第155話 憎まれっ子は、年を取っても世にはばかる(前編)
「おいっ、クラウス! お前は、俺になにか恨みでもあるのか?」
「恨みですか? ございますとも。私の孫たちを蔑ろにしました」
「貴族にでもしろってか!」
「そのくらいは当たり前かと」
「はあ? 本気で言っているのか?」
「勿論にございます」
実家であるバウマイスター騎士爵領において、名主であるクラウスを首謀者とした反乱が発生した。
その報告を最初に聞いた時、俺はそれが信じられなかった。
確かにクラウスは、裏で色々と企む怪しい人物であるが、同時に彼は有能な人物でもある。
このタイミングで反乱など起こしても、まず成功の可能性などないことは子供の目から見てもあきらかで、そんなことにあのクラウスが気がつかないとは到底思えなかったからだ。
「それで、反乱軍の兵力は?」
ともあれ、まずは俺が兵を率いて急行しなければならない。
クラウスは、バウマイスター騎士爵領に来ていた冒険者たちを雇い、彼らと共にヘルマン兄さんとその家族、屋敷の使用人たちや詰めていた従士たちを捕縛して軟禁している。
つまり、領内の統治体制が麻痺しているので、本家の当主であり寄親でもある俺が対応しないといけないのだ。
『えーーーと。指揮官は誰にしようか?』
『私は、忙しいですからね……』
軍勢を率いる以上、指揮官が必要だ。
名目上のトップは俺だが、今回俺は魔法使いとして動かなければならず、ナンバー2である実質総司令官が必要であった。
当然候補者は警備隊の誰かということになるが、みんな開発の手伝いや冒険者が集う町の警備で忙しい。
というか、この時期に反乱とは、俺たちに対する嫌がらせでしかない。
警備隊のトップであるトリスタンは、自分は動かずに部下を当てて対応するようだ。
『モーリッツでよろしいかと』
トリスタンの推薦により、ヴィルマの兄であるモーリッツが五十名ほどの兵を率いて参加することになった。
『兵数が少なくないか?』
『反乱軍に魔法使いはいるのでしょうか?』
『いないみたいだな』
屋敷を占拠した反乱軍は、クラウス、ヴァルターとカール、彼らに賛同した若い領民五名、冒険者二十名ほどと。
合計で三十名くらいで、しかも魔法使いはいないと判明している。
『さらに言いますと、連中は最初から討って出るつもりのない篭城策のようですね』
いくら領主を押さえたからと言って、下手に領内の完全制圧を試みると、反撃されて損害が出るだけなのはクラウスも気がついているはず。
ヘルマン兄さんに『降伏するように』と言わせる手は、彼の性格上絶対に受け入れないだろうから使えない。
屋敷の外には従士長や他の従士たち、戦力になる男性の領民たちがいて、彼らと戦いになると勝ち目がないとは言わないが犠牲が多く出てしまう。
だからこそ、先に領主という駒を押さえて、家臣や領民たちの心を揺さぶる作戦に出たのであろう。
『とにかく、なるべく早く兵を送ることこそが肝要です』
『そうだな。モーリッツに兵を準備させろ』
『了解しました』
あとで追加の援軍を送ることもできるので、今はこの兵力で十分とだという結論に至り、俺は『瞬間移動』で何往復もして、モーリッツと兵士たちをバウマイスター騎士爵領内へと送った。
『自分の装備だけは完璧に確認しておけ! 食料や他の必要な物資は、お館様が運んでくれる』
『はぁ……。初の諸侯軍出動が、反乱鎮圧とは……』
溜息をつきながら、兵たちと俺を含むいつものメンバーでバウマイスター騎士爵領へと飛び、出迎えてくれた従士長や彼が動員した領民たちと協力して、屋敷を囲うように兵力を配置することに成功したというわけだ。
「どうしてあの名主は反乱なんかしたんだろうな?」
「知るか、本人に直接聞け」
「いや、それは領主様の仕事だろう」
「正直に話してくれるといいけどな」
「領民たちの支持を得たいのなら、正直に話すかもな」
クラウスが、領民たちを扇動……できるのかね?
反乱は反乱なので急ぎ兵を送ったが、少数とはいえ即座に兵力を展開できるので、モーリッツなどは俺の魔法に感心しているようであった。
食料や水や必要な物資なども魔法の袋で運べるので、荷駄隊要らずで素晴らしいとも絶賛していた。
なんでも、王国軍人時代に訓練で荷駄隊の警備した経験があり、その大変さをよく覚えていたそうだ。
「こういう小さい領地で反乱が起こり、領主や一家が捕らえられたので王国軍が援軍に入る。そういう想定の訓練もあるのです」
モーリッツによると、その際にはなるべく早く兵を送ることが肝要なのだそうだ。
「反乱軍の人数など、たかが知れていますが……」
反乱軍は少数だからこそ先に領主を押さえるし、それを長期間放置すると統治機構が麻痺して大変なことになってしまう。
そいうなると、領民たちが次第に反乱軍の言うことを聞くようになるのだそうだ。
「頭を押さえられて不在ですからね」
「心を攻めるわけか」
「ええ」
そのため、俺が一刻も早く領内に入って領民たちを安心させる必要があるそうだ。
俺は領主ではないけど、寄親だしな。
不謹慎だけど、もしヘルマン兄さんたちになにかあっても、俺が面倒を見るというアピールにもなって、領民たちが反乱軍に同調しなくなるという理由もあった。
「そのために、食料や物資の輸送が急務となります」
反乱を鎮圧するために送られた兵士たちが、食料がないからと言って現地で徴発などしたら、それは彼らを反乱軍側へと押しやる原因になる。
そのため、必要な食料や物資を急ぎ準備する必要があるのだそうだ。
「お金で買うとか?」
「現地に、余剰の食料などがあればいいですけど……」
なければ、無理やり領民たちにお金を押し付けてでも徴発しなければならない。
だがその行為は、反乱軍と領民たちとの挟み撃ちフラグを立てることになる。
彼らからすれば、食料を奪っていく王国軍の方がよっぽど反乱軍に見えるというわけだ。
「その点、今回は楽でしたね」
兵は魔法で移動し、食料も魔法の袋に大量にある。
対応が早かったので、捕縛を間逃れた家臣たちが領民たちから兵士を募って一緒に屋敷の包囲に参加しており、寄親である俺が素早くバウマイスター騎士領内に入ったおかげで混乱なども発生していない。
クラウスたちがヘルマン兄さんたちを人質にして屋敷に篭もっているので、屋敷外への混乱波及が防げたというわけだ。
「ただ、クラウスなる名主は、最初から屋敷の占拠に留めるつもりだったのでしょう」
今の兵力と状況で、クラウスがバウマイスター騎士爵領を掌握するということ自体が夢物語だからだ。
現状では、本村落の住民でも彼に同調などしないはずで、他の村落については言うまでもなかった。
「同調した領民は五名です」
俺が連れて来た兵たちと、捕縛を免れた従士長が率いる諸侯軍とで屋敷の完全包囲に成功すると、従士長のライヒという人物……マルレーネ義姉さんの従兄だ……が数名の従士を伴って報告に現れる。
従士たちの中で、ヘルゲという三十歳前後に見える小柄な男性が、反乱に同調した領民の数を正確に調べてきてくれたそうだ。
「今はヘルマン様の元で従士などしておりますが、元は本村落の農家の出ですから、誰が反乱に同調したのか完全に把握しています」
領主が家族ごと捕えられているので、指揮権を把握した俺に報告に来てくれたわけだ。
「五名も同調した者たちがいたのか」
「若い者たちばかりです。若者は大きな夢を見すぎる傾向がありますからね」
若気の至りとでも言うべきか、僻地で育ち外への憧れや将来の夢などを大きく持っている時に、上手くクラウスに唆されたのであろう。
「それがクラウスではなく、ヴァルターとカールに唆されたみたいです」
「あの二人か……」
「はい、あの二人です」
従士長のライヒは、最近バウマイスター騎士爵領内で、この二人が大きな夢をというか、到底実現不可能な妄想を語り、それに同調者が出始めていたことを報告した。
「俺たちはバウマイスター伯爵様の兄だから、将来は領地を分与されるのだと」
「ああ、そんな話があったね」
俺は別にそれでも構わないと思ったのだが、父やヘルマン兄さんから絶対に駄目だと言われてしまったのだ。
中身が日本人気質の俺からすれば、ヴァルターとカールは異母兄弟なのである程度の優遇は必要だと思い、それには貴族にする可能性も含まれていた。
ところが、父やヘルマン兄さんからすると。
いや、貴族世界の常識でいうとそれは絶対にあり得ないのだそうだ。
青い血と赤い血。
この二つには、絶対的な差が存在している。
『一代で、その土地を切り開いて貴族になった元平民ならいいのだ』
中央では下に見る貴族もいるが、それは次代以降で貴族との婚姻を重ねれば解消される。
貴族である本妻に子がなく、平民との間に生まれた庶子を跡継ぎにする際も、それは例外なので仕方なしには認められる。
だが、俺は本妻から生まれた青い血の貴族である。
その青い血の俺が、半分赤い血が混じった兄弟をコネで貴族に押し上げたら……。
しかも俺は成り上りの伯爵だ。
貴族たちから総スカンに状態になることは確実だそうだ。
『名主にしたり、商売の利権を与えたり。優遇処置は、あくまでも平民の枠の中でだ』
そう父に言われてしまい、そのためヘルマン兄さんと協議して新村落の名主の枠や俺が以前に作った商店の経営権などを与えることになった。
ところが向こうが、その待遇に不満を感じて反乱を起こしたようだな。
ほとんど交流がないのが仇となったのかも。
「ヴァルターとカールは、自分たちも貴族になれると思っているのか……」
「そんなわけないのですが……。それにしても、あのクラウスの孫がこんな無謀なことをするとは……。しかもクラウス本人まで……」
「教育に失敗したとしか言いようがないな。本人の出馬は、孫可愛さで正常な判断ができなかくなったのかもしれないな」
ライヒも、この状況に首を傾げているようだ。
クラウスの気質はともかく、能力は認めていたのであろう。
残りの連中は、俺から言わせるとある種の若気の至りなのであろうが、反乱まで起こされると言い逃れも難しい。
というか、なぜいきなり反乱なのであろうか?
最初は、陳情をするのではないかと思うのだ。
「一番理解できないのは、なぜクラウスが同調する?」
それどころか、完全に首謀者である。
さらに理解できないのは、こんな少数で反乱を起こし、まったく勝ち目がないという点だ。
少なくとも、俺が知るクラウスはこんな無謀な真似はしない。
それなのに、先ほど話を聞きに彼らが占拠している屋敷の近くまで行くと、出迎えたクラウスは自分の孫たちも貴族にしろと、理不尽な要求をぶつけてきた。
「あのクラウスが、なんの考えもなしにあんな無茶な要求をするか?」
「さすがに、みんなおかしいと思っていますね」
ヴァルターは自分の跡取りで、カールはこれから開発する新村落の名主に。
異母妹の婿たちも、その補佐や商店の経営を任されるなど優遇はされている。
それなのに、それを捨ててまで反乱をする意味が理解できないのだ。
「本人は、強訴だと言い張っていますけど」
「いや、普通に反乱だから」
冒険者を傭兵として雇って戦力にしているのだ。
強訴などと言っても、詭弁にしか聞こえなかった。
「とにかく奇妙だな」
従士長が報告を終えて戻ってから、俺は仮の本陣にしているとある農家の中で考え事をしていた。
あのクラウスが、無謀な反乱を企てるなどあり得ないと思っていたからだ。
ならば、その真の理由を推察しなければならない。
「確かに奇妙よね」
俺の護衛役として付き従っているイーナも首を傾げていた。
「なぜ、異母妹とその婿たちは反乱から除外したのかしら?」
それがすぐに判明したのは、俺たちがバウマイスター騎士爵領に到着してすぐ、ライヒに連れられ、レイラさんと、異母姉のアグネスと夫のノルベルト、コローナと夫のライナーが出頭して来たからだ。
なんでも、反乱を起こすことに反対したら、レイラさんは親子の縁を切られ、残りの四人もクラウスから絶縁されてしまったそうだ。
『レイラ殿。あなたが先代との関係を利用して、ヴァルターとカールの増長を煽ったという噂がありますが』
彼女たちを連れて来たライヒは、以前ヴァルターとカールがヘルマン兄さんに陳情に行った際、レイラさんも同行していたのを目撃していたそうだ。
『それは本当なのですか?』
『はい、事実ですが……』
レイラさんが言うには、せめて子供とその婿たちが平民としてそれなりに優遇を受けられたらなと、そういうつもりで一度だけ陳情に同行したのだそうだ。
決して、貴族になりたいなどとは思っていない。
最初の処置で、自分としては十分に満足していたのだと。
『潰されるとわかっていて、そんな無謀な陳情などは……』
歴史が長い貴族家とは、必ず一度は相続や血縁者の扱いで手痛い目に遭っている。
血が流れることだって珍しくない。
だからこそ、余計に他所の掟破りには厳しかった。
おかしな前例を作る元になってしまうからだ。
レイラさんも、それは理解していた。
クラウスからそう言うように命令されている可能性もあるが、それならなぜ娘と孫娘、その婿たちを縁切りまでしてしまうのか。
『事件が解決するまで、大人しくしていてもらいましょうか』
俺はレイラさんたちに外出禁止を命じ、それが守られるよう数名の警備兵の手配を行った。
あとは、反乱に手を貸している冒険者たちの処遇だ。
「反乱に参加していない冒険者たちも軟禁しているのよね?」
「そうするしかないからなぁ」
実は反乱軍を同調していて、後ろからブスリでは困る。
当然、一ヵ所に纏めて軟禁している状態であった。
「エルとルイーゼとカタリーナが尋問に行っているのよね?」
「俺の勘だと、なんも知らないような気がするけど」
三人は、その軟禁されている冒険者たちの尋問に行っていた。
反乱に参加した冒険者たちの情報を聞くためだ。
あとは、エリーゼがヴィルマを護衛に、領内を安定させるために教会での無料治療奉仕活動を行っている。
この領内におけるエリーゼの人気は、不動のものとなっている。
反乱発生中にも関わらず、教会は多くの人たちで賑わっていた。
「ただいま」
「どうだった?」
「駄目だね。いきなりのことで、向こうも晴天の霹靂らしいよ」
冒険者たちへの尋問を終えた三人が戻って来るが、やはり成果はなかったようだ。
「みなさん、北のリーグ大山脈に生息する飛竜やワイバーンが本当に狩れるのかどうか、調査に来たみたいですわね」
魔法使いでもないと、凄腕の冒険者でも飛竜を狩るのは難しい。
せっかく狩れても怪我人ばかりでは利益が少ないし、死人が出れば尚更だ。
そこで、普通の冒険者が竜を狩る時には団体で行うのが常識であった。
竜の力に数で挑むのだ。
最低でも十名ほどのパーティを作り、一匹ずつ上手く誘い込んでから罠なども駆使して狩る。
報酬は頭分けになるが、それでもチームワークが優れた冒険者パーティならば平均よりも遥かに稼げる。
どうやら彼らは、ここが新しい狩り場として使えるのかどうかを調査しに来ていたようであった。
「あの反乱に同調した連中もか?」
「それが、冒険者の何人かが奇妙なことを言っていたな」
エルは、初老に達しているベテラン冒険者数名から、『あんな連中、見たことがない』という証言を得たそうだ。
「竜を団体で狩る冒険者の世界って、意外と狭いんだって」
個人でもある程度の強さを要求され、団体戦でもチームワークを優先的に実行可能かどうか。
稼げるがハードルが高いので竜専門の大規模パーティの数は少なく、その世界が長い初老の冒険者たちは、ほぼすべての同業者たちを把握している。
そのはずなのに、彼らを今まで一度も見たことないそうだ。
「新人だから、初チャレンジとか?」
「それでも、最初は何人かベテランを入れて組むから、そのベテランの顔を知らないはずがないって」
確かに、占拠した屋敷を警備している冒険者たちは全員二十代から三十代前半くらいで若い男性ばかりであった。
冒険者なので普通少しは女性が混じるはずだが、ゼロなのもおかしな点ではある。
「冒険者じゃないのかね」
「だろうな。統率がとれすぎている」
竜を専門に狩る冒険者パーティも統率力は優れているが、それは竜を狩る時だけだ。
普段は冒険者なのでそれぞれ好き勝手にする者が多く、こんな軍隊のように真面目に交代で警備するなど考えられない。
傭兵として雇われたくせに、屋敷の金品を漁ったり、奪った食料や酒で宴会などをしていない点もおかしかった。
上品すぎるのだ。
「動き方を見ると、軍人みたいだな」
「確かに……」
姿格好は冒険者なのに、まるで軍隊のようにキビキビと動いているのだ。
ならば、冒険者に偽装した軍人と判断した方が正しいであろう。
「王国軍なのかな?」
「まさか」
現時点で、未開地開発の邪魔などするはずがない。
利益どころか、大損を被るだけなのだから。
「となると、貴族の私兵。それも大物のはずですわ」
カタリーナの想像どおりであろう。
大物貴族の諸侯軍なら、専門に訓練をする家臣がいるので自然と王国軍の軍人たちと練度などで差がなくなるからだ。
「誰の差し金なんだろうな?」
またどこかの貴族が、なにかよからぬことを企んでいる可能性が高くなった。
彼らはバウマイスター伯爵領の開発遅延と混乱を意図して、俺のアキレス腱である故郷を狙ってきたのだ。
冒険者に偽装した兵たちを送り込み、そこでクラウスの孫たちが現状に不満があるのを知って唆した。
いや、それだとやはりおかしい。
あのクラウスが、成功の可能性もない反乱の首謀者になるはずがないからだ。
クラウスは、バウマイスター家に屈折した感情は抱いているが、必ず自分の安全と利益を確保する。
このまま鎮圧され、縛り首になるような男ではないはず。
「うちのハインツとは違って、腹黒ですのね」
「あんなお人好しの逸材、滅多にいるか」
没落した主家を給金も貰わずに支えるなど、この世界では超希少価値な逸材だ。
今はうちで相談役をしているが、ローデリヒが心から感謝しているくらいなのだから。
小さな領地の筆頭家臣ではあったが、王都に領地が近かったせいで大貴族とのつき合い方も心得ていたし、経済的な部分にも強く老練で、若い家臣ばかりのバウマイスター伯爵家には重要な人材となっていた。
「とにかく、まずは様子見かな」
先ほどクラウスを呼んで話しかけてみたが、奴の答えは『俺の孫を蔑ろにしやがって!』という言葉に集約されていた。
俺が、ヴァルターとカールを貴族にすれば兵を退くそうだ。
要求が無茶すぎて、まったくお話にならないのだ。
「ところで、ブランタークさんは?」
一緒について来たはずのブランタークさんの姿が、まったく見えなかった。
「ブライヒレーダー辺境伯様との通信だと思う」
こちらの状況を知らせているのかもしれない。
ただ、彼から援軍を送られる事態は避けないといけない。
いくら寄親とはいえ、なんでも世話になると、これはこれで問題が発生するからだ。
「最悪、強行突入か……」
間違いなく多くの犠牲者が出るが、これもこの世界なら致し方のない方法でもあった。
反乱を起こした者たちと交渉して妥協などしたら、第二、第三の反乱を誘発してしまうからだ。
「ブライヒレーダー辺境伯様の援軍はまずいか。バウマイスター伯爵家的には……」
「独自解決が、最善手だな」
「まったくもってその通りなので、是非そうしてくれ、お館様もそう言っていた」
「「ブランタークさん!」」
エルと解決手段について相談していると、そこにブライヒレーダー辺境伯との通信を終えたと思われるブランタークさんが戻ってきた。
どうやらブライヒレーダー辺境伯も、俺たちと同意見のようだ。
「なにかあったのですか?」
ここで普通ならば、ブライヒレーダー辺境伯は少しでも援軍を送ると言うはずだ。
まだ開発で手一杯であろうからと手を貸し、自分の影響力を誇示する。
これが、貴族としては最良の手なのだから。
「急に大規模出兵が決まって無理だそうだ」
「大規模出兵?」
この時期に、というかこの戦争のない世界で大規模な出兵がある?
俺の頭の中には、クエッションマークが浮かんでいた。
「東のブロワ辺境伯だよ」
そういえば、過去に大軍同士のにらみ合いから衝突があったと聞いている。
確か、クラウスも参加して戦功を挙げたはずだ。
「とにかく、詳しい話はお館様に聞いてくれ」
俺は素早く懐から魔導携帯通信機を取り出すと、ブライヒレーダー辺境伯へと繋げる。
すると彼は、すぐに電話に出た。
もしかして、俺からの連絡を待っていたとか?
『バウマイスター伯爵。どうやら、そちらの反乱とこちらの大規模出兵は連動しているようですね』
「そんな気がしていました。でも、なぜ急に?」
『それがですね……』
昔から、王国東部を統括するブロワ辺境伯家と、南部を統括するブライヒレーダー辺境伯家の仲はよくなかった。
双方の統括下にある小貴族同士の領地、利権争いで度々直接交渉が決裂し、時に互いの主張を認めさせるために兵を出し合い、睨み合いだけならいいが、大、小規模な衝突がこの数百年で複数回発生している。
これは、アーカート神聖帝国と講和する前からずっとそうだったそうだ。
『先代同士が当主になったばかりの頃には、衝突が大規模になって犠牲も多く出ましたし』
それは前に聞いている。
クラウスが戦功を挙げた戦いであったはずだ。
『あとは、私が家督を継いだばかりの頃に散々に嫌がらせをしてくれたんですよ』
当主が交代したばかりで対応が遅れるであろうと、一部紛争領域を実効支配しようとしたり、森林や鉱山利権をすべて奪い取ろうとしたり。
当然、両者の仲は拗れるばかりであった。
『ただ、最近はうちが完全に有利でしたね』
その最大の理由は、俺がいるからだそうだ。
『バウマイスター伯爵がいてくれて助かりましたよ』
二回の竜退治を行った魔法使いが、自分の寄子の子供だった。
ブライヒレーダー辺境伯は鼻高々で、そのおかげで中央とのパイプも強くなったそうだ。
あるパーティーで、ブロワ辺境伯はブライヒレーダー辺境伯を見て顔を真っ赤にさせていたらしい。
『あとは、もう言うまでもないでしょう』
新領地開発の利権に、魔の森で産出する様々な産品もある。
ブライヒレーダー辺境伯領が王都とバウマイスター伯爵領との間にあるだけで、勝手に利益が入ってくるのだ。
魔導飛行船の便は増えているし、海運の方の船便と港も同様で、開発特需で仕事もいっぱい入ってくる。
まさに、ウハウハな状態なわけだ。
『当然、東部の連中は完全に排除していますから』
確かに、今まで散々嫌がらせをしたブロワ辺境伯や彼が統括する東部の貴族たちに、それを分けてやる義理などないか。
そんな余裕があるのであれば、南部の貴族たちに分けるのが、彼らの親玉であるブライヒレーダー辺境伯としての正しい判断なのだから。
俺でも、間違いなくそうしてるはずだ。
「それで出兵なんですか? 短絡的すぎません?」
『ちょっとおかしいのは事実ですけどね。その辺の詳しい事情は、もっと調査してみないとわかりません。開発利権がない東部の貴族たちに突き上げられたから、うちとの紛争案件を出兵による実効支配で奪って分け与えようとした。こんなところかもしれません』
実際に、とりあえず半々ということになっている森から、ブライヒレーダー辺境伯側の貴族の領民たちが追い出されたり、同じく鉱山などでも採掘ができなくなってしまったらしい。
いまだ死者は出ていないが、完全武装のブロワ辺境伯側の貴族の兵士たちや、ブロワ辺境伯家諸侯軍の兵士たちによって追い出されてしまったそうだ。
『完全に後手に回っています。早速兵を集めないと。はあ……。お金がかかりますね』
敵の実効支配を許したままにするのは、弱腰外交の名手である日本くらいなので、コストは度外視でブライヒレーダー辺境伯は兵を集める必要があった。
『できましたら、バウマイスター伯爵にも諸侯軍混成軍に参加してほしいなと思いまして』
「そうですね。なるべく早めに参加しますよ」
『そうですか。それはありがたい。お願いしますね』
ブライヒレーダー辺境伯は、すぐに魔導携帯通信機を切った。
よほど急いでいるようだな。
「ヴェル、いいのか?」
魔導携帯電話による通信を切ると、すぐにエルが本当にそちらにも諸侯軍を出すのかと聞いてくる。
バウマイスター騎士爵家の反乱もまだ治まっていないのに……と思っているようだ。
「出さなきゃ駄目だろうな」
新しい領地の開発が始まった途端にコレなのだ。
最初に妙なことを企んだ連中に対して徹底的に罰を下さないと、第二、第三のブロワ辺境伯が出てくる可能性があった。
容赦なく叩きのめし、うちに手を出すのは損だと思わせないといけないのだ。
「人を殺す戦争だけどな」
「そういうのは覚悟しているさ。ヴェルこそ、大丈夫か?」
「そんなの、やってみないとわからん」
人が人を殺す。
悪い事なのだろうが、それはその人の置かれた地位や立場にもよる。
俺は貴族になってしまったからなぁ。
実際に人を殺したあと、罪悪感で悪夢を見るかもしれないし、意外となにも感じないのかもしれない。
どちらにしても、今の俺は行動に移らなければならなかった。
「ただこの時代の戦争では……いや、紛争か。人が死なない方がいいらしいから」
「魔法で解決しますの?」
「そういうこと。俺とカタリーナとブランタークさんでやれば、よほどミスしなければ犠牲はゼロだな」
ブライヒレーダー辺境伯がブロワ辺境伯と揉め始めた以上、寄子である俺も動かなければならない。
バウマイスター騎士爵領の反乱と無関係ではなかったどころか、連動した策だったのだから、仕返しは貴族の流儀か。
まずはこの反乱を平定すべく、早速魔法使い三人で相談を始めるのであった。
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