第165話  戦争の後始末は、勝っても負けても面倒だ

「……」


「大丈夫? ヴェル?」


 俺、ブランタークさん、カタリーナの三人で、迫り来る一万人ものブロワ辺境伯家諸侯軍に『エリアスタン』をかけたら魔力が尽きて気絶した。

 そこまでは覚えているのだが、その先の記憶がない。

 敵は夜に襲撃してきたのに今は日の光が眩しく、どうやらかなりの時間寝ていたようだ。


「ブロワ辺境伯軍は?」


「全滅したわ」


 目が覚めた俺を心配そうに見つめるイーナが、俺たち三人が気絶したあとに起こったことを教えてくれた。


「広範囲の『エリアスタン』は成功したのよ」


「それはよかった」


 三人で分担を決め、何十個もの魔晶石を用いたのが功を奏したようだ。

 ただ、イーナが見せてくれた俺の魔晶石はすべて魔力が空っぽになっていた。

 

「ブランタークさんとカタリーナも、魔力切れで寝ているわ」


「そうか。でもどうしてエリーゼは奇跡の光を?」


「怪我人が多いのよ。ブロワ辺境伯軍はほぼ全員が戦闘不能になったから、怪我人の治療を優先してほしいと、ブライヒレーダー辺境伯様が……」


「そういうことか」


 俺たちは魔力切れで気絶していただけなので、そのまま寝かされていたらしい。


「そんなに損害が出たのか?」


「死者だけでも百人近いのよ……」


 俺は、昨晩のことを思い出していく。

 ブロワ辺境伯家諸侯軍すべてを『エリアスタン』で絡め取るために相手をギリギリまで引き寄せたが、その前に敵軍は多くの矢を放っていた。

 

「当たり所が悪い人がいて、味方にも三名の死者が出たそうよ」


 ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍側も応戦して矢を放っているので、ブロワ辺境伯家諸侯軍にも多くの死傷者が出ているようだ。

 こちらは待ち構えてから一斉に大量の矢を放ったので命中率がよく、ブロワ辺境伯家諸侯軍の方が矢による死傷者が多いらしい。


「馬に乗って先頭にいた騎士たちに、死傷者が集中したのかな?」


「当然そうなったわ」


 矢も当たりやすいだろうし、かなりの全速力で走っている馬に乗っているのを、馬ごと麻痺させて落馬させたのだ。

 死傷者が増えても当然だろう。

 日本の戦国時代や江戸時代には、落馬して死んだ武士や殿様も多かったそうで、この世界のサラブレッドに近い大きさの馬から勢いをつけて落馬をすれば、死者が激増してもおかしくはなかった。


「エリーゼは、治療で大忙しなのよ」


 ブロワ辺境伯家諸侯軍がまだ戦えるのなら、俺たちの魔力を『奇跡の光』で回復させていただろうが、運よく一回の『エリアスタン』で、ブロワ辺境伯家諸侯軍はほぼ全員が戦闘不能になっている。 

 昨晩は、麻痺したブロワ辺境伯家諸侯軍の兵士たちの捕縛と救助。

 運よく『エリアスタン』から逃れた敵数百名がいたので、彼らの捕縛を。

 もっとも、いきなり目の前の味方がほぼ全滅したので、特に抵抗もせず武器を捨ててしまったらしい。

 あとは、ブロワ辺境伯家諸侯軍が駐屯していた陣地の接収も行われた。

 ただこれも、物資などの警備のために百名ほどしか兵が残っておらず、これも本軍が全滅したと聞くとすぐに降伏したそうだ。

 

「エルが軍を率いて本陣の接収に成功したわ」


「あいつ、結構働いているんだな」


「重臣扱いだもの」


「そうだったな」


 ブロワ辺境伯家諸侯軍兵士たちの捕縛と治療を続けているうちに朝が近くなり、空が明るくなるのと同時に、要請していた援軍が五月雨式に小型魔道飛行船などに乗って到着した。

 馬を全力で走らせて来た、ブライヒレーダー辺境伯家自慢の騎馬隊の姿もあったそうだ。

 彼らは味方の手伝いと、威力偵察に出て本陣後方にあった十数ヵ所の食料補給所を占領したとイーナから教えてもらった。

 

「そこを守っていたのもやはり少数の警備兵たちだけで、彼らもほとんど抵抗せずに降伏するか、逃げ出してしまったそうよ」


「大勝利ではあるな」


 追い詰められたからか、勝って苦境を脱するという、一か八かの思想に犯されたブロワ辺境伯家諸侯軍が全力で攻撃を仕掛け、逆に俺たちの魔法で多くの戦死者と捕虜を出してしまった。

 その数は一万人を超える。

 本軍には十名ほどの貴族たちもいたし、ブロワ辺境伯家諸侯軍とて重臣たちや、お飾りとはいえブロワ辺境伯の娘もいる。

 その身代金だけで、またもブロワ辺境伯家の負担が大幅に増えたわけだ。


「その件で、ブライヒレーダー辺境伯様がお話があるって」


「わかった」


 もう時間はお昼前なのだそうだ。

 長時間眠っていたので魔力は全快していたし、また少し魔力量が増えた感覚もあった。

 その代わり恐ろしいほどの空腹感で、少し眩暈もするようだ。

 魔法の袋からチョコレートを取り出して口に入れてから、イーナの助けを借りて簡易ベッドから起き上がる。


「大丈夫?」


「ドラゴンゴーレム戦の時と同じさ。すぐに回復する」

 

 暫くすると、脳に糖分が届いたようで頭がスッキリとしてくる。

 これでようやく、ブライヒレーダー辺境伯の元に行けるはずだ。


「支えはいる?」


「大丈夫だけど、暫く支えていてくれ」


 立ち上がってみると特に眩暈などはないようだが、イーナに寄りかかるといい匂いがするので、少し具合が悪いフリをしておく。

 男子の知恵というわけだ。


「カタリーナは?」


「ヴェルと同じよ。まだ寝ていると思うわ」


 少し離れたカタリーナが寝ている簡易ベッドに移動すると、彼女はもう目を醒ましていたようだ。


「お腹が空いて……。ですが、ここは我慢ですわ」


「ダイエットか?」


「あくまでも念のためなのですが、私が太ったかもしれないという可能性が……」


「念のためねぇ……」


 別にそうは見えないが、実際はどうなのであろうか?

 俺は気にならないが、本人にとっては深刻な問題なのかもしれない。


「そうか? それよりも、ブライヒレーダー辺境伯が呼んでいるぞ。名誉準男爵殿」


「そうでしたわ」


 彼女も貴族なので呼ばれていたが、魔力をすべて使い果たしてから半日近くも寝ていたせいで、脳に糖分が足りていないようだ。

 思うように立ち上がれないようで、簡易ベッドの上で座ったまま頭をフラ付かせていた。


「ほら、甘い物を口に入れろ。楽になるから」


「甘い物は……」


「ブランタークさんに教わっただろう。ええいっ! ダイエットなんて必要ないだろうが!」


 こうなれば、強引に口に押し込むだけだ。

 だが、手で押し込むと口を塞ぐ可能性があるので、ここは冷静な判断力を奪ってしまうに限る。

 俺はチョコの欠片を口に含むと、そのままカタリーナとキスをして舌でチョコの欠片を押し込んでしまう。

 強引に口移しで食べさせたのだ。


「っーーー!」


 俺のまさかの行動に、この手の免疫が皆無なカタリーナは頭がまた沸騰してしまったようだ。

 顔を真っ赤にさせて呆然としていたが、口の中に押し込んだチョコはちゃんとモグモグと食べているようだ。


「もう少し食べさせるか……」


 続けて三回ほど、口移しでチョコの欠片を食べさせる。

 頭が沸騰したままのカタリーナは、なんの抵抗もなくチョコを食べては飲み込んでいた。


「栄養補給完了、上手くいったな」


「ヴェル。最初のはともかく、二回目以降は口移しにする必要あったの?」


「一応、あったということにしておこう。おっと、そうだ!」


 こういうことは不公平感が出るとよくないので、俺はもう一度チョコの欠片を口に含むと、今度はイーナとキスをしてチョコの欠片を舌で押し込む。


「ちょっと! うぐっ……」


 イーナは恥ずかしさからか最初は少し抵抗していたが、すぐにそれも弱まっていく。

 俺が舌で押し込んだチョコの欠片を口に受け入れ、しばらく舐めてからちゃんと飲み込んだ。


「私は、チョコを食べる必要はないじゃないの!」


 イーナは、顔を真っ赤にさせながら俺に文句を言い始めた。


「ここは、平等にと思っただけさ」


 命の危険から解放されたおかげか?

 思わず、柄に合わないことをしてしまった。


「今はいいのよ! 早くブライヒレーダー辺境伯様の元に行かないと」


「そうだったな。おーーーい、カタリーナ」


「もう、ヴェルがおかしなことをするから……」


 カタリーナが寝ていた簡易ベッドに視線を向けると、彼女はまだ顔を真っ赤にさせながら放心したままであった。

 どうやら、刺激が強すぎてまだ現世に戻ってきていないようだ。

 見た目はイケイケに見えるんだが……可愛らしいとも言えるな。


「おーーーい、カタリーナ」


「カタリーナに、いきなりそういうことをしちゃ駄目でしょう!」


 婚約者の中で一番真面目なイーナでも、少し顔を赤くさせるくらいですぐに復帰したのに、カタリーナは少しキスをしただけでこの有様。

 なるほど、見た目と中身のギャップが大きい人間というのは見ていて面白いものだと感心してしまう。


「感心している場合じゃないでしょう。早くカタリーナも連れて行かないと」


「それを忘れるところだった」


「忘れないでよ!」


「そうだぞ。目が覚めてから一杯やって、こっそりとお館様のところに逃げたら、無情にも伯爵様とカタリーナの嬢ちゃんを呼んで来てくれと頼まれてしまってな。再びここに顔を出してみれば、見ているこっちが恥ずかしくなるようなことをしていやがる。若いってことなのかね?」


 ブランタークさんは目を覚ましたあと、こつそりとブライヒレーダー辺境伯のところに戻っていたようだな。

 俺たちを呼びに戻されてしまったけど。

 今までの痴態をすべて見られてしまったか……。


「若いって素晴らしいと思うけどな。それに命の危険があって、それを潜り抜けると人は行動が大胆になるものさ。俺も若い頃にはそんなことがあったさ。ただ、今は大切なお話があるからよ」


「ヴェルぅーーー!」


 恥ずかしさからか?

 再び顔を真っ赤に染めるイーナが、俺に非難の声をあげた。


「婚約者同士だからいいと思うんだよなぁ。頑張った俺にご褒美だと思ってさ」


「まあいいけど……」


 ブランタークさんの前なので仕方なしに許した風を装っているが、イーナはそう怒っていない……少なくとも、俺はそう思うことにした。


「ところで、カタリーナの嬢ちゃんはいつ起動するんだ?」


「さあ? なにしろ初めて試したことなので」


「私よりもそういうのが駄目なのね……」


 三人で騒いでいる間も、カタリーナは簡易ベッドの上で顔を真っ赤にしたまま放心し続けていたので、俺とイーナで両脇を支えて彼女をブライヒレーダー辺境伯の元に連れ出す羽目になるのであった。


 次からは、気をつけることにしよう。






「バウマイスター伯爵、魔力の方は回復しましたか?」


「はい、おかげさまで」


「カタリーナさんは、まだ本調子ではないのですか?」


「すぐに元通りになりますよ、きっと」


「そうですか。これで全員揃いましたね」


 どうにかカタリーナを起動させた俺たちは、急ぎブライヒレーダー辺境伯本軍の本陣へと向かった。

 そこでは、ブライヒレーダー辺境伯と数名の重臣たち、諸侯軍を編成している十名ほどの貴族やその家臣たちも集まっており、どうやら俺たちが最後だったようだ。

 俺はイーナを護衛として連れており、カタリーナは諸侯軍は出していないが、自身が名誉準男爵なので貴族の一人としての参加だ。

 遅れたので、叱られはしないだろうが嫌な顔をされるかもと思ったのだけど、みんな俺に対し好意的な表情を向けている。

 『エリアスタン』のおかげで快勝したうえに、味方の犠牲も少なかったからであろう。

 席に座ると、若い従兵がお茶を出してくれた。

 飲むと、エリーゼが淹れるものより少し味が落ちるが、彼女は昨日の戦闘で出た大量の負傷者たちを治癒するのに忙しいから我慢するしかない。


「さて。昨晩は、思わぬ『戦争』に巻き込まれて大変でした」


 ブライヒレーダー辺境伯が、殊更『戦争』という単語を強調する理由。

 それは、今までに貴族間で起こっていた紛争から大きく外れた、想定外の事件だったからだ。

 貴族同士が利権を巡って兵を出し、なるべく人が死なない方法で争う。

 面倒なので戦争と呼んでいる人がいるが、王国的にいえばそれは『紛争』であった。

 王国政府の見解としては、戦争はアーカート神聖帝国と停戦を結んでからは一回も発生していない。

 これはちょっとした味方貴族同士の争いなので、『紛争』だと言うわけだ。

 言葉遊びに聞こえなくもないが、王国政府は紛争の裏ルールまで作って、戦争を防ぐ努力を続けているから、これを批判するのはよくないな。

 ところが、昨日のアレを『紛争』と呼ぶのはかなり難しい。

 死者が百名近くも出ているし、数十年前の偶発的な衝突とは違って、ブロワ辺境伯家は自らの意思で戦争を仕かけてきた。

 後方に伏せていた援軍も呼んで合計一万の兵力で、武器も訓練用のものから通常のものに戻し、馬に乗った騎士たちを先頭に、ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍を蹂躙して粉砕しようとしたのだ。

 もしこれが成功していたら、ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍の犠牲は軽く四桁に達していたはずだ。


「とにかく、困った事態です」


 『エリアスタン』をかけた俺たちが気絶したあと、ブライヒレーダー辺境伯は一秒も睡眠を取らずに事後処理に奮闘していたそうだ。

 麻痺して倒れていたブロワ辺境伯家諸侯軍すべての兵士たちを武装解除してから捕縛し、怪我人はエリーゼや従軍している治癒魔法が使える司祭たちに治療させた。

 次第に小型魔導飛行船や早駆の騎馬隊などが援軍としてやって来ても、捕虜が多すぎたので管理に苦労しているようだ。

 戦争は後片付けの方が大変だからな。

 さらに、本来こういう紛争で越境は禁止なのだがそんなことも言っておられず、 少数の部隊を派遣し、ブロワ辺境伯家諸侯軍の本陣や後方の食料備蓄所なども抑えることとなった。

 本陣には百名ほど、各所の食料備蓄所にも二~三十名ほどの兵士たちがいたが、彼らはほとんど降伏したので、その管理もあった。

 さらに、捕虜の奪還を目指して別の部隊が攻撃を仕かけてくる可能性もある。

 偵察なども必要であり、これは人手が足りないので、モーリッツ、トーマス、エル、ルイーゼも各十名ほどの兵たちを連れて、周辺の探索に参加しているそうだ。


「幸いにして、ここに特使であるクナップシュタイン子爵殿が無事でいることが救いですか……」


「職務上、片方だけに肩入れはできませんが、私がブロワ辺境伯家の軍勢に殺されていた場合、王宮と抜き差しならぬ事態になったでしょうからね」


 それに加えて、この『戦争』が、ブロワ辺境伯家から仕かけられたことを王国政府に証明してくれる大切な人だからだ。

 もし彼が死んでいた場合、ブロワ辺境伯家側がこちらを陥れるために、とんでもない嘘をつき、それを王国政府が一部でも認めてしまうかもしれない。

 クナップシュタイン子爵がいるおかげで、少なくともこちら側が一方的に責められることはないわけだ。

 もしかすると、ブロワ辺境伯の賄賂攻勢などで、彼が土壇場で裏切って陛下に嘘の報告をする可能性も否定できなかったけど。


「私が王宮側の人間なので多少のご懸念を抱いている方もいるでしょうが、この『戦争』がブロワ辺境伯家側によって引き起こされたのは事実です」


 慣習に則って相場どおりの和解案を出したのに、それが嫌だからといって今の不利な状況を打破するため、後先考えないで『戦争』を仕掛けるなど論外だと、クナップシュタイン子爵は述べた。

 その表情はいつもどおりであったが、彼も個人的には怒りを覚えているように見える。

 自分が殺されていたかもしれないのだから当然か。 


「ただ、大きな問題が一つあります」


 この、さらにグジャグジャになった状況をどう解決するかという問題が出てきたのだ。

 俺たちが捕らえて紛争地帯の味方側領主たちに管理を任せている、ブロワ辺境伯家家側の貴族や兵士たちも合わせ、現在ブライヒレーダー辺境伯家側で管理している捕虜の数は二万人近くいる。

 あとで管理費用を請求するにしても、大きな手間になっているのは問題だ。

 それに加えて、必要とはいえすでにブロワ辺境伯家側の領地内に軍を進めている。

 さらに追い込まれたブロワ辺境伯家が、もはや自分たちが王国政府に許されるわけがなく、それならば徹底抗戦をして王国から少しでもいい和解案を引き出そう、などと考えられてしまったら大変だからだ。


「人数が多いから、食料の頻繁な輸送は必須だったんでしょうね」


 ただ、荷駄隊が戻って来なければブロワ辺境伯家側も不審に思うはずだ。

 その前に大敗北したせいで周辺に噂は広がるし、一人も逃走者を出していないはずなどない。

 あと数日もすれば、ブロワ辺境伯家側にも大まかな情報は伝わるはずだ。


「当面は接収した食料を食べさせますし、もはや『戦争』状態なので軍の追加徴集も行っています」


「対策はちゃんと打っている。となると、あとはなにが問題なのです?」


「これから先、私たちは誰と交渉すればいいのでしょうか? 交渉できないと、紛争だろうと戦争だろうと終わりませんからね」


「責任者ですか……」


 同席していた若い貴族からの質問に、ブライヒレーダー辺境伯は乾いた笑みを浮かべながら答えていた。


「クナップシュタイン子爵が、裁定の協定書にサインする人間を聞いたら攻めて来ましたからね」


「図星を突かれて困ったんでしょうな」


「困るのはいいですけど、そのせいで夜襲を仕かけるのは勘弁してほしいですよ」


「前代未聞の出来事でしたからな」


 ブランタークさんも、これからどうしたらいいのか見当もつかないようだ。 

 現在、ブロワ辺境伯家を動かしている人間が不明なのは困ってしまう。

 ブロワ辺境伯本人が生きていても、人に指示を出せる状態ではないから、こんなことになってしまった可能性が高いと俺は予想していた。

 普通は、跡取りを領主代行にして領地の運営や諸侯軍の指揮を行うはず。

 だが、あの家は相続争いが発生しているわけで、だからこそ長男フィリップを跡取りにしようと諸侯軍の幹部たちが兵を出し、挙句に敗北している。


「あの軍勢を率いていた幹部連中は、すべて捕縛しました。身分の高い重臣ほどフル装備で前線に出るなんてことはないので、比較的簡単に捕縛されました。後方で痺れていましたから。悪運強く、死者もいませんでしたね」


 『エリアスタン』による落馬などで、死んだ人はいないそうだ。

 せめて一人くらい前線に出て犠牲が出ていれば同情もできたのだが、常識外れなことをしたくせに怪我もなく捕虜になったと聞き、彼らの無責任さに反吐が出る思いであった。


「あの姫様はどうしました?」


「本陣にいましてね。エルヴィンさんが降伏させたと報告が入りました」


 抵抗されると思ったそうだが、すぐに降伏してくれたそうだ。

 相手は女性……弓も名手だけど、少ない兵たちだけではどうにもならなかったか。


「ちゃんと丁重にもてなしていますよ。戦場に女性を連れて来るから、扱いが面倒ですけど」


 もし彼女になにかあれば、それはブライヒレーダー辺境伯の恥となってしまうそうだ。

 そのため、丁重に隔離してあるらしい。


「あのお姫様には、なんの権限もなかったみたいです。軽い神輿でしょうね。問題は……」


「これから裁定を再開するにしても、誰が来るのかですよね?」


 長男か次男かは知らないが、跡取りが指名されていない以上、条件は詰められても協定書にサインする人間がいないわけだ。

 

「ブロワ辺境伯本人は?」


「来れるのでしたら、最初からここまでチグハグにはならないはずです」


 確かに、彼に諸侯軍の指揮が可能なら、娘を総司令官代理などにして兵を出さないはずだ。

 

「ブロワ辺境伯はすでに死んでいて、それを周囲が隠している。もしくは、すでに人になにか指示を出せるような状態にない。意識がないなどでいつ死ぬかわからず、だから軍からの支持が強いフィリップは重臣たちに紛争で功績をあげるよう命令した。娘は、一族の者が飾りでもトップにいるべきであろうという判断からかな?」


「おおよそ、バウマイスター伯爵の想像どおりでしょう」


 紛争の指揮を執るため、病床の父親から離れている間に彼が死んでしまうと、残っている次男が勝手に跡取りだと名乗って王家に使いなどを出しかねない。

 だから、双方共に屋敷から離れないのであろうと。


「腹心に任せて、前線に来ればいいのに」


「印綬官の去就が不明なのでしょう」


 貴族家の当主は、書類にサインをしてその効力を発揮させる。 

 そのため、日本のように判子は存在しないのだが、当主の証として金でできた紋章を彫った判子が王家から下賜されていた。

 手紙に蝋で封をする時に、それを押してその手紙が本物である証明にするわけだ。

 これを所持する者こそが当主というわけだが、大物貴族にはこれを管理する『印綬官』という役職の家臣が存在した。


「非常に地味な役職なんですけど、大物貴族は印綬官を優遇しています」


 能力以前に、誠実で主君に忠実な者が選ばれる。

 自分だけが、密かに主君から後継者の名前を聞いているケースも多い。

 主君が印綬官に後継者を伝えてあれば、主君の死後、印綬官は命を賭してその人物に印綬を渡す。

 過去には、他の後継者候補に殺される者も多かったそうだ。


「ブロワ辺境伯がまだ死んでいないとすれば、印綬官は意地でも印綬をどちらにも渡さないでしょう。ただ……」


 死んでしまってから、ブロワ辺境伯が後継者を定めていなければどうするのか?

 それは、誰にもわからないわけだ。


「印綬官も文官の類ですからね。フィリップ殿が出陣してからブロワ辺境伯が亡くなり、クリストフ殿が印綬官に印綬を寄こすように迫る。フィリップ殿が腹心を残していても、なんの役にも立ちませんからね」


 だから二人共、意地でもブロワ辺境伯の病床から離れないのであろうと。


「こんなものがねぇ……」


 さっと、魔法の袋から印綬を取り出してみる。

 王国から貰ったものだが、あまり使わないので魔法の袋に仕舞ってあった。

 

「バウマイスター伯爵家は新興ですから、もう数十年かしないと印綬官なんて決められないでしょう」

 

 新興貴族が、すぐに信用できる誠実な家臣など見つけられないし、逆に言えばただ印綬を預かっているだけで給料が貰える存在なので、大物貴族しか専任の印綬官など雇えない。

 大物でない貴族は印綬を自分で持つか、他の家臣に職務を兼任させているのが普通であった。


「えらく豪勢に改良をしていますね」


「ローデリヒが、派手な方がいいって言ったからですね」


 印綬は王国が下賜するものだが、見た目は文具屋などで売っている三文判と大差がない。

 判子の先端部分が金で、残りの持ち手の部分は銀でできている。

 そして、判子の部分は駄目だが、持ち手の部分は自由に改造が可能であった。

 大物貴族は、持ち手の部分を改造してその豪華さを競うのだ。

 誰に見せるでもないのに、やはり貴族とは見栄を張る生き物であった。


「竜が二匹絡み合う姿ですか……」


「一応、ドラゴン退治で立身出世をした家だからという理由です」


 竜は金細工で、目の部分にはエメラルドが入っていた。

 細工は、ローデリヒが知っていた王都でも評判の細工職人に依頼している。


『職人にも知己がいるんだ』


『冒険者の仕事で、少し特殊な素材を採取して持って行ったことがあり、そこからの縁ですね』


 ローデリヒの顔の広さは、相変わらずであった。

 すぐに細工職人への依頼が行なわれ、バウマイスター伯爵家の派手な印綬は完成している。


「でも、持ち難そうですね」


「それに気がついたのは、細工が完成してからでしたね」


 そこまでは、俺もローデリヒも予想していなかったのだ。

 なにしろ共に、印綬に縁がなかったのだから当然か。

 二人の間に妙な空気が広がったので、話を変えることにする。


「しかし、面倒なことになりましたね」


「苦労した分、せいぜいふんだくってあげますけど」


「ふんだくるというのは少々下品な物言いですが、余計な夜襲などするから、和解金と身代金の額が大幅に増えるのは確かです」


 クナップシュタイン子爵は表情も変えず、懸命に参考となる裁定案の改定を始めていた。

 

「裁定案で有利になるように、どこかの街でも占領しますか?」


「いえ、街を占領すると面倒なので」


 他の貴族の領地なので、略奪などをするバカが出る可能性があるからだ。

 これ以上騒ぎを大きくしたくないのに、また揉める元を増やしても仕方がない。

 ブライヒレーダー辺境伯は、若い貴族からの提案を却下した。

 だが、その代わりにエチャゴ平原の大部分を占領している。

 敵軍本陣や食料備蓄所の占領のついでに、援軍も使って押さえてしまったのだ。


「ここまで揉めた以上、占領地があった方が裁定で有利でしょうし」


「ただの草原ですけど……」


「将来は有望な開拓地ってことにしておきましょう」


 結局その日の会合は、ブロワ辺境伯家側が使者を寄こすまで、占領地の確保と捕虜の管理を続けることだけを決めて閉会した。

 他に、なにも決めようがなかったというのもある。


「そういえば、バウマイスター伯爵にお願いがありまして」


「お願いですか?」


「はい。あなたにしか頼めないことです」


「俺にだけですか?」


 なんでも、捕虜になっているカルラというブロワ辺境伯の娘を、こちらで預かってほしいのだそうだ。


「バウマイスター伯爵のところには多くの女性たちがいるので、同じ女性同士ということで預かってもらえないかと」


 注意しているとはいえ、ブライヒレーダー辺境伯家の本陣には男性しかおらず、向こうも男ばかりに囲まれたら気も滅入るであろうと。

 彼女は貴族の娘なので、捕虜とはいえちゃんと面倒を見る必要がある。

 もし彼女になにかあれば、ブライヒレーダー辺境伯の評判が落ちてしまうというのもあった。


「面倒だから、女性なんて連れて来なければいいのに」


 捕虜になった、交渉で代表を務めていた初老の重臣に思わず言ってしまったそうだ。

 勿論その重臣はなにも言わず、憮然とした表情を崩さなかったそうだ。


「それは構いませんが、俺が気に入って嫁にするとか言い出したりして」


「英雄色を好むですか? それは勘弁してほしいですね」


 俺の発言を、ブライヒレーダー辺境伯は冗談だと思ったようだ。

 実際に冗談だし、周囲に反対されて成立しないのでまずあり得ないのだが。


「(でも、彼女って……)」


 黒髪に黒い瞳で、西洋風の人たちが多いこの世界には珍しく、比較的日本人寄りの顔をしており、しかも雰囲気が前世の学生時代の彼女によく似ていたのだ。

 あくまでも雰囲気で、カルラ嬢の方が圧倒的に美少女ではあったが。


「イーナ、大丈夫かな?」


「女性同士は纏めてってことでしょう? わかったわ」


 ブロワ辺境伯家諸侯軍による掟破りの夜襲を防ぎ、さらなる戦果を挙げたものの、俺たちはさらに面倒事に巻き込まれてしまったような気がしてならなかった。

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