第130話 竜使いの笛?

「よし、成功だ!」


「また新しい調味料の試作か?」


「ははっ、これは自信作だぞ」


「ヴェルは本当に好きだよなぁ、そういうの」




 バウマイスター騎士爵領に長期滞在し続けるようになってから、三ヵ月と少し。

 今日も同じ時刻に起床した俺は、屋敷のリビングで朝食をとっていた。

 俺がいわゆるお誕生日席に座り、その両脇に護衛のまとめ役であるパウル兄さんと、所用で屋敷にやって来たヘルマン兄さんが。

 続けて、エルやオットマーさんたちも順番に席に座っている。 

 メイドのドミニクと、エリーゼ、イーナ、ルイーゼ、ヴィルマの五人で調理や給仕などを担当しているが、前世の平成日本でこの光景が公になったら、間違いなくフェミニストと呼ばれる方々から苦情が出ていたであろう。

 だが、この世界ではこれが常識なのだ。

 屋敷の主人である男爵の俺と、現在法衣騎士爵であるパウル兄さんに、客であるヘルマン兄さんが上位の席に座る。

 そしてバウマイスター男爵家の従士長であるエルと、パウル兄さんの従士になる予定のオットマーさんや他の護衛たちがそれに続く。

 良い悪いの問題ではなく、これがこの世界の常識であり、これを覆すのは難しい。

 そもそも、これに疑問に思っているのは俺だけ……のはず。

 性別差というよりは身分による差なわけだが、思えば前世で会社の忘年会とかでも席順は偉い人が上座だったわけで。

 貴族が上座か、社会的な身分が高い人が上座かの違いだけかもしれない。

 毎回お誕生席に座るのにも、やっと慣れてきたような気がする。


「ヴェル、それはなんだ?」


「新製品ですよ。パウル兄さん」


「お前、ここでも商品開発をしているのか?」


 王都の警備隊にいるパウル兄さんは、俺が王都滞在時に調味料や料理の考案をしていた事実を知っている。

 何回かアルテリオさんが経営する店の優待券をあげたこともあり、たまに部下たちを連れて食べに行っていたから、その話題に触れたことも多かったはずだ。


「マヨネーズに新しい仲間が誕生しました!」


「またかよ」


「じゃあ、エルはいらないということで」


「新製品、美味しそうだなぁ」


 エルからすれば、調味料や料理に集中する貴族という存在に不安を感じているのかもしれないが、こればかりは俺の趣味なので、やめることなどあり得なかった。


「ヴェル、また売り出すのか?」


「とりあえず、試作しただけだ。原価を計算したら気軽に買えないことが判明した」


「そういう道楽的な部分は貴族だな」


 エルに変に納得されてしまった。

 今回試作しているのは、俺が前世で大好物であった『明太マヨネーズ』であった。

 作り方は簡単なのだが、問題はこの世界にタラコが存在しているかという点にあった。

 イクラは、実は未開地の河川に『ナンポウマス』という温暖な気候なのに遡上してくるマスがおり、産卵時に大量に獲れるので、入手は容易であった。

 言うまでもなくこれは、ちゃんと醤油漬けにして魔法の袋に大量に保存してある。

 そしてタラコであったが、これも北方では食べられている事実が判明する。 

 早速、以前に知り合いになった、魔導ギルドに勤める女性職員の実家が経営している鮮魚店から取り寄せることにしたのだが、タラコも含めて魚卵は現地では珍味扱いであり、関税や輸送コストを含めるととんでもない値段になってしまったのだ。

 さらに、このタラコを辛子明太子にしないといけないわけで。

 それも鮮魚店に頼んだ結果、価格がカレー粉よりも高くなってしまった。


「しかし毎度毎度、よく思いつくよなぁ」


「確かに。うちの実家の飯の内容を考えると特にな……グルメになる要素が見当たらない」


 パウル兄さんとヘルマン兄さんは不思議そうな表情を崩さなかったが、俺が調味料などの作り方に詳しい理由は、前世での仕事のせいであった。

 一応名の知れた商社ではあったが、業界内では二流扱いであった我が社では、エリート社員が海外の現地政府と交渉して巨額のインフラを受注するとか、鉱山採掘の独占契約を結んだとか、最先端の工業プラントの建設受注とか。

 そういう○耕作的なお話とは、まったく縁がなかった。

 新人研修を終えて俺が配属されたのは、主に食品関係の仕入れを担当する部署だ。

 しかも、俺は主に国内の食材担当で、たまに国内の生産農家やら漁港やらに直接出向いて食材を吟味し、それを必要とするメーカーや店舗などに提案を行う。

 少々世間がイメージする商社マンからは離れた存在かもしれなかったが、少なくとも扱っている食材は高級品が多かったと思う。

 取引先も、昔ながらの製法に拘る酒蔵、味噌蔵、醤油蔵だったり。

 国内産の品質のいい材料だけを使って製品を作る、中小の食品メーカーだったりと。

 当然、そういう会社の人たちと取り引きをする関係で、基本的な作り方を知りませんとは言えないわけで。

 自然と勉強をして覚えていったのだ。

 なにしろ、こういう拘るメーカーの技術担当者や職人さんには気難しい人が多い。

 新人時代に無知を曝して怒りを買ってしまい、そことの取引をライバル他社に奪われ、あとで上司から死ぬほど怒られた経験もあった。

 勉強の過程と趣味で、休みに料理をするようになった経験が今に生きているのだから、人生なにが幸いするかわからないものだ。


「早速、試食をしましょう」


 とりあえず味を試そうと、早速でき上がった『明太マヨネーズ』をご飯の上に乗せてから試食する。

 他のみんなも、それぞれにご飯にパンに明太マヨネーズを乗せて試食を始めた。


「これは……美味しいな」


「ああ、段々と舌が贅沢になっていく」


 明太子だけだとご飯にしか合わないが、明太マヨネーズならばパンにも合う。 

 前世でもパン屋さんで売られていたので、試作してみたのだ。

 ただ、やっぱりご飯に一番合うと思ったのは、俺の中身が日本人だからであろう。

 タラコが輸入品のせいで製造コストは高かったが、今の俺ならばなんとでもなる。

 ご飯食をやめる気にはならないし、もう普段バウマイスター騎士爵領で食べられているボソボソの黒パンは食べたくない。

 きっとこういうのを、舌が贅沢になったと言うのであろう。


「ところで話は変わるが、今日は未開地に視察に行くんだって?」


「はい、開発特区を前進させるので」


 ヘルマン兄さんの問いに、俺は『はい』と答える。

 密約なので誰も口にはしないが、もはやクルトを廃嫡にしてヘルマン兄さんに父の跡を継がせるのは規定路線となっている。

 それに協力する見返りとして、ヘルマン兄さんには男爵になれるくらいの未開地の分与と、その土地の開発を助けることになっていた。

 そのため一度、俺の領地との境目付近まで、未開地の視察をしておこうという話になったわけだ。


「そうか……。しかし、中央の連中はおっかないな」


「そういう世界で生きていて、それが常識だからとしか言いようがないです」


「俺はそういうのに慣れたくないよなぁ」


「慣れる必要はないと思いますけど……」


 またもブランタークさんの姿が見えなかったが、彼はここ最近ずっとクルトの監視に当たっている。

 数日前、ブライヒレーダー辺境伯に報告に行くからと言われ、『瞬間移動』で送ってあげたことがあるのだけど。

 その時に、通信用の魔道具を渡されたようであった。

 前世で言うところの、携帯電話や携帯用通信機に当たるこの魔道具は現在では作れる人が少なく、現存する品のかなりの割合が遺跡からの発掘品であった。

 元々製造に大変な手間と時間がかかり、生産品の大半を軍や役所が押さえてしまうので、大物とはいえ地方の貴族にはなかなか回って来ない。

 当然その価値は計り知れず、それをブランタークさんに託すということは、バウマイスター騎士爵領の情勢に、多くの貴族たちの注目が集まっている証拠であった。


「クルト兄貴は、未開地も含めたこの領地のトップでいたい。相続したいんだろうな」


「そんな夢物語……。俺たちがなにもしなくても、ちゃんと開発できなければ、いつか王国に土地を取り上げられてしまうのに……」


「ヴェルから搾取すれば、それが可能だと思ったんだろう。おかげであの様だ」


 パウル兄さんの言うとおりで、微量の魔力から相手の現在位置などを特定可能なブランタークさんの諜報活動により、クルト側の動きはすべて筒抜けであった。

 そんな様では、俺たちを出し抜けるわけがないのだ。

 つい三日ほど前も、本村落の有力者だけを集めて会合を行っていたそうだ。


「あの会合か……」


「ヘルマン兄貴は、知っているのか?」


「パウルも、噂だけは知っていただろう?」


「知ってはいるけど、あんな事前の談合みたいな会合。他の村落の連中からしたら不快でしかない」


「まあそう言うな。昔は十分に役に立っていた会合なんだ」


 バウマイスター騎士爵領の開発が始まったばかりの頃、本村落を優遇してバウマイスター騎士爵家の与党にする策は有効であった。

 他所からの支援などまったく期待できない僻地において、領主が確固たる支配権を確保できなければ、最悪内乱により滅亡する可能性だってあるのだから。

 改易の前に滅亡だ。

 それを防げるのなら、そんな会合を容認して当然だろう。


「ただ、今の時代にはそぐわなくなっている。俺も分家の当主になって初めて出席したんだがな。少しでも叶えられれば利益になると。あの連中、無理難題な陳情ばかり垂れ流しやがって」


 会合に出るメンバーの大半が年寄りなのも、会合が陳腐化する原因にもなっているそうだ。

 年寄りは、自分たちが死ぬまで今の本村落優遇の生活が続けばいいと思っている。

 実は領地の将来などどうでもよく、ただ自分たちが逃げきれればそれで構わないわけだ。

 最初はそんなことも知らず、理想に燃えたヘルマン兄さんが提案した三つの村落の待遇に差を付けないという提案は、鼻で笑われてしまったらしい。


「俺も若かったってことさ。それでも、クルト兄貴や若い層ならさすがに少しは変えるだろうと思って……。またも期待は裏切られたわけだがな」


 だからヘルマン兄さんは、俺たちに協力的なのか……。

 自分では変えようがないから。

 クルトが領主の仕事をかなり代行するようになると、そこに同年代の職人たちも加わるようになった。

 ヘルマン兄さんは、新しい世代による改革を期待したらしいが、結果は年寄り連中と大差ない既得権益への執着と、本村落優遇を口にするばかりであったそうだ。


「クルトの兄貴からも、『青臭い理想論』だと笑われてな。ヴェルはどう思う?」


「短期的には、現状維持に有効。長期的には、緩やかな衰退への第一歩ですか?」


「だよなぁ。俺もそう思ったんだよ」


 独自に未開地の開発ができない以上、将来的にはこの領地で人口を増やすのは自殺行為となる。

 そのため、自然と若い人から領地を出て行くことになるのだが、もしここで本村落の連中を優遇するとなると。


「他村落で娘しかいないような家に、本村落の領民が扱いに困る次男、三男を強制的に押し込めるとかな」


「それはさすがに断るのでは?」


「バウマイスター騎士爵家が、強制的に命令する可能性がある」


 他にも、新規の開墾地を取り上げたりと。

 本村落を優遇するために、他村落に大きな犠牲を強いるようになる可能性もあるそうだ。


「さすがに、そこまでは……」


「開墾の費用は、バウマイスター騎士爵家が出しているからな。領民たちが命令を拒否するのは難しいだろうな」


「いや、労力は領民が出していますけど……」


 というか、そんなことをして他村落の領民たちに愛想を尽かされて出て行かれたら、未開地の開発はどうするつもりなのであろうか?


「だからさ。『未開地を開発して、何代か後には伯爵くらいには』という夢は持っているのさ。具体的な計画については、俺もよくは知らないけど」


「計画があっても、せいぜいヴェルから金を搾り取って資金を貯めておくくらいじゃないかな? 俺じゃあ、搾り取る金もないからな」


 ヘルマン兄さんも、パウル兄さんも。

 『俺が当主になって、支配権を強固に』、『将来は必ず未開地の開発を行って大領主に』という漠然とした方針しか言わないクルトに呆れているようであった。

 その程度の発言なら、その辺の子供にだって言えるのだから。


「それで、よく領民たちがついてきますね」


「いや、だからついて来なくなったようだな」


 とそこに、ブランタークさんが姿を見せる。

 どうやらクルトの監視は一休みで、ここに食事を取りに戻って来たようだ。


「坊主に、相当支持層を剥ぎ取られたようだな」


 ブランタークさんほどのベテラン魔法使いになると、気配を魔法で消しながら対象を監視することなど造作もないようだ。

 相手が手練ならバレる可能性も高かったが、クルトの武芸の腕前は俺といい勝負かそれ以下。

 その取り巻きにも、腕っぷしに優れた者など一人もいないので、簡単にその動向を探れるようだ。


「その三日前の会合だけどよ……」


 職人組は事前に引き抜きが成功して、会合には以前に俺と揉めた鍛冶屋しか出席せず、豪農組も出席は半数ほどになってしまったそうだ。


「いきなり坊主に媚びるのもなんだろうからな。連中にも、後ろめたさがあるだろうし」


「えっ! それって?」


「俺は、ちょっと囁いただけだぞ。『現状において、誰が当主になるのかなんて神にもわからないよな? だがそれは、所詮はお上の問題だろう? ここは、中立を表明した方が結局は得をすると思うんだけどな』という風にな」


 このまま劣勢なクルトを応援続けてもなにもいいことがないのは、本村落の連中でも気がついている。

 しかし、ここでいきなり裏切るのは周囲の目を考えるとどうかと思うわけで、ならば中立だと言って双方どちらにも味方をしなければ、それはこちらに付いたと判断する。

 もしクルトが廃嫡されれば、本村落の区画整理なども始まるだろうなと。

 ブランタークさんが、彼らにこっそりと耳打ちしたわけか。

 

「それで会合に行かなくなったら、中立じゃなくて裏切ったと思うでしょう。あの人は」


「それはあの男がどう考えるかで、俺には関与できないなぁ」


「えげつな」


「そうは言うがよ。もう三ヵ月も経っているからな。うちのお館様も、中央のお歴々も焦れてきているんだよ」


 向こうからしたら、一日でも早く開発を始めたいらしい。

 だが、実際に現場で苦労しているのは俺たちなので無理に尻を叩くわけにいかず、ブランタークさんをそっと動かしたわけか。


「だが、今日でもうケリだろうな」


「あの……それはどういう?」


「会合の後に、クルトが外部の人間と接触していた」


「外部のですか?」


 ブランタークさんの話によると、夜に本屋敷裏の森で、あきらかに外部の人間と接触していたらしい。

 なぜそれがわかるのかと言えば、『探知』した接触者の動きを探ると、明らかにプロの冒険者の動きであったからだそうだ。


「それに、『瞬間移動』が使えないのにわざわざここまで来る外部の人間ってのは、プロの冒険者しかあり得ないからな」


「なんのために、あの人と接触したんでしょうかね?」


「決まっている。なにかよからぬことを吹き込みにだろう。その証拠は、現在険しい山道を懸命に移動しているわけなんだが……」


 ブランタークさんが、三日前にその冒険者の身柄を押さえなかったのは、俺の安全が第一なのと。

 すでに、ブライヒレーダー辺境伯に通報されているからであった。

 身柄は、ブライヒブルク側で確保可能というわけか。


「一ヵ月以上も険しい山道を歩いて疲労困憊したところを、出口で捕らえる算段になっている。誰の差し金で動いているのかは、その時に聞けばいいさ。どうせ容易に想像はつくけど」


 一度でもクルトとの接触を試みた中央の貴族といえば、間違いなくあの人の弟しかいないわけか。

 もしその尻尾を掴めれば、ブライヒレーダー辺境伯はルックナー財務卿に対して大きな貸しを作ることができるというわけだ。


「貸しだの借りだのと、面倒な話ですね」


「いやなに、地方貴族の主体性の確立の一環だから」


「それで、あの人は今日なにか仕掛けてくると?」


「その冒険者が暗殺に手でも貸すのかと思えば、そのまま戻ったからな。可能性があるとすれば……」


 依頼主であろう人が準備した、魔道具などを渡したのかもしれないとブランタークさんが言う。

 あの人が追い込まれている以上、一発逆転を狙うとなると、そういうものを使うしか手段がないわけか。


「じゃあ、視察に行くのは危険じゃないですか?」


「かもしれんが、その可能性は限りなく低いからな」


 非合法な手段で手に入れた魔道具だからと言って、そう簡単に目的を達成できるほど世間は甘くないだろう。

 それに、そういう魔道具はそう簡単に手に入らない。

 非常に高額でもあり、ルックナー弟が寄子でもなく、顔も見たことがないクルトに渡す度量があるかどうか……。


「入手先は、犯罪者ギルドが運営している裏市場だと思うが。あそこは、ツテのあるそれなりの幹部に大金を積まないと、坊主を暗殺できるような魔道具なんて手に入らないぜ」


 大半は、『もしかしたらもの凄い威力のある魔道具の可能性もあるけど、その確率は十分の一くらいかな?』などと言って、本来の相場の十分の一くらいで安く売りつけるような連中が多いそうだ。

 あとは、説明した内容とはまるで違う効果が発生したり、相手を呪うつもりが自分が呪われたりなど。

 購入者が苦情を言おうにも相手は犯罪者ギルドであるし、警備隊に訴えても、まずは自分が違法な物品を購入した事実を話さないといけない。


「ようするに、素人は手を出さない。少し齧ってもうわかったと思っている奴は大火傷をするわけさ」


「悪党を利用するのは大変ですね」


「ああ、基本騙してくるからな。相応の知恵と力が必悪なんだよ」


 その代わり、正当な手段で相応の代価を支払えば、表のルートではまず手に入らない品物が入手できる。

 それが、裏市場という場所なのだそうだ。


「ルックナー弟は、その裏市場にツテがあると?」


「あるような、ないようなだな。役職付きでも、法衣男爵程度だとなぁ……」


 それに、支払う代金の問題もある。

 それなりの物を入手するとなると、最低でも五百万セントは必要なのだそうだ。

 ブランタークさんがなぜそんなことを知っているのかという疑問は、とりあえずは無視することにした。


「ルックナー弟にでも揃えられる程度の魔道具で、坊主を殺せる可能性は低いわけだ」


「つまり、視察はただの餌ということになりますか」


 それほどの大事にならず、クルトが俺への暗殺未遂の罪で強制隠居、教会送りというわけか。


「そういうシナリオになるかな。視察には俺もついて行くし、助っ人もちょうど……」


 ブランタークさんがそう言うのと同時に、屋敷の外からなにか隕石でも落下してきたような衝撃音が聞こえた。

 慌てて全員で外の様子を見に行くと、屋敷の前の空き地にはあの人物が涼しい顔で立っていた。


「導師?」


「導師様はともかく、その横! 横!」


 パウル兄さんが、驚愕するのも無理もない。

 なぜなら着地した導師の脇には、哀れにも首を一撃でへし折られた飛竜の姿があったのだから。

 一部の山道を除いて、リーグ大山脈は飛竜やワイバーンの棲み処になっている。

 特にリーグ大山脈の低い空は、彼らの縄張りが多く、そこに侵入しようとすると激しく攻撃されてしまうのだ。

 多分導師は、王宮にいる『瞬間移動』が使える魔導師からブライヒブルクまで送ってもらい、そこからリーグ大山脈上空を『高速飛翔』で突破して来たのであろう。

 横の哀れな飛竜は、導師の飛行経路を妨害して討たれてしまったものだと推察される。


「久々の『高速飛翔』で心地よかったのであるが、視界をその飛竜に邪魔されたので撃破したのである! しばし厄介になるので、お土産代わりに受け取けとるがいいのである!」


 首だけへし折られた飛竜なので、導師の宿泊費には多すぎるほどであった。


「なあ、ヴェル……」


「王宮筆頭魔導師である、アームストロング子爵殿です」


「王宮の魔導師って、こんなに強いんだ……」


 ヘルマン兄さんが驚くのも無理はない。 

 山脈に多数生息する飛竜やワイバーンは、かの地の生態系のトップに君臨する存在であったからだ。

 当然、バウマイスター騎士爵領の領民たちは竜に対して無力な存在であり、リーグ大山脈に近付くことすらしなかった。

 唯一の例外は、商隊が通る山道のみである。

 ワイバーンと飛竜には遭遇しない山道が整備されているから安全……野生動物にはよく遭遇するけど。

 初代バウマイスター騎士爵家当主がこの地に移民して数年後。

 『ワイバーンを討伐して素材を売れば、領地が潤うのではないか?』と、領内の男手十名ほどと山脈に入ったそうだが。

 その結果は言うまでもなく、初代を含めて三名しか戻って来なかったらしい。

 以後、誰もワイバーンや飛竜を狩って金を稼ごうなどという輩は現れなかったそうだ。


「おおっ、バウマイスター男爵の兄君殿であるか! よろしくなのである! 某もそれなりに強いとは自負しておるが。この程度の飛竜であれば、ここには複数名倒せる者がおるゆえに!」


「えっと……。それって……」


 俺、ブランタークさん、ルイーゼと。

 ヴィルマだって、単独の飛竜やワイバーンなら普通に倒せる。

 エルやイーナも、二人で戦えばワイバーンの一匹くらいは倒せるはずであった。


「クルトの兄貴、どうやって一発逆転を狙うんだ?」


「さあ? その魔道具とやらが、もの凄いのかもしれません」


「いや、クルトの兄貴のコネと財力じゃ絶対に手に入らないから!」

 

 なににせよ、このままだと状況に変化もないままのはず。

 そこで俺たちは、視察の名目で未開地にクルトを誘う作戦を実行することになるのであった。

 

「ところで、朝飯がまだなのである!」


「早速準備しますね」


 導師も加わり、まずクルトの一発逆転の策が成功することはないはず。

 安心して視察に行けるというものだが、ここで一つ大きな問題が発生していた。


「『メンタイマヨ』であるか! これも、是非大量に欲しいのである!」


 朝に試作した高価な『明太マヨ』を、導師にすべて食べられてしまったのだ。

 

「夕飯に食べようと思っていたのに……」 


「導師様、よく食べる。噂どおり」


「うむっ! ライバル出現であるか!」


 給仕のために朝食が遅かったヴィルマが明太マヨネーズが載ったご飯を大量に食べるのを見て、なぜかライバル心を燃やしてしまう導師。

 いや、大食い競技じゃないんだから……。


「おかわりである!」


「おかわり」


 その後、お互いに火が点いた二人によって、とんでもない量のご飯やらパンやら肉や野菜が一気になくなってしまった。


「勝ち」


「ふぬぉあーーー! 次こそは!」


「(あんたは、子供か……)」


 そして、いつの間にか始まっていた導師とヴィルマとの大食い競争であったが、結果はヴィルマの勝ちであり、負けた導師が子供のように悔しがるのを生暖かい目で見る俺たち。

 まさか、導師に大人げないと注意するわけにもいかないのだから。

 その前に、普通の人が英雄症候群の人に食事量で対抗すること自体、無謀でしかない思わないのか?

 ……導師は思わないんだろうなぁ……。

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