第150話 バウマイスター騎士爵家新当主の思い

 俺の名前は、ヘルマン・フォン・ベンノ・バウマイスターだ。

 とある僻地の領地を継いだ新米貴族である。

 ただ、その領地は僻地とはいえ、隣接する未開地の開発が大々的に始まっている。

 もう少しで、その元未開地であるバウマイスター伯爵領とも道が繋がる予定であり、そうすれば外部との交流や交易が増えて、以前は完全に孤立していたこの領地も大いに活気づくというものだ。

 だが、それまでの道は決して平坦ではなかった。

 俺は元々次男であった。

 貴族家に生まれた次男など長男の予備と相場が決まっており、部屋住みの居候扱いで、結婚だって長男より遅くなる。

 もしくは、できない奴だって沢山いた。

 跡継ぎ長男に子供ができないと、与えられた屋敷の部屋で人生が止まってしまうのだ。

 子供の頃は、そんなことはわからなかった。

 跡継ぎであった長男のクルトは、凡庸ではあったが決して悪人ではなく、弟である俺に優しかったからだ。

 だが次第に大きくなっていくと、徐々に領地や家の状態がわかってくる。

 クルトは跡継ぎなので大切にされ、俺はかなり扱いが適当だ。

 父には妾がいることもあり、弟や妹が増えていくのだが、彼らの方がまだマシなのかもしれない。

 本妻である母から生まれた弟たちは、どうせ家を継げないからと外に出る準備をしているし、妾であるレイラさんから生まれた弟や妹たちは、元から貴族扱いされていない。

 赤い血として、名主になったり、兄を補佐したり、妹たちは豪農にでも嫁げばいいのだから。

 俺は、クルトの予備として部屋住まいだ。

 一応個室は与えられているが、これは俺には檻のない牢屋にしか見えなかった。

 別に、親父やお袋が嫌いなわけではない。

 貴族の決まり事が、俺は大嫌いなだけであった。

 その鬱憤を、俺は剣の稽古などで晴らすようになる。

 他にも、同じ農家の次男、三男などで結成された警備隊の訓練などでだ。

 この警備隊は、普段は治安維持のために存在し、有事には諸侯軍の中核となる。

 とは言っても、ここは他の土地から隔絶している田舎の僻地なので犯罪者など滅多に出ない。

 諸侯軍も、俺は行かなかったが以前に大損害を出した魔の森への遠征でもなければ、まず出番などなかった。

 それに警備隊の治安維持活動と言っても、たまに酒を飲んだ時に領民同士が喧嘩になったので止めに入り、もしくは犬も食わない激しい夫婦喧嘩を仲裁したり。

 畑の間に植わっている実のなる木が誰のものか。

 領民たちが喧嘩を始めたので、それを止めに行ったなんてこともあったな。

 この領地では、その程度の事件でも警備隊が出動するのだ。

 何名かで駆けつけて、当事者同士を割って話を聞いてあげればそれで終わる仕事なので、普段の訓練はあまり役に立たないけど。

 あとは、たまに畑に迷い混んだ猪や熊の討伐もあるな。

 猟師たちと協力して倒すのだが、警備隊が駆けつける前にすでに猟師たちが倒してしまったり、追い払ってしまっていることも多かった。

 警備隊の仕事など、大した量でもない。

 定期的に、呼び出してちゃんと来るのか?

 それがなによりも重要なんだが、隊員たちには普段仕事がある。

 一応規定の訓練量は決まっているが、それが守られたことなど一度もない。

 規定どおり訓練を行って畑が放置されていたら意味がないわけで、他にも領主である親父が旗振り役となり、税収を増やすためだと言って大規模な開墾を続けていた。

 訓練よりも開墾が大切なので、俺もそちらをメインに手伝っていたほどだ。


『ヘルマン、今日の担当はあそこだ』


 親父に指定された場所の土を掘り起こし、邪魔な樹を切り倒して、切り株を何人かで地面から引っこ抜く。

 大きな石や木片を取り除くのも、かなりの手間であった。

 今日担当している畑は、警備隊員の中でもよくやってくれているヘルゲが貰えることになっていた。

 彼は三男で、実家の畑を継げない。

 そのため、この開墾を失敗させるわけにはいかないのだ。


『すみません、ヘルマン様。わざわざ農家の三男坊でしかない俺のために……』


『それはお互いに言いっこなしだ。お前がこの領地に残ってくれないと、今でもショボイ警備隊がさらにショボくなる』


『ヘルマン様、それは禁句ですよ』


『『『『『ははははっ!』』』』』


 俺たちは、開墾を手伝っている他の警備隊員たちと大笑いをした。

 みんな次男以下で、俺と似たような境遇の者たちばかりだが、ただ嘆くよりは自虐的でも笑ってしまった方が精神的に楽だと思ったわけだ。


『お前は、大金を税として納めているんだ。遠慮するな』


 今年で二十歳になるヘルゲは、こう見えてあの魔の森遠征の生き残りである。 

 当時は成人したばかりの十五歳ではあったが、三男なので死んでも問題ないと思われて実家から推薦されたのだ。

 いや、厄介払いと言った方が正解であろう。

 この手の問題に、貴族と農民の差などない。

 正直なところ、当時十八歳であった俺がよく出兵させられなかったなと思っているほどなのだから。

 その代わり、大叔父である従士長やその三人の息子たちは全滅しており、現在では分家との間に隙間風が吹いている状態であったが。

 分家に仕える従士たちや、男手が足らないので開墾を手伝っている分家の女たちの目を見れば一目瞭然だ。

 親父の指示には従っているが、たまに刺すような視線で親父やクルトを見ているのだから。

 俺もその対象になっているが、これについては仕方がないのかもしれない。

 大叔父たちの犠牲の元に、俺は今でも生きているのだから。


『あの金を持って、外に出るという選択肢もあったんだ。それを奪われた以上、ヘルゲはちゃんと畑を持たないとな』


『ありがとうございます、ヘルマン様』


 ヘルゲは特に剣の腕が優れているわけでもないし、体も小さくて細い方だ。

 だが弓は上手い方で、それ以上に体が丈夫で持久力があり、そしてそれ以上に精神が強かった。

 年齢のせいで下っ端扱いであった彼は、魔の森への遠征軍では伝令役を務めていた。

 表面上は対等の立場であるはずの、バウマイスター騎士爵家諸侯軍とブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍であったが、当然そんなわけがない。

 先代のブライヒレーダー辺境伯は、大叔父たちを自分の家臣の家臣、陪臣扱いしてしまい、そのせいで両者の間に次第に大きな溝が広がっていく。

 大叔父は、バウマイスター騎士爵家諸侯軍をブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍から少し離した。

 扱いの問題もあったのであろうが、もしかすると自分たちの末路をある程度予想していたのかもしれない。

 あの小勢で二十名以上が生き残ったのだから、間違いなく破綻に備えていたのであろう。

 ただ、犠牲を少なくするため逃げる、という選択肢を選べなかった。

 ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍が壊滅したのに、バウマイスター騎士爵家諸侯軍に犠牲は出なかったでは、後々問題になってしまう可能性があったからだ。

 特に、うちが塩など重要物資の供給ルートをブライヒレーダー辺境伯家に握られている以上、自分たちだけで逃げるわけにもいかない。

 ただ、若い者はなるべく逃がしてやりたい。

 二十三名の生存者の全員が、十五歳から二十代前半の若者だったということは、大叔父は自分ができる範囲で最良の結果を残した証拠でもあった。

 己と息子たちの命を賭けて、若者を一人でも助けたわけだ。

 だが、そんな大叔父に対する親父の評価は辛辣であった。

 『貴重な領民をむざむざと失って』と。

 ただ、親父には領主としての立場がある。

 戦力の八割を失った大叔父を、公の場では叱責しなければいけないわけだ。


『確かに、親父の言うとおりだな』

 

 親父に続いて、兄のクルトも大叔父の批判をする。

 クルトは凡庸な男ではあったが、親父の言うことはよく聞いているので、当然こういう発言内容になる。

 だがその一言で、俺はクルトの軍事的才能のなさに気がついてしまう。

 同時に、親父が一瞬だけ残念そうな表情をしていたのを見逃さなかった。

 きっと親父は、クルトに大叔父を褒めてもらいたかったのであろう。

 自分は領主なので、戦力を大半を失った大叔父を褒められない。

 だが、その跡取り息子が一人でも多くの若者を逃がした大叔父を褒めてくれれば、多少は分家の人間の怒りを緩和することができたはず。

 俺は聡明ではなかったが、そのくらいは理解している。

 なのに、クルトはそれに気がつかなかった。

 親父は、内心ガッカリしたのであろう。

 クルトの察しの悪さを知っていた俺としては、そういうことは事前に打ち合わせをしておけと思うしかなかった。


『それよりも、戻って来た者たちを労ってやらないと』


 出しゃばりとは思ったが、俺は戻って来た者たちに対して親父が直接声をかけるべきであろうと進言した。 

 なにしろ、クルトにはそういう配慮を期待できないのだから。

 魔の森遠征軍のせいで人手が足りなくなってしまい、数名の領民たちを率いて領内を定期的に見回っているだけの俺であったが、率いている連中がミスをすればちゃんと正しく叱責する必要があるし、功績を挙げれば褒めなければいけないことくらいは知っている。

 彼らは、軍勢の八割が壊滅するほどの地獄から生き残ったのだ。

 親父がその労を労い、気持ちでも恩賞や休暇などを与える必要があった。


『確かにそれは必要だな』


 親父は、俺の意見に賛同していた。

 そして実際にそれは行われたのだが、もしかするとその頃から俺を大叔父の分家に入れる構想練っていたのかもしれない。


『休暇など必要ない。むしろ、あの地獄を忘れさせるために開墾などで働かせた方がいい』


 クルトはこんな感じであったが、彼の立場を考えるとその意見も間違っているわけではない。

 生き残った若者たちの大半が次男以下で、実家を継げる立場にはない。

 死んでも困らない者たちが運良く戻って来たので、その労働力をすぐに生かすべきだと考えたのであろう。

 領地の発展のためには必要な決断なのであろうが、その発想は自分が長男であるという立場から出ている。 

 理解はするが、俺は心情的に気に入らなかった。

 そして戻って来た若者たちであったが、大半が精神的に参っていた。

 大叔父の留守中、数名で領内を見守る仕事をしていた俺は、勉強が必要だと思って父の書斎で本を読んでいると、その中に『戦争精神症』の記述があった。

 戦場であまりに酷い目に遭うと、精神が病んで軍人としては使い物にならなくなるのだそうだ。

 生き残りたちから話を聞くと、魔物は大軍で夜襲をかけてきたらしい。

 おかげで、夜の暗闇やそこから発生する音に異常なまでに怯えるようになってしまった。

 大叔父一家の男手が全滅したので、暫くは俺が少数の警備隊を率いて領内の巡回をたとえ大叔父の真似事でもしなければならない。

 本来なら実戦経験がある彼らに期待したいのだが、そういう状況ならば彼らを誘うわけにはいかないであろう。


『俺は大丈夫ですよ』


 ただ、運良く数名の精神も頑丈な若者たちが警備隊に参加してくれることとなった。

 その中でも格段に頑丈であったのが、先に紹介したヘルゲであった。

 大叔父は、ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍への伝令役にヘルゲを指名した。

 両軍の険悪な空気を少しでも払拭するために、一番若い彼を送ったというわけだ。

 そして、その試みは少し成功している。

 相変わらずブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍の幹部たちは高圧的ではあったが、ヘルゲの親と同年代の兵士たちが定期的に伝令で来るヘルゲを可愛がってくれたのだそうだ。


『お前も災難だな。お上同士の意地の張り合いに巻き込まれてよ』


『伝令をしていると、馬の訓練になるから俺は気にしないよ』


『お前はいい性格しているな。狩った魔物の肉を焼いたから、食べてから戻れよ』


『ありがとう』


『若い者は、遠慮しないでいっぱい食え』


 こんな感じで、下っ端の兵士たちに可愛がられたそうだ。

 そして、あの運命の日。

 ヘルゲが伝令としてブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍の陣地へと赴くと、彼らはヘルゲにある品を渡したそうだ。


『俺たちはまず生きて戻れない。坊主は意地でも生き残れ。これをやるから』

 

 なにかはよくわからなかったけけど、魔物の牙を数本貰ったのだそうだ。

 さらに伝令役のスキルを生かし、上手く馬を操って魔の森の外に逃げることに成功した。

 他の生き残りたちと共に、どうにかバウマイスター騎士爵領へと辿り着いたが、それから彼を胸糞の悪い事態が襲う。

 せっかく生き残ったヘルゲを含む彼らに対し、親父は税金を徴収したのだ。

 魔の森に入った際に狩りを行い、それにブライヒレーダー辺境伯が報酬を出していたので、彼らは小銭持ちになっていたからだ。


『親父、さすがにそれはまずいだろう』


『お前の言うとおりだろうが、それでも法は法だ』


 税なのですべてを奪われるわけではないが、命令でヘルゲたちを死地に追いやり、それでもどうにか生き残ったのに、獲得した恩賞の半分をバウマイスター騎士爵家が奪う。

 普段の税は仕方がないが、今回くらいはと俺は思ってしまうのだ。

 

『それに、彼らはほとんどその金を手元には置けまい……』


『そうだったな……』 


 確かに親父の言うとおりだ。

 親父もそれがわかっていたからこそ、決まり通り税をかけたのかもしれない。

 生き残りは、全員が次男以下だ。

 実家での扱いはご察しの通りで、命を賭けて稼いだ金の大半を奪われてしまうはず。

 特にヘルゲは、貰った魔物の牙が高価な薬の材料になるとかで、直後に来た商隊の連中が金板二枚二十万セントで買い取って行った。

 それなのに、ヘルゲが親から貰えた金額はわずか千セントだった。

 彼が命をかけて稼いだ金を、その家族が徹底的に搾取したのだ。


『(本当に、胸糞が悪くなる話だ)』


 とはいえ、これが地方の農村の現実だ。

 家の存続がなによりも大事なので、次男以下などジュースを搾る山ブドウくらいにしか思っていないのだから。

 最近、商隊について行ってバウマイスター騎士爵領を出る若者がチラホラと増えているが、その気持ちは俺にも納得できた。

 親父も、それがよくないことだとは思っている。 

 だが、あまりに急進的な方法は領内の統治を不安定にしてしまう。

 こんな孤立した領地で内乱などあれば、バウマイスター騎士爵領は致命的な損害を受けるはず。

 開墾の奨励は、次男以下の独り立ちをなるべく推進しようとしているのであろう。

 その親父の配慮に、跡取りであるクルトが気がついているとは思えなかったが。

 彼からすれば、耕地が増えれば税収が増える程度の認識なのであろう。




『ヘルマン、お前は分家に婿に入るのだ』


 親父からその話を聞いた時、俺は『今よりはマシかな?』程度の認識しかなかった。

 大規模開墾がひと段落し、ようやくクルトの嫁が決まった頃。

 俺は、分家に婿入りして従士長の職を継ぐのだと親父から言われた。

 遠征の失敗で、バウマイスター騎士爵家諸侯軍の兵力はいまだに回復していない。

 有事の際に男子全員で戦うのは義務であったが、ある程度訓練を続けている兼業兵士がもっと必要だ。

 ところが警備隊に組み込めるのは、俺が書斎の本などを参考に、苦労しながら見様見真似で訓練した次男以下の二十名ばかり。

 数少ない収穫は、ヘルゲが経験を積んで俺の片腕になってくれたくらいだ。 

 開墾されたばかりの畑の農作業と合わせて苦労させてるのが心苦しいが、今の俺には彼を遇する方法が他にない。

 同年代の職人たちや豪農の跡取りなどを取り巻きにして、安定した地位を築いているクルトには必要のない苦労なのであろう。

 しかもクルトは、俺の軍事的な才能に嫉妬しているのだそうだ。

 その話を聞いた時、俺はあまりにバカバカしくて笑ってしまったほどだ。

 確かに俺は、この領内では一番の剣の使い手であったし、弓も猟師組に負けるとは思っていない。

 ある程度の人数の警備隊や自警団くらいなら、親父やクルトよりも上手く指揮することができるだろう。

 だが、それがなんだと言うのだ。

 こんな田舎の孤立した領地で一番だからと言って、外に出れば俺よりも才能がある奴など星の数ほど存在するはず。

 実際、亡くなったブライヒレーダー辺境伯やその家臣たちは二千人の軍勢を組織し、指揮していた。

 さすがは歴史の長い大貴族家だと思うのと同時に、バウマイスター騎士爵家にはそんなノウハウもなく、その差は歴然であった。

 クルトの嫉妬など、外の貴族の諸侯軍を知った俺からすれば、失笑ものでしかなかった。

 その後、俺への嫉妬は分家への婿入りと同時に消えることとなった。

 競争相手が分家当主になったので、安心したのであろう。

 本当に、お気楽な次期当主様である。

 俺なんて、分家では針の筵だというのに。

 分家への婿入りは、大叔父の直系の孫娘であるマルレーネが成人するまで待っていたので遅れてしまったという事情があった。

 実際に婿入りすると、嫁のマルレーネの態度にも困惑した。

 分家の人間からすれば、大叔父たちは本家が分家を乗っ取るための策だいう意見が主流を占めていたからだ。

 親父の本心はわからなかったが、せめて俺だけでも出兵させればよかったのに。

 マルレーネは見た目は可愛らしかったし、結婚できたので文句はないと言いたかったのだが、初夜で『子供を作るためだから仕方なく』という態度を取られるとさすがに困ってしまう。

 食事の時も、俺はあきらかに招かざる客という扱いだ。

 さすがに精神的にまいってしまいそうになるが、それを救ったのは意外な人物であった。

 俺には兄弟が多い。

 本妻である母が産んだ子供だけでも、三男のパウル、四男のヘルムート、五男のエーリッヒ。

 そして、一番年下の八男であるヴェンデリンだ。

 彼らは、どうせ家は継げないのだと王都に出るべくその準備に日々奔走していた。

 万が一に備え、予備としての十代を過ごした俺からすれば羨ましい限りであった。


『その代わり、野垂れ死んでも自己責任だぜ』


 パウルなどはそう言うが、それでも領地の外に出られるのは羨ましかった。

 貴族になど未練はないし、どうせ分家の当主になった時点でもう貴族ではない。

 できればパウルたちのように外の世界に出て、冒険者などをやってみたいと夢見ることが今でもあるのだ。


『僕は出て行かざるを得ないのですよ。正直なところ、この故郷に未練はありませんけど』


 跡を継げるくせに、クルトは新しい嫉妬の対象を見つけていた。

 それは、五男のエーリッヒであった。

 こいつは、バウマイスター騎士爵家に生まれてきたこと自体が間違っているとしか思えない男であった。

 優れた容姿に、俺でも敵わない弓の腕前に、抜群に優れた頭脳と。

 当然、領民たちからの人気は高かった。 

 自然と、次期領主に相応しいと思われるようになる。

 この領地が他の領主と交渉を行うとは思わないが、領主はその領地の顔なので容姿に優れていた方がいいに決まっている。

 純粋な能力で考えたら、クルトなど何人いてもエーリッヒに敵わないであろう。

 クルトがあいつに嫉妬するのも当然であったが、それを悟ったはエーリッヒが領地を出て行くと明言したことで消えてしまった。

 そして最後に、さらにとんでもない弟が現れた。

 八男のヴェンデリンだ。

 この子も三歳頃から書斎で本を読み耽っており、エーリッヒに似たようなタイプだと思っていた。

 ところが、次第に魔法の才能を見せることになる。

 こんな僻地の領地で、魔法の才能を持つ子供が出るなんて奇跡に近い。

 親父はすぐに対策を打った。

 完全に放任してしまったのだ。

 なるべく領地に貢献させないようにして、とは言っても食肉供給などでは圧倒的に貢献はしていたが。

 俺も実家にいた頃は、定期的にホロホロ鳥の肉を食べさせてもらったものだ。

 ヴェンデリンに行動の自由を与え、彼は魔法の特訓なのであろう。

 朝から日が暮れるまでか、時にはどこかで外泊してまで魔法の鍛錬に集中するようになった。

 案の定というか、またクルトは嫉妬の炎を燃え上がらせるのだが、俺からすればそんな暇があったら勉強でもしろと言いたくなる。

 そして肝心のヴェンデリンであったが、こいつはいい性格をしていると思う。

 クルトなどまるで眼中になく、自立のために好き勝手にやっているのだから。


『(ヴェンデリンを見ていたら、バカらしくなったな)』


 親父やクルトの意向に従って婿入りをしたら、嫁にまで隔意を抱かれる。

 そんな生活が嫌になったのだ。

 確かに俺は本家の次男だが、もう元次男になった。

 今は分家の当主で、家臣として親父やクルトのために働く必要はあるが、他のことで従う必要などないのだと。

 そう決意した日から数日後、俺はとある会合に出席した。

 この会合は、初期移民者が集まっている本村落において彼らの意見を聞くというものであった。 

 支持基盤なので、気を使っているわけだ。

 ただ、こんなことが常に行われていれば、他の村落の連中が面白かろうはずがない。

 いつか解消する必要があると思うが、今は分家の当主としてその利益を代弁させてもらおうか。


『いい加減、労役の軽減を頼みたいのだが』


 そうでなくても、分家は男手が少ないのだ。

 そのために、分家の女たちは開墾作業の手伝いまでしていた。

 分家にも従士は数名いるが、彼らは普段農民として忙しい日々を送っている。

 こちらを手伝わせるには限界があった。 


『そのために、ヘルマンという男手を送ったのだがな』


『俺一人では限界があるだろう』


 やはりクルトは、俺など子分の一人くらいにしか思っていなかったようだ。 

 その子分を分家に送り込んだのだから、分家など利用できる道具くらいにしか思っていない。

 なるほど。

 こんな考え方のままでは、バウマイスター騎士爵領の本村落優先の安定統治など砂上の楼閣でしかないのだと。

 親父や名主のクラウスは危機感を抱いているが、革新的な解決策などは見出せていないし、クルトはその危機にすら気がついていない。


『(ある意味、羨ましい人だな……)労役のせいで、ハチミツ酒の製造量が減っている』


 分家の生業に、伝統的な養蜂技術とそれを用いたハチミツ酒の製造がある。

 ところが、極端な人手不足に労役の増加が拍車をかけて、その生産量は大幅に落ちていた。

 

『あと、いい加減にハチミツ酒の代金を払ってほしいんだけど』


 この領地では、酒は貴重品である。

 麦の生産量は増えていたが、それを酒にすると親父が渋い顔をするので、せいぜい自家製のエールを少量作るくらい。

 そんな事情があり、分家が作るハチミツ酒を徴収して領民たちに配っていたのだが、その代金をツケにして支払いを滞らせていたのだから性質が悪い。

 それは、俺の立場が針の筵になるわけだ。


『そのうち払う』


『そうか。では、支払いが済むまではハチミツ酒の供給は停止する。ちょうど人手も足りないことだしな』


『ヘルマン! 貴様!』


 俺は正しい主張をしたはずなのに、なぜかクルトが激怒した。

 分家如きが本家に要求など、生意気だと思っているのであろう。

 大体、俺をなんだと思っているんだ。

 親父やクルトにはこの領地を安定的に治める義務があるのであろうが、そのためになにをしてもいいというわけではない。

 いくら男手がいないからといって、分家の女性たちに無茶ばかりさせれば、それは反本家にもなろうというものだ。


『家内の事情を察してくれって(俺を生贄にでもしたつもりか!)』


 段々と、心の中で怒りが沸いてくる。

 バウマイスター騎士爵家の兄弟の中で、なぜ俺だけがこんな目に遭うのだと。

 それは貴族にはなれないかもしれないが、俺はパウルやヘルムートやエーリッヒが羨ましかった。

 外の世界で、こんなクソみたいな田舎領地の柵に捕らわれないで生きていけるのだから。

 次に脳裏に浮かんできたのは、相続争いを防ぐために自由行動を許されたが、領民たちには怠け者の八男だと言われているヴェンデリンの姿であった。

 まだ幼いのに、ヴェンデリンは自分の思うままに行動している。

 魔法の才能があるからという理由が大きいが、周囲からどう思われようと、噂されようと気にもせず、本当に自由に生きているのだ。

 毎朝早くに出かけ、夕方に戻って来るヴェンデリンの顔には憂いや迷いなど一切ないように見えた。

 俺は、彼とはあまり話したことがない。

 元々年齢が離れていたのと、今の俺は分家当主なので、ヴェンデリンと二人きりで話をしただけで、クルトが神経を尖らせるであろうからだ。

 俺とヴェンデリンが組んで、クルトの地位を奪う。

 妄想の類ではあるが、クルトの猜疑心が強ければ不利益を被る可能性もあった。


『とにかく、先の条件を飲んでもらう』


 俺もヴェンデリンほどではないにしても、己の道を歩むべきであろう。

 もう親父やクルトは他所の家の人間であり、俺は別家の当主なのだ。

 ならば、分家の利益を一番に考えないといけない。


『開墾はひと段落ついた。溜っていたツケは支払う』


『親父!』


『こちらが開墾事業の関係で迷惑をかけたのだ。支払って当然であろう。それに、年に一度配るハチミツ酒を楽しみにしている領民は多い。供給停止は困るからな』


 親父は、支払いをする意思がなかったわけではなかったわけではないようだ。

 ハチミツ酒の代金を支払ってくれることになったが、分家の人間からすればもう親父すら信用に値しないだろうなと思う。

 遅きに失したという感じか。

 そしてクルトは、本気で支払いなどしなくてもいいと考えていたようだ。

 俺が思うに、クルトは貴族とは沢山お金があればなんとかなると思っているのであろう。

 だが、それで分家を敵に回してどうしようというのであろうか?


『(今は、親父、クルトのコンビでなんとか本村落の保守派を押さえて領地は治まっているが……)』


 魔の森遠征に端を発した分家との確執と、本村落でも若い層による年寄りへの反発が起こりつつある。

 残り二つの村落などは、親父やクルトが領主なので仕方なしに従っているレベルであった。

 成立から百年ほどで、この領地はガタガタになっていたのだ。


『(なにか針の一刺しで、この領地は破裂するかもしれないな)』


 そしてそれは、親父とクルトがこの領地の支配者から転落するということだ。


『(これは、俺の妄想かもしれないがな……)』


 この会合以降、ようやく俺は分家の人間に認められたらしい。

 妻が妻らしくなったので、これも怪我の功名であろう。

 クルトの顔がさらに渋くなったが、どうせあいつは俺には腕っ節では勝てないのだから毒殺にだけ注意すればいいか。

 そして数年の年月が流れたが、のちの流れは俺を予言者にしたのかもな。

 親父は引退し、このバウマイスター騎士爵領の当主は俺になり……これだけは予想外だったか……パウルも領地を分与され、最後にヴェンデリンが未開地の大半を与えられて伯爵になった。

 クルトのことは、もう話さない方がいいであろう。

 あいつは、外部との関係が開かれたバウマイスター騎士爵領の変化について行けず、自爆した。

 そういうことだ。

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