第120話 バウマイスター領滞在と、クルトとのトラブル(その2)
「お久しぶりです、母上」
「先日は挨拶もせずに申し訳有りませんでした、母上」
父から指摘されたのは、パウル兄さんも俺もまだ母に会っていないという事実であった。
この世界が男尊女卑だからというわけでもないと思うが、俺はクルトと揉めて頭に血が昇った結果すっかり忘れてしまい、パウル兄さんは地方巡検という公務でバウマイスター騎士爵領に来ているので、私事を優先させるわけにいかなかったからであった。
母の方も、まさか俺たちと父が仕事の話をしているのに、そこに乱入するわけにもいかない。
肉親への情よりも貴族としての責務が重要視されるので、考えなしに最優先で母の元に顔を出せば、父から叱責されてしまうのだから。
本当は、魔の森でのアンデッド浄化を引き受けた日に顔を合わせておけばよかったのに、クルトが問題を起こすから……まったく。
「いえ、ヴェンデリンの立場の大変さはわかっていますから。パウルも立派になりましたね。ならば余計に私事を優先してはいけませんよ」
クルトの奥さんのアマーリエ義姉さんもそうだが、母も外部から嫁入りした人間なので、この領地の閉塞性はよく理解していた。
俺のおかげで、これからバウマイスター騎士爵領でも他領との交易ができるようになるかもしれない。
この事実に多くの領民たちが期待している反面、逆にそんな利便性など必要なく、今の生活で十分だと考えている人たちもいた。
クルトを支持する本村落の、跡取りや年配者たちである。
元々先祖がスラムの住民だったことを考えれば、農地と家がある今の生活で十分満足しており、それ以上のものを望むのはよくない。
むしろ、長男以下を押しのけて八男の俺が領主なってしまったら、その下剋上的な空気が自分たちにも影響してしまうかもしれないと考え、変化を嫌う層も存在するのだ。
父~クルトへの継承を支持し、それによって本村落が他村落よりも厚遇されることだけを望んでいるのだから。
「それにしても、二人とも立派になりましたね」
自分が腹を痛めて生んだ子なのに、その立場の急激な変化でろくに顔を合わせる機会すらない。
いくら二度目の人生のせいで実感が薄い母とはいえ、親不孝ではないかと俺は感じてしまうのだ。
「お袋、俺はヴェンデリンのオマケだから」
母の私室には、普通の親子として会話できるよう、パウル兄さんと俺しか入室していない。
なのでパウル兄さんは、母の言葉に半ば皮肉を込めながら話をしていた。
「エーリッヒはブラント騎士爵家の婿に自力でなったから別だろうけど、ヘルムートも俺と同じ気持ちだろうけどな。兄としては不甲斐なく思うけど、クルト兄貴みたいに駄々を捏ねても仕方がないとも思っている。自分は恵まれているのだから、それを失わないように生きるしかないんだとも」
弟のおかげで、爵位を子供に継がせられる貴族になれた。
兄としては不甲斐ないような気もするが、だからといってクルトのように道理に合わない暴言を吐くだけにはなりたくない。
母に対し、パウル兄さんは自分の正直な気持ちを語った。
俺にはパウル兄さんの気持ちがよく理解できたし、それでもクルトのようにならなかったことをありがたいと思っていた。
「私もクルトはおかしいと思いますが、この領地で私が言えることなどないのです。アマーリエさんも同じでしょう」
こんな田舎の僻地で母やアマーリエ義姉さんがクルトに注意などしたら、それだけで保守的な領民たちが大騒ぎしてしまう。
残念ながらここはそういう土地であり、もし騒動が大きくなれば内乱に発展してしまうかもしれない。
保守的なのは、自衛のためでもあるのだ。
父やクルトが税の計算をクラウスに任せきりにしているが、実は母やアマーリエ義姉さんに任せれば問題なく仕事をこなせるはず。
だが、その手の仕事に女性がしゃしゃり出ると、領民たちの反発が容易に想像できてしまうのだ。
俺に言わせれば、『母たちにこっそりやらせればよくないか?』なんだけど、無意味に真面目というか……。
そのせいで、クラウスとお互い疑心暗鬼になっているのだから、領地の経営は大変なんだなって思ってしまう。
「もうなるようにしかならないのです。その話はやめましょう。ところで、ヘルムートとパウルは結婚をし、ヴェンデリンも婚約者がいますよね?」
「はい」
こういう時、前世なら写真などを見せられるのにと思ってしまう。
実はこの世界にもカメラに似た魔導具は存在するのだが、もの凄く値段が高くて下級貴族には手が出なかったのだ。
といってもこれはパウル兄さんの事情で、俺はカメラを買えないこともない。
買わない理由に特別な理由はなく、ただ単にあまり興味がなかったのと、値段が高い割に地球のカメラに比べるととても大きいうえに、性能が低かったからであった。
「エリーゼが母上に挨拶をしたいと言っていました」
「わかりました。他にも側室候補がいるのでしょう? 一緒に連れて来なさい」
「わかりました」
俺は、部屋の外で待っていたエリーゼたちを母に紹介した。
エリーゼは貴族の礼儀に従って粛々と、イーナも少し緊張していたようだが普通に。
あのルイーゼですら、緊張からか静かに自己紹介をしているほどであった。
「私はレイラさんと仲がいいわけではないけれど、争っているところを表に見せないように。大した助言もできませんが、これは貴族の妻としての基本だと思います。とは言っても、なかなか実現するのは難しく。そういえば、私の母も側室と仲が悪かったのを思い出します」
母とレイラさんとの関係は、大嫌いとか嫌悪感を感じるほどではない。
だが、気分はよくないでの距離を置いている。
というのが一番近い言い方だと思う。
「大丈夫です、お義母様。私たちは同じパーティメンバーでもありますから。仲が悪ければ、死にも直結してしまいますし」
「エリーゼの言うとおりです。それに、三人で協力しないと対処できないことも多くて……」
「ヴェルは……、じゃなかった。ヴェンデリン様は、周囲が一人でも多くの側室を押し込もうと懸命なので」
「そうみたいですね。それが貴族というものですから。もうすでに一人、ですか……」
母はエリーゼたちが部屋に入ろうとドアを開けた際、俺の傍にいたヴィルマの姿を確認している。
今の俺の立場を考え、きっとどこかの貴族から押しつけられたのであろうなと思ったはずだ。
「ヴェンデリンの里帰りにより、この領内では色々と起こる可能性があります。あなたたちは、しっかりとヴェンデリンを支えてください。ヴェンデリンの母である私から言えることはそれだけです」
多分、クルトの身の安全も母親としては頼みたいのであろう。
だがそれを優先して、俺やパウル兄さんに危険が及んだら意味がない。
とにかく自分の安全を優先してほしい。
そんな風に母は思っているようだ。
「あの……母上は……」
「こんな僻地にある、男尊女卑の田舎領地なのです。老いた私の意見など無視されますから」
確かにどんな事態に陥ったとしても、政治的な権力などなにもない母に危害が及ぶ可能性は低い。
近い将来、父やクルトの身になにかが起こっても、領内の混乱を収拾するために母が必要になると、多くの人たちが思っている。
もし母を殺しても、領主の継承順位になんら関係がないどころか、批判を受けるだけなのだから。
母は、自分の身は安全であることに気がついているようだ。
「ただ、なにも起きないでほしいと願うのも事実です」
「いや、それは……」
「わかっています。あくまでも願望ですから」
もし今どうにか領内の混乱を抑えられたとしても、しばらくしてから再び領内が混乱したら意味がない。
短期的に小の犠牲を出したとしても、長期的に見たら領地は安定し、発展すらしていく。
貴族としては望ましい結果だが、小の犠牲にクルトが入ってしまえば、お腹を痛め産んだ母としては悲しい。
だがクルト一人を守るため、他の子供たちや領民たちの将来を閉ざすわけにいかない。
母は苦悩しているのだと思う。
「ヴェンデリン、パウル。ただ犠牲者が少ないことを望みます」
「はい」
「可能な限り努力します」
俺とパウル兄さんは、母に対しただ静かに頭を下げるのであった。
「これで一仕事終わったことになるけど、バウマイスター騎士爵領から出られない以上、今は待機するしかないか」
「休暇とも言えるのか? 狩猟でもして待つしかないな」
母との面会を終えた俺たちはその後すぐにブライヒブルクへと飛び、ブライヒレーダー辺境伯に今回の浄化で得た品の大半を渡した。
例外は、別口のバウマイスター騎士爵家諸侯軍の兵士たちの遺品と思われるものだけである。
遺品の判別については、元々の装備の差に、両諸侯軍が別行動であったのが幸いして、間違える可能性はほとんどなかった。
ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍戦死者遺族への遺品の返還に、彼らが得ていた魔物の素材や魔石の鑑定など。
ブライヒレーダー辺境伯に聞くと一週間ほどかかるそうで、それまでは俺たちはバウマイスター騎士爵領内で待機することになった。
バウマイスター騎士爵家諸侯軍戦死者遺族への遺品の返還もあるし、得た利益の三割を税として父に収める必要があったからだ。
そんなわけで暇になった俺たちは、現在本屋敷裏の森で狩猟や採集に興じていた。
今回、また分家に泊るというのはよくないとクラウスが意見を述べたため、俺たちは父から本屋敷近くの空き民家を借り受けている。
実はその空き家は、クラウスの父親が名主をしていた頃に住んでいた家であったそうだ。
『数年前まで農機具と麦の保管に使っていたのですが、今は空き家です。掃除などもすでに済ませてあり、問題なく使えます』
『では、遠慮なく借りるとするか』
分家が駄目だからといって本屋敷では、クルトと顔を合わせる度に息が詰ってしまう。
それにここはクルトのお膝元なので、また彼がなにか企む可能性もあったからだ。
『パウル様たちも、ご一緒でよろしいかと思います』
『そうだな』
クラウスの見事なお膳立てにより、俺たちの滞在先はすぐに決まった。
彼の意図は気になるが、余所者十二名で固まれて、食事なども自前で作れる。
ないとは思うが、毒を混ぜられる危険性はかなり減ったはずだ。
念のためにいつも『探知』しているし、最悪俺とエリーゼの『毒消し』もあるので、滅多なことは起きないと思う。
「パウルさんたちは、結構大変なのかな?」
「ある意味な」
ヴィルマを除く、形式上は地方巡検視ご一行様になっているパウル兄さんたちは、現在父の案内で領内を視察している最中であった。
とはいっても、この領内で犯罪など滅多に起こらない。
せいぜい、仲が悪い領民同士の喧嘩くらいだ。
一応形式に則って視察はしているが、父もパウル兄さんもお互いに茶番だと思っているはず。
「まさか、俺たちから事を起すわけにはいかないからな」
「そうだな、なに事も大義名分は必要だぜ。先に向こうが暴発した方がこっちにとって都合がいいんだから」
領内で爵位継承に絡む問題が発生したので、それを俺たちが収拾する。
そして、その騒動の責任を取ってもらうという名目で最高責任者である父に引退を迫り、ついでにクルトにも責任を取らせて廃嫡する。
一番可能性がある未来であろうが、それをなすのに俺たちが先に手を出してはいけないので、こうして休暇を兼ねた待機という状態になっていたのだ。
ただなにもしていないわけではなく、俺たちがここに居続けることでクルト挑発しているとも言えたのだけど、我ながら底意地の悪いことをするようになった。
「ヴェル様、野イチゴが一杯」
「頑張って採ってくれよ」
「野イチゴジュース、ジャム、ケーキ」
森に入ったのは俺たち五人と、パウル兄さんから個人的な護衛だと言われて押しつけられたヴィルマであった。
彼女が俺を『ヴェル様』と呼ぶようになったのは、俺が『バウマイスター男爵様』をやめてくれと頼んだ結果である。
「あの娘、結構慣れていないか?」
エリーゼたちと一緒に、ヴィルマは野イチゴや自然薯などを採集しているが、その手際は見事なものであった。
大分慣れているのがよくわかる。
「実際に、慣れているんだってさ」
「ふうん、義娘でもエドガー軍務卿の娘なのにな」
世間の人たちもエルと同じように思うはずだが、いくらエドガー軍務卿から援助があるとはいえ、彼女はとにかく沢山食べないと生きていけない。
少しでも時間が空けば、王都郊外の森で狩猟や採集に勤しんでいたそうだ。
それに、エドガー軍務卿ほどの人ともなれば、他にもなにかの役に立つと言って面倒を見ている人たちがいるはずだ。
ヴィルマ一人に大金を援助できないのであろう。
「というわけで、かなりの経験者なんだな。これが」
「ふーーーん」
それから一時間後、山菜類、野イチゴ、自然薯、果物などが大量に集まったので、今度は未開地へ移動して狩りを始めた。
森でも獲物は獲れるが、未開地の方が獲物が大きくて数が多いからだ。
ただ、その分野生動物なのにえらく凶暴で、バウマイスター騎士爵家が開発を進められない原因にもなっていた。
「狼に、熊に、猪に、鹿に、草原ウサギにと。よく見つかる獲物はそのくらいかな?」
俺は、エルと一緒に久しぶりに弓で草原ウサギを狩る。
思ったよりも腕は落ちていなかったようで、二人で十羽ほどが獲れた。
すぐに魔法で血抜きをしてから、魔法の袋に収納する。
「ヴェル。ここは獲物が多いわね」
「未開地だからな。競争相手がいない」
「それはいいことだけど、普通の人が熊と遭遇したら笑えないわね」
「だから手付かずなんだよ」
イーナは、投擲専用の槍で数頭の鹿を仕留めてご機嫌なようだ。
その鹿も大きいので、これに普通の人が突進されると厳しいかもしれないな。
「ところでルイーゼは?」
「猪を見つけたそうよ」
少し離れた草原で、ルイーゼは見つけた猪を挑発し、怒って突進してきたところを助走もなしに高く飛び上がって上空に退避。
すぐに直上から、落下速度を生かした膝による一撃を脳天に食わらせるという方法で、呆気ないほど簡単に巨大な猪を仕留めていた。
「ヴェル、血抜きをお願い」
「わかった。あれ? エリーゼとヴィルマは?」
ルイーゼが背負って来た猪を魔法で血抜きしながら袋に収めていると、そういえばエリーゼとヴィルマの姿が見えないことに気がついた。
「私はここにいます」
よくよく考えると、エリーゼに狩猟に関するスキルは存在しない。
なので、近くで食べられそうな野草などを採取していたようだ。
「ヴィルマさんでしたら、確か向こうに……」
エリーゼに言われた方向を見ると、そこではヴィルマがとんでもないものと戦っていた。
この草原でも滅多に見ない、全長四メートル近い巨大な熊と睨み合いを続けていたのだ。
「アレは……」
俺なら、魔法を使わなければすぐに殺されてしまうであろう。
そんな巨大熊を相手に、いくらヴィルマでも厳しいと思った俺たちは、急ぎ彼女の救援に向かう。
ところがヴィルマの行動は、俺たちの想像を遙かに超えていた。
「久々のお肉三昧」
ヴィルマはジャンプをすると、巨大な戦斧で素早く熊の首を跳ね飛ばしたのだ。
ヴィルマに対して仁王立ちをしていた熊は頭部を失い、その切り口からまるで噴水のように血を吹き上げ続ける。
あまりの出来事に、俺たちは唖然とするのみであった。
「あの……ヴィルマ?」
「今日はお肉一杯」
「……うん、一杯食べてね!」
「お肉」
俺としては、護衛として十分な能力を持っているヴィルマを頼もしいと思いつつ、頼むから実力がない人は俺を狙わないでほしい。
容易に首を刎ねられてしまうのだからと思ってしまう。
「ここ、獲物一杯。お肉一杯」
「はは……」
夕方になるまで、ヴィルマを中心に俺たちは多くの獲物を得ることに成功したのであった。
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