第106話 魔導ギルド(後編)

「面白そうなものではありますね」


「偶然の産物という点と、現時点で使用者がまともに使いこなせていない点からして、まだまだ試作品、下手をすれば失敗作なんだろうがな」


「使いこなせてなくはないのでは?」


「……俺からはなんとも言えないな。膨大な予算と手間をかけたのに、パンツを引き寄せるしかできない魔法陣なんて……」




 強制移転魔法陣を改良中に偶然誕生した、別の場所から物を引き寄せる魔法陣。

 その威力を、俺とブランタークさんはまざまざと見せつけられていた。

 実験で履いていたパンツを取られ、その復讐でベッケンバウアー氏を全力でビンタした女性職員を見送ってから、俺はその魔法陣を改めて観察する。

 しかし、いくら見ても前の魔法陣との差がわからない。

 多分、俺では永遠に理解不能だと思われる。


「実際に使ってみるかね?」


「いいんですか?」


「正直、そんなに成功率はよくないのでね。それにもし失敗しても、魔力を大量に消耗するだけで危険も少ない。ワシが標的を近くのものにしたのは、バウマイスター男爵たちに失敗した様子を見せるわけにいかなかったからだ」


「近くて軽いものなら、他にいくらでもあるだろうが」


 引き寄せる物とその位置を正確にイメージできないと、ただの魔力の無駄遣いになってしまうそうだ。

 ベッケンバウアー氏が、近くにいた女性職員が履いていたパンツを標的にしたのにも、一応理由があったのだ。


「それに、男性職員のパンツなど引き寄せても、なにも楽しくないからな」


「納得はできるけど……」


 『なぜパンツに拘るのか?』という疑問だけが、俺に残ってしまう。 

 

「そういえば、理論上は次元と時間も超越可能であるって言ってましたね」


「理論上はな」


 この世界にも他のよく似た世界『パラレルワールド』の概念が存在しており、次元を超えるという表現が使われていた。

 なんでも、古代魔法文明時代に異世界の産物を魔法で引き寄せたという伝承が残っているそうだ。

 それが事実なのか、物語なのかは不明であったが。

 

「(ここに、その異世界から来た人間がいるんだけどね……)」

 

 正確には転生なのか憑依なのかは不明であったが、確かに異世界は存在していると俺は断言できる。

 信じてもらえるかは不明であったが。


「では早速」


 そんなわけで、俺も試しに魔法陣を使ってみることにする。

 ただこの魔法陣の魔力消費量は、物の重さに距離を掛けた分だと聞いた。

 遠距離にある重たい物を引き寄せると、膨大な魔力を消費してしまう。

 しかも、イメージに失敗すると魔力だけ無駄に失ってしまうので、慎重に魔法陣を使わなければ。


「時間や次元が違うと、具体的なイメージが思い浮かばなそうですね」


「ゆえに、失敗ばかりなのだ。この世界にある物と同じ物を引き寄せようとしても、その時代、その世界には存在しないのかもしれないのだから。それに魔力消費量が桁違いで、ワシなら目的を達せられず、ただ膨大な魔力を消費だけして気絶するであろうな」


 中級の上の魔力を持つベッケンバウアー氏でもそうなのだから、異世界から物を引き寄せるには、相当な魔力が必要なのであろう。

 そもそも、その対象物のイメージが完璧にできないと魔力だけを無駄にしてしまうのだから。

 まずは安全策で、近場の品をイメージすることにする。


「なににしようかな?」


「バウマイスター男爵殿、ちゃんとイメージを固めてからにしないと……」


 具体的になにを引き寄せるのかよく考えず、魔法陣の前に立ち集中してしまったのがよくなかったのであろうか?

 魔法陣が青白く発光した後、その上には先ほどと似たような物が置かれていた。

 改めてよく見ると、それはやはり女性用のパンツであった。

 この世界にも、地球と同じような下着が普及している。

 俺の実家のような田舎だと自作のカボチャパンツだったりするが、王都や都市部では、専門の服飾店に洗練されたデザインの下着も置かれていた。

 王族、貴族、金持ち専用の、オーダーメイドを引き受ける高級店も存在する。

 これは、王侯貴族御用達とまではいかないが、それなりの値段がする下着のようだ。


「色は黄色で、女性用」


「パックに、ウサギ柄の刺繍ねえ……」


 この下着の持ち主は、かなりの可愛い物好きなようだ。

 同時に、年齢も低めだと思う。


「誰のなんだ? 坊主」


「さあ? 実は、屋敷の中のものをイメージしただけなので」


 俺の屋敷の中にあるなにかをイメージしたので、これは誰かのタンスの中から引き寄せられた可能性が高かった。


「それだけのイメージで成功とは。さすがはバウマイスター男爵殿。そしてこのパンツは……」


 ベッケンバウアー氏はそのパンツを手に取り、その温かさを確認していた。

 本人は研究者としての目線で引き寄せられた物の確認をしているのだが、傍から見れば下着に執着するただの変態ジジイにしか見えなかった。


「ふむ、先ほどのワシのイメージも重なったのであろう。このパンツは、誰かが履いていたもので間違いない」


「えっ、そうなの?」


 だとしたら、とんでもないことをしてしまったな。

 などと内心考えていると、いきなり研究室の扉が勢い良く開き、室内に一人の女性が乱入してくる。

 その女性は、今日は屋敷で休んでいるはずのイーナその人であった。


「ヴェル! 私のパンツ!」


「よっ、よくわかったな……」


「いきなり履いているパンツが消えるなんて、魔法しかあり得ないわ」


 さらに、今日の俺が魔導ギルドを尋ねるという予定まで知っている。

 履いていたパンツを取り戻すため、急ぎ魔導ギルドに飛び込むと、親切な女性職員がこの地下研究室に案内してくれたそうだ。

 それは間違いなく、先ほどベッケンバウアー氏にパンツを取られた女性職員であろう。


「おおっ! いきなり初回で、上級貴族屋敷に住んでいる女性のパンツを召喚か。素晴らしい才能であるな。しかし、見た目はクールビューティー系なのに、パンツは可愛い系であるか。これはある種のギャップであるかと……」


「そんなことよりも! パンツを返せ!」


 まだガッチリとパンツを握っていたために、ベッケンバウアー氏はイーナから強烈なビンタをもらってしまった。

 というか、この人はなぜこんなに無駄口が多いのか?

 まさに、『雉も鳴かねば撃たれまい』の実例であろう。


「あの、イーナ」


「なに? ヴェル」


「今度、新しい下着を買うのなら、俺もつき合うから」


「……まあいいわ」


「坊主、惚れられててよかったな」


 イーナからの制裁を免れ、俺は心から安堵するのであった。

 しかし、まだ魔力量に余裕はあるので実験は続くのだ。




「ヴェル、今度はパンツ以外にしなさいよ」


「そういうコントロールに慣れていないんだよ。まだ二回目だし」


「慣れていなくても、パンツしか召喚できないなんて情けないじゃないの」


「改めて言われると、確かに情けない……」


 ようやくパンツが戻って来たイーナも加わり、俺は次の召喚実験を開始する。

 というか、いつの間にか実験になっているな。

 召喚と呼ぶには、その成果は微妙ではあるのだけど。

 せいぜいで、お取り寄せレベルであろうと。


「とにかく、パンツ以外で」


「わかったよ……」


 イーナから強く言われながら、俺は再び自分の屋敷からなにかを取り寄せるイメージを頭に思い浮かべる。

 すると三度魔法陣が青白く光り、今度は黒いなにかがその上に姿を現した。


「ええと……これも?」


 その黒い物体は、ブラジャーと呼ばれるものであった。

 また下着を召喚してしまうとは……。


「黒いブラジャー……」


「ヴェル……」


「いや、パンツじゃないし……」


「だからって、ブラジャーはないでしょうが!」


 確かにイーナの言うとおりなんだが、俺は思考のドツボに嵌ってしまったかもしれないな。

 連続で下着を召喚とは、俺の品性が疑われてしまう。

 元からそんなものはないと言われれば、それまでなのだけど。


「坊主、えらくセクシーな色とデザインのブラジャーだが、誰のなんだ?」


「ふむ、サイズは小さいな。貧乳と……」


「「……」」


 またベッケンバウアー氏が、黒いブラジャーを取ってマジマジと観察を始める。

 重ねて言うが、これは研究者として真面目に召還物を観察しているだけである。

 たとえ見た目は、ただの変態ジジイであってもだ。


「ヴェルぅーーー!」


 そして数分後。

 今度は、ルイーゼが研究室に飛び込んで来た。

 やはり、とある女性職員が親切に案内してくれたそうだ。


「えっ! ルイーゼのブラジャーなのか?」


 まさか、あのルイーゼが黒い下着を着けているとは……。 

 似合わない……それを口にすると大変なことになりそうなので言わないようにしないと。

 ただ、またもベッケンバウアー氏は空気が読めていなかったようで……。


「その幼い容姿で、黒の下着はまだ早かろう。それに、ブラジャーが必要な胸とも思えないが……」


「ふんっ!」


「あべし!」


 ベッケンバウアー氏はルイーゼから往復ビンタを食らい、頬にあるモミジの色をさらに濃くしてしまう。


「あの……今度、下着を買うならつき合うから」


「ふーーーん、まあいいか」


「坊主、惚れられててよかったな」


「ええ……」


 またもルイーゼからの制裁から免れ、俺は心から安堵するのであった。

 でもまだ魔力量に余裕があり、実験は続くのであった。




「どうして下着ばかりなのさ。そんなにボクたちの下着姿が見たかったの?」


「それも見たくもあるが……知るか! イメージの調整が難しいんだよ!」


「ヴェルもいい加減にしないと、あのジジイみたいに変態扱いされるわよ。エリーゼに変態扱いされたい?」


「魔導ギルドの研究部長を、変態ジジイ呼ばわり……」


「これまでの経緯を考えると、否定するのは難しいよな」


 今度はルイーゼも加わり、やはり実験は続行のようだ。

 二重のモミジを両頬に付けたベッケンバウアー氏は、俺に次の品を召喚するように指示を出した。

 なんか、なし崩し的に実験に参加しているよな、俺は。

 間抜けを演じているようで、ベッケンバウアー氏は魔導ギルドの研究部長なだけはあるのか。 


「目標を屋敷外にすればいいじゃないの」


「でも、それだと迷惑がかかるだろう」


「屋敷内でも、私はパンツを取られて大迷惑だったけど」


「ボクはブラを、大迷惑だよ!」


 イーナとルイーゼから非難めいた視線を向けられたので、俺はこんな下らない実験は早く終了させようと決意した。


「(となると、なるべく遠距離のものがいいな)」


 別に、無理に成功させる必要はない。

 遠距離からなにかを召喚しようとして、魔力だけ消費して魔力切れになっちゃった。

 となるのが、この場合においては最良の結果なのだと。

 ちなみに、地球からの召喚は今の時点では危険なのでやめておく。

 俺は常に安全策を模索する、そのせいで状況に流されることも多い男なのだから。


「ええと……。目標はアーカート神聖帝国領内で」


「なるほど。もしもの時も、外国だから文句は出ないわけね」


 イーナが感心した風に言うが、さすがに人が住んでいそうな場所からの召喚は窃盗になるので問題が多いはず。

 そこで、先日見せてもらった地図を参考に、誰かの所有物ではない自然物の召喚を試してみることにした。


「(アーカート神聖帝国領北方の海域……)」


 アーカート神聖帝国は、リンガイア大陸の北半分を領有している。

 そしてその北端には、南端部と同じく広大な海洋と島々が広がっているそうで、実際、地図もそうなっていた。

 そして、冬は極寒となるその海で獲れる海産物は、帝国中で大人気なのだそうだ。

 以前に読んだ本によると、その産物は地球の北海道で採れる産物に酷似していると書かれていた。

 ならば……。


「(実は、この魔法陣は便利なのか? あくまでも成功したらだけど……)」


 などと思いながら魔法陣の前に立ち魔力を込めると、また魔法陣が青白く発光してその上になにかが現れた。


「下着?」


「なわけあるか!」


 俺はイーナに突っ込みを入れながら、魔法陣の上に現れた物体から急ぎ距離をおいた。

 どうしてそんなことをしたのかといえば……。


「召喚は成功した。だが……」


 魔法陣の上に現れたもの。

 それは、地球で言うところのクロマグロという魚であったからだ。

 しかもご丁寧に、海の中で泳いでいた重さ二百キロ近い個体を召還してしまったらしい。

 まだ生きているクロマグロは、元気に魔法陣の上を跳ね回っていた。

 もし尻尾で蹴られると痛いので、俺は慌てて後ろに下がったわけだ。


「イーナ、お願いします」


「しょうがないわね……」


 俺が魔法の袋から取り出した槍をイーナに渡すと、彼女は素早くマグロに止めを刺した。

 彼女の一撃を食らったクロマグロは、魔法陣の上で動かなくなってしまった。

 

「なるほど、今回は役に立ちそうなものを召喚したのだな」


「いや、ベッケンバウアーさんがそれを言いますか?」


 正直なところ、最初にパンツを召喚した人には言われたくなかった。


「失敗は成功の母と言うではないか。それでこの魚だが、早速食べよう」


「食べるのかよ!」


 実は、リンガイア大陸において魚の生食は普通に行われている。

 魔法の袋に入れると鮮度が落ちないので、内陸部にある王都や都市部などでは、高級食材として金持ちや王侯貴族によく食べられているのだ。

 ただ、ワサビは西洋ワサビに似たもので、醤油ではなく塩を付けて食べるか、マリネやカルパッチョのような食べ方が多かった。


「やはり、新鮮な生の魚は美味いな」


 食べるとは言っても、あれだけの大きさのマグロである。

 解体などプロでないとできないので困っていたが、それを解決したのは、さっきベッケンバウアー氏からパンツを奪われた女性職員であった。

 なんでも彼女は、実家が鮮魚店なのだそうだ。

 実家から道具を借りて来ると、手慣れた手付きでマグロを解体していく。

 そして、上手く刺身に切り分けて皿に盛っていた。


「北方産のクロマグロで、重さは二百十三キロ。相場は、二十万セントほどですね」


 突然の高級食材に、魔導ギルドにいた全員が集まって刺身を食べていた。


「えっ、そんなにするの?」


「はい、ヘルムート王国沿岸の海でも獲れますが、味は北方産の方がいいので」


 北方産のクロマグロは、日本で言うところの大間のマグロに匹敵するブランドらしい。

 さらに輸入品になるので、輸送費や関税で値段が高くなるそうだ。


「なるほど。しかし本当に美味い」


 前世でも、これほど高級なマグロなど食べたことがないので、俺はその美味さに感動していた。

 それと、刺身を食べるために提供した自作の醤油も好評なようだ。


「塩で食べるよりも、こちらの方が美味しいですね」


「こうなると、次の獲物が欲しくなるか」


 今までは下着しか召喚できなかった魔法陣が、初めて人のお役に立てたのだ。

 ここは魔力が続く限り、全力で召喚を続けるべきであろう。


「北方の海の幸を」


「だと思ったわ……」


 呆れるイーナを宥めつつ、俺は次々と北方産の魚介類を召喚していく。

 地球のものよりも大きなホタテに、バフンウニに似たウニ。

 イカやタコですら高級食材扱いであり、デビルフィッシュ呼ばわりもされず、みんな喜んで残さず食べている。

 どうやら、悪魔の使い扱いはされていないようだ。

 リンガイア大陸に住む人たちにとっては、普段食べている動物の肉よりも海で獲れる海産物の方が高級品でご馳走というイメージが強い。

 そのため、突然始まった試食会は大人気となっていた。


「続けて!」


 今度は、タイ、ヒラメ、カレイ、カンパチなど。

 正式名称は違うそうだが、見た目はソレだし実家が鮮魚店の女性職員も、高級品で美味しいと言っているので問題ないはず。

 彼女は、次々と召喚される海産物を締めてから刺身に切り分け、それを魔導ギルドの職員たちが口に入れていく。

 俺も、久々の海の幸に舌鼓を打っていた。


「さて。そろそろみながお腹一杯になったので……」


「いや、それは関係ないので。というか、実験!」


「それは、わかっておるよ」


 さすがに俺の魔力量でも、あと一回の召喚が限界であった。

 周囲を見ると、刺身を食い尽くして満足そうな職員たちの姿が見えるが、気にしないで最後の召喚を行うことにする。

 ただ、残存魔力の関係で、あまり重たい物は召喚できそうになかった。


「距離に重点をおいてほしい」


「わかりました」


 ベッケンバウアー氏にそう頼まれ、俺はまた北方の海域からなにか軽い物をイメージする。

 自画自賛すべきか。

 成功率は100%であり、魔法陣の上には発光と共になにか小さな布が置かれていた。


「ふむ、紫色の……」


「下着ですね」


「ヴェル!」


「なんでまた下着なのよ?」


「知るか!」


 北の海に生息する海産物を標的にしたはずなのに、俺はまた下着を召喚してしまった。

 イーナとルイーゼから続けて非難されてしまうが、別に俺だって、好きで下着を召喚したわけではないのだから。


「なぜ?」


「海上で船に乗っている誰かの下着、という可能性があるな。しかしこの下着は……」


 三度、ベッケンバウアー氏は下着を手に取って調べ始めるが、イーナ、ルイーゼ、件の女性職員のみならず。

 魔導ギルドの会長ですら、ベッケンバウアー氏を怪訝な表情で見ていた。

 管理部門からしたら、研究者は変人扱いなのかもな。


「色は紫で、材質は絹か。なかなかのサイズのブラジャーと、レースやスケスケがふんだんに使われているパンティーもか。縫製は素晴らしいの一言だ」


「変態……」


 イーナの言うとおりで、本来魔法の研究家であるベッケンバウアー氏が下着に詳しいのは妙な気もする。

 だが、ベッケンバウアー氏に言わせると、それはおかしくないのだそうだ。


「ワシの実家は、貴族御用達の下着専門の服飾店でな。自然と下着の知識が身についたというわけだ」


「そんな知識が、自然に身につくんだ?」


「実家に住んでいた間は、半ば強引に家業を手伝わされたのでな」


 魔法使いの才能は遺伝しない。 

 ゆえに、様々な階級や商売をしている家から突然現れるわけで、そのための悲劇とも言えた。

 そして、そんなベッケンバウアー氏の微妙な過去すら地平の彼方へと吹き飛ばす、衝撃の事実が判明してしまう。


「この家紋は……」


「えっ? 下着に家紋ですか?」


 ベッケンバウアー氏が、その下着に家紋が付いているのを確認した。

 家紋ってことは、もしかしてその下着は……。

 

「王国でもそうだが、王族や大貴族ともなれば、指定された御用達の品しか身につけないのが普通。店側も、他の品と区別するために家紋を刺繍するのが常識というわけだ」


 さすがは、もう魔法の研究家よりも、下着のプロフェッショナルのイメージが強いベッケンバウアー氏。

 適切な解説を入れてくれる。


「ちなみに、その家紋ですけど……」


「ふむ、フィリップ公爵家のものだな。選帝侯にもなっている、アーカート神聖帝国では一、二を争う大貴族家である」


 世の中、知らない方が幸せなこともある。

 というか、そんな大貴族家の女性の下着を奪ってしまうなど、下手をすれば外交問題にも発展してしまうであろう。

 俺を含めて、全員の顔が一斉に青ざめた。


「あの……ブランタークさん」


「俺に聞くなよ」


「ベッケンバウアーさん?」


 ブランタークさんからすれば、確かに知らないとしか言えないはず。

 なので次は、この実験の責任者であるベッケンバウアー氏に尋ねると、彼は反射的に素早くこう答えた。


「北方の海の幸を召喚する実験は無事に成功。下着? そんなものは知りません。そうですよね? バウマイスター男爵殿」


「はい、知りません!」


 俺は、素早く下着を魔法の袋に仕舞う。

 これで完全に証拠は隠滅した。

 今頃、とあるフィリップ公爵家の女性が北の海でノーパン、ノーブラになっていたとしても、それは俺たちには関与できないことであった。


「ヴェル、本当にいいのかしら?」


「よくはないが、正直に陛下に言うのか?」


「言えないわね……」


 俺の問いかけに対し、イーナも口を閉ざすことを決めたようだ。

 会長以下、他のギルド職員たちにも緘口令が敷かれ、公式にはただ北方の海産物の召還に成功したという記録のみが残されることになる。


 だが、後にその下着の持ち主と大きく関わる事になってしまうとは、さすがの俺でも想像できなかったのであるが。 

 

 そして翌日……。




「ただいま、お父さん」


「お帰り、デリア。ところで一つ聞きたい事があるんだが……」


 昨日は、ベッケンバウアー部長のおかげで散々な目に遭ってしまった。

 相変わらず、研究や実験になると見境がつかなくなるんだから。

 最近熱心に研究していた魔法陣の改良。

 いつもなら、なにも召喚できないまま魔力切れになって実験が終了するパターンばかりだったのに、魔力量が多いバウマイスター男爵様が実験に手を貸すことになったら大はしゃぎしてしまって、私は衆人の前でパンツを晒されて生き恥をかいた気分よ。

 はあ……早くいい男性と結婚して、あの変人しかいない魔導ギルドを円満に退職したいものだわ。

 なんて思いながら今日も仕事を終え家に帰ると、父は私に聞きたいことがあるみたい。


「なあに? お父さん」


「今日、バウマイスター男爵邸から大量注文が来たんだけど。お前、理由は知っているか?」


 バウマイスター男爵様かぁ……。

 お婿さんの条件としてはとてもいいけど、身分と年齢に差がありすぎて難しいわね。

 お魚好きだから、夫婦になったら気が合ったかもしれないのに残念。

 大量注文……気合を入れて腕を振るった甲斐があったわ。


「お父さん直伝の腕前が認められたからよ」


「はあ?」


 まさかその後、領地を得たバウマイスター男爵様に誘われ、彼の領地で鮮魚店の支店を開くことになるとは思わなかったけど、パンツを晒されたお詫びだと思うことにしましょう。

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