第107話 ブライヒレーダー辺境伯、蠢動を開始する

 私の名前は、アマデウス・フライターク・フォン・ブライヒレーダー。

 このリンガイア大陸南部にあるヘルムート王国の、南部地方を統括するブライヒレーダー辺境伯家の当主を務めています。

 年齢は今年で三十四歳で、四人の妻たちと子供は息子ばかり六人。

 世間では、大貴族である私を羨ましいと思う人たちも多いのでしょうが、人間とは他人の苦労をなかなか理解できないもの。

 大貴族家の当主なんて義務でなるものであり、好きでなるものではないですし、その苦労は並大抵のものではないのです。

 そもそも私は次男で、本来家を継ぐ立場にありませんでした。

 分家の当主としてブライヒレーダー辺境伯領の統治を手伝いつつ、趣味である詩や文学を楽しもうと思っていたのに、突然父が二千人もの諸侯軍を編成して魔の森に対し遠征を行い、そのまま戻って来なかった。

 さらにそれを聞いた本来の跡取りである兄も憤死してしまい、そのせいで急遽爵位を継ぐことになってしまったのですから。


 そもそもの遠征の目的は、リーグ大山脈と広大な南端未開地を突っ切った先にある、前人未到の魔物の領域で兄の病気を治す霊薬を手に入れること。

 ブライヒレーダー辺境伯家の次期当主であった兄は、優秀な頭脳を持ちながら生来病弱であり、しかも死ぬ一年ほど前から明日をも知れぬ死病に犯されていました。


『なにを心配することがある。俺が死んでもアマデウスが継げばいい。頭でっかちな俺なんかより、アマデウスの方が当主に相応しいのだ』


 兄自身は、自分のような病弱な男が貴族家の当主になるのはよくないと常々口にしており、私に家督を継ぐようにと常々公言し、なかなか結婚しないで父を心配させていました。

 私から言わせると、兄は頭が良すぎたのだと思います。

 なまじ頭がいいから、病気を理由に当主の座を諦めて私に譲ると言ってしまう。

 御家騒動の元になるから、結婚すらしない。

 ある意味正しいのでしょうが、せめて他の貴族たちのようにもう少し欲を持ってくれれば。

 もし兄が家督を継いだあと、病で早くに亡くなってしまったとしても、子供がいれば私が後見して当主を継がせるという選択肢もあったでしょう。

 私もその方がよかったのですが、そんなある意味潔い兄を見た父は、兄を不憫だと思うのと同時に、その人柄も惜しいと感じて兵を出したのでしょう。

 急ぎ諸侯軍を編成し、未知の領域へと遠征に赴きます。

 父のその優しさは、最悪の結果となってブライヒレーダー辺境伯家に返ってきたのですが。


『父はどうなりましたか?』


『アルフレッド様が奮闘して大量の魔物を討ち果たすも。次々と湧き出る魔物の大群に囲まれ、あえないお最後を……』


 リーグ大山脈を越えた麓にあるバウマイスター騎士爵家の援軍と共に魔の森に侵入した父たちは、最初は大量の成果に士気を挙げたものの、すぐに魔物の大群に包囲されたそうです。

 しばらくは、筆頭お抱え魔法使いであるアルフレッドが奮戦して戦線を支えたそうですが、彼が力尽きて倒れると一気に軍勢は崩壊してしまった。

 なんとか生き延びて戻って来た兵士たちが私に報告を行いますが、彼らは目の焦点は虚ろだし、小さな音にも異常に反応して怖がるようになっていました。

 多分、この平和な世の中では珍しい。

 戦場に出た兵士がかかる、精神の病だと思います。


『ご苦労様、今はゆっくりと休んでください』


 二千人が出兵して、生存者は百人といなかった。

 応援を無理強いした、バウマイスター騎士爵家の犠牲者は八十名ほど。

 人口が八百人ほどの領地なので人口比率に著しい不均衡が生じ、今頃は当主もその対策に頭を悩ませているはずです。

 ですが、今は寄子のことよりも、当家に差し迫った危機への対処の方が重要でした。

 父のせいで彼らも大変な状態にあったのですが、我が家もそれ以上に大変な状態にあったからです。


『まずは、兄さんに相談しないと……』


 亡くなった父は、次期当主をいまだ兄に定めていました。

 そのため、今回の遠征の失敗を死病で床に伏している兄に伝える必要があったのです。

 たとえそれが兄の病状に致命的なダメージを与えるとしても、父亡き今、ブライヒレーダー辺境伯家の当主は兄……急ぎ新当主の就任を……私が用意をしなければいけませんか……。


『そうか……。次期当主の権限において命令する。アマデウス、俺はご覧の有様だからお前が対策に当たってくれ』


 元々よくない顔色をさらに真っ青にさせた兄は、どうにかベットの上で上半身を起こし、私に父亡き後のブライヒレーダー辺境伯家の舵取りを命令じます。

 兄の顔には、苦悩の色が見えました。

 本当は兄だって、私にすべてを任せてベッドの上で寝ているなんてことはしたくないのでしょうから。


『父上は愚かだ……。俺のことなんて見捨てればよかったんだ……』


『兄上……』


『疲れた。あとは頼む』


 兄は疲れていたし、私は仕事が山ほどあったので兄の部屋を辞しました。

 ところが、それが兄との最後の会話となってしまったのです。

 翌日、メイドが朝食を持って兄の部屋に行くと、すでに兄は息を引き取っていました。

 世間では、兄は憤死したなどと噂されたようですが、確かにそうかもしれませんん。

 父による遠征の結果に激高した兄は、それが原因で残り少ない命を燃やし尽してしまったのでしょう。

 それからの私は、大変に苦労しました。

 まず最初に、一族や重臣たちに父と兄の死を伝えて、私が次期当主になることを発表しました。

 すると中には、自分こそが次期当主に相応しいと言い出す親戚もいました。

 若い私を傀儡にして自分が実権を握ろうとしたり、兄の死が私の仕業だという噂を流す者たちも。

 だから私は、当主になどなりたくなかった。

 ですが死の床にあった兄の頼みでしたし、このまま彼らに舐められ続けるというのも癪に障りますしね。

 なによりお家騒動など起こしたら、最悪ブライヒレーダー辺境伯家は王家から改易されてしまいます。

 千二百年の歴史があるブライヒレーダー辺境伯家を、私のせいで潰すわけにいかなかった。

 そんな度胸はなかったとも言えますけど。


 ところが、そのための人材すら父は全てあの世に連れ去っていました。

 遠征に参加した二千人は、ブライヒレーダー辺境伯諸侯軍全軍ではありませんが、率いていた幹部たちの能力は高かったからです。

 なにより痛いのは、ようやくブライヒレーダー辺境伯家に迎え入れた筆頭お抱え魔法使いであるアルフレッドの死でしょう。

 彼は、最近王都で王宮筆頭魔導師になったアームストロング導師に勝るとも劣らない魔法使いであったのですから。

 彼らの死は、新当主である私をさらに追い込んでいたのです。


『(今はとにかく、できることを順番に……)』


 喪主となり、父と兄の葬式を遺漏なく行い。

 急ぎ王都にある王城へと向かい、ブライヒレーダー辺境伯家継承の手続きと、陛下から襲爵の儀を受けるために向かいます。

 戦死した兵士たちの遺族に増額した見舞い金を送り、それはバウマイスター騎士爵家も同じ条件に。

 理由が理由だったので見舞金を割増にしましたが、特にバウマイスター騎士爵家への見舞金をケチるわけにはいきませんでした。

 今回の件はあきらかにブライヒレーダー辺境伯家側が悪いのに、口を閉じてもらうのだから当然でしょう。

 言い方は悪いですが口止め料を支払うのは、父と兄の死後から続く混乱を突き、東部を統括するブロワ辺境伯家が、領地境で寄子である小領主たちに扇動工作を行わせていたからです。

 境界を接するうちの寄子たちと、ブロワ辺境伯側の寄子たち。

 どの貴族でも同じですが、領地が接していればなんらかの争いは起こります。

 純粋な領地争いから、水利権、境を跨いでいる共有管理地である森や鉱山などの取り分など。

 ブロワ辺境伯家側は、今代替わりで混乱しているブライヒレーダー辺境伯家を突けば、いい条件で交渉可能だからと寄子たちを唆し、彼らに動くように命じたのでしょう。

 このタイミングで、実に嫌なことをしてくる男です。

 それでも私は、どうにかこれらの混乱を収めて徐々に領内を安定させていきます。

 多分、間違った判断をしたことも多かったのでしょう。

 遠征で迷惑をかけてしまったバウマイスター騎士爵家との仲は、今では完全に悪化してしまいました。

 ですが、ブライヒレーダー辺境伯家全体の利益から考えれば、それは瑣末なこと。

 酷い言い方だとは思いますが、私だって万能の神ではないのです。

 それでも、商隊を派遣するなどの便宜は続けているので、最低限の義理ははたしていると思うことにします。


 できたら向こうがもう少し歩み寄ってくれると、こちらとしても支援の手も差し伸べやすいのですが……。

 聞けば、跡取りは私を嫌っているとか。

 せめて噂に聞く、知性派である五男エーリッヒに継がせるか家臣として使ってくれれば、もっと交渉も楽になるのでしょうが……。

 ところがそのエーリッヒ本人は、継承のゴタゴタを嫌って領地を出てしまい、王都で下級官吏になってしまったとか。

 下級とはいえ、あの官吏登用試験に一発で受かるなんて。

 やはり、惜しい人材ではありましたか。

 私が家臣として欲しいくらいだったのですが、そのデメリットの多さから断られてしまいましたし。


『あんたの親父さんには、言いたいことが山ほどあるけどな。だが、その息子に言ってもしょうがねえな』


 それでも、新しい優秀な家臣を得ることができました。

 戦死したアルフレッドの魔法の師匠にして、竜殺しの二つ名まで持つ、高名な冒険者であったブランタークの登用に成功したのです。


『アルフレッドの代わりというほど、俺は優秀じゃないけどな』


 このブランターク。

 最初に顔を会わせた時、アルフレッドの件で随分と辛辣なことを言われてしまったのですが、それでもブライヒレーダー辺境伯家に仕官してくれて助かりました。

 彼は魔法使いとしての実力はアルフレッドよりも劣るものの、二十年以上も超一流の冒険者として活躍していただけのことはあり、経験豊富で国内各地に魔法を教えた弟子たちがいて、人脈も豊富。

 貴族の家臣としてなら、弟子であるアルフレッドよりも優秀な男でしょう。


『ところで、ブランターク。私の叔母で……』


『お館様、それだけは勘弁してください……』


 最初に出会った時のような、ぞんざいな口調をすぐにやめる切り替えの早さを持っていたブランラークは、魔法使いとしても、優秀なアドバイザーとしても、私を支えてくれるようになりました。

 なぜか極端な独身主義を貫き、私が勧める縁談をすべて断ってしまうという欠点があったにしてもです。

 その後も色々とあったのですが、私がなにを言いたいのかといえば……。

 若かった私は、様々な人たちから足を引っ張られたり、逆に助けられたりして今があるわけです。

 年齢も三十歳を超え、今の私は、今度は困っている若者たちにアドバイスをしてあげる必要があると。

 私の優秀な寄子である、バウマイスター男爵たちによる古代地下遺跡攻略終了報告から数日後。

 所用で王都へと来ていた私は、三人の若者たちからとある相談を受けていたのです。



「いやあ、バウマイスター男爵の魔法は便利ですね。私のように忙しい身としては、移動時間が節約できるのはありがたい」


 まずは、軽く世間話から始めることにします。

 まずは彼らの緊張を解さないと。

 それにしても、本当に『瞬間移動』の魔法とは便利なものです。

 大金を払って魔導飛行船に乗るか、時間をかけて遠距離馬車で来ないといけない王都に一瞬で来れるのですから。

 私は週に一度。

 決まった曜日の朝、バウマイスター男爵にブライヒブルクに迎えに来てもらい。

 さらに別の決まった曜日の朝、ブライヒブルクに送ってもらう生活をこの二年半ほど続けていました。

 ブライヒレーダー辺境伯である私が、王都で週の半分くらい動けるというのは、色々と都合がよかったのです。

 私はただの大身の貴族ではなく、南部の貴族たちの統括を行う身分ですからね。

 今までは、王都との距離感のせいでそう頻繁に顔を出せなかったのですが。

 中央のロクデナシな貴族たちと交渉する際に、王都常駐の重臣だけではなく、自分が実際に顔を見せると有利なことも多い。

 新しい人脈作りや、繋がりを強化するためのつき合いなどにも顔も出しやすいわけですから。

 バウマイスター男爵に大金を払っても、十分に利益が出るわけです。


「ブライヒレーダー辺境伯様がヴェルに運び屋を頼んでいるのは、俺たちも知っていますけど……それよりも大切なお話が……」


「おや、悩みは想像以上に深刻なようですね」


 私に相談のある、悩める若い子羊たちは三名。

 一人目は、まだ十五歳で、バウマイスター男爵の冒険者予備校時代からの友人にして同じパーティメンバーなうえに、バウマイスター男爵家の従士長でもあるエルヴィン・フォン・アルニム君。

 確か彼も、西部にある小さな騎士爵家の五男で、バウマイスター男爵とそう生まれに違いはないと聞いています。

 冒険者予備校なら西部にいくつもあるのに、彼がわざわざ南部にあるブライヒブルクの冒険者予備校を選んだ理由。

 それは、剣の才能が優れていたために兄たちから疎まれてしまったからだそうで、こんな話は特に珍しくもありませんでした。

 その代わりに、バウマイスター男爵と知り合えたのだから。

 私などは、かえって幸運だったのではないかと考えてしまうのです。


「イーナとルイーゼとは違って、俺はブライヒレーダー辺境伯様に相談できる立場にはないんですけど……」


「その辺は気にしないでください。君は、バウマイスター男爵の家臣ですからね。寄子の家臣の相談ならば受けますよ。これでも二十代は、苦労の連続でしたから」


 今でも苦労の連続なんですけど、かなり慣れたという点が大きいですね。


「ありがとうございます」


 残りの二人は容易に想像がつくとは思いますが、イーナ・ズザネ・ヒレンブラントとルイーゼ・ヨランデ・アウレリア・オーフェルヴェークという同じく十五歳の少女たちで、共に私の家臣の娘です。

 槍術指南役と魔闘流指南役なので、家中では中堅といったところでしょうか?

 同じく、バウマイスター男爵の冒険者予備校からの友人にして。

 今では、一家を立てたバウマイスター男爵の側室候補というわけです。

 家柄の問題で正妻は、ホーエンハイム枢機卿の孫娘に奪われてしまいましたけどね。

 私としては、二人がどうにかバウマイスター男爵の寵愛を受けてほしいとか願う次第でして。

 他の女性を押し付ける案は、うちの一族に適齢の女性がいなかったのと。

 バウマイスター男爵から嫌がられる可能性があったので、やめていました。

 それを喜ぶ人もいて、もしそうなら市井の美少女を養女にしてでも送り込みますけどね。

 それが貴族というものですから。

 

「それで、イーナさんとルイーゼさんも同じ悩みがあると?」


「はい」


「もの凄く深刻な悩みです」


 普段は能天気にしか見えないルイーゼさんが深刻と言うくらいなのですから、本当に深刻なのでしょう。

 というか、私にはどんな悩みかすぐにわかってしまったんですけど。


「重荷ですか? 二百億セントは?」


 私の問いに、三人が一斉にうな垂れてしまいます。


「まあ、確かに多すぎですよね」


「それよりも、嫌がらせに近いと思います」


 確かに、ルイーゼさんの仰るとおりですね。

 

 二百億セントなんて……今の私でも引くような金額ですよ。

 ブライヒレーダー辺境伯家の総資産に比べれば低いですけど、個人が持つとかえって不安になる金額でしょうね。

 

「冒険者が、思わぬ大発見をして大金を得る。夢ではありますけど、あまりに金額が……」


 普段は冷静なイーナさんも、困っているようです。

 一旗挙げるために冒険者になった者が、思わぬ大金を得て周囲から羨ましがられる。

 冒険者ギルドとしても、冒険者個人の成果は絶対に秘密という法もないわけでして。

 時間が経つにつれて、噂として世間に漏れるのを防げない。

 冒険者が一日に数万セントを得ると、知己の連中は羨ましがって酒くらい奢れよと言う。

 数十万セントだとさらに羨ましがられ、自分もそのくらい稼ぎたいなどと思われる。

 数百万セントだと、これは世間一般では『百万長者』と呼ばれ、お金持ちの最低条件と見なされることが多いです。

 そして人が大金を得たことが知られると、タカリに、借金の申し込みに、怪しげな投資話を持ち込む人が増えていく。

 知人、友人、親戚が、なぜか異常に増えるんですよね。

 あと、下手をすると犯罪に巻き込まれるケースも。

 誰しも大金は得たいものですが、実際に手にすれば面倒なことも増える。

 世の中、なかなか侭ならないものなのです。


「(二百億セントを、これまで大金に縁などなかった少年少女にポンと渡す。なるほど、一種の嫌がらせに近いですね)」


 今はまだ世間に広がっていないものの、もし彼らが大金を得たことが世間に知られたら?

 額が額なので、もっと面倒なことが起こるのは容易に想像できるというもの。

 金目当ての縁談の押し付けに、エルヴィン君の場合は実家がなにか引き起こす可能性すらある。

 イーナさんとルイーゼさんですら、実家がなにかを企む可能性があるのです。

 それだけお金は怖いということです。


「実家が、金貸せとか寄越せとか言うくらいなら。まだマシだと思います」


 下手をすると、エルヴィン君の死後にその莫大な遺産を相続しようと、親族が暗殺者くらい送り込みかねない。

 そのくらいもの凄い金額であり、特にエルヴィン君はお兄さんたちとあまり仲がよくなかったそうなので。


「ボクたちも同じかな」


「私たちの場合、女性なのでもっと深刻です」


 女性は基本的に家を継げないのですから、エルヴィン君のように、最悪金の力で貴族として独立するという選択肢すら使えません。


「うちの槍術道場を国中に広げるから金出せとか。そういう話になりかねません」


「あれ? イーナさんの実家の槍術道場って、結構メジャーな流派だったような」


「先祖が、本部から免許皆伝と道場運営権を得たんですけど。このお金があれば、本部で運動してトップに立ってとか……」


「うちも、ありそうだなぁ……」


 なるほど。

 お金の力で王国中に広がる流派道場本部のトップの立場になれれば、ブライヒレーダー辺境伯家中ではしがない指南役でも、外に出れば他の道場主たちがペコペコ頭を下げるような身分になれる。

 陪臣である彼らの、ある種の立身出世の方法でもあります。

 その誘惑に、二人の親たちが耐えられるのかということなのでしょう。


「大金すぎて、デメリットしか感じられないんです」


「なるほど。ですが、辞退はできないでしょう」


 王国としては、今回はバウマイスター男爵たちを命の危険に曝してしまったお詫びを込めて大金を渡しているのです。

 いえ、違いますね。

 ブランタークからの報告書は読みましたが、別に王国は損などしていないのです。

 確かに大金は支払いますが、代わりにその金額以上の資産は手に入れているわけですから。

 長い目で見れば、あのくらいの金額なら取り戻して黒字になると計算済みなのでしょう。

 あの財務卿なら、そのくらいは想定の範囲内でしょうから。


「ええっ! 駄目なんですか!」


 『王国に返すくらいなら、俺に全部寄越せ!』とか、『陛下のご好意を返すなど失礼にもほどがある!』とか。

 後者の方は、あまりに王国が強力になりすぎるのは困る、という貴族たちの本音から出るのでしょうが。

 私も、無条件でお金を返すなんてこと、してほしくないのですから。


「はい、駄目ですね」


「そんなぁ……」


 ガックリと肩を落すエルヴィン君でしたが、他に策がないわけでもないのです。

 ただ、その説明をするのは私ではありません。

 私が近くにある呼び鈴を鳴らすと、室内に一人の男性が入ってきます。

 我が家が誇る、筆頭お抱え魔法使いであるブランタークです。


「よう、破産の心配はなかったんじゃないのか?」


「意地悪を言わないでくださいよ。本当に深刻なんですから」


「すまんすまん。確かに大金すぎるよな」


 バウマイスター男爵と同じパーティだったがために、普通ならクリアーすらできない地下遺跡を攻略して多くの成果を得た。

 決められた額の報酬を受ける権利はありますし、彼らもそれに相応しい活躍をしている。

 ですが二百億セントは、身の破滅の原因にしかならない。

 それが理解できる三人には潰れてほしくないですね。

 正直な話、王国は三人が大散財のはてに破滅しても、国内に金が回って景気がよくなれば問題ないと考えていますから。

 しかも、誰が儲けても税収としてある程度回収できますし。

 だから彼らは怖いんですよ。


 ではどうするのか?

 相談を受けた私ではありますが、この答えは元は同じ冒険者であったブランタークに任せた方がいいでしょう。

 彼ならば、こういうケースにも対応可能なはずですから。


「最初の登録時、ギルド本部で貰った冊子は持っているな?」


「はい」


 ブランタークの問いに、三人は首を縦に振りながら答えます。


「第二十七条の四項。分配金異議申し立て制度を利用する」


 私には冒険者をした経験がないのでよく知らなかったのですが、さすがは歴史のある冒険者ギルド。

 ちゃんと規則なども整備されているようですね。


「分配金異議申し立て制度ですか?」


「はい」


 ブランタークの話によると、冒険者の報酬は人数で頭割りにされるのが基本。

 ですが、ある程度熟練したパーティに新人を入れるので、その新人を見習いとして扱うためにしばらくは報酬が低い。

 もしくは、経験が少ないパーティに熟練した経験者を入れ、アドバイスを貰いながら経験を積むので、その人が在籍する間の報酬を多くするなど。

 ケースバイケースで、条件を変えることは多いのだとか。

 ところが、それを悪用する冒険者も多いそうです。


「もう十分に戦力になっている新人を、低い報酬のままで脱退も許さずに拘束する。もう指導も必要ないのに、年配の冒険者がいつまでもそのパーティに居座って多額の報酬を要求する。まあ、冒険者なんてピンキリですよ」


 生きるためというか、人よりも多くの金を得たいがために他人を騙して搾取しようとする。

 その辺は、冒険者でも貴族でもそう違いはないようですね。


「そういう被害を受けている冒険者が、冒険者ギルド本部に異議を申し立てるわけです。すると、本部から人が来て事情聴取を行ってから、ケースによっては和解案を提示すると」


 強制力はないので、その和解案が役に立つかどうかはその人次第だそうですが、分配金異議申し立て制度の和解案を受けたパーティは記録に残るので、また新人がその悪徳冒険者やパーティに騙されるケースが減る。

 この制度の本来の目的は、新しい犠牲者を生まない抑止効果のようですね。


「ですが、その制度は報酬が低いと文句を言うためのものなのでしょう?」


「いえ、報酬に文句があるので異議を申し立てるための制度です。報酬が多すぎると異議を申し立てるケースは今まで聞いたことがないんですけど、してはいけないと規則に書かれてもいませんから」


「確かに、書いてありませんね……」


 ブランタークが持っていた冊子を見ると、確かに書いてありません。

 ある意味、規則の盲点を突いたとも言えます。

 普通なら、報酬が多すぎると異議を申し立てる人もいないでしょうから。


「お前ら、これを活用して坊主にみんな押し付けてしまえ」


「わかりました、ありがとうございました」


 三人はいい方策が見つかってよかったと、笑顔で冒険者ギルド本部へと出かけて行きました。

 間違いなく、異議を申し立てられたバウマイスター男爵からすれば『寝耳に水』なんでしょうけどね。

 私としては、彼にお金が集まるのは好都合なんですけど。


「陛下や導師やルックナー財務卿なども、そうなると予想していたと?」


「間違いなくそうでしょう。そうでなければ、こんな決定を下さないでしょうから」


 数日後に、再び三人から報告を受けますが。

 彼らは、一億セントのみを受け取って、あとはすべてバウマイスター男爵の報酬に上乗せしてしまったそうです。

 異議申し立て後に事情を聞きに来た審議官は、再度三人から地下遺跡での戦闘に関する報告を聞き。

 もし二体目のドラゴンゴーレムをバウマイスター男爵が撃破していなかったら、三人はこの世にいなかったであろうと認定。

 報酬の大半は、バウマイスター男爵が受け取る権利があると。

 彼に対して、勧告案を出したようです。

 しかし、普通に報酬を分配したのに、多すぎるからと分配金異議申し立てを受けて記録に残るとは。

 やはりバウマイスター男爵は、数奇な星の元に生まれたのだと思います。

 理由はともわれ、分配金異議申し立てを受けた冒険者はマイナスイメージが付き纏います。

 多分、冒険者ギルド側も記録を残さない案も検討したのでしょうが、記録を残さないと、三人は世間から二百億セントを得たと永遠に思われてしまうわけでして。

 仕方なく、記録に残したというところでしょうか?

 今さらバウマイスター男爵にそんな記録がついたくらいで、評価になんの影響もないでしょうし。

 逆に、地下遺跡における戦闘詳報が世間に広まって、余計に評価が上がるはずです。

 あの三人にとって、天文学的な額の大金やら、世間からの注目はプレッシャーでしょうが、バウマイスター男爵に限っては、今さらなので我慢してもらわないと。

 これも、友人でもある家臣と側室二人のためというわけです。

 なにしろあの三人は、選択を誤らなかったわけですから。 


「ところで、エリーゼの嬢ちゃんは異議を申し立てなかったですな。いや、三人は相談すらしなかった?」


「それはですね。ブランターク」


 この国の女性の大半が弱い立場にあるのは事実。

 そんな中でイーナさんとルイーゼさんが大金を持つと、周囲の男の大人たちが蠢動しそうで怖いのです。

 ところがエリーゼさんは、ホーエンハイム枢機卿の孫娘なわけでして。

 彼女に対して、いらぬちょっかいをかけてくるバカはまず存在しないでしょう。

 それにあのエリーゼさんのことですから、自分が得た金はバウマイスター男爵に預けて終わりかもしれません。

 バウマイスター男爵とてバカではないのですから、ドラゴンゴーレム撃破時に、最後の最後で気絶してまで魔力を分け与えてくれた彼女を蔑ろにするわけもないわけでして。

 三人とは違って、分配金異議申し立てをする必要がないというわけです。

 これは……どう頑張っても、バウマイスター男爵の正妻はエリーゼさんということですか……。

 

「彼女の場合、祖父に言われて教会に寄付するくらいしか使い道がないかもしれませんね」


「寄付ですか……少しはするでしょうが、今回は形だけですよ」


 そんな目先の寄付金よりも、教会には大きな新しい利権が発生するのですから。


「まさか……坊主に金が集まっているのは?」


「はい、これ以上は口に出してはいけません」


 簡単に説明しますと。

 安定はしているが、ここ最近は停滞している王国経済を陛下やルックナー財務卿はどうにかしたいと思っていた。

 特に、王国の人口が増えるに従って次第に広がっていく王都郊外にあるスラム。

 そのまま放置すれば王都の治安悪化を招くばかりか、下手をすると王国衰退の原因にもなりかねません。

 陛下たちがこの問題をどうするか考えていた時に、古代竜を撃破するとんでもない魔法使いが現れた。

 しかも、その魔法使いの実家は南部辺境の貴族家で。

 さらには、そこに隣接する開発可能な広大な未開地もあった。

 王国単独で開発しようとすると、それに伴う巨額の予算が必要なのですが、失敗する可能性を考えると、ルックナー財務卿もそう簡単に予算の執行には踏み切れない。

 なにしろ彼には、弟という対抗勢力までいるのですから。

 いえ、これは正確ではありませんね。

 偉い人がなにか新しいことを始めようとすると、そこに必ず対抗勢力が現れる。

 たとえそれが良策だとしても、反対することで利益を得る連中の抵抗を受けるのです。

 失敗の可能性は、彼らからすると大変に美味しい武器となるわけですから。

 成功して経済がよくなる方が多くの人を幸せにするのですが、彼らはそんなことに興味はないわけです。

 話を戻しますが、突如現れた竜殺しの英雄バウマイスター男爵は、その後もパルケニア草原において二匹目の竜を倒してその開放に貢献。

 今回は、極めて利用価値の高い品々が大量に眠っていた古代地下遺跡の攻略に成功と。

 王国は自らは損をすることなく、バウマイスター男爵に資金を集積させることに成功しました。

 こうなると、後はもうあの可能性しかないわけです。


「(広大な南端未開地の開発を、かの地をバウマイスター男爵の領主にして任せてしまう)」


 幸いにして、開発資金は十分すぎるほどにあるのですから。

 しかも、もし失敗してもそれはバウマイスター男爵の財布が空になるだけ。

 王家は、払った財貨以上の資産を得ている。

 だから、あの連中は怖いんですよね。

 

「(となると、次は実家の扱いですか……)」


 あそこは、私でも厄介だと感じている家ですからね。

 騎士爵領に相応しい規模への、領地の縮小。

 現状ではまったく開発していないので、職務怠慢を理由に王国が取り上げる?

 手続き的には、領地の分割命令にするつもりなのでしょうか?

 なににせよ、あそこの領主がどう反応するか。

 現当主は冷静なんですけど、あそこの跡取りは私にも理解不能なんですよね。

 今までに顔すら見たことがないので、余計に不安を覚えるのは当たり前でしょう。

 噂によると、貴族としての出来もあまりよろしくないみたいですしね。


「(分割命令だけだと、反発は必至。王国側で、中央に近い適当な領地に転封とかを考えているのでしょうか?)」


 唯一の懸念は、中央の王国政府と南部辺境との距離感ですかね?

 王国からすれば、吹けば飛ぶような騎士爵家への配慮など、必要ないと感じている可能性もあるわけでして。

 それでも、下手に怒らせて開発時にちょっかいでも出されると、近場にいる寄親の私としては迷惑なんですよね。


「(うちの足を引っ張るために、わざと放置する可能性もありますか)」


 広大な規模の領地の、新規開発なわけです。

 しかも、バウマイスター男爵が現状で持っているのはお金と少数の家臣のみ。

 あの未開地の広さから考えて、最低でも伯爵領に。

 私がいなければ、辺境伯領でも大身の部類に入る規模なのですから。

 まったく新しい伯爵家が、一から立ち上がるのです。

 その手間から考えて、私に協力を頼まない可能性はゼロなわけでして。

 手助けをすれば、そのお礼が必要となるのはこの世の常識というわけです。

 この場合で言いますと、まずは伯爵家に相応しい家臣団に属する人材の斡旋。

 どの貴族たちも、自分や家臣の縁戚で飼い殺し状態の連中にポストを与えたいわけです。

 教会も、あの規模の領地ならいくつ新しい教会が必要になるか。

 すべてに人を置くとなると、もうこれは一種の利権なわけですから。

 エリーゼさんからの一時的な寄付金よりも、こっちの方が重要なのでしょう。

 というか、その寄付金分で早く開発を進めろというのが本音でしょうね。

 一つ村ができれば教会が一つ増えて、その分だけ聖職者が必要となる。

 あの規模の領地だと、かなり大きめの支部も必要なのでその幹部ポストも増えるはず。

 そんなことは、子供にでもわかる理屈というわけです。

 次に、開発で必要な人手の斡旋。

 自分の領内の商会や領民たちが、新規の商いや出稼ぎで仕事を得る大きなチャンスなのです。 

 そして彼らが、稼いだ金を故郷に持ち帰って領内で消費する。

 距離的に考えると、実は南部貴族たちにその恩恵が大きいわけでして。

 私を含めた南部貴族たちが得る利権を少しでも多くするため、あのコブのような実家への対処が必要になってくるというわけです。

 その対処のせいで、バウマイスター騎士爵家が潰れたとしても、私も含めた南部貴族たち……いや、王国政府とすべての貴族たちの利益になるのであれば、これは仕方がないことだと思うわけでして。


「(一度、あの連中を突いてみますか。ちょうど、バウマイスター男爵にしか頼めない冒険者向けの依頼もありますしね。彼らが自重できれば……難しいですかね?)」


 あまり考えすぎても意味がありませんし、実は王国側もなにか変化を待ってから動く可能性もあるわけでして。

 とりあえず私は、バウマイスター男爵に仕事を頼もうと考え、ブランタークと詳細な打ち合わせに入るのでした。


「また、坊主たちへの付き添いですか?」


「今回は、そこまで危険じゃないですから。それとブランターク」


「はははっ、バウマイスター男爵様……男爵様ですね。魔法を教えていたのでつい。ついにあの仕事を男爵様に依頼するのですか? あの地下遺跡ほど危険じゃないですけど、面倒な交渉が……」


「交渉が面倒になるかどうかは、相手次第ですよ」


「きっと、面倒になりますし、騒動になりますって……その方が、上の方々は都合がいいんでしょうけど。俺は煽りませんよ?」


「そんな必要はないですよ。私の予想だと、向こうが勝手にエキサイトしそうなので。優れた弟の凱旋、あの長男が大人しくできるわけがありませんから」


「でしょうな……。次の依頼も、男爵様に付き添います」


 姑息な策ですが、それでも私はブライヒレーダー辺境伯として多くの寄子、一族、家臣、領民たちの生活を守る義務があるのです。

 そのためには、心を鬼にして状況を動かす決断をするのでした。

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