第102話 バウマイスター家嫡男の憂鬱

「クルト様、今年度の徴税報告書でございます」


「ご苦労、そこに置いといてくれ」


「畏まりました」




 今年も待ちに待った収穫の季節がやってきた。

 領内の畑から収穫された小麦に一定の税がかかり、その量を本村落の名主であるクラウスが計算し、正確な量を集めて屋敷に隣接する倉庫に納める。

 集まった小麦は、貴重な現金入源となった。

 ブライヒレーダー辺境伯領からリーグ大山脈を越えてやって来る商隊に売却され、彼らはそれを苦労して持ち帰る。

 売却価格は、本来の相場よりも少し色をつけてあるそうだ。

 バウマイスター騎士爵領こんな田舎の農村なので、日々細かく相場が変動する小麦の最新価格など俺には把握できない。

 領主の跡取りとしては失格なのかもしれないが、物理的にそれを知る方法がないので仕方がないのだ。


『(ヴェンデリン様がいれば、そんな苦労をしないで済むのに……)』


 先ほど、徴税報告書を置いて行ったクラウスが、以前にボソっと漏らした言葉だ。

 はたして、無意識に口に出してしまったのか?

 それとも、わざと俺に聞こえるように言っているのか?

 この男は、本当に油断がならない。

 親父ですら俺に、『クラウスには心を許すな』と言う。

 この徴税報告書だって、本当に正確なのか怪しいところだ。

 クラウスが本村落の名主であり、親父から徴税業務のすべてを任されている立場を利用し、ちょろまかした分を自分のポケットに入れている可能性だってあるのだから。


『残り二つの村落の名主たちもチェックしている、それはない』


 親父はそう言うのだが、そのクラウスから若い妾を宛がわれて異母弟妹を無意味に増やした親父には言われたくない。

 親父はいつもそうだ。

 先代のブライヒレーダー辺境伯に命じられるまま兵を出し……しかし、親父に欲がなかったわけではないのも事実……その大半が戻って来ず、領内の人口と成人男性比率を危機的な状況にまで追い込んだ。

 さらに、こうなった最大の原因であるブライヒレーダー辺境伯家に対し文句すら言わず。

 こちらの足元を見て、まるで乞食に与えるかのように商隊をたまに送って寄越す、代替わりしたブライヒレーダー辺境伯のために開墾に大忙しであった。

 こんな田舎の領地に、ブライヒレーダー辺境伯領で売れる産物など。

 小麦くらいしかないからだ。

 貴族なのにまるで開拓民のように土に塗れ、そうやってコツコツと貯めた金はすべて、俺の結婚費用と三男パウル以下の独立準備金として消えた。

 正確には少しは残っているが、それは万が一の時のためにとっておくのが貴族というもの。

 たとえ、それがうちのような貧乏貴族でもだ。

 そして、俺の結婚の直後から親父に変化が出た。

 

『俺ももう年だ。お前に任せる部分を増やす』


 今まで、バウマイスター騎士爵家の当主として絶対的な権力を握っていた親父。

 その件について、特に文句があるわけでない。

 こんななにもない不自由な田舎の僻地では、生きるために当主に絶対権力が必要だからだ。

 他に必要なのは領民たちの支持と団結と、長子継承を基本とした争いが起こらない代替わりであろう。

 親父が長年、俺にあまり仕事を任せなかったのには理由がある。

 まずは、次男ヘルマンの存在。

 こいつは俺よりも腕っ節が強く、たまに訓練で領民たちを率いても人気があった。

 体が大きいのもあって見た目は少し怖いが、話すと面白い男なので、領民たちに人気があるのだ。

 小領の貴族家において、剣などの武芸や小集団の統率に長けた子供は人気が高くなる。

 ヘルマン程度の能力なら、王国全土に掃いて捨てるほど存在しているが、それでも俺よりは優れている。

 長子相続の脅威になるわけだ。


『ヘルマン、お前は従士長の家に婿に出す』


『わかった』


 ヘルマンは一言も文句を言わず、親父の命令に従った。

 あいつ自身は多少腕っ節に自信があっても、領主としては大した能力を持っていないと自覚していたからだ。

 そして次に問題になったのは、五男エーリッヒの存在であった。

 こいつは弓には優れていたが、貴族の嗜みである剣では俺以下。

 ところが、こいつは頭がよかった。

 十五歳くらいの頃に、奴はある騒ぎを起している。

 いや、起したのは親父とクラウスだ。

 クラウスが持参した徴税報告書を見た親父が、なにを思ったのか?

 たまたま傍にいたエーリッヒにその書類を見せたのだ。

 しばらく書類を見ていたエーリッヒは、数箇所の計算ミスを指摘する。

 

『これは、私としたことが。お若いのに、エーリッヒ様は優秀なのですな』


 計算ミス自体は、大したものではなかったらしい。

 少しだけ取りすぎた税を、数軒の農家に返しただけだ。

 ミスを指摘されたクラウスは、素直に謝って集めすぎた税を返した。

 この一連の騒ぎの流れが、クラウスの独断によるものなのか?

 親父も絡んでいるのか?

 この頃の俺には、判断がつかなかった。

 それでも、次第に領内でこんな噂が立てば予想も可能になる。


『計画的な領内の発展を希望するのであれば、ここはエーリッヒ様が次期当主の方がいいのでは?』


 間違いなく、その噂はクラウスが流しているはずだ。

 だが、それを下手に追求すれば藪を突いて蛇が出かねない。

 それに、噂を流したのがクラウスだと言う決定的な証拠もないのだ。

 親父も俺も、徴税報告書を読んでその不備を見つけるなどできない。

 だが親父は、報告書を提出するクラウスの態度を見てなにかがおかしいと感じ、報告書が読めて計算もできるエーリッヒに見せた。

 間違い自体は、大したものではない。

 クラウスも素直に謝って、すぐに取りすぎた税を戻している。

 そのため、あまり強く叱るわけにもいかなかった。

 結局クラウスが、無事にエーリッヒの能力を確認できてほくそ笑んだだけなのであろう。

 本当、いちいち気に入らない男だ。

 それからしばらく、俺はエーリッヒを警戒していた。

 親父に取り入って、次期当主になろうとしているのではないかと警戒してのことだ。

 その心配は、エーリッヒ自身が王都で下級官吏の試験を受けると宣言した時点で杞憂に終わったわけだが。

 顔がよく、領内の女衆に大人気で、弓が上手で、頭もいいエーリッヒという弟。

 正直、気に入らないのも事実であった。

 そして、極めつけの奴が出て来る。

 八男のヴェンデリンだ。

 親父が四十歳近くにもなって、しかも一つ年下の母に産ませた恥かきっ子。

 うちの経済状態で、妾の生んだ弟たちを除外するにしても、俺からすれば溜息しか出てこなかった。

 年齢差を考えると、俺の息子でも不思議ではない弟なのだ。

 俺も、他の弟たちも、次第に大きくなっていくこの八男とどう接したらいいのか迷ってしまった。 

 ところがこちらの心配を他所に、三歳をすぎた頃からのヴェンデリンは、父や母の言いつけどおり、大人たちの仕事を邪魔しない大人しい子に育っていく。

 毎日、父の書斎に篭って本を読んでいるようであったが、よく飽きたり、頭が痛くならないものだ。

 書斎の本など、エーリッヒが五歳頃から順番に読んでいた以外は、父ですらほとんど手をつけていないというのに。


 書斎など貴族の見栄で設置されているにすぎず、なにも無理に読む必要などないのだから。

 そんなヴェンデリンであったが、奴がもう少しで六歳になる頃から様子が変わってきたような気がする。

 エーリッヒの話によると、『魔法が使いたい』と言って書斎に篭っているようだ。

 確かに、書斎には魔法に関連した本があるし、判定用の水晶玉もある。

 王国が数少ない魔法使いを発掘するため、格安で貴族や教会に配布していたからだ。

 俺も他の弟たちも、父から言われて幼い頃に判定を受けている。

 才能があれば俺の人生も変わったかもしれないが、世の中にそんなに甘い話があるはずもない。

 他にも、領主からの命令として、義務として全領民たちにも判定が受けさせている。

 水晶に手をかざせばわかるので、大した手間でもなかったからだ。

 その結果は、本村落に魔法使いが一人だけ存在している、であった。

 ただ、その領民の魔力量はもの凄く少なかったそうで、農民のアーダムは、一日に数回小さな火種を出せるだけであった。

 家では、すぐに竈に火がつくので重宝はされているようだが、はたして彼を魔法使いと呼んでいいものなのか?

 アーダム本人も、『さすがにそれは……』と恐縮していた。

 ところが……。


『クルト、どうやらヴェンデリンには魔法の才能があるらしい』


 小さな子供が、魔法使いを目指して懸命に修練に励む。

 たとえ才能がなくても、それを目指して健気に練習する姿は、小さな子供ならば微笑ましい光景だ。

 そんな風に考えていた俺に、親父は衝撃の事実を伝えた。


『どの程度なんだ?』


『今のところはなんとも……』


 しかし、次第にその可能性は大きな広がりを見せていた。

 まだ子供なのに、狼や熊や猪も出るバウマイスター騎士爵家専用の裏森で、平気な顔をして狩猟や採集を行い、貴重なホロホロ鳥を毎日持って帰って来るのだ。

 他にも、自然薯、野イチゴ、山ブドウに、山菜や薬にもなる薬草なども多数見つけてきた。

 さらに俺の結婚式の時には、エーリッヒと組んで大量の獲物を狩ることにも成功している。

 いくら弓に長けたエーリッヒがいたとしても、その成果は尋常ではない。

 親父もそれに気がついたから、ヴェンデリンとエーリッヒを組ませて誤魔化そうとしたのであろう。

 そしてエーリッヒが家を出てから、父はヴェンデリンに行動の自由を与えた。

 奴は、早朝に剣の稽古と朝飯を終えると、汚いマント風のコートを被り、一人でプラプラとどこかに出かけてしまう。

 いや、親父に言わせると魔法の修練に出ているのであろうと。

 一体奴は、どこまで出かけてなにをしているのか?

 一度問い質そうとも思ったのだが、それは父に止められてしまった。


『ヴェンデリンは、魔法の力で十分に独り立ちが可能だ。あの子には、家を出るまで自由にさせておけ』


『そんな勿体無い! どんな魔法が使えるのかを問いただし、領内の開発に使えばいいじゃないですか』


 そう考えるのが普通であろう。

 そんな俺の意見を、親父は即座に否定した。

 しかも、俺を哀れんだ目で見ながらだ。


『ヴェンデリンをお前が使いこなす? なんの冗談だ? それは?』


 親父は続けて言う。


『たとえば、ヴェンデリンが魔法を用いて領内の開発に大いに貢献したとする。農地の開墾、道と用水路の整備。凶暴な害獣の駆除。いっそ、ヴェンデリンに狩猟と採集をすべて任せても構わないな。領民たちが自由に大量の肉が食えれば、増やした農作業に文句も言わないはずだしな』


 領民たちがお腹一杯肉を食べられて、商隊に売れば金になる小麦の栽培に労力を集中できる。

 もし、使える魔法がもっとあって土地の整備もできるのであれば。

 開墾など、基礎はヴェンデリンに任せて、仕上げだけ領民たちに任せればいい。

 賦役がなくなる領民たちは大いに喜ぶし、聞けば聞くほどとてもいい考えのような気がするが。


『きっと領民たちはこう思うであろうな。ヴェンデリンが次期当主になれば、この領地も安泰であると。そこにお前の居場所はないわけだが、お前はそれでも構わないのか?』


『っ!』


『それは……』


『この国から戦争が消えて長い。ゆえに、王国は領内の安定を求めて貴族家の長子継承を推奨するわけだが、それは絶対ではないのだぞ』


 長男があまりに無能な時や、次男以降にもの凄く優秀な子供がいた時。

 他にも様々な要因があるので絶対とは言えないが、長子継承が崩れるケースも少数だが存在していた。  


『で、どうなのだ?』


『……』


 俺は、なにも答えられなかった。

 自分は跡取りなので将来が安定しているから、家を出て行く弟たちを哀れみつつ、居残られると迷惑なので安堵していた部分もあった。

 自分が領地を出ていくことにならなくてよかったと。

 ところが、その立場がまるで逆になってしまうのだ。

 魔法が使えるヴェンデリンが次期当主になって、俺がここから追い出される。

 残れる可能性もあるが、二十歳近くも下の弟を当主と認めて頭を下げる。

 そんなことが、俺にできるのかと言われると……。


『ヴェンデリンは真面目に勉強もしている。エーリッヒと同じように、読み、書き、計算とすべてできるようだしな』


 続けて親父から聞いたエーリッヒという言葉に、俺は内心で危機感を再燃させていた。

 そういえば、ヴェデリンに唯一普通に声をかけていたのがエーリッヒであった。

 今も、定期的に手紙のやり取りや、誕生日にはプレゼントの交換もしているのを確認している。


『エーリッヒならば、ヴェンデリンが次期当主になっても嫉妬などせん。ヴェンデリンは、エーリッヒを優遇する。それに相応しい能力を持っているからな。逆に、エーリッヒが当主でもヴェンデリンはそれを問題にせん。エーリッヒも、ヴェンデリンを優遇するだろうな』


 その関係に、俺が入る余地などない。

 俺の唯一のアドバンテージは、長男に生まれたことだけだ。

 別に俺など必要ないのだ。

 むしろ二十歳も年上の兄が家臣だなんて、使い難いので、出て行って欲しいはず。


『わかったな? クルトよ。お前は穏便にヴェンデリンに出て行ってもらい、自分は自分で領地を無難に治めていくしかないのだ』


『はい……』

 

 それは自分でも重々理解している。

 だが親父の話には、俺への哀れみの感情が誰にでもわかるほど滲み出ていたのだ。

 これ以上の屈辱などない。

 心の中で、親父への感謝以上に怒りの感情が沸き上がってくる。


『(親父、あなたの意見は正しい。もの凄く正論だとも)』


 だが感情面では別だ。

 俺にも、たとえ欠片ほどでもプライドというものがあるのだ。


『(従士長の家に婿入りしたヘルマンに。元から相続権すらない妾の産んだ弟たち。こいつらを除いて男子は全員家を出た。だからこその、実権の委譲か……)』


 親父は年のせいだと言っている。

 それも事実なのであろうが、これから徐々に俺に領主としての実権を移し、時間をかけて俺が次期当主になることを既成事実化するのであろう。

 在地領主なので、多分親父が死なないと正式な継承は行われないはず。

 それでも、それまでには俺が事実上の領主になっている。

 そういう計画のようだ。


『わかりました、父上』


『お前はお前。弟たちは弟たちだ』


『はい(弟たちか……)』


 正確には、エーリッヒとヴェンデリンだけなのであろうが、親父はそれを敢えて弟たちと言い換えていた。

 親父は、俺に配慮したつもりなのであろう。

 だが、それすら俺には怒りの原因にしかならなかった。


『(親父の言うとおり、俺が早めに領内の実権を握るとするか。親父、あんたは衰えた。このまま耄碌して、年寄り特有の情でも湧くと厄介だ)』


 やっはり領民たちのために、エーリッヒやヴェンデリンに跡を継がせるなどと言われたら堪らない。

 いい年をした廃嫡貴族の子とその家族。

 領地を出て、まともに暮らしていけるわけがないからだ。


『バウマイスター騎士爵家の次期当主として、誠意努力します』


 『それでいいんだ』


 そんな経緯で、俺は親父から徐々に領主としての仕事を引き継いでいた。

 だが問題は色々と多い。

 まずは、先年の出兵で家族を失った領民たちのバウマイスター騎士爵家に対する根強い不信感。

 彼らは、表面上は不満を漏らさずに開墾にも参加している。

 はたして、親父はなにを考えているのか?

 その開墾の原資は、出兵で戦死した領民たちに対しブライヒレーダー辺境伯家が出したお見舞い金をピンハネしたものなのだから。

 普通なら、働き手が減ったわけなのだから税を免除するのが当然だからだ。

 『今の我が領は、結果を出さねば意味がない』と、親父は一切の減免処置を取っていなかった。

 そのおかげか、開墾は予定よりも少し早く進んでいる。

 だが、後でピンハネしたお金を返すつもりはないようだ。

 俺が返そうかと言うと、親父は顔を真っ赤にして激高した。


『バカ者! 返したせいで金がなくて、我が家が窮地に陥ったらどうするのだ? ここは僻地なのだぞ! 中央も寄親も当てにならん! 頼りになるのは金だけなんだ!』


 あまりの剣幕に、俺はなにも言い返せなかった。

 それに俺自身も、親父の発言に納得もしている部分があったのだ。

 確かに、綺麗事を言って領民たちに金を返した結果、将来窮地に陥っては意味がない。

 こんな僻地の貴族が頼れるのは、確かに金だけなのだから。


 次の問題は、長年続く本村落と他の二つの村落の対立だ。

 この問題は今でもまったく解決していなかった。

 『うちこそ生え抜き!』と自称する本村落に、『偉そうに。お前らの先祖は、元はスラムの住民じゃないか。いらない農家の五男とかだった俺たちとなんの差がある?』と反発する、残り二つの村落。

 それに加えて、普段からなにを考えているのかよくわからない、本村落の名主クラウスの存在と。

 こいつは、俺の前では一分の隙も見せない優秀な名主である。

 だが、その裏ではなにを企んでいるやら。

 こんな連中ばかり相手にしているので、ストレスは溜まりがちであった。

 さらに……。


『ヴェンデリン様からよぉ。大豆とホロホロ鳥を交換してほしいって頼まれたんだ』


『なんでぇ、えらく有利な交換レートじゃねえか』


 親父の命令で不干渉を貫く弟ヴェンデリンであったが、こいつは昼間になにをしているのかまるでわからなかった。

 一度奴の後をつけようか考えたこともあるが、まさか次期当主がすることではないと思い止まっていた。

 親父に尋ねると、『魔法の修行なんだろう。ヴェンデリンの自立の邪魔をするな』と言われてしまった。

 正論ではあるのだが、こいつはたまに俺を苛立たせる行動をしてくる。

 じきに、自分で狩った獲物を領民たちと交換し始めたのだ。

 一体なにに使うのかは知らなかったが、大豆とホロホロ鳥とか、大豆と猪や野ウサギとか。

 ホロホロ鳥はなかなか獲れないので貴重だし、猪や野ウサギは一頭丸々なので、毛皮もついていて領民たちからは好評なようだ。

 大豆なんて馬に餌にしなならないのに、あいつはなにに使っているんだ?

 そのため、今度は誰が獲物と大豆を交換をするかで、領民たちが順番をちゃんと決めているらしい。

 領地を出る分際で領民たちに媚を売るなど、小賢しいガキだと俺は思っていた。


『親父、ヴェンデリンに言って止めさせるからな』


『やめた方がいいと思うがな』


 もうなるべく俺に命令したくない親父は、かなり消極的に反対意見を述べた。


『ヴェンデリンが、無料で獲物を配っているのならば問題だ。だが交換では文句も言えん。それに、ヴェンデリンが出て行けば終了する取引だぞ』


 親父に言わせると、交換レートにおかしな点も存在していないそうだ。

 多少の細かい変動はあるものの、ブライヒブルクでの交換相場よりも少し安いくらい。

 それに、畑の間などに植える大豆は、税の対象にもならない家畜の餌でしかない。

 俺が文句を言って止めさせれば、当然領民たちから不満が出てしまう。

 まだ正式に当主になっていないのに、無意味に支持率を下げる意味はないというわけか。

 

『領民たちには、じきにヴェンデリンは領地を出ると言ってある。取引が、期限つきであることを理解している』


 それに、この取り引きは娯楽の一種でもあるのだと。

 年に三回しか来ない商隊からしか商品を買えない領民たちが、物々交換とはいえ買い物を楽しめる数少ない機会を、次期領主である俺が止めるのはまずいわけだ

 そのくらいのことは、目を瞑って放置する度量も時には必要なのだと。

 確かに、後にヴェンデリンが領地を出たら騒ぎは収まっていた。

 いや、元々騒ぎにもなっていない。

 領民たちが、ホロホロ鳥と大豆を交換できなくなって残念がった程度だったのだ。


 他にも、俺の嫁の件もあった。

 他領から嫁いでいる俺の嫁は、実家に年に一度手紙を出している。

 商隊に、ブライヒブルク経由で届けてほしいと、手数料込みで依頼するのだ。

 手紙が年に一度なのは、こんな僻地からの郵便なので代金が高いからであった。

 いくら次期領主の妻でも、万が一に備えて普段は質素に暮らしていかなければならない。

 可哀想だとは思うのだが、これもこんな領地に嫁いだ宿命として諦めてほしいと俺は思っていた。

 ところが、またヴェンデンリンが余計なことをしたようだ。


『父上。義姉さんの手紙くらい、年に三回出しても構わないのでは?』


 エーリッヒという理解者をなくしたヴェンデリンは、今では俺の嫁とよく話をしているようだ。

 別に俺とて、二人が只ならぬ関係だと疑っているわけではない。

 ヴェンデリンなど、まだ子供なのだから。

 外部の生まれで、うちよりは教育水準の高い嫁と。

 なにが楽しいのか?

 子供の頃から難しい本を読んでいたヴェンデリンの話が合った、というのが真相なのであろう。

 そんな話の中で、嫁が手紙を年に一度しか出せない事実を知り、親父に意見を言ったようだ。

 費用の問題があるから、俺も仕方なしに一回にしていたのだ。

 しかも、それを俺にではなくて親父に言う点が小賢しい。

 さらも、親父はヴェンデリンの意見を受け入れた。

 

『こんな僻地まで嫁に来て、娯楽などろくにないのだ。手紙くらい、定期的に出させても構うまい』


 実権は徐々に俺に譲りつつあったが、今でも親父が領主なのだ。

 そう言われると、俺に断る術はない。

 嫁も控えめではあるが喜んでいるので、賛成せざるを得なかった。

 その控えめな喜びも、俺に気を使ってなのであろう。

 一番肝心な費用であったが、なぜか親父が出すことになった。

 親父は領主なので、普段はまったく使わないが、自分で自由に使えるお金をキープしている。

 そこから出したのかと最初は思ったのだが、後にヴェンデリンが出していることを知って余計に腹が立った。

 商隊が換金してくれる、嵩張らない稀少な薬草などをそっと親父に渡していたのだ。


『俺は、ブライヒブルクの冒険者予備校に行きます』


 年数は経ち、ようやくヴェンデリンは家を出て行くこととなった。

 予定では成人後だったのに、奴は十二歳で入れるブライヒブルクの冒険者予備校に入学するそうだ。

 これで、ようやく一番の邪魔者が消える。

 俺は、心の中で大喜びしていた。

 周囲には、年下すぎて話すらしない交流のない弟というイメージで通っている。

 しかし実際には、俺の立場を奪う可能性がある敵でしかないのだから。

 多分、親父は俺の本心に気がついているのであろう。

 これで将来の揉め事を防げたと、安堵しながらヴェンデリンを送り出した。

 この瞬間、ようやく俺は次期領主としての地位を確立できた。

 もうクラウスがなにを企もうとも、担ぎ上げる神輿がなければ策を打てないのだから。

 だが数ヵ月もすると、再び奴は俺の心を掻き乱すようになる。

 あのいい子ちゃんのエーリッヒが、王都で認められてとある騎士爵家に婿入りすることが決まったと、本人から手紙がきたのだ。

 ここで普通ならば、婿入りする家に祝儀を送る必要があった。

 家を貰うので、相当な額を出す必要があるのだ。


『親父、まるで足りないぞ』


 ここが王都から近ければ、なんとかなるのだ。

 祝儀は、すべてが現金や宝石である必要はない。

 領内の特産品である小麦に、狩りで得た獲物の毛皮などでも構わないからだ。

 ところが、王都との距離を考えるとそれは不可能だ。

 そんな嵩張る物を輸送などしたら、運賃で余計に出費が増えてしまう。

 ならば、現金と宝石だけを持参した方がマシだ。


『仕方がない。ブライヒレーダー辺境伯から借りて……』


『はあ? 正気か? 親父』


 そもそも、バウマイスター騎士爵領が困窮する原因を作ったのは、そのブライヒレーダー辺境伯家なのだ。

 それなのに、また借金をして利息まで搾取される?

 いくら相手が大身の貴族でも、どうしてそんな横暴になぜ耐えなければならないのだ。


『しかしだな。それが貴族の……』


『常識か。親戚からの援助金を返さないで無視したうちが、貴族の常識?』


 困窮具合も極まると、逆に笑えてくるものらしい。

 元から貴族の常識などないうちが、ここでまた貴族の常識に立ち戻ってどうすると言うのか?

 王都の貴族で、うちを知っている連中がはたして何人存在しているのか?  

 悪評なんてものは、相手がある程度有名だから周囲に拡散するもの。

 うちが祝儀を払わないくらいで、はたして誰が困るというのか。

 

『ブライヒレーダー辺境伯家が困る』


『なら、余計に好都合だろう』


 文句があるのなら、貴族に相応しく攻め込んで来ればいい。

 数千人の軍勢でリーグ大山脈を越えてうちに攻め込んでも、ブライヒレーダー辺境伯家はお荷物を抱え込んで損しかしないので、絶対に攻めてなど来ない。

 これは、俺の確信でもあった。


『それに、エーリッヒの祝儀も黙って出すだろう』


 寄子の恥は、寄親の恥でもある。

 せいぜい、あの若き知性派辺境伯様に出させてやればいいのだ。

 あの辺境伯は、噂に聞けば自分と似ているエーリッヒを気に入っているらしい。

 きっと、喜んで金を出すはずだ。


『クルト……』


『親父、ハッキリと言わせてもらう。うちは、王国でも最下位に近い貴族なんだぞ。これ以上評判など落ちないし、這い上がるには人と違うことをしなければな』


 そのためにも、まずは金だ。

 なにを言われても金を貯めておき、余計な出費などはしない。

 金さえあれば、王都のクソみたいな貴族でも、取り巻きがついて賞賛されもする。

 これが、この世の真理であったからだ。


『パウルとヘルムートに手紙を……』


 可哀想に……。

 あの二人にそんな金など出せるはずがない。

 親父、あんたは老いたな。

 これからは、俺の好きにやらせてもらう。

 その後、エーリッヒやブライヒレーダー辺境伯がどうするのか見物ではあったが、生憎とここは僻地で情報が遅い。

 それに、余計な出費は避けられたのだ。

 まずは、それだけでよしとしよう。

 そう思っていた俺に、またとんでもない情報が飛び込んできた。

 あのヴェンデリンが、エーリッヒの結婚式に参加するため王都へと向かう途中。

 なぜか出現した、アンデッド古代竜を退治したというのだ。

 しかもその功績でもの凄く名誉な勲章を貰い、準男爵に任じられたそうだ。

 これも商隊が情報を持ち込んだのだが、この知らせに領民たちは大喜びしていた。

 だが、その喜びは無意味である。

 ヴェンデリンは、貴族として新しい一家を立ち上げてしまったからだ。 

 当然、もううちの相続に関われる立場にない。

 エーリッヒも、ブラント騎士爵家という法衣騎士爵家を継ぐので、うちの相続に関われない。

 まったく関係のない貴族の話なのに、領民たちは大喜びしている。

 所詮は平民か。

 

『(ヴェンデリンがなにをしようと、お前たちには一セントの利益もないんだぞ)』


 そう言ってやりたくなる。

 それよりも、うちの領民たちを煽るヴェンデリンである。

 こいつは、本当に祟ってくれる。

 俺の邪魔ばかりしてくれる。

 せいぜい、中央の欲深い貴族たちに利用されて死ねばいいのだ。

 そう、死ねばいい。

 なるほど、これが俺の本心であったようだな。

 判明すると、意外とスッキリとするものだ。


『クルト。うちはうち。ヴェンデリンはヴェンデリンだぞ』


 親父がそう言うが、あんたはもう黙って孫の面倒でも見ていればいいのだ。

 とっくに、あんたの時代は終わったのだから。

 しかし、それから二年半。

 あの憎たらしい、ヴェンデリンの快進撃は続く。

 王宮筆頭魔導師と共に、パルケニア草原という魔物の領域でグレードグランドという老属性竜を倒し、その領域を開放。

 もの凄く名誉な二個目の勲章を貰い、男爵へと陞爵して、教会有力者の孫娘と婚約した。

 他にも、公爵と決闘をしたり、悪霊だらけの屋敷を幾つも浄化したり、共に竜を倒した王宮筆頭魔導師の弟子になったり。

 こいつは、とにかく話題が尽きない。

 間違いなく、寄親になったブライヒレーダー辺境伯も絡んでいるのであろう。

 商隊が来る度に、連中はその事実が面白おかしく書いてある、ブライヒブルクで配られた号外を持って来るのだ。

 娯楽に飢えた領民たちはそれに飛びつき、そこでヴェンデリンの活躍を知ることとなる。

 中には、武芸大会で一回戦負けという記事もあったが、それでヴェンデリンの評判が落ちるはずもない。

 なんでも出来る完全無欠の人間よりも、どこか駄目な部分があると人は逆に共感したりするからだ。

 それに、奴には魔法の才能があるからな。

 他にも、ヴェンデリンの婚約者であるエリーゼとかいう小娘や、側室になる予定のブライヒレーダー辺境伯の陪臣の娘たちの姿絵など。

 領民たちはブライヒレーダー辺境伯の思惑どおり、ヴェンデリンの情報を貪り読み、その将来に期待するようになった。

 嫌なことをする寄親だが、こいつは多分俺の排除を狙っているのであろう。

 自分で排除するのは手間だし気が引けるが、多くの領民たちが父に直訴する可能性もある。

 その数があまりに多い時、はたして親父は長子継承に固執するであろうか?

 父とて、小なりとはいえ一領地の領主で、一家の主なのだ。

 時には、非情な決断を選択数する可能性があった。

 そしてその際に切られるのは、間違いなく俺のはずだ。


『親父』


『いや、わざわざ人の家の継承順位に寄親といえど、そう簡単には首を突っ込むはずがない』


 親父は、ブライヒレーダー辺境伯が俺の排除は狙わないと予想していた。

 それよりも、他にもっと有効な手があると。


『あの手付かずの、広大な未開地がある』


 我が家も含めて、誰も開発できないで放置されていたあの膨大な未開地。

 先祖が欲を張って王国に申請し、王都の役人が面倒なのでうちの領地で問題ないと放置していたあの土地が、ヴェンデリンに分与される可能性があると。


『申請から百年以上、なにも開発していないから取り上げられても文句は言えまい』


 幸いにして、ヴェンデリンには金がある。

 寄親である、ブライヒレーダー辺境伯の援助も期待できる。  

 中央の欲深貴族たちと、教会も手を貸すであろう。

 うちのように、手を出す余力がないわけではないのだ。


『もしそうなっても、うちは現状維持だ。仕方あるまい』


 親父はそうは言うが、あの未開地はうちのものだ。

 開発をしなかった怠慢など、百年以上も放置しておいて今さらであろう。

 そんなものは、うちから未開地を取り上げる口実にしか聞こえない。


『俺が無理でも、子供たちか孫たちかひ孫たちが!』


 時間はかかっても、開発が進んでバウマイスター騎士爵家が大貴族になれる希望を奪う王国に、魔法しか能のないヴェンデリン。

 しかも奴は、その功績を利用してエーリッヒのみならず、パウルとヘルムートまで従えているそうだ。


『あいつらは四人で、俺の居場所と未来の希望を奪うつもりか!』


 その怒りは、日が経つにつれて激しくなっていく。

 だがうちの嫁のように、ヴェンデリンをいい人だと思っている連中も領内には多い。

 子供たちもアマーリエから話を聞いて、『竜殺しの英雄に会いたい』と無邪気に言っているそうだ。


『(だがな。そのヴェンデリンは、お前たちの将来を奪うかもしれないのだぞ)』


 俺の鬱屈は、ヴェンデリンが成人してからも続く。

 いや、もっと酷くなっていったのだ。

 そしてそんな時に、予想外の客が来訪する。

 商隊以外に外部からの来訪者が通ったことがないリーグ大山脈を越え、一人の冒険者が手紙を持って現れたのだ。

 その冒険者は、王都で会計監査長をしているルックナー男爵の使者だと自己紹介した。


「この手紙を届けるようにと。いやはや、噂には聞いてしましたが」


「そうだな。噂どおりの田舎なのさ」


 手紙の封を開けると、そこには成人して冒険者になったヴェンデリンが、攻略困難な地下遺跡からもう一週間も出て来ない。

 前に派遣した二組の合同パーティも全滅しているので、死んでいる可能性が高いと書かれていた。


「死んだ? ヴェンデリンが?」


「可能性は高いですね。それで……」


 手紙には、続けてこうも書かれていた。

 死んだバウマイスター男爵の爵位と遺産を、はたして誰が相続するのか?


「貴殿には、この騎士爵領がありますね。なので、貴殿のお子のどちらかがという可能性も」


「それは本当なのか?」


「ええ、バウマイスター男爵はまだ未婚です。婚約者はいますが、結婚もしていないし子もいない。同じく後継者候補として兄たちもいるのでしょうが、彼らはすでに爵位がありますから」


 エーリッヒはともかく、パウルやヘルムートはヴェンデリンに媚びて爵位を貰ったクズだ。

 あとは、三人の子供たちが候補として上がるが、継承順位で考えると俺の子の方が上になる。

 もしヴェンデリンの爵位と遺産を継げれば、未開地の開発に手が出せる。

 うちは将来、男爵にでも子爵にでも。

 伯爵にだって、辺境伯だって、なれる可能性があるのだから。


「(俺にも運が向いてきたな。さてと……)」


 今までの俺だったらすぐに親父に相談したであろうが、今の俺は違う。

 それに、どうせあの親父のことだ。

 王都とここのタイムラグとか、情報元が信用ならないから自制しろと言うのが容易に想像できた。


「(そんなことは、俺だってわかっているさ……)」


 ヴェンデリンが実際に死んでいるのかなど、確率で言えば半々かそれ以下のはず。

 それよりも重要なのは、魔法に優れて王都で大活躍。

 王都で時の人であるヴェンデリンに、明確に敵が存在するという事実だ。

 それも、王都で会計監査長という正式な役職に就ている男爵が最低でも一人。

 他にも、もっと存在するかもしれない。


「(ヴェンデリンの遺産、未開地の利権。少なくとも、ルックナー男爵には食いついてもらわないとな)あのヴェンデリンが、まさか! 急ぎ真偽を確認しませんと!」


「確かに。ですが、クルト様も領内の統治でお忙しいでしょう。そこで、我が主にお任せいただけたらと」


「おおっ! 男爵様が、お手を貸してくださるとは光栄な」


 そこまで言うのなら、任せてやる。

 着飾って、口ばかりで、地方の領主など普段は田舎者と見下している中央の法衣貴族に、なにができるのか?

 そして、それと同時にある考えが脳裏を占めるようになる。


「(ヴェンデリンが死んで、その遺産で未開地の開発に着手できれば……)」


 俺の、次期領主としての権力は増大する。

 親父だって、俺を哀れんだ目で見なくなるはずだ。


「(問題は、こいつの主人がどう考えているかだが……)」


「これからも、定期的に王都やバウマイスター男爵の情報をお伝えしますので……」


 定期的にとは言うが、この距離では情報が一ヶ月以上も遅れてしまう。

 そこがこの田舎領地の悲しい部分であったが、そんなことは今更であるし、今までずっとそうだったので気にしても仕方がない。


「(ルックナー男爵が、ヴェンデリンの暗殺でも引き受けてくれればいいのだが……。そんな虫のいい話はないにしても、なんとかヴェンデリンから金を毟り取る方法を考えなければな)」


 可能性の問題はともかく。

 そんなことを考えていると、普段のストレスばかりが溜まる領内統治よりも圧倒的に心が躍る自分が存在するのも事実であった。

 ヴェンデリンの財産。

 奪えれば、俺の人生はバラ色になるな。

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