第162話 推定勝利ながらも、グダグダは続く

「しかし、来ませんねぇ……」


「なにが来ないんですか?」


「ブロワ辺境伯家からの、裁定開始を告げる使者ですよ」


「今の戦況だと、裁定を始めたくないのでは?」


「とはいえ、このまま睨み合っていたら、ブロワ辺境伯家は破産してしまうかもしれないのですよ」




 ブロワ辺境伯家とその寄子たちとの紛争が始まって一ヵ月ほど。

 戦況はこちらが圧倒的に有利であったが、本軍同士の睨み合いは相変わらず続いていた。

 特にこの一週間ほどは、まるで戦況が動いていない。

 一騎討ちをする若手騎士たちに、仕官のため一騎討ちをする陣借り者たちの姿も見えなくなった。

 予想外の長対陣になったので資金が尽きてしまった……陣借り者たちは食事は出ても、日当などは出ないからだ……のと、俺がブロワ辺境伯家を動揺させるために始めた採用試験に落ちてしまったので、これ以上ここにいても意味がないと、戦場から去ってしまったのだ。

 彼らの夢は、どこかの貴族家に仕官することである。

 ここが駄目なら、すぐに次の場所へと移動してしまうのだ。

 その結果、両軍は合わせて五百人ほど人数を減らしていた。

 食事と寝床さえ与えれば彼らはアピールのために参加するので、貴族側も安く軍勢の数を揃えるために陣借り者たちを利用している。

 だが逆に陣借り者たちも、仕官の目がないとすぐに姿を消してしまうのだ。

 お互いに相手を利用している以上、そうなるのも仕方がないというか、そう他人は自分の都合どおり動いてくれないのだから。


「圧倒的に不利な裁定案を呑まされるか、このまま時間ばかり経って破産するかですか……」


「なんとも困った話ですが、そろそろ限界でしょう」


 この戦争がない時代に、数千人もの軍勢を一ヵ月も動かしているのだ。

 それに加えて、一騎討ちなどで勝った騎士たちへの褒美もある。

 その経費は決して少なくなく、過去に一ヵ月を超えた対陣などほとんどなかったそうだ。

 貴族としてのプライドを保つため、力を見せつけるために、経費をかけすぎても意味がないからだ。


「そろそろ王家が焦れてくると思うんですけど……」

 

 ヘルムート王国の安定した統治を望む王家からすると、利権争いのために貴族たちが短期間対陣するくらいなら目を瞑るが、あまり長引くと本当の戦争になりかねないので介入してくるる可能性がある。

 もし王国に介入されれば、それは地方の独自性が弱められる非常事態となるであろう。

 しかもそれは、ブロワ辺境伯家だけの話ではないのだ。

 王国すべての地方貴族にとっての重大問題であり、ブロワ辺境伯家のみならずブライヒレーダー辺境伯家も他の貴族たちからの評判を落とし、ダメージを受けてしまうであろう。


「ですから、そろそろ顔を出してほしいものですね」


「病気らしいですけどね。ブロワ辺境伯」


「病床にあるのはほぼ確実と見ています。だからこそ……難しいですかねぇ……」


 ブロワ辺境伯が病床にあり、今回の紛争で諸侯軍を率いていないことは、すでに周知の事実となっていた。

 なぜなら、 その情報を掴んだのは俺たちであったからだ。

 それは、一騎討ち合戦が始まってから数日後のことであった。




『捕虜を交換してるんだな』


『はい。大物ならいざ知らず、陣借り者や小物などはお金になりませんからね。早めに交換してしまった方が双方にメリットがあります』


『それはそうですね』

 


 両軍の間で行われている、模擬戦形式の一騎討ちは五日目。

 結果は、ほぼ五分五分であった。

 お互いに捕虜を溜め込んでいても無駄な経費がかかるので、一日が終わると両軍による捕虜の交換が行われる。

 得られる身代金を計算し、お金にならなそうな者から順次交換されて戻って行くのだ。

 売掛金と買掛金を双方で相殺する事務手続きみたいなものだ。

 あのトーマスの兄も、すぐにブロワ辺境伯家側に戻された。

 一応騎士ではあるが、零細陪臣家の次期当主なのですぐに戻されたのだ。

 王国が叙任した騎士ではない、貴族が任じた陪臣騎士なので扱いが低いから無理に拘留する必要がないという、悲しい本音が存在するのだけど。


『陪臣でも大物でしたら、当主や跡取りが一騎討ちになどには参戦しません。家格や経済状況に関してはお察しかと』


『クラウス殿の言うとおりです。昔のお館様の実家が富豪に見えるほどの貧乏陪臣家ですから』


 捕虜交換で戻しているのは、俺たちが捕らえた貴族やその家臣たちではなく、一騎討ちで発生した陣借り者や小身の陪臣のみである。

 陣借り者からは身代金など取れないし、陪臣の身代金は主家の負担になるのだが、トーマスの兄くらいだと金貨五枚くらいで大したことはない。

 捕らえた捕虜などは面倒を見る必要があり、当然拷問や虐待などは禁止である。

 身分に応じて待遇を上げる必要もあり、金にならない者は同じレベルの捕虜とさっさと交換してしまうのだ。

 ちなみに、戻った者はもう今回の紛争では一騎討ちに参加できない。

 討ち死に判定なので主家からも評価されず、人は死なない戦争ではあるが、滅多にない紛争で己の力を見せる機会を逸したという点では、負けた者は死んだに等しい状態であった。


『トーマスの兄さん、しょんぼりしてたな』


 トーマスの兄も、この世の終わりのような表情でブロワ辺境伯側へと戻って行った。

 使い捨てとして差し出したはずの弟がこちらに裏切っており、せめて一騎討ちで勝利できたらよかったのだが、負けてしまったからな。

 戻ったら、きっと叱られるからであろう。

 叱られるだけならまだいいが、確実に評価も落ちるだろうからな。


『私の身柄を売った功も、これで帳消しですか……』


『トーマス殿が気にする必要はありません。他の家の都合ですから』


『そうでしたね。もう他の家のことです』


 とは言いつつも、トーマスは捕虜交換で戻って行く兄を複雑な表情で見送っていた。


『あの方から、トーマス殿たちがお館様に雇われているとブロワ辺境伯家に情報が流れます。どんな顔をするでしょうね?』


 それを交渉のネタにするつもりはないが、向こうは勝手に怯えているはずだ。

 なにしろ、俺自身がバウマイスター騎士爵領における反乱の真相を知っているのだから。

 しかしながら、それを楽しそうに笑みを浮かべながら言うクラウスは、やはり悪辣な男だと思う。

 味方なら頼りになるんだけどな。


『もう一押し、情報収集も兼ねて行いましょう』


 クラウスが続けて提案するが、その案の悪辣さに俺は顔を引き攣らせていた。


『それはまずくないか? 殺されないか?』


『なぜです? 新規仕官組の方々は、ブロワ辺境伯家とはなんの縁も所縁もないではありませんか』


 ブロワ辺境伯側の様子を探るために、新規組の一人をわざと一騎討ちで敗北させ、捕虜としてブロワ辺境伯に引見させると言うのだ。


『一人だけ証拠隠滅で殺したところで、まだ二十名以上もこちら側に残っています。しかも、捕虜になった本人が別の家名とお館様の家臣であることを主張しているのです。殺しなどしたら、大問題になりますよ』


 この時代における、戦場のルールを破ることになるからだそうだ。

 さらに言えば、ブロワ辺境伯家は大貴族だ。

 その手の外聞は、一番気にする存在であると。


『万が一のこともありますから、ちゃんとリスクも説明して志願者を募ります。ですから、成功した際には……』


『褒美を出すんだろう?』


『はい。危険手当も含めてですが』


 公式には一騎討ちに負けたので感状は出せないが、危険な極秘任務に成功しているので、こちらで査定を良くし、多目の褒美を出せばいいとクラウスは進言した。


『その策を実行しよう』


 人の生き死にに関わるかもしれない決断……サラリーマン時代にはあり得ないことだったので、胃が痛くなってきた。

 あとで下痢するかも。 


『では、早速実行します』


 クラウスは、新規組に自分の作戦を説明した。

 これは、ブロワ辺境伯家に対する揺さぶりと、他の捕虜では知り得ない情報を収集するための極秘任務なのだと。


『公式には、一騎討ちに負けて捕虜になったということになります。感状は出ませんが、お館様が人事評価を考慮することと、多目の褒美を確約してくださいました』


 新規組はクラウスの説明を静かに聞き、その中から若い小柄な男が志願をする。


『ニコラウス・フラーケです。以前の家名はブリーゲルでした』


『クラウスから詳細は聞いていると思うが……』


『大変に効率のいいお仕事を紹介していただき感謝いたします』


 面白いものの言い方をする男であった。

 トーマスが言うには、剣や槍などの貴族の嗜みはあまり得意ではないが、根が明るいのでムードメーカー的な存在らしい。

 他にも、新規組の物資管理や会計などでも手腕を発揮している男だそうだ。


『私は剣が苦手でして、単純に武功だけだと出世に必要な功績を挙げるのが難しいのです』


『殺される危険もあるが』


『まずないでしょう。向こうが驚く様を観察してきますよ』


 陽気な若者ニコラウスは、こちらの指示どおりブロワ辺境伯家の騎士と一騎討ちを行い、わざと負けて向こうの捕虜となった。

 敵本軍には、他にも数家男爵家だの子爵家だのの軍勢も混じっており、彼らの騎士に負けるとブロワ辺境伯の前に引き出されないので、ちゃんとブロワ辺境伯家の騎士と戦って負けるよう、クラウスが上手く仕込んだのだそうだ。


『ただいま戻りました』 


 朝一番に一騎討ちで負けたニコラウスは、夕方には捕虜交換で戻って来た。

 やはりブロワ辺境伯家は、今さらニコラウスだけを殺してもなんの意味もないと思ったようで、彼は特に命の危険もなかったようで涼しい顔をしている。


『大丈夫だったか?』


『ええ、いい食事が出ましたね。ここで出る食事には劣りますけど』


『うちは、エリーゼたちが作っているからなぁ』


『それは大変に大きいと思います』


 ニコラウスと一騎討ちをした騎士とは面識がなかった……そういう騎士を狙ったから当然だけど。 

 彼が一騎討ちに勝利し、自慢気にニコラウスを連れてブロワ辺境伯家諸侯軍の本陣に戻ると、本陣内は騒然とした空気になったそうだ。


『私がバウマイスター騎士爵領で反乱を起こすための捨て駒になった件は、実家とブロワ辺境伯家の家臣でも上の方々しか知りませんからね』


 下のニコラウスを知る者たちには、彼は素行不良なので勘当して追い出したと説明していたらしい。

 少し考えればおかしなことに気がつくはずだが、彼らとてそう余裕がある身上でもない。

 上におかしいと言って不興を買う勇気もないので、ただ遠巻きにニコラウスを見てヒソヒソと話していたようだ。


『彼らは、私が陣借りでもしているのかと思ったのでしょうが、生憎と剣や鎧には……』


 参軍するので、急遽バウマイスター伯爵家の紋章をつけていた。

 これが陣借り者ならば、武器や防具に紋章はついていない。

 勘当されて追い出されたはずのニコラウスが、なぜかバウマイスター伯爵家の正式な家臣になっていた。

 彼らからすれば、いくらでもヒソヒソ話をするネタに事欠かないというわけだ。


『ブロワ辺境伯家中に、いい種が撒けましたな』


 確かにブロワ辺境伯家の家臣たちは、なぜかバウマイスター伯爵家の家臣として姿を見せたニコラウスを見て、ああでもないこうでもないと勝手に想像して騒ぐはずだ。

 さらに言えば、戦況は俺の参戦によってブロワ辺境伯家側の圧倒的な不利になっている。

 ニコラウスは勘当されたのではないのか?

 勘当されるような素行の悪い者が、どうしてバウマイスター伯爵家の正式な家臣になれたのか?

 上層部への不信と合わせて、士気の下降に大きく貢献するはずだ。

 悪辣な心理戦なのに、笑顔で種が撒けましたなどと言えるクラウスに、俺は多少引き気味であったが。


『それで、ブロワ辺境伯は?』


『それが変なのです』


 普通、配下の騎士が一騎討ちに勝って捕虜を連れて来ると、当主自らが引見するのが決まりだ。

 捕虜に自身と主君の名前を聞き、大体の身分を確定させてからその場で感状を書き、褒美なども渡すからだ。

 ところが、ニコラウスの時は諸侯軍の幹部が応対したらしい。


『確かに変ですな』


 クラウスも、首を傾げてた。


『私のような小物にですら、先々代のブライヒレーダー辺境伯様は直接お会いになり、お褒めの言葉と褒美を渡してくれました』


 給金ではなく功績を挙げての褒美なので、これはどんなに忙しくても当主本人が顔を出すのが決まりだからだ。


『ブロワ辺境伯が来なかった理由は?』


『忙しいからと』


 その席で、別の家名と俺の家臣である事実を名乗ったニコラウスに、諸侯軍の幹部たちは目まぐるしく表情と顔色を変えていたらしい。

 俺に反乱の証拠を押さえられたが、かと言ってここでニコラウスを殺したところでなんの解決にもならない。

 むしろニコラウスを殺すと恥になるので、彼を俺の家臣として認めるしかなかったのであろう。


『白々しく、私がバウマイスター伯爵家でどのくらいのポジションかとか聞いてきましたけどね。仕官したばかりです、と答えておきました。事実ですからね』


 確かに、ニコラウスは嘘をついてはいないな。

 ブロワ辺境伯家の家臣たちにとって気が気でないだろうけど。

 引見が終わり、捕虜交換で戻るまでの時間を待っていると、そこでさらに奇妙なことがわかったそうだ。


『他の、お味方で捕虜になった人たちから聞いたのですが……』


 彼らには、ちゃんとブロワ辺境伯本人が引見したのだそうだ。


『なるほど、もしかすると』


『ブロワ辺境伯は、あの軍勢の中にいない』


 俺、クラウス、ニコラウスの意見が一致する。

 なぜかは知らないが、あのブロワ辺境伯家諸侯軍にはブロワ辺境伯がいない。

 その理由は簡単で、ニコラウスの引見に出て来なかったからだ。


『ニコラウス殿がいくら下っ端だったとしても、元主君の顔くらいは知っているでしょうからね』


 影武者というほど似てはいないと思うが、ブロワ辺境伯の家臣たちは似た背格好や年齢の人物にブロワ辺境伯の装備を付けて、彼が本陣にいると思わせている。

 元々、一騎討ちをするような味方の騎士たちは功名稼ぎの下っ端が多い。

 そんな彼らは、東部の大物貴族であるブロワ辺境伯の顔など知らないはず。

 年や背格好が似た高価な武具を付けた人が、捕虜になった自分たちに家名などを聞き、自分を捕えたブロワ辺境伯家の騎士たちに感状や褒美を渡している。

 当然ブロワ辺境伯家の騎士たちは、そのブロワ辺境伯が偽者だという事実に気がついているはず。

 だが、事前に言い含められているのであろう。

 これも、敵を欺くためだと。


『これは、ブライヒーレーダー辺境伯様にご報告した方が』


『そうだな』


 トーマスたちがうちで雇われていることをアピールして敵首脳陣に揺さぶりをかける作戦のはずが、トンデモな情報が出てきたものである。

 俺はクラウスの手腕に驚きつつも、彼とニコラウスを連れてブライヒレーダー辺境伯に報告に行った。

 

『すると、あの噂は本物ですか』


『噂ですか?』


 ブライヒレーダー辺境伯は、俺たちからもたらされた情報を聞くと納得のいくような顔をしていた。


『はい。大規模な紛争ですので、私もブロワ辺境伯家側も情報収集は行っておりまして……』


 お互いの領内や館周辺に人を放ち、動員戦力の算定や補給状況の確認。

 他にも、なにか有用な情報がないかと探らせているそうだ。


『そこで、ブロワ辺境伯が病床に伏せっているという噂が出ましてね。一年ほど前から、体調不良の噂は出ていましたけど』


 東部を統括する大貴族の健康情報なので重視はされていたが、こちら側を混乱させるための偽情報という可能性もあり、確認に時間がかかっていたそうだ。


『そうですか。いいことを教えてくれました。事実だと確定するのにまだ時間がかかりますが、ほぼ間違いないと見ていいでしょう』


 顔を知る元家臣が捕虜となった引見で、代理人を出してきた。

 戦乱時とは違い、コストがかかるので影武者など今では王家でも用意していない以上、この紛争で用いるにしてもすぐには用意できなかったのであろう。

 だからこそ、顔を知らない捕虜の前にだけ偽物を出し、ニコラウスの時は代理人で誤魔化した。

 と、推論することが可能な状況になってきた。


『この情報で裁定が早まるかはわかりませんが、当主不在の本軍に大したことはできないので、安心ではありますね』


『揺さぶるのも楽ですしね』


『そういうことです』


 もうこれでほぼ負けはないと確信したブライヒレーダー辺境伯は、ニコラウスに褒美の入った袋を渡した。

 続けて、バウマイスター伯爵家諸侯軍の陣地に戻ると、俺もニコラウスに褒美を渡す。

 

『任務の内容的に感状は与えられないが、あとで人事査定上の考慮をするし、その分褒美は弾んだから』


『ありがたき幸せ』

 

 感状とは武功に対するものなので、今回のような特殊な任務には出せないことになっている。

 だが、こういう時には褒美を弾んでバランスを取るのが普通であった。

 俺が袋に入れて渡した褒美に、ニコラウスは目を輝かせていた。


『お見合い会への参加権利も与える』


『それが一番の褒美ですね』


 本当は独身者を全員参加させたいのだが、向こうは一応は貴族や大物陪臣の娘ばかりなので、どうしてもある程度人員を選ぶ必要があったからだ。

 そのため、その基準は若手の幹部候補という条件にしていた。


『ニコラウス、褒美はどのくらい貰えたんだ?』


『金板三枚でした』


 有用な情報だったので、ブライヒレーダー辺境伯が金板一枚、俺が金板二枚を危険手当込みで出した。


『すげえ! 元実家の給金十二年分とか!』


『うちなんて、十五年分だぞ!』


『ニコラウスは、殺される可能性もあった任務に成功したからな。俺も志願すればよかったかな?』


 褒美を貰って仲間たちの元に戻ったニコラウスは、その褒美の額を驚かれていた。


『なあ、クラウス』


『小身の陪臣騎士家の懐事情はそんなものです』


 当然それだけでは生活できないので、普段は農業、林業、漁業、狩猟などで生計を立てているそうだ。

 女性も、布を織ったり内職などで家に貢献する必要がある。

 そして、そうやって貯めたお金で表向きは騎士に相応しい振る舞いをする。

 なるほど、前にヴィルマがカタリーナを称して『水鳥』と言っていたが、そんな貴族や陪臣は珍しくもないわけか。


『うちは、実家自体がそんな感じだったなぁ……』


『以前のバウマイスター騎士爵家は、他家の陪臣たちからもバカにされるほど貧しかったので……』


 以前は、ブライヒレーダー辺境伯家の陪臣たちから『水呑み騎士』とバカにされていたくらいなのだから。

 今ではそんなことを言ったのがバレるとブライヒレーダー辺境伯からクビにされかねないので、誰も言わなくなったらしい。


『しかしながら、最低でも出陣できないほどの病状ですか。お館様の初陣が勝利となって、これは幸先がよろしいかと』


『それも、裁定開始の使者が来ないとな』


『そのためには、もう少し相手の動揺を誘う必要があります。お館様のアイデアには期待しておりますれば』


『アイデアねぇ……』


 

 


 それ以降もできる限りのことはしたのだが、ブロワ辺境伯家はいくら追い込まれても裁定の使者を送って来ない。

 ブロワ辺境伯本人が病床の身とはいえ、ベッドの上で指示が出せているのであれば、さすがにそろそろ裁定の準備を始めるはずだとブライヒレーダー辺境伯は思っているようだ。


「このままだと、ブロワ辺境伯家の方がどんどんジリ貧になりますしね」


 お互いに無用な戦費を消耗し続けているが、未開地開発特需のあるブライヒレーダー辺境伯家と、それからハブられているブロワ辺境伯家とでは基礎体力に大きな差があった。

 向こうの方が辛いはずなんだが、プライドが高いのかね?


「ブロワ辺境伯も、そこまでバカだとは思わないのですが……」


 それどころか、ブライヒレーダー辺境伯家に嫌がらせをしてくるタイミングや、今回の秘密裏に兵を準備する部分など。

 病床でも、やはり侮れない人だとブライヒレーダー辺境伯は思っているようだ。


「まあ、個人的には大嫌いですけどね」


「あまりいい人には見えませんよね」


 ただ、個人的な感情と公人としての考えは別である。

 軍事衝突やブロワ辺境伯家を攻め滅ぼすことが不可能である以上、ここで裁定を結ぶしかないのだ。

 

「この状況で裁定を結んでも不利なままだから、譲歩を引き出そうと粘っているのでは?」


「大方そんなところでしょうが、私は譲歩するつもりはありませんので」


 戦況は圧倒的に優位であったし、長対陣は費用がかかるがブロワ辺境伯よりも経済的にも優位なので、自分から裁定を申し入れることはしない。

 自身がブライヒレーダー辺境伯家を継いだばかりの頃にされた数々の嫌がらせを考えると、ここで徹底的に叩いて二度とそんなことを考えないようにする必要があるというわけだ。

 他にも、今回の紛争ではブライヒレーダー辺境伯家の寄子たちも四十家以上が兵を出していた。

 彼らの面子や今後の関係などを考えると、下手な妥協で彼らの不興を買うのは避けたいというのが本音なのであろう。


「うちは家臣たちが私の不在を補っていますし、バウマイスター伯爵も同様でしょう?」


「ええ」


 大まかな部分は押さえる必要があるが、ブライヒレーダー辺境伯もうちも、今諸侯軍に混じっている家臣たちがいなくても、問題なく開発は進むようになっている。

 うちの人材不足は相変わらずであったが、それを補うために両軍の間で陣借り者たちの採用試験までして人を増やしたのだから。


「もうこうなったら、ブロワ辺境伯家の陪臣の次男、三男大歓迎で採用試験でもしますかね?」


「さすがに、それはまずいですよ」


「冗談ですよ」


 ブロワ辺境伯家へのダメージは大きいかもしれないが、スパイが大量流入する可能性もある。

 ここは、自重すべきであろう。


「ただ、ブロワ辺境伯家の情報があまり掴めないのが辛いですね」


 ブライヒレーダー辺境伯は今もブロワ辺境伯家の情報を懸命に探っていたが、当主が病気で屋敷の寝室に伏せっているのと、その周囲を物々しい数の警備兵で守備しているという情報しか追加では得ていなかった。

 どの程度の病状なのかは、密偵を屋敷の中に入れないと確認できないのだが、それはさすがに不可能であろう。


「想像はつきます。あそこは御家騒動がありますから」


「そうなのですか?」


「はい」


 ブライヒレーダー辺境伯によると、ブロワ辺境伯家には長男と次男による家督争いがあるそうだ。


「そのせいで、いまだにブロワ辺境伯は次の当主を定めていません」


「普通なら、無難に長男でいいのでは?」


「いえ、長男のフィリップ様はお母様の身分が低いのです……」


 意外にもというか、やはりというか。

 エリーゼは、この手の情報に詳しかった。

 ホーエンハイム枢機卿からの情報なのであろう。


「フィリップ様のお母様は、家格が低い陪臣の娘だそうです」


 エリーゼの話によると、ブロワ辺境伯は先に側室であるフィリップの母親を妻にし、次に中央の大貴族家から正妻を迎え入れたそうだ。


「次男のクリストフ様は、お母様が正妻ですから」


 母親の身分が低い長男に、母親が正妻な次男。

 年齢もさほど離れておらず、確かに家督相続では揉めそうであった。


「さらに……」


 ブロワ辺境伯の長男フィリップは、今年で三十五歳。

 軍才に恵まれ、風貌もそれに類している。

 要するに、エドガー軍務卿と同類なわけだ。

 

「彼は、エドガー軍務卿のお気に入りだとか」


 加えて、彼の正妻はブロワ辺境伯家の従士長の娘だそうだ。

 言い換えるのなら、諸侯軍を押さえていると言っても過言ではない。

 実際に、諸侯軍幹部の多くはフィリップを支持していた。


「次に、次男のクリストフ殿ですが……」


 今年で三十四歳で、タイプとしてはブライヒレーダー辺境伯に似ているそうだ。

 軍才はサッパリだが、内政能力に長けている。

 正妻は内政を担当している重臣の娘で、当然文官たちの支持が厚い。

 両者が対立するのは……まあよくある話だ。

 文官と武官は対立することが多いのだから。


「なんと言うか、割とよく聞く話というか……」


「ええ、おかげで困っています」


 まずは、ブロワ辺境伯の病状だ。

 果たして、本当に病床でもちゃんと指揮を執れているのか?

 先ほど病床にあっても侮りがたいとブライヒレーダー辺境伯が言っていたが、諸侯軍の幹部たちでも似たような指示は出せる。

 今回の出兵が、本当に東部の閉塞感の打破や、開発地利権にあぶれた貴族たちの不満を解消するためにだけ行われたのか?

 それとも、ブロワ辺境伯はもう他人に指示すら出せない状態で、諸侯軍を押さえているフィリップ側が、相続を有利にするために勝手にやったのか?


「後者の場合、絶対に不利になる裁定への参加表明は言い難いですよね?」


「確かに……」


 それをした時点で、フィリップに組した軍人たちは処罰されてしまうだろうからだ。

 紛争に勝てればいくらでも誤魔化せると思ったのであろうが、負けてしまったからな。


「ヤケになって、本当に戦争になるとか?」


「それはないはずですが……」

 

 もし戦争にでもなったら、未開地の開発が中断してしまうからだ。

 それと、ブロワ辺境伯家が崩壊するのはまずい。

 ここ一千年以上も東部の統括を行っていた大貴族家が潰れるとなると、その後釜となる存在が必要になるし、戦争後の混乱を抑えて復興を進めるとなると、莫大な費用と手間と時間がかかるからだ。


「バウマイスター伯爵がいれば勝てる可能性は高いですけど、褒美と称してとんでもない負担を押しつけられますよ」


 下手に東部の飛び地など貰っても、今の俺には統治など不可能である。

 ブライヒレーダー辺境伯もいらないであろう。


「ブロワ色に千年以上も染まった外の領地なんていりませんよ。統治する手間を考えると、数十年後も赤字でしょうからね」


 そんなことになるのであれば、さっさとこちらが有利な裁定案を結び、未開地である南部の開発に邁進した方がよっぽど建設的だ。

 戦略シミュレーションゲームでもあるまいし、いきなり占領した土地から収益など上がるはずがないのだ。


「向こうがそこまで読んで、こちらが折れるのを待っているとか?」


「ないとは言い切れませんが、向こうも滅亡はゴメンでしょうからね」


 もしそこまで行けば、王国としてはブロワ辺境伯家を許せなくなる。

 一族処刑でも文句は言えず、戦争の原因となった家臣たちやその家族も同様であろう。


「あの、一ついいですか?」


「なんです? エルヴィン君」


「ブロワ辺境伯家諸侯軍は、誰が率いているのですか?」


「多分、諸侯軍の幹部の誰かだと……状況的に見て、フィリップの義父である従士長たちでしょうか?」


 現在のブロワ辺境伯の病状を考えると、二人の跡取り候補は彼の傍にいたいはずだ。

 もし彼が急死してもそこにいないと、残って傍にいる方が『跡取りに指名された』などと宣言し、家督を奪取する可能性もあるのだから。


「ですが、ブロワ辺境伯家の人間が一人もいないブロワ辺境伯家諸侯軍ですか?」


「そう言われると変ですね……」


 あとは三男以下ということになるが、他の息子たちは分家や陪臣の家に婿養子として入り、娘たちも全員嫁いでいるそうだ。

 もはや他家の人間になってしまった以上、そう簡単に代理でも総大将は務まらないであろう。


「あの……もしかすると……」


「エリーゼさん、なにか知っているのですか?」


「はい。確か、ブロワ辺境伯様には末の娘さんが……」


「未婚のですか?」


「はい。あまり大っぴらには公表されていないのですが……」


 母親が王都で無役の騎士の娘で、つい数年前まで王都暮らしをしていた末娘がいたそうだ。

 エリーゼが知っているのは、教会への奉仕活動などで縁があったから。


「私も知りませんでした」

 

 ブライヒレーダー辺境伯も、知らなかったようだ。


「お母様は、ブロワ辺境伯様が王都に滞在していた時にお手付きになったそうで……」


 東部の大物貴族と、王都で無役の貧乏騎士の娘なのだ。

 ブロワ辺境伯からすれば、平民の娘に遊びで手を出したのと同じ感覚だろうし、相手側もそれに文句を言えないはず。

 勝手に側室を増やすと家族から文句を言われる可能性もあり、子供が増えると他の子供たちから文句が出る可能性がある。

 そのため、密かに認知だけして王都に母娘を住まわせていたのであろうと。

 これはエリーゼの推察であった。

 いくら知り合いでも、その娘が腹を割ってエリーゼにすべてを話すわけがないが、推論は可能というわけだ。


「ブロワ辺境伯の他の子供たちは、全員がブロワ辺境伯領内にいたと聞いていました。王都にもいたのですか……」


 一人だけ王都で生活していたとなると、やはりいらない娘扱いされていたのであろう。


「それで、その方のお名前は?」


「失礼します!」


 そこに、一人の陪臣が息を切らせながら駆け込んできた。

 なにか緊急事態のようだ。


「どうかしましたか?」


「ブロワ辺境伯家が、裁定の申し込みをしてきました!」


「「「「「「「「「「おおっ!」」」」」」」」」」


 みんな、やっとかと思ったのであろう。

 安堵の混じった声をあげた。

 突然ブロワ辺境伯家から使者がやって来て、裁定を始めたいという旨の手紙を置いて行ったそうだ。

 実際彼の手にはその手紙が握られており、ブライヒレーダー辺境伯は急ぎその手紙を封を切って中身を確認した。


「封印は本物ですね。中身も決まりどおりの内容で……」


 貴族がこういう手紙を送る際、溶けた蝋で封印をして家紋の判子を押し当てるのを前世で見た記憶があった。

 海外ドラマか映画かは忘れたが、この世界でも同じような慣習があると聞いたことがある。 

 俺はまだやったことないけど。


「ただ、差出人の名は初めて聞きますね。総大将代理カルラ・フォン・ブロワ?」


「その女性が、先ほどお話した末の娘さんです」


「その娘さんと交渉するのでしょうか?」


「彼女は看板で、実権を握ってる他の重臣たちとの交渉になるでしょうね」


 なんとか紛争の裁定が行われることとなり、ブライヒレーダー辺境伯や俺たちの間に安堵の表情が浮かぶが、それでもまだ道は半ばといった感じにしか思えなかった。

 性格の悪そうな連中なので、交渉の席で思いっきりゴネる可能性もあったからだ。

 それでも一日でも早く、こんな無意味な紛争など終えてまた狩りに行きたいな、などと思いながら、裁定の準備を……なにをしたらいいのかよくわからないな、俺は。

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