし負ければ『だからクリストフ様は反対したのに……』とフィリップを非難できる。
王都の嫌な法衣貴族たちには、よくいるタイプである。
どちらに転んでもいいように、双方に保険をかけておくのだ。
「ところで、カルラ殿は随分と素直に話しますね」
「私が好き好んで、お飾りの総大将代理になったと思いますか?」
つい一年ほど前までは、領内に入れると正妻が怖いという理由で、ブロワ辺境伯からわずかな仕送りのみを貰い、母親と共に王都で生活していた。
母親はブロワ辺境伯が王都滞在時の現地妻扱いで、実家は貧しい法衣騎士爵家であったので、カルラ嬢の祖父たちは金で娘を売り飛ばしたのが真相であろう。
そのくせ、実家で暮らしていると居候扱いで肩身が狭かったとカルラ嬢は語っていた。
「実家には、当主である母の兄と次期当主の従兄やその家族もいますから……」
ブロワ辺境伯からの仕送りを使って猟官活動をしているくせに、カルラ嬢とその母親を邪魔扱いって……。
「猟官活動は成功しましたか?」
「いいえ、父も仕送りだけして手を貸さないので、そういうことです」
残念ながらかなり無能で、役職を得るのは難しいってことか。
とにかく家にいても嫌な思いをするだけなので、カルラ嬢は子供の頃から毎日教会に入り浸って勉学や弓などを教えてもらい、残りの時間は王都郊外で狩りをしていたそうだ。
「そんな生活を送っていたどうでもいい娘のはずなのに、一年ほど前に急に呼び出しがかかりました」
ブロワ辺境伯の具合が悪くなったからだが、いざ彼の世話を始めると、正妻は自分が産んだ次男クリストフ可愛さに、早く後継者に指名しろとうるさいばかり。
すでに嫁いだ姉たちも、どちらにつくと利益が大きいのかを計算し始め、コロコロと陣営を変えて姉妹で争っている。
ブロワ辺境伯の娘たちは仲が悪いのか。
そして肝心の二人の後継者たちは、他にすることはいくらでもあるだろうに、ブロワ辺境伯の病床から離れなかった。
もし離れている時にブロワ辺境伯が亡くなり、ライバルが勝手に後継者になる手続きを始めさせないためである。
その様子を見たブロワ辺境伯は、自分の体調を微塵も心配しない家族に失望したのであろう。
だから、王都で生活していた、自分は『避難させていた』と思っている愛娘カルラ嬢を呼び出したわけか。
「病気になって、気が弱くなったのですね」
「そんなところでしょうね……」
大方イーナの考えたとおりであろうが、カルラ嬢は大物であるブロワ辺境伯の命令なので、断れずにブロワ辺境伯領入りし、彼の傍で世話をしていたそうだ。
「正妻であるお義母様に、嫁いだ二人のお義姉様たちはお見舞いに来る度に、私に嫌味を言っていましたけど」
カルラ嬢を呼んだのはブロワ辺境伯自身なのに、彼が死にそうになってから財産目当てに近寄って来た『腐肉を漁る女ハゲタカ』だと、ヒステリー気味に嫌味を言われることが多かったそうだ。
「それは大変だったね」
「大変は大変でしたが、そこは聞き流せば。とにかく早く終わってほしいですね」
今までの話からすると、カルラ嬢は非常に自立心が強い女性なのであろう。
非凡な弓の腕前や、捕虜になっても堂々と冷静な態度を見ていると、もしかしたら『彼女がブロア辺境伯になった方がいいんじゃない?』などと思ってしまうのだ。
それにしても、本妻や異母姉たちが綺麗なカルラ嬢を虐めるってのは、世界は違えどよくある話だなと思ってしまった。
「カルラさんは逞しいですね」
「つい一年前ほどまでは、辛うじて貴族くらいの身分でしたから、自分で人生を切り開かないといけないので」
今まで領内に入れなかったくせに、病気で気が弱くなったブロワ辺境伯は、『自分の死を前に、王都の愛人に産ませた娘との和解して、最後のひと時を過ごしたい』などという勝手な妄想の果てにカルラ嬢を呼び寄せた。
彼女からすれば、とっとと終わらせてから、纏まった謝礼でも貰って王都に戻りたい気分だったのであろう。
「でもさ。そんなに都合よく行く?」
「いえ、いきませんでした」
ルイーゼの懸念どおり、カルラはそのままブロワ辺境伯家の家督相続争いにドップリと浸ってしまっていた。
二人の兄たちは年の離れた母違いの妹に優しかったが、その優しさには打算があった。
「『俺が次代ブロワ辺境伯になるのを支持してくれたら、カルラを君の息子に嫁がせよう』とか言っているだろうからね」
どちらの兄も、複数の有力な家臣たちにそう言って支持を集めているはずだ。
次期当主の妹が嫁になる、家臣たちからすれば大出世のチャンスというわけか。
この手の話は創作物でもよくあるので、そんなに珍しい話でもなかった。
「カルラさんを奥さんにすれば、次期領主の下でその家の栄達は約束されたようなもの。みなさん、必死で後継者争いに参加したのでしょうね」
エリーゼも結構キツイことを言うな。
カルラ嬢の扱いが酷いと、内心怒っているのかも。
だが、肝心のブロワ辺境伯本人はまだ死んでおらず、二人の後継者たちは共に勝利の決め手に欠いていた。
そこで、カルラを餌にされた諸侯軍の幹部たちが、フィリップ考案の出兵案を現実のものにしてしまったわけか。
「フィリップ兄様が諸侯軍の幹部たちと出兵を計画しましたが、自らは陣頭に立ちませんでした」
戦争中にブロワ辺境伯が死に、クリストフが勝手に後継者を名乗り、王都に爵位と領地継承の手続きを出してしまう可能性があったからだ。
「総大将には一族の誰かが必要で、私がたまたまいた。そういうわけです」
カルラ嬢からすれば、仕方なしに病床の父親の面倒を見たり、諸侯軍の軽い神輿に就任しているので、どこかどうでもいいと思っている部分があるのであろう。
俺やブライヒレーダー辺境伯からの問いにも、正直に答えていたのだから。
「やる気が出ないよね」
「その前に、兄様たちは無責任です」
せめて自らが陣頭に立つくらいすればいいのに、それをライバルに出し抜かれるからという理由で、十六歳の少女に押しつけてしまう。
いくらお飾りの総大将代理でも、それはないだろうとカルラ嬢は思っているようだ。
「適当に任せた結果の悲劇だものね……」
極少数ではあるがこちらにも死者が出ていたし、ブロワ辺境伯家側などは死者が百人近くにも上っている。
それに加えて一万人近い捕虜も発生してしまい、これらの面倒だけでブライヒレーダー辺境伯は頭を抱えていた。
管理の手間を考えると、とにかく『早く責任者出て来い!』なのであろう。
もしブロワ辺境伯家が破産でもしたら、なにも取れずに多額の出費をしただけになってしまうのだから。
大貴族も言うほど儲からないよな。
「しかも、慣習破りの大無茶をしているからなぁ……」
後方に控えさせていた援軍まで呼んで、武器を実戦用に変えて奇襲を企んだのだ。
ブライヒレーダー辺境伯としては、本当の戦時に移行したので追加で諸侯軍を徴集してこちらに向かわせたり、多数出た捕虜の管理なども必要で、その軍勢は日々増えていた。
なにより本当の戦争になったので、貴族としては完全に勝ちを狙わなければならない。
そこで、合計二万五千人までに増えた軍勢の大半を東部領域に入れて野戦陣地を構築。
これは、ブロワ辺境伯家諸侯軍が使っていたものの再利用であったが、追加で周辺のいくつかの貴族領や村や町などに軍政官を派遣して、その地の占領も宣言した。
ただ、本当に軍勢を入れて占領をすると面倒なので、統治などは現地の責任者に任せ、軍政官たちはそこに居候しているだけだ。
状況が状況なので占領したことにしたが、軍勢を入れて現地の住民たちとトラブルになったら、王国政府から難癖をつけられる可能性がある。
犠牲者が出たあとの軍勢なので、仕返しで住民たちに略奪や暴行、狼藉を働く可能性があったからだ。
もしそうなって被害者たちがブロワ辺境伯家や王国に訴え出れば、基本的には国内の戦争を認めていない王国政府としては、ブライヒレーダー辺境伯の非を責めなければならない。
そんな事情もあり、ブライヒレーダー辺境伯は魔導携帯通信機で閣僚たちと相談しながら、自分の軍勢をコントロールしていた。
『通常の領内の統治に関する仕事に、開拓地関連の仕事に、諸侯軍と占領地関連の仕事。バウマイスター伯爵、私を分身させる魔法とかありませんか?』
ブライヒレーダー辺境伯が目の下に隈を作りながら、俺に真剣にこう質問してきた時には、どう答えていいものやらわからなかった。
『バウマイスター伯爵。例のトーマスさんたちを貸してください』
占領を宣言した貴族領や町に、軍政官の補佐としてつけるのだそうだ。
元々東部の人間なのでこの辺の地理に詳しい者たちが多く、他にもいるだけだったはずの軍政官たちに仕事が多く発生していたからという事情もあった。
これだけ長引けば、色々と問題が出ても仕方がないか。
『バウマイスター伯爵たちがみんな捕虜にしてしまったので、統治の人手が足りないそうです』
思わぬ副産物であった。
先の利権争いを巡る紛争で、俺たちによって当主や家臣などを捕らえられてしまい、統治の人手が足りなくなっているそうだ。
『占領状態でもなんでもいいから、軍政官なら統治の仕事を手伝えだそうです』
『今思ったんですけど、兵士たちも預かっていますよね? 大丈夫かな?』
諸侯軍の兵士たちなど、バイマイスター騎士爵家を見ればわかると思うが、普段はただの農民などが多い。
すでに農作物の収穫が終わってこれからは農閑期に入るが、それでも一家の大黒柱の不在は大きいし、このまま戦争が続いて春になれば農作業の人手不足が深刻化するだろう。
今回紛争に参加した貴族領は、統治体制が破綻する危険があった。
『仕方がない……』
俺は、彼らを全員を領地に帰すことを決断した。
当主、家臣、兵士たちに、鹵獲した武具、物資、金品なども返還した。
身代金と合わせて、あとでブロワ辺境伯に支払ってもらうので、俺とカタリーナは債権を持つ身となったわけだ。
クナップシュタイン子爵に標準価格を計算してもらって助かった。
あと、拗れている利権や領地の分配率もすべて戦前の状態に戻し、その賠償も紛争相手の貴族家に支払うようにと条件を出す。
これも時間が惜しいので、計算はクナップシュタイン子爵に一任していた。
彼は真面目な官僚タイプの貴族なので、過去の膨大な慣例を参考に、標準的な和解金の額を算出してくれた。
『この条件でいかがですか?』
『特に異存はありません』
『私もありません』
俺、ブライヒレーダー辺境伯、クナップシュタイン子爵立会いの元で、捕虜になっている貴族たちや、家臣や兵士たちを捕虜にされている貴族たちが呼ばれて交渉が始まるが、両陣営の貴族たちは誰一人として一切の異議を申し立てなかった。
ブロワ辺境伯家側の貴族たちは、この非常時に一向に顔を出さない寄親に失望しており、ブライヒレーダー辺境伯側の貴族たちにしても、このまま紛争が続いて隣の領地の統治体制が麻痺したり崩壊すると、難民対策などで一緒に自爆してしまう可能性があったからだ。
セコく和解金の値上げを交渉している余裕はないと俺たちは判断し、向こうもこちらの和解案を受け入れた。
『それで……身代金も和解金も分割でお願いしたいのですが……』
和解に応じたブロワ辺境伯家側の貴族たちは、泣き顔で身代金と和解金の分割払いをお願いしてきた。
まあ、当然であろう。
まず一括でなど支払えないし、分割にしても彼らはあと数十年も借金漬けの生活が待っているのだから。
しかも、こんな時に肝心のブロワ辺境泊家がなんのフォローもしてくれず、かと言ってこのまま交渉が拗れて捕虜のままだと、領地の統治体制に不備が出てしまう。
これからの事情を考えると、俺も自然と涙目になるしかなかった。
『こうなる可能性もあったのに、よく兵を出しましたね』
『これがあったからですよ』
呆れる俺に対し、ブライヒレーダー辺境伯がブロワ辺境伯家側の貴族たちから預かった、羊皮紙で書かれた契約書を見せてくれた。
するとそこには、万が一この紛争で損害が発生した時には、ブロワ辺境伯家で補填を行うという内容が書かれていたのだ。
『これ、法的には有効ですか?』
『有効ですね』
ブライヒレーダー辺境伯は、有効であると断言した。
『筆跡はブロワ辺境伯ではありませんが、サインは長男のフィリップ殿であり、連署名にクリストフ殿と、数名の重臣たちも名を連ねています。当主不予でサインができない時もあるので、こういう連署が有効になるのです』
こういう書類は、当主が署名可能ならば当主のサインがないと無効だが、当主がサインできない状態にあれば、連署ならば有効になる。
『これで公に、ブロワ辺境伯がサインすらできない状態なのは確定というわけです』
ブロワ辺境伯家が当主不予を公式に認めたからこそ、この書類が有効になる。
でなければ、ブロワ辺境伯家側の貴族たちも慣習破りまでして兵など出さないはずなのだから。
『そこは今さらな気もしますが……』
『あの……、一つよろしいでしょうか?』
交渉の席にいた、ブロワ家辺境伯家側の貴族たちの懸念。
それは、分割とはいえ借金の返済で財政が危機的な状態に陥ることだ。
契約書によると、それはブロワ辺境伯家が肩代わりするそうだが、今の時点でその履行は難しい。
支払いの方を、少し待ってほしいと陳情してきた。
『二百年分割にしてほしいとか?』
普通ならあり得ないが、この世界の貴族で二百年の歴史くらい珍しくもない。
当主個人でなく、家なら二百年ローンも可能というわけか。
『いえ、お館様。契約書によると、損害はブロワ辺境伯家による補填となっておりますので……』
クラウスが、そっと小さな声で耳打ちしてくる。
要するに、身代金と和解金をブライヒレーダー辺境伯とうちで肩代わりして、こちらでブロワ辺境伯家に請求してほしいという、お願いをしてきたわけか。
『そんなムシのいい提案……。とはいえ……』
寄親の要請を寄子が断り難いのは、前世で上司のお願いを部下が断りにくいのと同じか。
これから後、ブロワ辺境伯家との裁定が成立して莫大な額の和解金が発生した場合、財政が悪化したブロワ辺境伯家が自分たちの借金返済ばかりを優先し、他の貴族たちへの損失補填が行わない可能性もあった。
『さすがに、ブライヒレーダー辺境伯も受け入れないだろう。そんな提案』
自分の寄子なら配慮するのは当然だが、彼らはブロワ辺境伯家の寄子である。
最悪、ブロワ辺境伯家からも負債を回収できない可能性もあるため、他人の借金の肩代わりなど絶対にしないはず。
『受け入れると思いますよ』
『大丈夫かな? ブライヒレーダー辺境伯は』
『つまり、彼らは寄親を変えると言っているのですよ。いくらブライヒレーダー辺境伯様にお金がなくても、頼られたら受け入れる。それが大貴族なのです』
『大変だなぁ……』
『そう頻繁にはあることではありませんが、今回はあまりに特殊な事例ですからね。彼らがブロワ辺境伯家に愛想を尽かしたとも言えます』
『家督争いしている場合じゃないよな』
『それを他人から言われても受け入れないのは、クルト様の例を見ればあきらかです。人は自分に都合のいいもののみを受け入れる傾向がありますから』
『そうだな……』
嫌な例を出すが、それは事実だ。
捕まった寄子を放置して家督争いを続けているような兄弟なのだから。
当主同士の相性などによって寄親の交代はたまにあるし、今回のように紛争が原因で境界線上に領地を持つ貴族が寄親を変更するのは、戦時でもよくあったことだ。
紛争が原因なら物理的な仕返しもないだろうから、さらに気軽に寄親を変えてしまうわけか。
これまで、東部を統括するブロワ辺境伯家の寄子だった貴族たちが、南部を統括するブライヒレーダー辺境伯家の寄子になってしまう。
『鉱山の採掘権やら森林の使用権やらで、散々揉めているお隣がいてもか?』
『同じ南部の貴族同士でも、それが原因で仲が悪かったり、代が変わると小規模の紛争や一騎討ち合戦をしたりしますから。あまり気にする必要はないかと。要は、ちゃんと争いを治めてくれる力の強い寄親が欲しいのですよ。彼らは』
境界線際での争いが大きくなるのは、お互いの親分が違うからでもある。
虎の威を借るではないが、どうしてもお互いに強気に出てしまうというのもあるそうだ。
まるで、反社の方々みたいだな。
同じ寄親である貴族同士で争う時は、それなりに遠慮はするようになるらしい。
『慣習破りの奇襲と、強引な領地と利権の強奪を仕掛けた挙句、大惨敗して和解金と身代金で身代が傾きかけているのです。さらに頼りにしていたブロワ辺境伯家諸侯軍も壊滅しました。しかもこの状況で、ブロワ辺境伯家はいまだ使者すら寄越しません。頼るに値しないと見限られたのですよ』
『加えて、これを機に南部に鞍替えをしておくと、開発地利権に加われるか』
『それもあります』
紛争の損失をブロワ辺境伯家に請求する権利、これをブライヒレーダー辺境伯と俺に渡して借金の支払いから逃れる。
裁定の内容によっては回収できない可能性もあるので、向こうにばかり得で俺たちに不利な要請ではあるが、逆に言えば彼らは、俺たちに借金をしている状態と同じであり、自ら進んで南部地域に組み込まれると宣言しているにのに等しい。
『南部領域が広がるのか』
これまで、ブロワ辺境伯家の寄子であった四十家ほどが、寄親をブライヒレーダー辺境伯家に変えるのだ。
寄親というのは、今回の利権争いなどを見るに、寄子の面倒を見るのに大変であまり実利はないが、世間からの評価は大幅に上がる。
戦争で新しい領地を得るような時代ではないが、自分に所属を変えた貴族が四十家以上もあるので、これはブライヒレーダー辺境伯家の評価を上げることにも繋がり、長い目で見れば実利にも繋がるというわけだ。
短期の利益に拘らないのが大貴族というわけか。
『マフィアの子分が増えて、親分の評価が上がるというわけだな。身代が大きければ、シノギで稼げるようになるしな』
『例えが極端ですが、まあ貴族もマフィアもそう中身は変わらないので』
俺の発言に、クラウスは特に表情を変えたり窘めるでもなく言葉を付け加えた。
あくまでも内輪だけの会話であり、他の人に貴族とマフィアが同じようなものなんて……結構言っている人はいるらしいけど。
『ブライヒレーダー辺境伯家は、王家から目をつけられたりして』
『当代のブライヒレーダー辺境伯様は、中央からのそういう視線には敏感な方です。事前に相談くらいはしているでしょう』
魔導携帯通信機を持っているので、中央の閣僚とは相談済みであろうとクラウスは予想していた。
『時が経てば、バウマイスター伯爵家はブライヒレーダー辺境伯家に匹敵するかそれ以上の力を持ちます。そうなれば、自然とお互いを牽制するようになりますから』
当代同士は違っていても、時間が経てば自然とそうなる可能性が高い。
だからこそ、俺の正妻は中央の教会で要職にあるホーエハイム子爵家から迎えたのだし、多分次代以降もその傾向は続くはず。
自然と両者が牽制し合うようになれば、王家は戦争の危険が減ると思っているんだろうな。
『貴族ってのは、本当に面倒だな』
『半ば本能のようなものなので仕方がありません』
紛争を解決したら、これでもう終わりってわけにもいかないわけか。
かなり未来のことまで考えなければいけないのは大変だが、そこまで考えてこその大貴族だとクラウスに言われてしまった。
バウマイスター騎士爵領にずっといたのに、彼は随分と詳しいな。
商隊などから情報を仕入れていたのかな?
とにかく捕虜の管理が面倒という理由で、ブロワ辺境伯家に所属する者たち以外が全員解放された。
その時に、一緒に鹵獲された武具や金品などもすべて返却したが、別に無料でくれてやったわけではない。
全部クナップシュタイン子爵が評価金額を査定しているので、形式上はすべて彼らの借金となっていた。
ただ、それらの請求を全額、俺とブライヒレーダー辺境伯がブロワ辺境伯家に対し行うだけなのだから。
『最悪、ブロワ辺境伯家の屋敷まで進軍して、接収でもしないといけませんかね?』
『お屋敷の蔵は空っぽだった、なんてこともあるかもしれません』
『今だとありそうですね。返してもらえない借金は、実質ないに等しいですからね。それは辛い』
アーカート神聖帝国と停戦してから二百年、ここまで揉めた味方貴族同士の紛争は初めてだそうで、あまり前例がない分ブライヒレーダー辺境伯も困っているようだ。
一万人に近い捕虜たちを管理し、エチャゴ平原の東部領域と、ブロワ辺境伯家諸侯軍の野外陣地、後方の食料貯蔵施設、周辺の村や町にも占領宣言を出し、一日でも早い裁定の再開を待っているのだから。
『それは、やり過ぎじゃないですか?』
『王宮側も困惑しているのです。ブロワ辺境伯が重篤なのはわかったものの、どちらの息子が交渉を行うのかという問題もありますし』
片方とだけ裁定案の調印を行っても、もう片方が無効だと言えば、まだ法的には次期当主は正式に決まっていないのでそれが通ってしまう。
まずは、次期ブロワ辺境伯が決まらないと裁定を始める意味がないのだ。
『二人の息子たちは、なにをしているのでしょうかね?』
『今回の夜襲は現地責任者の独断である可能性もありますし、報告を聞いて慌てているのかもしれません』
今もこん睡状態にあるブロワ辺境伯の枕元で、二人でどちらが悪いのだと言い争っている可能性もあった。
だとしたら、どちらが後継者になっても問題がありそうだと思うのは俺だけなのであろうか?
『この問題の難しいところは、いくら腹が立っても、絶対にブロワ辺境伯家を潰せないところです』
改易するにしても、ではその後釜をどうするのかという話になる。
東部に千年以上も君臨してきた、大貴族家であるブロワ辺境伯家が消えれば、東部の統治体制が不安定になってしまう。
新しい貴族を入れるにしても、旧家臣や領民たちがそう簡単に靡くとも思えないからだ。
下手に内乱などが発生すれば、それだけで隣接する南部と中央部の治安や経済に負担を与えてしまう。
それなら改易しない方がいいという結論に落ち着いてしまうのだ。
『まさか、バウマイスター伯爵やうちに任せるわけにもいきませんしね』
未開地の開発があるのに、さらに東部なんてお荷物を押しつけられたら、ブライヒレーダー辺境伯は過労死するし、俺は土木工事ばかりの毎日になってしまう。
なにより俺たちの力が大きくなり過ぎてしまうので、王家も絶対に許可を出さないであろう。
色々と思うところはあるが、なんとか新しいブロワ辺境伯に東部を安定させてもらわないと困るのだ。
『そうしてもらえないと、正式に毟り取れないですしね』
こちらとしても、これだけ迷惑をかけられたのだから和解金をオマケするなどと言うつもりはなかった。
今のところは金には困っていないが、金はあっても邪魔にはならないからだ。
どうせケツの毛まで毟り取ってブロワ辺境伯家が借金塗れになったとしても、そう簡単には潰れないので問題はない。
前世で例えるのなら、アメリカの自動車メーカービック3や、日本の東電が潰れないのと同じ理由である。
ただ、ここで甘やかして第二のブロワ辺境伯に出てこられても困るので、うちに喧嘩を売ると大損だというのを、世間に知らしめる必要があったのだ。
『結局、無謀な夜襲のせいで本軍が壊滅し、さらに損害が増しましたからね。私なら、もう帳簿を投げますよ』
一万人規模の軍が壊滅し、そのほとんどが捕虜になっているのだ。
身代金だけでも、かなり負担が増えたであろう。
彼らは無駄なことをして、また損失を増やしてしまったのだから。
『ブロワ辺境伯家が、また軍勢の準備をしていたりして』
『ブロワ辺境伯家がよほど愚かではない限り、それはないと思いますよ』
今のところ追加の軍勢は来ていなかったが、確かにもうそんなお金も人員もないか。
ただ、裁定案交渉を再開させましょうという使者も来ていなかった。
ブライヒレーダー辺境伯は政務と軍務で疲労の極地にあったが、俺は陣地の馬避けの塹壕と土壁だけを作ったら、あとは暇になった。
トーマスたちは占領地の軍政官の補佐で出向していたし、モーリッツたちは俺たちの警護や、諸侯軍の細々とした雑務などに没頭している。
だから今の俺たちから、カルラ嬢を預かれると踏んだブライヒレーダー辺境伯は正しかったわけか。
「そんなわけでして、魔法の訓練以外ですることがなくて暇なんだ。弓の腕前を見せてほしい」
「バウマイスター伯爵様、私は捕虜ですけど……」
「今さら、一人や二人射って倒しても裁定で余計に不利になるだけでしょう? はい、カルラさんの弓矢」
「大胆な方なのですね。バウマイスター伯爵様は」
カルラ嬢プラス女性陣でのお茶会にも飽きてきたので、俺は陣地の近くに植わっている木に弓矢専用の的を設置して、弓の名人だと評判のカルラ嬢にその腕前を披露してもらおうと計画した。
ブロワ辺境伯のせいで、暇なのに待機せざるを得ない状態だし、このくらいの娯楽は許されるであろう。
「俺もやる!」
「じゃあ、俺もやろう」
「ヴェル様、私も」
一応競技形式にすることにして、五十メートルほど離れた場所から五本の矢を的に向けて放つルールにする。
まずは的に何本刺さるかで、次に中心との距離で点数を決める。
的自体が適当な板に書いているだけなので、正式な弓術の的というわけでもなく、半分遊び感覚であった。
「順番はクジで決めよう」
木の棒を使った簡単なクジで射る順番を決め、最初はエルが五本の矢を放つ。
「まあまあだな」
五本全部が中心点から三十センチ以内に納まっていたので、エルは弓の腕前にも優れている証拠であった。
「というか、このくらいできないと田舎貴族のガキは肉が食えないんだよ」
子供が弓で獲る獲物はウサギが多いので、このくらいの精度がないと命中せず、肉が食べられないというわけだ。
「何羽か獲らないと、兄貴たちに肉を奪われてしまうからな」
獲った獲物も、まずは父親や兄たちが先に食べてしまうと聞いていた。
彼らも狩りをするが必ず成果があるわけでもなく、ボウズならエルから奪ってしまうのだそうだ。
だからエルは、多くの獲物を獲らないと自分が食べられない。
俺よりも弓が上手いのには、そういう理由があったのだ。
「次はヴィルマなのか?」
「弓は習っている」
エドガー軍務卿から養われている時に、弓の教師もつけてもらったそうだ。
ある程度色々な武器をこなせる方が潰しが利くという理由もあり、軍系貴族家同士では教師役を融通し合うことも多いそうだ。
「ヴィルマが弓ねえ……。大丈夫か?」
今まで使っているのを見たことがなかったし、彼女のイメージは大斧を操るパワーファイターそのものであった。
エルからすれば、正確に弓を引くヴィルマというのをイメージし難いのであろう。
「上手じゃないけど、下手でもない」
そう言いながらヴィルマは立て続けに五本の矢を放つと、それらは全部的に刺さった。
エルよりは分布が広いが、そう俺と実力に違いはないようだ。
「上手いな」
「でも、本当は自分専用の弓を使う」
「なんか想像できたわ……」
エルに続き、俺もすぐに想像がついた。
ヴィルマ専用の弓矢とは、きっと普通の人では引けないような豪弓で、すべて鉄でできた矢を放つとかするのであろう。
「今回は使わなかった」
「人に命中すると、貫通しそうだな」
「フルプレートも、普通に貫通する」
豪弓をヴィルマの怪力で引けば、そういう結果になるのであろう。
本当の戦争ならばいい武器だが、今回のような『紛争』では多くの人死にが出るので使用しなかったそうだ。
「次は、ヴェル様の番」
「プレッシャーだなぁ……」
最近、魔法の鍛錬に集中するあまり、弓はサボっていたので、少し自信がなかったのだ。
それでも集中しながら矢を放つと、一本は外れてしまったが残り四本は的に命中した。
「あちゃあ……鈍ったなぁ……」
ちょっと練習して勘を取り戻さないとなぁ。
「そうですか? お上手だと思いますよ」
突然後ろから声がしたので振り返ると、そこにはブライヒレーダー辺境伯が立っていた。
相変わらず目には濃い隈が浮かんでおり、激務の合間に、気分転換で弓勝負を覗きにきたようだ。
「ブライヒレーダー辺境伯様も、やってみますか?」
「いえ。遠慮しておきましょう」
刺さった矢を的から回収してきたイーナの誘いを、ブライヒレーダー辺境伯は断った。
「私の腕前では、一本も当たりませんから」
「そうなんですか?」
「はい。私に弓を教えた講師はこう言いました『アマデウス様は、人が周囲にいる時には弓を引くのを控えた方がよろしいかと……』と」
「凄いですね。その講師の人」
不敬罪にならないのかな?
「一応、親切で言ってくれたみたいですよ。誤射で怪我人や死人が出ると大変ですからね」
そういえば、ブライヒレーダー辺境伯は武芸全般で才能がマイナスだと評価されていた。
辺境伯だから家臣に任せればいいわけで、特に問題はないのだけど。
「私よりも、カルラさんの腕前が見たいですね」
「あの、本当によろしいのでしょうか?」
ブライヒレーダー辺境伯という一番の親玉が顔を出したので、本当に捕虜が弓を射っていいのか気になったのであろう。
「ここで、私やバウマイスター伯爵に矢など射ってもなんの得にもならないどころか、余計にブロワ辺境伯の立場が悪くなりますからね。カルラさんに、それがわからないわけもないわけでして」
「それもそうですね」
ブライヒレーダー辺境伯からの返答に納得した彼女は、俺から受け取った弓に矢を番えて集中を始める。
「いい弓ですね」
「田舎貴族の嗜みですよ」
子供の頃から剣よりも弓矢の方が得意であったし、金がないわけでもないので、練習用でも弓矢はかなり高級な品を使っていたからだ。
「では……」
再び集中を始めたカルラ嬢が矢を放つと、それはピタリと的のど真ん中に刺さっていた。
あまりの神業に、全員が黙り込んでしまう。
「真ん中に近い位置なら、上手い人ならある程度は当たる。でも、ど真ん中は……」
続けて二射目を射るとその矢もど真ん中に突き刺さり、前に刺さっていた矢が弾かれて的から地面に落ちてしまった。
さすがは、武芸大会弓の部の準優勝者。
「惜しいですね」
「惜しい? あれで?」
始めは彼女が言っていることの意味がわからなかったが、それは第五射目で判明した。
第三射目も第四射目も、ど真ん中に刺さって前に刺さっていた矢を弾き飛ばしたが、最後の第五射目の矢は第四射の矢尻の真ん中に突き刺さり、真っ二つに割れてから地面に落ちたのだ。
「ええと、これは?」
「ど真ん中に当たるのは当たり前で、前に射った矢を弾き落とすのではなくて、真っ二つに切り裂いてから落とすのが最良の結果なのか……」
田舎領地で弓を嗜んでいるから上手などと言っていた俺たちなど、子供に見えるくらいの名人ぶりであった。
『女那須与一』、『女ロビンフッド』、あだ名はなんでもいいが、恐ろしいまでの腕前である。
「凄いなぁ。俺、弓を教えてもらおうかな」
俺がカルラ嬢に一番感じた感情は、『尊敬の念』であった。
俺も子供の頃から懸命に弓を練習していたが、やはり魔法と二足の草鞋状態だったせいで、『中途半端に上手い』くらいの評価しか受けていなかったのだ。
なので、あの武芸大会で準優勝という実力を持つ彼女を純粋に凄いと感じたのだ。
「でも、準優勝なのに仕官先がないのね?」
「女性ですからね……」
それでも結婚前までは、式典要員として武芸に優れた貴族の娘の就職先はあったりする。
本当に二~三年間だけで、嫁入り修行の一環と見なされるのだが、相応の実力がないと入れてもらえない狭き門だ。
カルラ嬢なら仕官できそうな気がするが、彼女は認知はされているが隠されている娘であった。
自ら積極的に、仕官先を求めることなどできなかったのであろう。
「二度目の裁定の使者が来るまで暇だし、カルラさんから弓でも習おうと思う」
「それはいいけど」
「いいけど?」
「綺麗な人だからって、奥さんにしようとか考えちゃ駄目よ」
「その気もないし、立場的に無理だろうが……」
信用がないせいか?
俺はなぜか、イーナから釘を刺されてしまう。
そしてもう一人、彼女の弓の腕に感心している人物がいた。
「カルラ様かぁ……。弓を射る姿が美しい……」
エルがぼーーーっとした表情で、カルラ嬢が弓を射る様子を眺めていたのだ。
「あのね。ヴェル。エルには絶対に他の感情もあるから」
「みたいだねぇ……」
「カルラ様は、素晴らしい弓の腕前ですね。俺なんて、足元にも及ばないですよ」
「エルヴィンさんも、とてもお上手でしたよ」
「いやあ。それほどでも」
呆けから回復したエルは、無駄にさわやかな笑顔を浮かべながらカルラ嬢に話しかけ、彼女に弓の腕前を褒められて満更でもない様子だ。
そしてその様子を見た俺とルイーゼは、新たに増えたかもしれない問題に判断がつかず、ただお互い見つめ合うのみであった。
エルも、また厄介な人を……。
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