第70話 婚約決定後

 せっかくの王都での夏休みの大半が魔物退治で潰れ、残り三日でようやく自分の時間が作れた俺であったが、またまた思わぬ大イベントに遭遇してしまった。

 このヘルムート王国どころか、リンガイア大陸中に影響力を及ぼす宗教の総本山に本洗礼を受けに出かけたところ、なぜかそこの偉いさんの孫娘と婚約をすることが決まってしまったからだ。

 しかも、そのお偉いさんであるホーエンハイム枢機卿は、自由に王宮に出入りできる立場を利用して、先に陛下から承諾を得ていた。

 ここでこの婚姻を断るということは、俺のヘルムート王国内での人生が終わるのと同義である。

 隣国であるアーカート神聖帝国に亡命でもすれば第二の人生が始まる可能性もあったが、生憎と俺は隣国アーカート神聖帝国に関する情報に詳しくなかった。

 そのため、見切り亡命するわけにもいかず。

 結局、俺はこの婚約を了承することとなる。

 俺の婚約者であるエリーゼは、十人が見れば十二人くらい振り返りそうな美少女であったし、俺と同じ年とは思えないほどの巨乳でもある。

 この世で、巨乳が嫌いな男は少ないであろう。

 かくいう俺も、もの凄く大好きだ。

 それに、今は婚約をしただけなのだ。

 貴族の子弟は、親の意志で婚姻相手を決められる。

 そのため、時には環境や情勢の変化により、婚姻が解消されてしまうことも珍しくもなかった。

 100パーセント絶対に、俺とエリーゼが結婚をするという保障もないのだ。


『そんなバカな話があるかい。陛下自らが許可を出した結婚なんだからな』


『その陛下が予想し得ない事情により、その婚姻を破棄せよと命じるとか?』


『そんなアクシデントはまず起きん! というか、坊主はその娘が嫌なのか?』


『いえ! もの凄く可愛らしい子ですよ。お祖父さんが決めた婚約じゃなきゃ、俺が恋愛結婚できるようなレベルの子じゃないですし』


『坊主、自分で言ってて空しくないか? 女性にモテモテだったアルフレッドの弟子としてよ』


『顔の造作は、修行でどうこうできませんからね』


『それは正論だけどな』


 この教会本部を出てから、俺の婚約を聞きつけ、駆けつけて来たブランタークさんとの話の内容だ。

 彼に同行していたエーリッヒ兄さんは、俺たちの会話を聞きながら苦笑していた。

 エリーゼに関してだけど、特にあの胸がよかったと思う。

 俺は今でも胸の大小に貴賎はないと思っているのだけど、現物を目の当たりにすると転向も止むなしと思ってしまうのだ。

 

『とにかく、決まったことだから仕方がありませんよ』


 成人後、俺とエリーゼが絶対に結婚すると決まったわけではないので、今からどうこう言っても仕方がないのだから。


『あの枢機卿め! 本洗礼名目で呼び出して、教会本部でお見合いさせるとはな。彼の孫娘はホーエンハイム家の聖女って呼ばれていて、評判の美少女だからな』


『ホーエンハイム家の聖女ですか?』


『あの娘のあだ名だよ。王都では有名なんだぞ』


『それは知りませんでした』 


 なにしろ俺は田舎者なのだから。

 えらく神々しいあだ名であるが、そんな若い年齢で少し可哀想な気もしてしまう。

 俺だって、突然『竜殺しの英雄』とか言われて困惑しているが、中身がおっさんなのでなんとかなっているのだし。

 とにかく今は、実際に話などをしてみて相性を確認する方が先であろう。

 実は、とても性格が悪いという可能性もあるのだから。

 そんなわけで、本洗礼どころか婚約者まで決まってしまった俺は、そのまま二人と一緒に話をするため、ブラント邸近くの喫茶店へと向かった。


「……この店、酒はないよな? なんか飲みたくなってきたぜ」


「ここは喫茶店ですよ。ブランタークさん」


「知ってるけどな」


「完全に、ホーエンハイム枢機卿に手玉に取られてしまったな。あーーーあ、俺がお館様に叱られる」


 ブランタークさんは、自分の評価が落ちるのを気にしているようだ。

 でもブライヒレーダー辺境伯も動きが遅かったから、それは仕方がないのではと思う。

 本当であれば、寄親競争に勝ったブライヒレーダー辺境伯が、最初に俺の正妻を紹介しなければいけなかったからだ。

 それが、ホーエンハイム枢機卿に先を越されてしまった。

 俺の婚約者に決まったエリーゼは、このヘルムート王国の国教である正教徒カソリック教会のお偉いさんの孫で、陛下の信頼が厚い王宮筆頭魔導師……アームストロング導師の姪だというのだから、さらに性質が悪い。

 完全に出し抜かれてしまったブランタークさんは、主人であるブライヒレーダー辺境伯にあとでなにを言われるかと、一人頭を抱えている状態であった。

 俺の保護と監視というのも、彼の大切な仕事なのだから。

 気持ちはわかるけど、酒に逃げようとするのはよくないと思います。


「本洗礼のついでに、婚約の話なんてするか? 普通!」


 普通はしないはずだ。

 不謹慎だと、普通の人は思ってしまうからだ。

 別に、戒律に違反しているわけではないそうだが。


「あの人はしてしまうんですよ。しかも、事前に陛下の言質まで取って。陛下のお墨付きがあれば、ブライヒレーダー辺境伯様には事後承諾だけで済みますし」


 本当ならば事前に話くらいは通すのであろうが、それをするとブライヒレーダー辺境伯が先に手を打ってしまう可能性があった。

 だからこそホーエンハイム枢機卿は、あとでブライヒレーダー辺境伯が文句を言えないよう、陛下の言質を取ったのだと思う。

 この国の貴族にとって、陛下のお墨付きほど強力な大義名分はないのだから。

 ブライヒレーダー辺境伯は南部の実力者であるが、中央との距離のせいで法衣貴族たちに手玉に取られてしまった、というのが今回の婚約者選定の結果なのだと思う。

 逆に言えば、地方の貴族たちが王国に手玉に取られている間は地方反乱もなく、王国も平和ということなのであろう。


「俺、このまま王都で隠棲しようかな?」


 まだ五十歳前なのに、ブランタークさんは隠居手前の老人のようなことを言っていた。

 そういえば、前世で大規模取り引きをポシャらせた部長が、その直後にこんな表情をしていたのを思い出す。


「今回の件は、ブライヒレーダー辺境伯様にも甘い部分があったのは事実ですから、なにも言えないと思いますけど」


「エーリッヒ殿は、そうは言うがな。お館様はあまり怒鳴ったりはしないよ。だがなぁ……」


 なにか腹が立つことがあると、もの凄く不気味な笑顔で家臣たちと接するので、背筋が寒くなってしまうのだそうだ。


「坊主に文句を言ってもしょうがないがなぁ……」


「ヴェルがいくら魔法の天才でも、十二歳で王都の複雑な政治闘争を完全に理解して、それに流されないようにするのは不可能ですよ。大人でも無理なんですから」


 そう。

 所詮中身は二流商社マンになれる程度の頭なので、複雑怪奇な政治の世界なんてよくわからないのだから。

 俺は悪くない。


「だよなぁ。ああ、もっとアルテリオを利用すればよかった」


 そうは言っても、もう後の祭だと言う結論に達し、三人は出されたコーヒーを啜っていた。

 コーヒーは南方の特産品で、すべて輸入品なので王都ではとても高かったが、ここでは裕福な庶民もたまに飲む飲み物である。

 逆に、ブライヒブルクなどではかなり安く飲める飲み物であったが。


「なあ、あの少年は……」


「竜殺しの英雄だよな?」


「まだ小さいのね。可愛い子じゃない」


「怒らせると、魔法で吹き飛ばされたりしてな」


「まさか。そういうタイプには見えないぞ」


 この喫茶店は常連客に貴族も多い評判の店で、紅茶もコーヒーもデザートも美味しいお店だそうだが、あまり密談には向いていなかったようだ。

 家族連れに、若いカップルに、貴族とそのお付の人たちなどが、たまに俺たちの方を覗き込んでコソコソと話をしていた。

 

「季節のフルーツタルトを注文されたお客様は?」


「はいっ!」


 そんなヒソヒソ話も気にせず、俺は注文したデザートを持って来てくれたウェイトレスのお姉さんに、元気よく返事をする。


「坊主、のん気にデザートとか食ってる場合じゃねえぞ」


 実はこの喫茶店は王都名店ガイドに載っており、イーナとルイーゼがケーキが美味しかったと言っていたので、俺も食べてみたいと思っていたのだ。


「いやあ、もう決まってしまったことですしね。というか、俺は全然王都観光とかできていませんし」


 所詮は俺なので、多少魔法に才能があっても、陛下から爵位を与えられてもそれを突っ返す度胸などない。

 というか、そんなことができるのって、どんな人なんだろうと思ってしまう。

 前世で見た漫画だったか、小説だったか?

 偉い人の提案や褒美を断る主人公がいたが、その主人公はよく断れたものだと思う。

 少なくとも、俺には不可能であった。

 婚約者を勝手に決められてしまった件もだ。

 これも、偉い人が決めた婚約者ではなく、自分が本当に好きな人と結ばれたいと言えるのは、ドラマとかに出て来る主人公だけであろう。

 それによくよく考えると、今の俺には身分差などの障害がある将来を誓った恋人なんていなかった。

 十二歳までほぼボッチであった俺に、恋愛経験などあるわけがない。

 元々恋愛偏差値が低いので、これも仕方のないことであったが。

 それなら、今は素直に婚約を受け入れて、残り少ない王都滞在を楽しむべきであろう。


「お前、そういう所がアルフレッドによく似てるな。あいつも、見かけによらずマイペースで面の皮が厚かった」


「褒め言葉として受け取っておきましょう。でも、婚約はあくまでも婚約じゃないですか」


 先ほども話したが、貴族の婚約ほどあてにならないものはない。

 貴族家の当主同士で勝手に決めて、やっぱりこっちの貴族と縁を結んだ方がいいなと片方が思うと、すぐ解消されてしまうものだからだ。

 どうせエリーゼは成人するまでは王都で生活するので、ブライヒブルクにいる俺とはろくに顔を合わせる機会もないはず。

 なので、そこまで騒いでも意味がないと思ってしまう俺であった。


「桃の甘みと、初物の梨の酸味と歯ごたえも」


 さすがは、王都でも有名な喫茶店で出るデザートである。 

 甘さも抑え目で大変に美味しい。

 うちの実家では、こんなものは永遠に食べられないであろう。


「ヴェル、そのタルトは美味しいのかな?」


「ええ、絶品です」


「ブランタークさん、もう諦めましょうよ。僕もそのタルトを一つ」


「俺も……はあ……」


 場所が喫茶店だったので本当に秘密なのか怪しいところであったが、結局俺たち三人は突然沸ってわいた婚約者への対応策も決められず、そのままお店の名物であるケーキを食べてから、ブラント邸へと戻るのであった。

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