第161話 無意味な長対陣

「おーーーほっほ! この私は、西部一と称された魔法使いカタリーナ・リンダ・フォン・ヴァイゲル名誉準男爵ですわ。あなた方ブロワ辺境伯家に集う腕自慢の魔法使いたちに対し、魔法での勝負を望みます。まさか、勝負を受けないなんてことはございませんわよね? あのブロワ辺境伯家に請われて席を置いている優れた魔法使いの方々が……そんなことはあり得ないと思いますけど」


「「「「「……」」」」」




 クラウスの策を受けた翌日の早朝。

 両軍が対峙をするちょうど中間地点で、カタリーナが高笑い込みでブロワ辺境伯家諸侯軍に対し挑発を繰り返していた。

 クラウスが提案した、ブロワ辺境伯家のサイフにダメージを与える作戦が始動したのだ。

 とは言っても、そう複雑な作戦ではない。

 そろそろ若手騎士同士による一騎討ち合戦も希望者がいなくなりつつあり、今度はそれを魔法使い同士の一騎討ちに切り替えただけだ。

 通常、魔法使い同士が戦うのはリスクが多いので敬遠されるけど、戦争、紛争の時だけは別だとクラウスが言っていた。

 なるべく死なないように配慮はするが、魔法使い同士の戦いが見られるかもしれない数少ない機会というわけだ。

 もっとも、地方の零細貴族同士の紛争だと、双方に魔法使いを雇う余裕がないので、やはり滅多に見られないらしいけど。


「カタリーナ、嬉しそうね」


「名を挙げるチャンスだからな」


 ヴァイゲル準男爵家の復興は叶ったが、彼女は家の躍進も視野に入れているのであろう。

 自らが魔法による一騎討ちをすることにより、わかりやすい武功を稼ごうとしていた。

 この規模の紛争は滅多になく、こういう場で武功を上げることはその貴族の名誉に繋がる。

 たとえそれが女性でも、そういう部分に差はない。

 まったくないとは言えないが、カタリーナの場合、彼女自身が数少ない魔法使いなので、相手の魔法使いを討ち負かせば武功としてカウントされる。

 当主自ら剣を振るって勝利したのと同じ扱いを受けるのだ。

 これは、魔法使いが数少ないことを利用しての武功稼ぎであった。

 ただし、その女性魔法使いが貴族でないと、ただ名誉と金だけ貰えて貴族にはなれないという理不尽な点があることも忘れてはいけない。

 やはりこの国では女性の社会進出に大きな制限があり、これを覆すには相当な時間と努力が必要だろうな。


「魔法使いは、身代金が高いだっけ?」


「そうみたい」


 身代金は、捕まえた相手の身分によって金額が変わる。

 それともう一つ基準があって、魔法使いの、それも高位の魔法使いだとその金額が跳ね上がるそうだ。

 クラウスの作戦とは、カタリーナにブロワ辺境伯家側の魔法使いを捕らえてもらうという、至極単純なものであった。


「向こうが出て来ない可能性は?」


 イーナの懸念はもっともであったが、実はそれでも一向に構わないのが、この作戦の意地悪な部分だ。

 

「この手の紛争で、相手に勝負を挑まれて誰も出なければ大恥もいいところです。ましてや、向こうはブロワ辺境伯家ですからね」


 大貴族なのに、相手の挑戦に答えなかった。

 一体なんのために普段から軍を整えているのか、お前らは本当に貴族なのかと、周囲から笑われ、評判が落ちてしまう。

 貴族としての面子を潰されたくなければ、絶対に勝負を受けなければいけないというわけだ。


「でもさ。こういう策に絶対はないわけで、実はブロワ辺境伯家が、カタリーナよりも強い魔法使いを抱えていたなんてことはないのかな?」


「絶対とは言えませんが、まず大丈夫だと思います」


 前にブランタークさんが言っていたが、今の東部は優秀な魔法使いが不足しているらしい。

 そのため、カタリーナを圧倒するような魔法使いは存在しないはずだとクラウスは説明した。

 それにカタリーナ自身が、西部一だと言われている魔法使いだ。

 彼女を超える魔法使いって、そんなにいないと思う。


「ブロワ辺境伯家のお抱え魔法使いは中級がいいところだ。外部から凄腕を雇えば、お館様にもすぐ情報も入るはず。よほどのヘマをしなければ、カタリーナの嬢ちゃんは負けないさ」


 ブランタークさんも、クラウスと同意見のようだ。

 中級の魔法使いが上級に勝つには、たとえば奇襲をかけるとか、相手の弱点を上手く突くとかだが、これは戦闘経験などを積んだベテランでないと難しい。

 しかもこの手の戦法は、今回のような『よーい、ドン!』な一騎討ちではほぼ通用しない。

 単純に強力な魔法を沢山放てる方が、圧倒的に優位なのだ。

 

「その勝負引き受けよう! ブロワ辺境伯家の筆頭お抱え魔法使い。『突風』のビエンコ・ロウケルである!』


 カタリーナの呼びかけに、ブロワ辺境伯家側から一人の魔法使いが名乗りをあげる。

 年齢は、四十歳ほどであろうか?

 どこにでもいそうなローブ姿の中年男性が、杖を構えながらカタリーナと対峙した。


「あれ?」


「どうした? 伯爵様」


「あの人、そんなに凄そうには……」


 こう言っては失礼かもしれないが、同じ筆頭お抱え魔法使いであるブランタークさんと比べると、格段に実力が落ちるような気がしたのだ。


「今、あそこは数で補っているからな」


「数ですか……」


「ブロワ辺境伯家のお抱え魔法使い軍団ってことさ。個人で強いのがいないから、数を揃えて足し算の合計を増やすわけだ」


 ここ暫く東部に有力な魔法使いが出ていないので、ブロワ辺境伯家では上級クラスの魔力を持つ魔法使いの雇用に失敗している。

 そこで中級クラスを数名雇い、彼らの中で年長だったり、人を束ねるのが上手い人を筆頭に任命しているに過ぎないそうだ。

 魔法使いとしての実力よりも、マネジメント能力優先なのか。

 そう言われると、あのおじさん。

 前世だと。どこかの会社で管理職とかやっていそうな雰囲気を漂わせているな。 


「ブランターク様のように、圧倒的な実力があるので筆頭にされたわけではないのですね?」


「そういうこと」


 エリーゼがブランタークさんにお茶を出しながら質問し、彼はお茶を飲みながらそれに答える。

 一騎討ちも下火になった両軍の対峙は、基本的に暇との戦いである。

 そのため、俺たちのみならず味方の貴族たちは、ほぼ全員が自分の陣地で椅子に座ってお茶を飲み、テーブルの上のお菓子などを食べながらその様子を眺めていた。

 今の時刻はちょうど午前十時くらいであり、地球で言うところの朝のオヤツの時間といった感じであった。


「あのブロワ辺境伯家側の魔法使い、カタリーナには勝てないんじゃあ……」


「勝てないな」


「なら、なんで出てくるのかね?」


 エルからすれば、勝てもしない勝負にノコノコと参加する筆頭お抱え魔法使いという存在がよく理解できないのでろう。

 だが貴族からすれば、出てきて当たり前なのだ。

 勝敗はともかく、ブロワ辺境伯家ほどの大貴族が相手からの勝負の要求に答えないなど、敗北以上の恥をかくことになるのだから。


「いざ、尋常に勝負!」


 お互いに名乗りをあげたあと、カタリーナと『突風』の勝負が始まる。

 まずは『突風』が先手を取り、両腕から二つの『竜巻』を出してカタリーナへと放つ。

 両手で二つの『竜巻』を同時に発生させたのは、さすが熟練の魔法使いだと俺は思った。


「ただ……。カタリーナ相手にあの程度の風魔法ではなぁ……」


 カタリーナはすぐに自分の周囲に『竜巻』を展開し、『突風』から放たれた『竜巻』を打ち消してしまう。


「まだまだ!」


 続けて『突風』が両腕で『竜巻』を放ち続けるが、それらはすべてカタリーナが周囲に展開させていた『竜巻』によって弾かれ、打ち消されてしまった。


「見たか? こういう勝負では、魔法の威力と魔力量だけが勝負を決めると」


「だけがですか」


「そうだ。他の要素などいらん。ただ魔法の威力が強い方が勝つんだ」


 結局、『竜巻』の連発で魔力が尽きた『突風』が降参をし、この勝負は終了となった。

 彼は、カタリーナに杖を渡して降参した。


「同じく、ブロワ辺境伯家お抱えの『火鞭』のロイ・ザールニアだ! 尋常に勝負!」


 カタリーナは続けて、『火鞭』を名乗る中級レベルと思われる三十歳前後の男性魔法使いと戦いを始める。

 彼はやはり両手で……ブロワ辺境伯家の魔法使い、両手同時展開が好きだよなぁ……火の鞭を作ると、それを交互に振るってカタリーナを攻撃し始めた。

 火の鞭は、様々なタイミングでカタリーナに襲いかかる。

 正面からの一撃をカタリーナが防ぐと、同時に真後ろからも攻撃がくる。

 死角からの攻撃を防ぐと、直後にまた同じ方向から火の鞭が連続して襲いかかりと。

 『火鞭』は、自分の得意魔法をよく研究、訓練して己のものにしているようだ。


「ただなぁ……」


「ええっ! 凄いじゃないですか」


 さすがのカタリーナでも、『火鞭』相手には苦戦しそうな気がするが……。


「だからこの条件の戦いだと、『火鞭』に勝ち目はないんだよ」


 ブランタークさんがそう言ったからではないと思うが、火の鞭による巧みな連続、フェイント攻撃の数々は、最初はカタリーナが不慣れだったのでギリギリの対応に見えたが、次第に慣れて余裕ができたようで、さらに『水壁』で容易に防げることに気づかれ、簡単に防がれるようになってしまった。

 どこから攻撃してもカタリーナの『水壁』を突破できず、虚しく『ジュワ』という蒸発音と共に水蒸気をあげるだけになってしまった。


「『火鞭』にとっての火系統の魔法は、長年修練して極めた一番得意な系統だ。逆に、カタリーナの嬢ちゃんは水の系統は苦手な部類に入る」


 なのに、その威力ではカタリーナの水系統の方が上だった。

 これが、上級レベルと中級レベルの間にある絶対に超えられない壁なのだそうだ。


「さっきの『突風』とさほど強さは変わらない。ブロワ辺境伯家が、中級魔法使いの数を揃えて戦力を編成している証拠だ」


 数分後、『火鞭』はカタリーナが逆襲して展開した『水壁』に囲われてしまい、杖を捨てて降伏した。

 これで、カタリーナの連勝か。


「私の実力をご覧になりましたか。次に我こそはと思う方は遠慮なくどうぞ。おーーーほっほ!」


 ブロワ辺境伯家お抱えの魔法使い二人を捕虜にして、カタリーナは意気揚々とした表情で戻って来た。

 彼女が戦っていた場所では、今度は他の魔法使いたちが勝負を始めていた。

 ブロワ辺境伯家にもブライヒレーダー辺境伯家にも、まだ複数のお抱え魔法使いたちが残っていたからだ。

 先陣であるカタリーナに即発されたのもあるが、普段は魔法を使った決闘なんて無駄だからと禁止されているが、紛争の時は例外的に許される。

 勝てば名誉と褒美が得られるので、ここぞとばかりに勝負に挑む魔法使いたちは多かった。 

 

「あんまり波乱とかなかったね。カタリーナの魔法をすべて無効化する謎の魔法使い登場とか?」


「ルイーゼさん。波乱など、見ている人は楽しいのかもしれませんが、私からすると堪ったものではないのですが……系統を利用せず、ただ相手の魔法を打ち消す魔法使いなんていたら、すぐに評判になりますわよ」


 それはそうだ。

 漫画やアニメのキャラでもあるまいし。


「なるほど、そういうものなんだね。まったく危な気なかったね。はい、お茶」


「元々命を奪い合う勝負ではないので、魔物を狩る時よりも気迫や殺気は薄くなりますから。ありがとうございます」


 戻って来たカタリーナに、ルイーゼがお茶を渡しながら話しかけた。

 真剣勝負ではなく、模擬戦だからこその光景だろう。


「実戦では、上級でも不意や弱点を突かれれば負けることがありますから」


 こういう形式の勝負だと正面から向き合って合図と共に戦うので、ほぼ魔力量が多い者か、強力な魔法を放てる者が勝つことが多い。

 カタリーナの勝ちは、むしろ必然とも言えた。


「不意を突くのはいい手ね」


「実戦ではそうでしょうが、これは名誉をかけた一騎討ちなのです。卑怯な手を使うと雇い主に怒られてしまいますわ」


「ただ勝てばいいってわけではないのね」


 この手の一騎討ちで不意打ちなどしたら、それは卑怯者も同然ということになってしまう。

 それなら一騎討ちなど受けない方がマシだと、カタリーナはイーナに説明した。


「なあ、ブランタークさんやヴェルは行かないの?」


「俺はパス」


 ブランタークさんは、ブライヒレーダー辺境伯家が抱えている魔法使いの筆頭である。

 現状でブロワ辺境伯家が彼に勝てる魔法使いを抱えていない以上、下の者たちに勝負をする権利を譲ってあげる必要があるそうだ。


「そもそも、俺が今さらこれに勝ってなんになる?」


 功績だの名誉だのと、そんなものはもう十分得ているブランタークさんだ。

 わざわざ中級以下の魔法使いと戦う理由などなく、下の者たちのチャンスを奪ったと思われ、嫌われるだけであろう。


「ヴェルも同じか……」


 もう功績は十分だし、今回の戦いでは四十家を超えるブロワ辺境伯家側の貴族や主だった家臣や兵士たちを捕らえている。

 ブライヒレーダー辺境伯から、『もうお休みしていいですよ』と言われているくらいなのだから。


「導師は?」


「来るわけねえだろうが」


 南部と東部の貴族たち同士の諍いに、王宮筆頭魔導師が出てきて一方に肩入れしたら面倒なことになってしまうからだ。

 とはいえ、エルの懸念はよくわかる。

 あの人なら、楽しそうだからと言って勝負に参戦してくる可能性も否定できなかったからだ。


「それに、ブロワ辺境伯家が泣く」


 導師が来れば当然知己であるこちらに付くはずなので、戦力比が絶望的にまで広がって、それはそれで大変なことになってしまうであろう。


「あのヴェンデリンさん、私への褒美は?」


「ないよ」


「どうしてです!」


「ちょっ! お前も貴族だろうが!」


 今回のカタリーナの立場は、バウマイスター伯爵家の寄子にして親族であるヴァイゲル準男爵家の女当主が、ブライヒレーダー辺境伯家の要請に従って参軍した。

 軍は出せないが、有力な魔法使いが手を貸して功績を挙げたという扱いだからだ。


「カタリーナが捕らえた貴族やら兵士やら魔法使いの身代金が利益になるからな。俺から褒美を出したらおかしいだろう」


「そういえばそうでした……」


 暫定とはいえ貴族家の当主になったのに、どこかその自覚が薄いカタリーナであった。


「中抜きがない分、身代金の方が多いじゃないか。交渉だって、代官をしているハインツの息子に任せればいいんだから」


「そうでしたわ! すぐに連絡してみます!」


 ヴァイゲル準男爵領の開発に回せるお金が増えると知って、カタリーナはご機嫌でお茶を飲み始めていた。


「カタリーナはいいなぁ。ボクも一騎討ちとかしてみたかった」


「ヴェル様、私も戦いたい」


「ここは戦場なんだから、基本的に女性は出ちゃ駄目なのよ」


 今回の紛争では、食事当番と鍛錬くらいしかすることがないルイーゼとヴィルマが自分たちも戦いたいと言い始めた。

 だが、当然無理なのでイーナに窘められている。


「その前に、ルイーゼの嬢ちゃんやヴィルマの嬢ちゃんと戦う奴が不幸だろう」


 ブランタークさんの言うとおりで、万が一戦えたとしても、子供にしか見えないルイーゼとヴィルマと戦って大の大人が惨敗でもしたら、その人は騎士や貴族としての経歴に致命的な傷を負ってしまうからだ。

 というか、ルイーゼとヴィルマの実力から考えると、ほぼ間違いなく惨敗するであろう。


「男装して出るのはどうかな?」


「ルイーゼ、いいアイデア」


「やめとけ。相手が可哀想だろうが」


 ブランタークさんに窘められて、二人はようやく一騎討ちに出るのを諦めたようだ。 


「しかしこれ、いつ終わるのかね?」


 本格的な軍事衝突が不可能である以上、数少ない魔法使いが勝負を終えれば、もう睨み合いしかすることがなくなってしまう。

 意地の張り合いも時には必要なのであろうが、こうも長引くと、ただ無駄に金と食料を消費するだけになってしまうのだ。


「こういうことは我慢比べだと、昔にお祖父様が言っていました」


 エリーゼがお茶のおかわりを淹れながら、俺の疑問に答えてくれた。

 なんでも、ホーエンハイム枢機卿が若い頃にも似たような紛争があり、司祭として従軍した経験があるそうだ。


「先に焦れて、『裁定に入りましょう』と言った方が不利になるそうです」


 現時点で、ブロワ辺境伯家は大惨敗している。

 肝心の各所の紛争地域で、ブロワ辺境伯家側の貴族たちは戦前に持っていた利権や領地すらこちらに占拠され、多くの貴族やその軍勢が敗北して捕らえられているからだ。


「ブロワ辺境伯家は、もう今さらな気もするけど」


「だからなのです。もうこれ以上は悪化しないであろうと」


 一騎討ちで多少不利でも、ブロワ辺境伯家諸侯軍に綻びがあるわけではない。

 本格的な衝突を起こせない以上、ただ粘って裁定で少しでも有利な条件を獲得するしかないのだと。


「いやいや、境界線付近で領地や利権を争っていた貴族たちは、ブロワ辺境伯家側の完敗じゃないか」


 いくら本軍同士が互角の睨み合いを続けていても、紛争地帯ではブロワ辺境伯家側が大惨敗しているのだ。

 ここで変に意地を張っても、状況は改善するどころか悪化するだけなのに、損切りのための裁定に出てこない理由が俺には理解できなかった。


「確かに、今の時点で損切りをするという選択肢もあります。今のうちならそうした方がいいかもしれません。ですが、それが終わると今回の出兵の責任者であるブロワ辺境伯の責任は大きく、最悪引退、当主交代となるでしょう。その決断ができないのかもしれません」


「責任取りたくない偉い人は厄介だな」


「もしくは、現在ブロワ辺境伯家の軍勢を動かしているのが彼ではないという可能性もあります」


「当主が病気って噂もあったな。一族や重臣たちが病床の当主に断らずに勝手に出兵したからこそ、大敗北なんてしたら命に係わる大失態になってしまう。意地でも裁定に応じない。応じなければ負けはないと考えたわけか」


「今負けなくても、将来確実に財政破綻するわよ」


「そういう先のことを考えたくないんじゃないかな?」


「そんな無責任な……」


 イーナはそう言うが、前世でもそういう無責任な大企業の経営陣は普通にいた。

 危機に正確に対処できれば、そもそも潰れる組織、会社、国家は存在しないのだから。

 とにかく、今回のブロワ辺境伯家の出兵には不可解な点が多い。

 うちに妙なちょっかいをかけた件や、紛争なのに無警告で軍を動かした件など。

 面子を大切にする大貴族にはあり得ない行動ばかりなのだ。

 とにかく勝てればいいと考えている節があり、はたして本当にこの方針をブロワ辺境伯本人が容認しているのか。

 病気で臥せっているという噂もある彼が、はたしてどの程度この出兵に関わっていたのか?

 とにかく事情がわからないので、ブライヒレーダー辺境伯も困惑している部分があるのだ。

 本当に、これで裁定など可能なのかと。

 彼からすれば、こんな無駄な紛争など一秒も早く終えて、うちの開発の手助けでもした方が利益になるのだから。

 結局ブロワ辺境伯家からの裁定を求める使者は来ず、どうやら両軍の睨み合いはもう少し続くようであった。





「バウマイスター伯爵。ないかいいアイデアはありませんかね?」


「なにかいいアイデアってのも、随分と抽象的ですね」


「具体的な案が思い浮かびにくいほど、もはややることはありませんから」




 魔法使い同士による勝負も、カタリーナがブロワ辺境伯家のお抱え魔法使いのトップ2 を捕らえたので、判定はブライヒレーダー辺境伯家の勝ちとなっていた。

 元々魔法使いの数も少ないので勝負もすぐに終わり、それから三日間も両軍は無駄に対峙を続けている。

 さすがにブライヒレーダー辺境伯も焦れてきたようで、俺になんでもいいから向こうの士気を落とす策はないかと尋ねてきた。

 今、この瞬間もブライヒレーダー辺境伯の脳裏にある『今回の出兵費用カウンター』の数字は上がり続けているからな。

 気が気でないのであろう。


「士気が落ちるかは不明ですけど、相手に多少の動揺は与えられるかと」


「魔法でもぶっ放すのですか?」


「まさか、そんな無駄なことはしませんよ」


 一応ブライヒレーダー辺境伯の許可を取ってから、俺はその策を実行した。

 

「ヴィルマ、書けたか?」


「結構自信ある」


「確かに、綺麗だな」


 俺は、バウマイスター伯爵家の本陣で大きな布に字を書いていたヴィルマに声をかける。

 意外だったが、実は俺の婚約者たちの中で一番字が綺麗なのがヴィルマであったので、俺が頼んでいたのだ。

 普通ならばあまり女性はいない諸侯軍において、魔法使いで暫定当主であるカタリーナ以外の女性陣は、兵士たちに出す食事の準備や、お茶を飲むブライヒレーダー辺境伯たちへの給仕、エリーゼは臨時の従軍司祭としてその時間を過ごしていた。

 ヴィルマは相変わらずエリーゼの護衛をしているのだが、長対陣で彼女の治療の仕事が減ったので、今はこうして俺の手伝いをしているわけだ。


「本当だ。上手だ」


「ルイーゼは、字が下手だからなぁ」


「違うね。ボクの字は独創的なの」


 エリーゼもヴィルマほどではないが字が上手であり、彼女の完璧超人伝説に色を添えていた。

 カタリーナとイーナは普通で、俺とエルは少し下手。

 そしてルイーゼであったが、かなり下手なので判読に時間がかかる有様であった。


「こういう紛争の時とか、ボクの書く文(ふみ)が暗号として役に立つかも」


「いや、それはないでしょう」


 敵も味方も読めないのでは、それは暗号としての用をなさないからだ。


「ヴェルは失礼だな。それで、これはなんなの?」


「求人広告です!」


 俺が考えた敵の動揺を誘うアイデアとは、ここで新しい人を募集しようというものであった。

 対象は陣借りをしている浪人たちで、採用数は能力と人格が一定以上に達している者なら全員。

 一応、求人広告には五十名と書いてあるが、採用基準に達していれば全員採用する予定だ。

 どうせ俺に人を見る目などないので、判定はモーリッツとクラウスに任せることにした。

 悔しいが、人を見る目では老練なクラウスに勝てるはずがないからだ。

 それに、うちの人手不足は相変わらずなので、実は事前にモーリッツとクラウスに浪人たちをチェックさせていたというのもある。


「へえ、陣借り者の中で優秀なのを雇うのか」


 ブランタークさんが、実にいい案だと感心していた。

 紹介状なしなので試用期間は設けるが、うちの人材不足を少しは解消できるかもしれないからだ。

 駄目なら正式に雇わなければいいだけだし、本採用がゼロでも労働力を確保できてうちに不利益はない。

 なにしろ、ここ三日間ほど魔法の鍛錬以外では暇だったのだから、なにかしておこうという適当な考えからだった。

 人は、これを暇つぶしとも言う。


「通常業務を行って余裕を見せれば、向こうの陣借り者たちが動揺するな」


 ブライヒレーダー辺境伯家に参加していれば面接が受けられたのに、自分たたはブロワ辺境伯家側なのでそれもできない。

 陣借り者だけとはいえその動揺を誘えば、相手の士気を落とせる可能性は高いと思ったのであろう。


「ああ、別にどちらでも採用試験と面接は受けられるようにしますから」


「マジでかよ! 前代未聞なことをするな。でも悪くないアイデアか……」


 数分後、ヴィルマが大きな布に書いた求人広告が両軍の間に掲げられる。




『来たれ! 仕官希望者たち! バウマイスター伯爵家では、臨時で紹介状なしの採用試験を行います』


 採用数:こちらの採用基準に満たせば、上から順に五十名まで


 待遇:面接の時に説明します

 

 職種:文官系の能力や経験を持つ人も募集。警備隊の人員も募集。優秀者には、幹部登用制度もあり

 

 備考:現在ブロワ辺境伯家諸侯軍にいる人でも、採用試験を受けることは可能です。

 



「なんか凄いな……」


 この求人広告が張り出された直後、両軍の陣借り者がほぼ全員殺到した。

 あまりに人数が多いので、ブランタークさんやブライヒレーダー辺境伯からも人手を借りて採用試験や面接を行っている。

 採用試験会場は一騎討ちが行われた両軍の間にある草原で、武芸の腕前を見たり、計算や文章作成の筆記試験を行ったり、最終面接もモーリッツとクラウスによって行われていた。

 この常識破りの行為に、ブロワ辺境伯家側は唖然として見ているだけであった。

 王国も帝国も、お上が見て見ぬフリをしている紛争には、明文化されたルールがなく、すべて慣習に従って進められていた。

 なぜなら、ルールを明文化すると紛争が頻発する危険があると、少なくとも両国の政府は考えていたからだ。

 ゆえに、相手の陣借り者を採用試験に誘ってはいけないという法はなく、俺に文句を言う根拠もなかったからだ。


「簡単に言えば、想定外なわけです。なるほど、これは相手の意表を突く手ですね」


 急遽始まった採用試験の様子を見ながら、ブライヒレーダー辺境伯は笑っていた。

 

「確かに、自分たちで囲っている陣借り者たちまでバウマイスター伯爵家の採用試験に参加てしまえば……」


 飯と寝る場所、あとは一騎討ちなどで敵の騎士でも捕らえれば感状と褒美が出るが、陣借り者とは基本的には軍勢の数増し程度の役割しか期待されていない。

 新規雇用など、いくら両辺境伯家でもそう簡単に行えないからだ。

 それでも、ブロワ辺境伯家側の陣借り者たちは、この紛争が終わるまで雇用はされている。

 それがこぞって、敵側であるバウマイスター伯爵家の採用試験に参加してしまった。

 ブロワ辺境伯家側の困惑と動揺を広げる策としては、有効だと俺は思うのだ。


「これで、彼らから裁定を持ち出してくれると嬉しいのですが……」


 結局、二日間にかけて行われた採用試験において八十六名の陣借り者たちが雇用された。

 半年の試用期間があり、最初は一番下っ端からのスタートであったが、彼らはとても嬉しそうであった。

 世界が変わっても、正規雇用への道は人気があった。


「その下っ端にも、普通は紹介状やコネがないとなれませんからね」


 新規で余所者を取る前に、陪臣や領民の子弟などを優先するからだ。

 もしくは、知り合いの貴族の紹介状を持つ者もか。

 

「しかし、凄い光景でした」


 新規採用された八十六名は、今日の早朝に魔導飛行船に乗ってバウマイスター伯爵領へと向かって行った。

 現地で新人研修を受けてから、それぞれの職場に配置。

 半年後に問題がなければ正式に仕官となる。

 結局ブロワ辺境伯家側にいた陣借り者たちもほぼ半数が雇用され、駄目だった連中は何食わぬ顔でブロワ辺境伯家側の陣地に戻り、ブロワ辺境伯家諸侯軍の兵士たちも唖然としていたようだ。

 とはいえ、彼らを放逐などできない。

 彼らが抜ければ、コストが安い兵力が減ってしまうからだ。


「ブロワ辺境伯家の連中からすれば、途中で敵の採用試験に参加する陣借り者たちなど信用に値しないと思うけど、陣借り者たちからすれば大きなチャンスだったわけで、これを受けない理由はないからな」


 これからブロワ辺境伯家諸侯軍の兵士たちは、陣借り者たちが裏切るのではないかと疑いを持つはず。

 これにより、ブロワ辺境伯家側の士気はまた落ちてしまうであろう。


「もしかしたら、戻った陣借り者たちが、いざという時に裏切るかもしれないと考えるというわけか」


「採用されなかった者たちは元々問題がある者たちばかりなので、ますます陣借り者たちに対する信用は落ちてしまうはず」


「そこまで考えてやったのか? 採用試験を使用した離間策かぁ」


「まったく考えていなかったわけではありませんよ。ただローデリヒが人手不足だってうるさいから」


「紛争よりも、未開地開発の方が重要だからな」


「ええ。しかし、いつ裁定が始まるのでしょうか?」


「それはこちらが聞きたいよ」

 

 ブランタークさんにもわかりようがないか。

 無事に戦力削減策は成功したが、俺としては早く裁定に入ってもらいたいと心から願うのであった。

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