第164話 ようやく裁定が始まったと思ったら……(後編)
「なぜ協定書にサインを行う人を決めるように言ったら、戦争になるのか理解できない。クナップシュタイン子爵の勧告には、彼らを挑発するなにかが含まれていたとか?」
「ただ単に、追い込まれたがゆえの暴走だと思いますが……」
「ブライヒレーダー辺境伯が、追い込み過ぎたとか?」
「あれで追い込み過ぎたのなら、裁定などする意味がありませんよ」
その日の夜中。
俺は突然モーリッツに叩き起こされた。
なんでもブロワ辺境伯家諸侯軍に動きがあり、全軍に緊急対応指令が出たそうだ。
モーリッツとトーマスに軍を整えるように命令を出してから、急ぎブライヒレーダー辺境伯の元に行くと、そこでは諸侯軍の指揮官たちが厳しい表情で伝令たちに指令を出し、戦の準備を進めていた。
「数十年前の悪夢再びですか……」
魔法の袋から出した望遠鏡でブロワ辺境伯家諸侯軍の様子を探ると、彼らは大量の松明を焚きながら軍の隊列を整えていた。
多分、それが終われば全軍で突撃を開始するのであろう。
「奇襲でなくてよかったですね」
「うちも向こうも、そこまでの練度はありませんからね」
音も立てず、火もほとんど焚かずに夜中に軍の隊列を整え、相手に気づかれないように突撃を行い、同士討ちをしないようにする。
この二百年で、そこまでの練度を持った軍勢はこの大陸から消えたそうだ。
精鋭を訓練するにも維持するにも、とてつもないお金と手間がかかるからだ。
「その代わり、今まで見えていなかった予備の軍勢がいたようですね」
後方にまだ軍勢を隠していたらしく、ブロワ辺境伯家諸侯軍は合計で一万人ほどにまで増えていると報告があった。
数が倍近くになったので、先制すれば勝てると思っているのであろう。
「その代わり、とんでもない犠牲が出ますけど」
「私が昔に参加した紛争よりも、多くの人たちが死にますね」
俺について来たクラウスですら、表情を暗くするような無謀な戦争である。
もしここでブロワ辺境伯家が勝ったとしても、とてつもない禍根を残すはずだ。
本当に戦争になってしまえば、もう王宮も介入を躊躇わないであろう。
「ブロワ辺境伯家の連中は、一体なにを考えているんだ?」
「とにかく、これまでの失態を誤魔化すことでしょうか?」
ブライヒレーダー辺境伯は、交渉で代表代理を務めていた諸侯軍の重臣たちが企んだのではないかと予想していた。
「貴族同士の戦争ですから、勝てば一定の評価は得られるかと」
「その前に、損害が多すぎて総スカンになりますよ。まだなにもしない方が……」
「ですから、このままなにもしないと、彼らは破滅なのです」
どの程度長男フィリップの意向を受けて兵を出しているのかは知らないが、ボロ負けしたので不利な裁定案を受け入れる未来は避けられないであろう。
そうなれば、軍を率いている彼らは揃って失脚である。
もし彼らが失脚すれば、自然と後継者は次男クリストフに決定してしまう。
このままなにもしないで失脚するくらいなら、いくら犠牲が出ても万が一の可能性に賭ける。
どうせ、死ぬのは他人なのだからと。
随分と無責任な考え方であったが、人は特権を失いたくないもの。
陪臣でもブロワ辺境伯家ほどの大貴族だと、下手な法衣男爵などよりもよほど力を持っている。
それを失ってしまうかどうかの瀬戸際なので、無理をした可能性が高かった。
「軍人って、そんなに血の気が多いんですか?」
「血の気というよりは、追い込まれたがゆえの無謀な強硬策ですかね?」
先に奇襲を仕掛けて大規模な紛争を招いたのに、それで負けそうになるとルールすら無視して本当の戦争を企む。
恐ろしいほどに自分勝手な連中であった。
「戦争は論外ですけど、私も今日はこちらで泊っているのですがね。巻き添えで死んでも構わないと思っているのでしょうか?」
クナップシュタイン子爵も、困惑した表情を隠せないでいた。
中立の特使なので、彼は双方の陣営に一日交代で宿泊する予定だったからだ。
それが一日目で奇襲を受けるのだ。
明日、向こうに宿泊して大丈夫なのかと思っているはず。
「クナップシュタイン子爵が殉職されると、もう少し自分たちを贔屓してくれる特使に代わってくれると期待しているのでは?」
「面白い冗談ですね」
クスリとも笑わずに、クナップシュタイン子爵は俺のジョークに反応した。
王宮から派遣された特使が巻き添えで戦死などすれば、それは王国すら敵に回してしまうからだ。
「それで、どうしましょうか?」
「攻撃を防ぎつつ、援軍待ちですね。もう援軍の要請は出してあります」
今から撤退をしようにも、兵の練度の関係でそれは難しい。
背中を見せたところを攻撃されれば、大敗は必至だからだ。
一糸乱れぬ退却など不可能なので、防戦して援軍を待つしかなかった。
「ただ、私の指揮能力ですとねぇ……」
こう言っては悪いが、ブライヒレーダー辺境伯は戦が上手ではない。
後方支援などの軍政面は得意なのだが、軍勢の指揮能力が大分低いのだ。
当然家臣頼りになるわけだが、兵数差の関係で支えきれるかは微妙だと答えていた。
「なら、やるしかないですね」
もし戦争になれば、うちの合計百人以下の諸侯軍などひと揉みにされてしまう可能性がある。
女性も複数いるし、このまま蹂躙されるわけにはいかないのだ。
「魔法で吹き飛ばすのですか?」
「いえ、『エリアスタン』で戦闘不能にします」
「難しくないですか?」
一万人もの広範囲に渡って押し寄せる敵軍を、『エリアスタン』で全軍戦闘不能にする。
俺の魔力を全部使っても、まず不可能であろう。
「そこで工夫するんですよ」
時間がないので、説明する時間が惜しい。
なので、早速準備をしながら説明することした。
まず、ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍の最前列から二十メートルほど前進し、草原にドカっと腰を下ろし座禅を組む。
魔法の袋から、前の教訓を生かして準備していた魔晶石をすべて取り出して両手に握れるだけ握り、残りは全て組んだ足の上に乗せる。
「魔力全開ってか」
「ブランタークさんも協力してください」
「そうだな。それしかないよな」
ブランタークさんも俺のすぐ横で座禅を組み、やはり大量に準備していた魔晶石を両手に持ち、余った分を組んだ足の上に載せた。
「それだけの量の魔晶石も用いて、広範囲の『エリアスタン』ですか?」
俺とブランタークさんの様子を見に来たカタリーナは、その無謀そうな作戦を知り、顔を引き攣らせていた。
「こうなったら、伯爵様の『エリアスタン』が敵軍すべてにかかることを期待するしかないな。俺は、自分でできそうな範囲だけ担当な。名誉準男爵殿はどうする?」
「なにを聞かれるのかと思えば。当然参加いたしますわ」
少し恐れもあったようだが、自分なりに計算して勝算アリと思ったのであろう。
カタリーナは俺を挟んで、ブランタークさんの反対側で座禅を組む。
さらに、自分の魔法の袋から大量の魔晶石を取り出した。
「魔力のコントロールが難しいですわね」
「無理そうなら、辞退してもいいぞ」
「せっかく受けた特訓ですので、成果は確認したいですわ」
広範囲に『エリアスタン』を発動させるわけだが、三人で被らないように範囲を分担する必要があるし、体内の魔力が一気に消費されるので、その補填を上手く意識しながらコントロールしないといけない。
せっかく大量の魔晶石があるので、すべて使い切るのが最大の目標であった。
体内から魔力が完全に尽きれば気絶してしまうので、その前に意識して次々と用意した魔晶石から魔力を吸収するのだ。
もしコンマ一秒でも対応が遅れれば、魔晶石の魔力を吸い上げる前に気絶する。
もしそうなれば、それほど広い範囲に『エリアスタン』がかけられない。
前に出ている俺たちは突撃する敵軍に押し潰されるであろうし、本格的な戦闘になって死傷者も膨大に出るであろう。
「体内の魔力を細く長く搾って使うのではなく、体内から一気になくなるのを、素早く魔晶石で補充していくわけだ」
三人で持っている魔晶石の数は、合計で六十個ほど。
ブランタークさんの計算によると、すべての魔力を気絶する前に使い切れれば、なんとか大半を戦闘不能にできるそうだ。
「それぞれの担当は……」
時間がないので大雑把な説明になったが、ブランタークさんは端っこの十分の一ほどの範囲で、カタリーナも同じく端っこの五分の一ほどの範囲。
最後に俺は、中心部の大半をが担当することになった。
「残念ながら、魔力の量の関係で俺とカタリーナの嬢ちゃんはこのくらいが限界なんだよ」
「ですわね。前の器合わせで私の魔力量も頭打ちですし」
俺がしくじると、そのまま作戦の失敗に繋がる。
もし二人が失敗しても、軍勢の数では上回れるので援軍が来るまで十分に持ちこたえられるからだ。
「できれば三人共『エリアスタン』に成功して、犠牲は極力減らしたいものですわ」
「もし失敗したら、他から文句を言われようとヴェルたちを担いで逃げるぞ」
広域『エリアスタン』の準備を終えると、そこにエル、イーナ、エリーゼ、ヴィルマ、クラウスが姿を見せた。
「そうね。こんなことになるなんて想定外だもの」
イーナも、俺を担いで急ぎ小型魔道飛行船にまで逃げると宣言した。
「カタリーナ、少し重そう……」
「ヴェンデリンさんと一緒に住むようになって少し太りましたけど、そこまで重くはないですわ!」
ヴィルマがカタリーナが重そうだと毒舌を吐き、それに彼女が反論した。
「あの、ヴェンデリン様にいただいた指輪もありますので、『奇跡の光』が二回かけられます」
「なら、伯爵様と名誉準男爵様の回復を頼む。俺だけ担げば、負担も少ないだろう?」
エリーゼには、魔力も半分だけ回復できる『奇跡の光』がある。
これを使えば、もしかすると『エリアスタン』の二撃目も可能かもしれない。
駄目そうなら、逃げるという選択肢も選べるわけだ。
「ブランターク様を抱える。オヤジ臭い……」
「嘘だぁ! 俺にはまだ、加齢臭とかないからな!」
残念ながら、ヴィルマの言うことに嘘はなかった。
ブランタークさんももう五十歳超えで、どうしてもそういうものからは逃れられなかったからだ。
いくら香水で誤魔化しても、ヴィルマの鋭い嗅覚は誤魔化せなかった。
「嬢ちゃんたち! 俺はまだそういう臭いはしないよな?」
「ええと……」
「なんと言いますか……」
「交渉に来ていた、ブロワ辺境伯家の重臣の方ほどは……」
「ぬあぁーーー! あんな豚と一緒にするなぁーーー!」
すべての女性陣に加齢臭があると認定されたブランタークさんは、まるで戦いの前に士気を上げるためだと言わんばかりにその場で絶叫していた。
「そろそろ、来ますけど」
「よしっ! あの豚は捕らえてやる!」
完全に八つ当たりのような気もするが、クラウスの指摘どおり前方数百メートル手前から地響きが鳴り響いてきた。
馬に乗った騎士や駆け足の歩兵たちが、こちらを蹂躙しようと突撃してくる。
戦争の経験などない俺は、その迫力に唾を飲んでまった。
「本気で戦をしてどうするんだか……」
「勝てば、なんとでもなると思っているのでしょうな」
大貴族の重臣たちなのに、追い詰められて思考がヴァルターやカールと大差なくなっているようだ。
「広範囲の『エリアスタン』の発動は、距離が百メートル以内になってからだ。そうしないと、後方の軍勢が網にかからないからな」
恐ろしいほどの地響きが徐々に増すなか、俺たちは魔法をかけるタイミングを探っていた。
数秒後、敵軍から大量の弓が飛んでくるが、それはエルたちが剣や槍で上手く弾いてくれた。
『魔法障壁』の魔力すら惜しい状況なので、彼らに矢の対処を任せていたのだ。
「ちょっ! 演習用の矢じゃねえぞ!」
「本気で、私たちを殲滅するつもりなのね……」
さらにルールを無視して、ブロワ辺境伯家の兵士たちは本物の武器を使用していた。
もうこうなると、完全に箍が外れているとしか言いようがない。
味方側からも大量の矢が放たれ、それに当たって落馬している騎士もいるようだ。
「坊主! 嬢ちゃん!」
「行くぞ!」
「「「『エリアスタン』!」」」
俺たちはそれぞれに分担したエリアに向けて、『エリアスタン』を発動させた。
広大な範囲を指定しているので、自分でもわかるほど一気に大量の魔力が消費していく。
そのままにしているとすぐに気絶してしまうので、急ぎ持っている魔晶石から魔力を吸い上げていった。
一つ、二つ、三つと魔晶石が瞬時に空となり、最後の一つが空になった瞬間、五十メートル前まで迫っていた敵軍が一斉に地面に将棋倒しとなった。
騎士たちは馬ごとその場に倒れ、歩兵なども同様なようだ。
「上手くいったか?」
だが、今の俺には確認不可能であった。
ブランタークさんとカタリーナも同じで、二人はすでに完全に魔力が切れとなり意識を失っていたからだ。
「あとは……」
「ヴェル?」
「意識を保つのが難しい。あとは頼む……」
「わかったから、安心して寝ろ」
俺はエルに後処理を頼むと、そのまま完全に意識を失ってしまうのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます