第114話 クラウスの過去

「私はね。若い頃に、買い出しや従軍で外に出たことがあるんです」



 いきなり入って来たので驚いてしまったが、別にもの凄く都合の悪い密談をしていたわけではない。

 さらに、普段は怪しさ一杯のクラウスが神妙な表情で話を始めたので、みんな静かに聞き入ってしまう。

 俺は、実家にいた頃にあまり領内の人たちと話をした経験がなかった。

 一番話をしたのがエーリッヒ兄さんで、次がアマーリエ義姉さんであった時点でお察しであろう。

 領民たちとなんて、せいぜい狩りの成果を大豆を交換した時に少し話をしたくらいだった。

 正直なところ、今日初めて物を売りながら彼らと話をし、領内での生活を少し実感したくらいなのだから。

 不便な地方の農村暮らしというものを知識として知っていたが、実際に話を聞くと、新しいことを知ることができた。

 彼らは、少しでも自分たちの生活がよくならないものかと常に思っていて、クラウスは彼らの気持ちを汲んで動ている部分もあるのだなと実感したわけだ。


 それを考えると、突然入ってきたクラウスを咎める空気がなくなり……これも彼の策なのかもしれないな。


「従軍? 戦争なんてあったっけ?」


「あれは、たまたまなんでしょうねぇ……いわゆる『紛争』ってやつに参加したのですよ」


 今から四十年以上前。

 まだクラウスが、二十歳くらいの頃であったそうだ。


「実は、私は次男でしてね。名主の仕事は兄貴が継ぐから、お前は体を動かせと言われましてね」


 同じ境遇の農家や職人の次男や三男と共に、荷台に売れそうな領内の産品を載せ、山道をひたすら歩いてブライヒブルクへと移動。

 向こうでそれを売り捌き、その金で塩を購入してまた荷台に載せ、また山道を歩いてバウマイスター騎士爵領まで戻る。

 そんな生活サイクルを、年に三回も繰り返していたそうだ。


「あの山道で馬車なんて使えません。どのみち、馬を引くと飛竜や狼を呼び寄せますしね。商隊は人数の多さと雇った護衛たちで対応できますが、我々は小人数。静かに移動するしかないのです。十代半ばから二十代前半で領内にいたのは年の半分くらいです。領内にいても、休みなんて一日もなく、農作業、開墾、用水路の整備、狩猟、採集、諸侯軍の徴集と訓練、領内の見回り等で扱き使われるんですけど」


 次男なので、領内では使い捨て扱い。

 苦労してブライヒブルクに到着しても、このバウマイスター騎士爵領内で金にできる産品は少ない。

 おかげで、少しでも多く塩を得るべく苦労の連続だったそうだ。


「昔は、領地の外れにある赤石まで積んで持って行きました」


「あの低品質の鉄鉱石をか?」

  

 赤石の存在は俺も知っている。

 ようするに、鉄の成分が錆びて赤くなっている鉄鉱石のことだ。

 余分に炭を使って還元しないと駄目なので、大した値では売れないものであった。


「随分と買い叩かれましたね。それでも、私たちの体力だけでお金になりました」


 とにかく夢も希望もない、絶望しかない生活だったそうだ。

 どうして自分は、こんな場所に生まれてしまったのかと。

 

「みんなで、ブライヒブルクに到着したら逃げようってよく相談していましたね。実際には、誰も逃げ出さなかったんですけど……」


 どうしても家族の顔が浮かんでしまい、逃げることはできなかったそうだ。


「リーグ大山脈の山道で、死んでしまう者がいましたね。狼に襲われてその傷から破傷風になってしまったり。足を踏み外して大怪我をしたり。治療しても助からないから、遺髪だけ取って置いて行くんです。すると、そいつが頼むんです。頼むから殺して行ってくれと。私が止めを刺しました。そいつは感謝していましたよ。自分を殺す私にです。ああ、話が逸れましたね……」


「「「「「「……」」」」」」


 クラウスの昔話が重たすぎて、俺たちはただ彼の話を聞き続けるのみであった。


「そんな時にですよ……」


 ちょうどブライヒブルクで塩の調達をしていた時に、突然ブライヒレーダー辺境伯家の遣いが来たそうだ。


「東部との境界で、寄子たちが揉めているという恒例行事ですね。うちが従軍した試しはないんですけど、先々代が『一度くらいは』と以前から言っていたそうで……」


 そう言っていた先々代のブライヒレーダー辺境伯が、ちょうどクラウスたちがブライヒブルクにいたので、彼らでよかろうと声をかけたそうだ。

 名主の息子で一番身分が高かったクラウスを臨時の従士長とし、合計六名のバウマイスター騎士爵家諸侯軍がハリボテのように誕生した。


「剣も、槍も、鎧も、全部借り物です。馬も食料もね」


 その馬も、農耕馬の扱いならともかく、騎乗可能なのはクラウスだけ。

 どうせ一頭しか貸してもらえなかったので、クラウスが騎乗したそうだが。


「ブライヒレーダー辺境伯様としては、バウマイスター騎士爵家諸侯軍が参陣した事実のみが重要だったのでしょう」


 言われるがままに東部との境界に移動し、向こうの軍勢と対峙した。

 だが、所詮は小領主同士による猫の額ほどの土地の領有権や、森で取れる山菜や薪の分配率の争いである。

 真面目に衝突すれば、足が出てしまう。

 死者や怪我人に、領主が見舞い金を出すのが普通だからだ。

 

「『この利権は俺のものだ!』とアピールするのが目的ですからね。なにもしないと、向こうの主張を全面的に認めたことになるわけでして……」


 なにもしないわけにはいかないが、実際に衝突するのも勘弁してほしい。

 色々と面倒な事情があるようだ。

 戦争にならないとなると、重要なのはいかに自分たちの正しさをアピールするかである。

 ところがアピール合戦が盛り上がり過ぎた結果、自制心のタガが外れた兵士たちによる模擬戦のようなものが発生することも多かった。


「それでも死人を出さないように、訓練用の武器で馬から落したら勝ちとかですね」


 それでも、たまに死人は発生するようであったが。


「ですが人間ですので、たまに感情が沸騰して本格的な衝突になることもあるのです」


 原因は結局不明だったそうだが、クラウスが参軍した時に本格的な軍事衝突が発生してしまったらしい。


「双方、総大将が懸命に止めたんですけどね。それでも百人ほどは死にましたか」


 クラウスは、迫り来る敵の軍勢に向けて全力で槍を突き出したそうだ。

 緊張しすぎて、なにをしていたのか今でも詳細には思い出せないそうだが。

 

「名主の次男なんで、一応訓練はしていましてね。はたして、実際の戦争でなにほどの役に立つのか不明でしたけど……」


 それでも数名を討ち倒し、ブライヒレーダー辺境伯から感状と褒美を貰ったそうだ。

 自分は覚えていなかったが、ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍の偉い人が目撃していたらしい。


「偶発的な軍事衝突とはいえ、私は敵の兵士数名を倒した。褒賞の対象になったわけです」


 戦闘の拡大は困るが、実際に戦果を挙げた者は賞賛して褒美を出すのが、貴族としては当然の義務。

 たとえ討ち倒したとは言っても、本当に彼らが死んだのかは不明だとしてもだ。

 むしろ紛争では、死んでいない方がよかったりするらしいけど。


「貰った褒美で、塩を増やして少し他のお土産も増やしました。ですが……」


 領地に戻ると、クラウスは先々代の当主や父や兄から叱責されたらしい。

 

「原因は、私が目立ちすぎたからですね。こちらは命がけだったのに、酷い言われようですよ」


 バウマイスター騎士爵領は田舎の保守的な領地なので、出る杭は打たれるの実例とも言えた。

 いつもよりも塩を多め持ち帰ったのに、そんな叱責を受けてしまい、クラウスは堪らなかったそうだ。

 前世でも、そういう上司はいたよなぁ……。


「そんな大事件があっても、私の生活にあまり変化はありませんでした。数年後、兄が病死するまでは……」


 その長男には子がなく、急遽次男のクラウスが呼び戻されて名主を継いだ。

 クラウスは仲間たちといつものように、ブライヒブルクを目指してリーグ大山脈の山道を歩いていたそうだが、日が浅かったので交代の人員と共に知らせがやって来たそうだ。


「『買い物を終えてからでもよかったのでは?』と彼らに尋ねたのですが、なんと父も、兄と同じ病気で今にも死にそうだったそうで……」


 本村落の名主が三ヵ月も不在だと困るからか。


「今さら名主になんてなっても……という思いと、もう苦しい思いをして荷駄を引かなくてもいいのだという思い。複雑な心境でしたね。私は急ぎバウマイスター騎士爵領へと戻るのですが、これまで一緒に荷駄を引いていた仲間たちの羨ましそうな表情と、交代要員の悲しげな顔は一生忘れないでしょうね」


 荷駄を引く仲間たちの中で、自分だけがあの境遇から抜け出せることへの罪悪感と、自分の代わりに終わらない苦行を命じられた領民のことを考えると、素直に喜べる話ではないよな。

 それでも、名主になった自分にはなにかできることがあるはず。

 時間はかかったが、まずは領内に定期的に商隊に来てもらえるようにと奔走したそうだ。


「先々代には、『荷駄を引く連中に任せればよかろう』で取り合ってもらえませんでした。先代になってようやくですよ」


 年に二回、定期的に商隊が来るようになって、領民有志で塩を買いに行く苦労から開放された。

 その時、嬉しそうにしていた領民たちの顔は今でも忘れられないのだそうだ。


「先々代からすれば、私たちは喋る荷駄馬程度の存在だったのでしょうね」


 先代は、もう少し物わかりがよかった。

 というよりも、自分たちで塩を運び込んでいると、どうしても村の人口が四百人から増えなかったので、常識があればそう判断する。

 そういうことのようだ。

 か細いながらも、なんとか定期的に商隊が来るようになり、クラウスは名主としての仕事に集中できるようになった。

 徐々に人口が増え、それに比例して畑も広がっていく。


「ささやかな発展ですが、それでも未来はあったのです」


 だが、ここでクラウスをある不幸が襲った。


「ヴェンデリン様は知っていましたか? レイラには昔婚約者がいたことを。その兄で、私の跡取り息子がいたことを」


 その日の出来事は、今でもよく覚えているそうだ。

 父の命令で、レイラの婚約者である青年と、クラウスの跡取りである息子は狩猟のお供をしたそうだ。


「二人は、幼馴染で同じ歳で親しかった。協力して、この家を支えてくれると思っていた」


 そこで、不可解な事件が発生する。

 危険なので領民なら誰も行かない崖から、その二人が転落して死んだと言うのだ。


「アルトゥル様は、獲物を追って二人が崖から落ちたと」


「……」


 正直なところ、本当にそんな事件があったのか疑わしいくらいだ。

 だが、それを証明する人物が現れる。


「俺は覚えている。当時八歳だったからな」


「ヘルマン兄さん」


 今度はヘルマン兄さんが部屋に入って来て、その事件は本当にあったのだと証明してくれたのだ。


「ヘルマン兄さん、その事件って……」


「親父は、『事故だ!』と口を酸っぱくするほど言っていたな。領内でも緘口令を敷いていた」


 その緘口令の意味がわからない。

 都合の悪い真相があるので、外野は黙っていろということなのか?

 それとも純粋に、こんな狭い農村で無責任な噂が広がった結果、大きな騒動に発展して大事になるのを防ぐ意図があるのか?


「ヴェルが生まれる頃には、口にするのもタブーになっていたんだよ。内心思うこともあるが、領主である親父の命令だからな……」


「……」


 あまりに怪しすぎる話に、ブランタークさんですら黙ってしまったほどだ。


「それで、真相は?」


「調べましたけどね。答えには辿り着きませんでした」


 クラウスが行った極秘調査で判明したのは、実は狩猟で森に入った父たち三人に続き、なぜか本村落の連中が数名、あとを追うように森に入って行ったという事実であった。


「彼らは森に採集に入ったので、アルトゥル様たちとは合流しなかったそうです。息子たちが崖から落ちて、アルトゥル様からの救援を求める声を聞くまでは」


「坊主はどう思う?」


「二人同時なのが怪しいですね」


 レイラの婚約者のみか、クラウスの息子のみか。

 一人だけなら、純粋な事故という可能性が高くなるような気がするのだ。

 だが、それだと父の利益にならない。

 二人同時に死なないと駄目なのだ。

 そして、それは現実のものとなった。

 疑わしきは、最大の利益享受者というやつである。


「クラウスは、父を疑っているのか?」


「疑っています」


 クラウスが、ハッキリと父を疑っていると発言したので、俺たちは絶句してしまった。

 今までのクラウスは、なにか企みながらも、どこか自分を安全圏に置く男であったからだ。

 それなのに、今は堂々と父を非難しているのだから。

 俺たちから、その発言が父に漏れるリスクまで犯して。


「アルトゥル様は、レイラの婚約者の葬儀が終わると私を呼んでこう言いました」


 『レイラを、妾として寄越すように。私が頼んだのを妻や周囲に知られると面倒なので、クラウスが差し出したことにしてくれ』とね。

 クラウスは、泣く泣く父の言うとおりにしたそうだ。

 その結果、他の村落の名主たちから、『娘を差し出して、徴税業務の一切を取り仕切るようになった汚い奴』という評価を受けるようになってしまった。


「いや、だが父は……」


「こう言ってはなんですが、アルトゥル様の女好きは病気ですから」


「知らなかった……」


 本村落の主である自分が、他の村落の名主たちに嫌われている理由。

 それは、他にも手を出している女性がいて、その後始末をクラウスが行っていたからだ。


「他の村落の名主たちとて、口は噤むのが当然でしょう。好き好んで、私の息子やレイラの婚約者のようになりたくはない。結果、後始末の交渉に来た私を嫌うことで精神の均衡を保つ。私は彼らの心情が理解できるから、事を荒立てないように嫌われるしかないのです」


 中には、妊娠してしまった女性もいたそうだ。

 当然、その子は継承問題をややこしくする可能性がある。

 幸い、主に手を出していたのは人妻ばかりで、生まれた子は次男以下が多く。

 適当な理由を付けて、全員を領外に出してしまったそうだが。


「レイラの件は、あれは村内でも美人で有名でしたからな。さぞや欲しかったのでしょう。同時に、あの方は貴族ですからね。私の息子とレイラの婿がいれば、私の家に自分の子を送り込めないと考えた。さて、どちらの判断が先に出たのか?」


 クラウスの娘を妾にして子を生ませ、その子に名主の家を継がせてバウマイスター騎士爵家の地盤を強化する。

 策としては理解できるが、そのためにわざわざ、父が二人も罪のない若者を殺すことはないはず。


「あの父に、そこまでする度胸があるのか?」


「クルト様の継承に拘って、領内の安定に寄与する。そういう冷静な部分と、好みの女性がいると手を出さずにはいられない。そういう獣も飼っているのです。あの方は」


 信じがたい話ではあったが、実はそれを否定する証拠を俺は持ち合わせていなかった。

 うちは貧乏子沢山であったし、俺は母が四十歳近くになって生まれた子だ。

 それと父の行動であったが、俺はまったく把握していなかった。

 領内にいた頃の俺は、昼間は森や未開地に出かけてしまっていたし、夜は自分の部屋に篭っていたから、父が仕事以外で日中や夜中になにをしているのかなどまったく知らなかったからだ。

 

「だから父を憎んでいると? 決定的な証拠もなしにか?」


「私とて、感情に左右される人間ですから。私は、アルトゥル様が有罪だと信じているのです」


「だから、バウマイスター騎士爵家の力を殺いだと?」


「はい」


 ヘルマン兄さんの件も、エーリッヒ兄さんの件も。

 長男であるクルト継承に波紋を投げかけた。

 だが、決定的な衝突があったわけではない。

 ヘルマン兄さんは、父が分家に婿に出した。

 エーリッヒ兄さんも、彼自身が危険に気がついて家を出た。

 他の兄たちも、一人も家臣にならずに家を出ている。

 残ったヘルマン兄さんが婿入りした分家は、元から反本家を隠そうともしない家で、ヘルマン兄さん自身もそれに同調している。

 結果、残ったのは微妙なクルトのみという結果になる。

 だが彼は長男なので、誰もおかしいとは思わないのだ。


「クラウス。お前、ヘルマン兄さんの前でそれを言うのか?」


「悪いとは思っています。ですが、あのまま実家に残って、なにかいいことがあったと思いますか?」


「いや、ないな」


 クルトに子供が生まれるまで、結婚もできずに予備の跡継ぎとして部屋住み生活を送る。

 もしそれが無事に終わっても、薄給で扱き使われるだけであろう。

 

「クラウス、俺が我慢できなくなって領地から出る可能性も考慮済みか?」


「はい」


「うーーーん。それはそれで、気楽でよかったかもな」


「ヘルマン兄さん……」


「嘘だよ。この家はマルレーネ姉御が取り仕切っているけどな。二人きりになると、結構甘えてきて可愛いんだぜ」


「いや、そんなノロケを聞かされても……」


 マルレーネ義姉さんには、俗に言うツンデレ属性があるようだ。

     

「エーリッヒ兄さんの件もだ。なぜ、エーリッヒ兄さんまで危険に曝す!」


「それについても、申し訳ないとしか。ですが、あの方も外に出た方がよかったのでは?」


 確かに、クルトにエーリッヒ兄さんを家臣として使いこなす度量がないのも事実だ。

 次第にエーリッヒ兄さんが頭角を現して領民たちから慕われるようになると、またクラウスの息子たちのような事件が起きないとは、少なくとも俺には保障できなかった。


「アルトゥル様なら使えるでしょうが、あの方には時間がない。年齢が年齢ですし」


 父の死後にクルトが跡を継げば、結局エーリッヒ兄さんの危険度は同じということか。


「ほう、恨み骨髄の現当主様をえらく評価するな」


「人格と、領主としての才能は別でしょう。アルトゥル様は、先代よりも少し劣るくらいですかね? 女癖のせいで、総合点はもう少し低いですか」


 ブランタークさんの半分嫌味の篭った発言に、クラウスはさらに毒を込めて反撃した。

 自分の領主を採点するなんて、下手をすれば大問題に発展するのだから。

 同時にクラウスは、俺たちがそれを父に言いつけないことも確信しているのだろうけど。


「ちなみに、あのアンポンタン次期領主はどうなんだ?」


「ブランターク様、私は木の幹の評価をしているのです。あんな、小汚い枯れた葉の付いた枝の評価なんてしませんので」


「言うな、あんた。しかも反論の余地すらない」


 ブランタークさんも、クラウスも。

 クルトは、領主として論ずる以前の人間らしい。 


「これ以上は、聞くに耐えんな。それで、なぜ俺にすべてを話す?」


「決まっております。ヴェンデリン様がこのバウマイスター騎士爵領の領主になり、未開地の開発も含めて行えばよいのです」


 やはりクラウスは、俺にこの領地を継いでほしいようだ。


「俺は、別家の当主なんだがな……」


「そんな建て前、王都におわす陛下や大貴族様たちが気にするでしょうか?」


「するだろう」


 その気になれば強引に事を進めそうだが、これは意地でも認めたくなかったのだ。


「ヴェンデリン様がそう仰るのであれば、そうなのでしょう。と言うことにしておきます」


「それに、俺はあの父の息子だ」


 クラウスの言う父の所業が事実なのかは知らなかったが、少なくともクラウスはそう思っている。

 憎んでいる父の息子である俺に、クラウスはなにを期待しているのかと思ってしまうのだ。


「親の罪は、子には及びませんので。それに、ヴェンデリン様はもう別家の当主様です。それに私は、ヴェンデリン様にバウマイスター騎士爵家を継いでほしいなんて思っていませんよ。この領地の領主様になってほしいのです」


 クラウスの発言を聞き、俺は彼の真意が理解できた。

 彼はこの領地が発展さえすれば、そこの領主がバウマイスター騎士爵家でなくても構わない。

 いや、むしろ違う方が望ましいのだと。

 そしてそのために、長い時間をかけて、まどろっこしい策で父やクルトを翻弄してきた。

 いつか、バウマイスター騎士爵家が転ぶことを願って。


「あの時、大怪我をしたヨーナスの首をナイフで切り裂いた時から、私は喋る荷駄馬以下の存在になりました。従軍後の叱責や、レイラの婚約者や息子の件で。バウマイスター騎士爵家の当主も、扱い的には同じ気持ちですね。ただ、名主としての義務で私は動いています。ですから、ヴェンデリン様がアルトゥル様にこの件を告げ口しても構いませんよ。私は、恨みません。なぜなら、私は喋る荷駄馬以下の存在ですから」


 その言葉を最後に、クラウスは自宅へと戻っていく。

 あとには、どう判断していいものかわからない俺たちが残された。


「事実なら、嫌な話だな」


「ヘルマン兄さん」


「知らん! 親父の悪癖の話なんて、今知ったんだから」


 というか、よく今まで子供たちに隠し通せたものだ。

 それだけ、後処理を任されていたクラウスが優秀であったのであろう。

 さらに俺の場合、父の行動に興味がなかったので、気がつくわけがないという事実も存在するのだけど。


「事実なのでしょうか?」


「オフクロは知っているのかな?」


「知っていても、俺たちに話せる内容じゃないですよね?」


 特に、未成年であった俺には絶対に言えなかったはずだ。

 それよりも、クルトの嫁であるアマーリエ義姉さんに手でも出していないかと心配になってしまう。

 二人の甥たちも、実は父親が父なのではないと。

 考えれば考えるほど、ドツボに嵌るというやつだ。


「ヘルマン兄さん、クルトは気がついては……」


「あのエーリッヒですら気がついていないんだぞ。クルト兄貴には無理だろう」


 確かに、クルトにそんな機微を期待するだけ無駄であろう。


「とにかく、明日はさっさと魔の森で浄化して戻って来ますから」


「頼む。肝心のクルト兄貴がまるで頼りにならないどころか、足を引っ張りかねん」


「あとは、クラウスですか……」


 あそこまで暴露したクラウスが、父と刺し違える可能性だってあるのだ。

 それを考えると、俺も早く戻って来る必要があるだろう。


 好むと好まざるとに関わらず、俺たちはもう巻き込まれているのだから。


「最悪、ヘルマン兄さんは生き残らないと」


「当然だ。もしクラウスが暴走しても、まず親父たちまで手が回らん。そもそもうちは、本家のために手助けなんてしない。親父の悪行が事実なら、自分でなんとかしてもらわないと」


 俺とて、今の時点で父やクルトを助ける気持ちがまったく沸いてこなかった。

 最悪、母や、アマーリエ義姉さんとその子供たちだけでも助けないと、としか考えられなかったのだ。

 

「もう寝ます」


「十分に寝て、依頼を失敗しないでくれよ。絶対に戻って来てくれ」


「わかりました」


 クルトとの確執に、急遽行ったバザーに、クラウスからの衝撃の告白と。

 ようやく長い一日が終わり、俺達はそのまま泥のように眠ってしまうのであった。

 明日からの、不確定な危険に備えるために。

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