第98話 地下遺跡攻略後の情勢
「のう、クリムトよ」
「はい」
「心配ではあるの」
「少しだけではありますが……まあ、その……」
「エリ-ゼもおるからの」
「バウマイスター男爵がいるので、大丈夫だとは思うのですが……」
バウマイスター男爵たちと某の姪であるエリーゼが王国強制依頼を受け、発見されたばかりの地下遺跡に潜ってから五日。
大丈夫だとは思いつつ、なんとなしに心が落ち着かぬと思っていたところ、陛下より呼び出しがあり、陛下の私室でワインを飲みながら話をしていたのである。
話題に出たのは、昨日くらいから王宮の貴族たちの間で流れ出した噂についてであった。
「無責任な王宮雀どもは、バウマイスター男爵が死んだのではないかと。特に、アレが騒いでおるわ」
「ルックナー会計監査長ですな」
共に財務系ながら、侯爵位を継げた兄ルックナー財務卿と、継げなかった弟ルックナー会計監査長の仲の悪さは有名である!
そもそも、お互いの役職の性質から考えて両者の仲がいいはずもない。
予算を編成して執行する財務卿に、予算の使用状況を調査して無駄を指摘する会計監査長。
両者の仲が悪いのは当然で、そこにルックナー兄弟を当て嵌めるとは、陛下も案外意地が悪い……他の貴族たちの仲が悪くならないように配慮したとも言えるのであるか?
このところ、弟であるルックナー会計監査長による兄ルックナー財務卿への攻撃も激しくなっているのである!
兄と同じ派閥の者たちや、寄子たちの些細なミスや無駄遣いを執拗に追及しつつ、逆に自分の派閥や寄子たちには手心を加える。
そしてそれを、逆に兄から指摘されと。
周囲は、この二人の終わらぬ争いに辟易していた。
しかもこの二人、バウマイスター男爵の扱いでも正反対の対応を見せていたのである!
「ルックナー財務卿は、バウマイスター男爵と縁があるからの」
逆に、弟のルックナー会計監査長はバウマイスター男爵と縁を結べなかったので、彼と敵対している。
彼は別に、ろくに顔を合わせていないバウマイスター男爵に恨みがあるわけでもない。
兄が仲良くしている貴族だから攻撃する。
たったそれだけのことなのである!
認知していない子供を雇ってもらえたのだから恩があるはずなのに、相変わらず陰険な男なのである。
これなら、まだ兄の方がよほどマシというもの。
あまりにも兄への憎悪が強く、『神官憎けりゃ祭服まで憎い』というやつなのである!
「ルックナー財務卿に反感を持つ連中を纏め、対立派閥を維持するためであろうがの。だからバウマイスター男爵を敵とせねばならない」
「閥とは、面倒なものでありますな」
「クリムトにそんなものは必要ないが、人間とは弱い生き物だからの」
ルックナー会計監査長は兄を蹴落として、財務卿の地位が欲しい。
そのためには、兄やその係累と仲良くするわけにはいかないのであろうが、なんと愚かな!
「話を戻しますが、遺跡探索でたかが五日間連絡が取れないくらいで大げさですな」
「経験者はそう思うのか。しかし、冒険者でない者からすれば五日は長かろう。ゆえに噂に説得力が出るのだ」
「大規模な地下遺跡なら、最低でもそのくらいは潜りっ放しなのは普通ですぞ。無知とは罪ですな」
「噂を広げている王宮雀どもは外の世界を知らぬ。それがわかっていて噂を流したルックナー会計監査長は罪深い男よ」
なにが罪深いのかと言えば、バウマイスター男爵が死んだかどうかわからぬうちに、ルックナー会計監査長が急ぎ彼が死亡したと噂を流して騒ぎを大きくした点にあろう。
密かにやっているつもりでも、敵対する兄や大物貴族たちがその動きを逃すはずもない。
噂の出どころなど、大物貴族ならちゃんと調べられるのだから。
さらに死んだとされるバウマイスター男爵がまだ未婚で子供がいないとわかれば、貴族たちの興味は彼の爵位と財産を継ぐのは誰になるのかという話になるのである!
そして、爵位と遺産相続のゴタゴタを利用して利益を得ようとする愚か者たちまでもが騒ぎ始めたのである!
誤報を噂として流しても罪にはならず……どうせ間違いを犯した王宮雀どもが反省などするはずがなく、また別の噂を流すだけであろう。
「バウマイスター男爵の後継者候補ですか?」
「彼は未婚であるが、兄弟に親族もおる。兄弟が多く、後継者候補には困らぬ身上ではないか」
「ですが……」
万が一のことも考えて、某もバウマイスター男爵から継承者の順位は聞いてるが、それこそ万が一の話なのである!
屋敷に遺書もあり、それはルックナー会計監査長の子供である家令ローデリヒが、使用人を統率して厳重に管理している。
ローデリヒはルックナー会計監査長の子供ではあるが、ルックナー会計監査長側が認知もせず顔も合わせていないせいで、ローデリヒは彼を実の父親だとは思っておらず、むしろ敵対関係にあるのである!
無責任に生ませて放置したせいで、恨みはあっても恩など一つもなく。
ゆえに、彼がバウマイスター男爵を裏切る可能性は皆無と言えるのである!
むしろ、喜んで実の父親と敵対するかもしれぬ。
悲しい話ではあるが、貴族の中には無責任に平民の娘に子供を生ませ、認知もせずに放置する者も多い。
血は水より濃いとは言うが、その濃さが肉親間の憎悪を増幅する様を、某は実際にいくつも見てきたのである!
「兄たちの子供に、年齢順に継承権を与えているようですな」
継承権第一位に、数ヶ月前に生まれたばかりのエーリッヒの長男イェルンを。
次に、パウルとヘルムートの妻たちのお腹にいる子供たちと。
もし生まれた子供が娘なら、婿を取るのでなんの問題もないことになっていた。
大半の者たちからすれば、今バウマイスター男爵に死なれると困るのだが、彼の行動を制限するのは難しく、万が一に備えて遺言くらいは残しておいてほしいと懇願されたのである!
早すぎる遺言であるが、貴族とはそれだけ業の深い生き物なのであろう。
王族や貴族ならばそう珍しいことでもなく、たまにそれを忘れたまま当主が急死し、いらぬ相続争いを呼ぶケースもあるので、必要な処置ではあった。
「それがの。ルックナー会計監査長だが、実家の長男に連絡を取ろうとしておるようじゃ」
「南の僻地に領地がある、バウマイスター男爵の兄にですか?」
「そうじゃ。バウマイスター男爵の実家のな」
場所が場所なので、連絡には時間がかかるはずなのである!
しかも、バウマイスター男爵の兄である長男には男の子が二人いるという話であるが、バウマイスター男爵は継承順位すら指定していない。
遺言状がなければ継承権は上なのであるが、あれば彼らに継承の目などまずあり得ない。
つまり今回の行動は、ルックナー会計監査長の暴走とも言えるのである!
そもそも兄弟でも別家の跡取りである彼が、バウマイスター男爵家の継承に口を出す権利などない。
それがわかっていて焚きつけるとは、完全なスタンドプレーなのである!
「可哀想にの。嘘の情報を流された長男はぬか喜びに終わろうて」
自分の子供のどちらかが、財産があるバウマイスター男爵家の跡取りになれる。
嘘を言って地方の小貴族を翻弄する、魑魅魍魎が住まう中央の罪深い貴族たちの一人ルックナー会計監査長。
実に困った男なのである!
ルックナー会計監査長は、別に長男の子供が跡を継げなくても構わないのである!
騙された長男が、その怒りをバウマイスター男爵、ブライヒレーダー辺境伯、ルックナー財務卿やその係累にぶつけ、さらに混乱を巻き起こしてくれるのなら。
もし本当にバウマイスター男爵が死んでいても、どうせ継承権はエーリッヒたちの子供に移ることになるのである。
屋敷にそう書かれた遺言状があり、その写しは貴族血統局にも保管されているので、まず異議を唱えても認められないであろう。
勿論、そんなことはルックナー会計監査長とて十分に承知しているのである!
それがわかっていても、あえて騒ぎと混乱を大きくすべく、無知な長男にこう囁くのであろう。
『貴殿の子供の男爵位継承は、家を出た弟たちによって阻まれた。彼らは、長男だから正統な継承者となった貴殿が憎いのだ。そしてその後ろにはルックナー財務卿、エドガー軍務卿などがいる』
他家の兄弟の仲を引き裂き、それを利用して自分の兄やその派閥の足を引っ張る。
とんでもない輩であるが、程度の差があれ、中央にいる法衣貴族でそんな連中など珍しくもないのである!
いつもある、風物詩のようなもの。
いちいち腹を立てていたら、王都で貴族などやっていられないのである!
「僻地とはいえ、普通に爵位を継げる者を翻弄か……あの男も相当に罪深い」
「あの男、一見貴族らしく動いているように見えて、実はただ兄が憎いだけですからな」
自分の方が優秀なのに、侯爵家とその財産を兄に奪われた。
苦労して法衣男爵にはなったものの、いつも兄は自分の邪魔をしてくる。
そんな憎しみのみで、五十年近くも兄と敵対しているのだから、ある意味ルックナー会計監査長は情熱の人でもあるのである!
他人には迷惑ばかりかける情熱なので、勘弁してほしいところではあるが。
「そもそも、あのブランタークがついていてバウマイスター男爵が死ぬはずがない。告げ口など無意味な行動であるな」
「ブランターク殿は、現役を引退するまで常に冒険者として実績をあげ続けました。それも生き残って。だからブランターク殿がバウマイスター男爵たちの指南役なのです」
とはいえ、今回の件で陛下は覚悟したようである!
一部のバカたちのせいで、南方でなにか騒動が起こる可能性が強まったため、これに対処する必要があると。
バウマイスター男爵が死んでいても生きていても、そう遠くない未来に情勢は確実に動き始めるのである!
実家の領地に残る長男と、家を出た弟たちによる少々血生臭い兄弟喧嘩が。
今回の件が不発に終わっても、ルックナー会計監査長は他の方法で必ずバウマイスター兄を炊きつけるはずで、今度はそれに彼も手を貸すはず。
「なにしろ、ルックナー会計監査長にはもうそれほど時間が残っておらぬからの」
「老いですか……」
「兄を追い落とすため、その弱点だと思っているバウマイスター男爵の兄を動かすのは明白であろう。状況は動き始めたのだ」
陛下は、そうなるのはもう少し先の出来事と予想していたようであるが、こうも周囲に煽る者たちがいては。
それに世間知らずで無知な兄が乗ってしまえば、騒動の始まりは予想以上に早まるはずなのである!
「バウマイスター男爵はすでに成人している。長男も不安を感じているであろうな。ブライヒレーダー辺境伯、種を蒔いているとか?」
「らしいですな。ブライヒレーダー辺境伯は、あの兄とはつき合いたくないのかもしれません。大人しくしていれば、自分の分を弁えていればもしかしたら……」
「本人はそう思って、このまま領地で大人しく篭っていたいと思っていても。外部から唆す輩も多く、さらに多くの地方貴族たちは領民たちの真の恐ろしさに気がついていない。確かに彼らは、普段は領主に従順な存在だ。領主に逆らうなどまずあり得ない。だが……」
「長男がバウマイスター男爵家の相続に口を出そうとしたということは、またその逆も可能なのだということに気がつくのですな。徐々に、長男よりもバウマイスター男爵の方が領主に相応しいのではないかと、遅効性の毒のように彼らの間に広がっていく」
「父親は相互不干渉を貫こうとしていた。だから、バウマイスター男爵の魔法と財力に頼らなかった。そんなことをしたら自分たちは貴族として終わりだと、本能で理解していたからだ」
「しかし、長男はルックナー会計監査長の囁きを無視できないでしょう。父親はなかったことにして無視するような性格だと、ブランターク殿経由で聞きました。それにもう年ですからな。ルックナー会計監査長も暇ではないので、唆すなら兄の方だと思い、人を向かわせたはず。事態が大きく動きますな」
「となればだ。王国千年の計のため、長男には生贄となってもらうしかない。大も小も生かせるほど、余は有能な王ではないのでな。それに……」
「大物法衣貴族たちが動きますか。ブランターク殿の繋がりで、ブライヒレーダー辺境伯が気がつかぬはずもなく、とっくに裏で動いておりましょう」
「ブランタークは王都における責任者か」
「某としては、かの長男が自重することを祈るだけですな」
「余とてその方が楽だが、先に状況を動かしそうなのは長男だ。しかも、動いた時には自身に非はないと思うはず。それにあのような閉鎖的で保守的な領地において、兄が弟に従うという選択肢を取るのは難しい。自分を支持する領民たちの反発を招くだろうからな」
「自分の支持層を減らさぬよう、長男はバウマイスター男爵と対立しなければならない。だが、もし本格的に対立すれば容易に潰されてしまう。どの選択肢を選んでも……ですか」
「彼が無事、針の穴を抜けられることを祈ろうではないか」
「……それこそ、神に祈る必要がありますな」
「クリムトが神に祈るなどと言うと驚きを感じるの」
「そうですな」
その後も二人でワインを飲みながら、しばらく話を続けたのである!
陛下もこれから大変ゆえに、その前に某と話して心を解しておきたかったのであろう。
肝心のバウマイスター男爵たちであるが、翌日にはその無事と、地下遺跡を攻略したという報告がなされ、王宮雀たちをガッカリさせたようである。
同じくガッカリしたであろうルックナー会計監査長のことを考えると、これでバウマイスター家の兄弟間の問題が収まったとは到底考えられず、どうやら某にもなにか仕事がくるやもしれないのである!
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