第71話 聖女とのデート
「ヴェンデリン様は、王都の滞在期間が残り少ないとお聞きしました。その間に、二度も竜の討伐に出られていてあまり観光などもしていないと伺っております。今日は、私が王都をご案内させていただきます」
「あはは……。王都生まれのエリーゼさんの案内なら、安心して任せられますね」
「私はヴェンデリン様の妻となる女です。エリーゼと呼び捨てにしてください」
「そうですか。では、俺のことも様付けなんて必要ないので」
「いえ、そういうわけにはいきませんわ」
「そうですか……(あれ? 意外と頑固なの?)」
翌日。
ブライヒブルクに戻る魔導飛行船が出るまであと二日。
今日はどこに出かけようかエルたちと相談していると、そこに昨日婚約したエリーゼがブラント邸に姿を現した。
俺は思わず、イーナとルイーゼの方に視線を送ってしまう。
二人は特に表情を変えていなかったが、そういえば俺はなぜ二人に視線を送ったのであろうか?
「エリーゼ殿ですか。これはわざわざ」
「伯父様からご高名は伺っております。リングスタット様」
「まあ俺は、アームストロング導師に比べれば二流の魔法使いですが」
「いえ、そんなことはありません。伯父様は、練達の魔法使いであると仰っていました」
「導師に褒めてもらえるとは光栄の至りですな」
続いて、そこにブランタークさんも現れ、エリーゼに挨拶をする。
ブランタークさんからすれば、エリーゼの存在自体が面白くないはず。
なぜなら、ブライヒレーダー辺境伯が寄親として俺に婚約者を宛がう予定だったのに、それを台無しにされてしまったからだ。
しかしながらブランタークさんも、実際にエリーゼと顔を合わせてみたら、彼女自身にその恨みを向けるのは酷であろうと思ったようだ。
多少ぶっきらぼうであったが、二人は普通に話をしている。
そもそも文句があるのなら、この婚約の仕掛け人であるホーエンハイム枢機卿にこそ、文句を言うべきなのであろうから。
あの老人がなにかを言われたところで、いちいちそんなことを気にするとも思えなかったけど。
俺は昨日の夜。
できるる限り、婚約者となったエリーゼに関する情報を集めた。
知っているのはブラント騎士爵家の人々とエーリッヒ兄さんくらいであったが、実は彼女、巷では『ホーエンハイム家の聖女』と呼ばれているらしい。
嫁入り修行のためとはいえ、修道女見習いとして教会で働きつつ。
教会の実力者の孫なので傲慢に振舞うかと思えば、誰にでも分け隔てなく優しく、会得している治癒魔法で、多くの人たちを無料で治療しているそうだ。
他にも、教会が運営している孤児院で子供たちに服を縫ってあげたり、食事やお菓子を作ってあげたり、勉強を教えてあげたり。
定期的に行われる、貧しい人たちへの炊き出しに参加したりと。
なぜ俺などの嫁になるのかわからない、聖女のあだ名に相応しい美少女であった。
まさに、完璧超人だと思うのだ。
『聖女に相応しく、この魔王たる俺に身を差し出すか』
『魔王というほど、ヴェルは悪人じゃないでしょう。魔法以外の面で、抜けているだけだし』
『……』
エリーゼがブラント邸にやって来る前、俺はルイーゼの指摘を聞いて心の中で涙を流した。
もう少しオブラートに包んでくれてもいいじゃないかと。
『でもそこまで完璧だと、逆になにか疑わしいような……。なんて言っている時点で、性格が悪いと思うけど』
『イーナの言うことにも一理あるかも』
俺は、ルートガーさんやエーリッヒ兄さんに、『かなり上手く装っているのでは?』と聞いてみたのだが、それはまずないそうだ。
貴族の箱入り娘が建て前だけの教育を純粋に受けた結果、このように未来の夫に尽くそうと懸命に努力をしている美少女という絵面になっているらしい。
いまいち実感がなかったが、立て続けに二匹の竜を倒し、陛下から双竜勲章二つと男爵位を得た俺は、王都の女性たちの間で大人気になっているそうだ。
もしかしたら、エリーゼも純粋に俺に憧れているのかもしれないと。
ないと思うけどなぁ……。
そしてエリーゼであったが、彼女は自分と同じく魔法が使える伯父アームストロング導師をもの凄く尊敬しているらしい。
当然、その伯父がベタ褒めをしている俺に対し、少なくとも悪い評価を下すことはないはず。
エリーゼの笑顔を見ていると、俺も装っているとは思えないな。
「(可哀想に、俺はそんなに高潔な人じゃないんだけどなぁ……)せっかくですから、すぐに出かけましょう」
「エリーゼお嬢様、そろそろ参りましょうか」
「はい」
エリーゼには、一人のお供が付いていた。
初老でロマンスグレーの髪をオールバックで纏めている、『ザ・執事』とも呼ぶべきその男性は、その名をセバスチャンだと自己紹介していた。
「セバスチャンは、私が生まれる前からホーエンハイム子爵家に仕えている執事なのです」
「この度は旦那様より、エリーゼ様とヴェンデリン様のお供をせよと仰せつかりました」
その外見から言動まで、どこから見ても執事の鑑のように見えるセバスチャン氏(推定五十二歳)に、俺は自分の置かれた状況さえ忘れ、感動すら覚えていた。
名前からして執事そのものって、もしかして貴族に使える執事のセバスチャン一族とかが実在するとか?
なんてね。
「(まるで、執事喫茶の人みたいだ)せっかく王都に来たのに、ほとんど王都観光もしていなくてさ」
「ヴェンデリン様は、あれほどの功績を残されたのです。お忙しかったのは当たり前でございます。では、参りましょうか」
「すまないね」
俺はセバスチャンの執事ぶりに感動しながら、エリーゼと彼と共にブラント邸をあとにする。
なにか大切なことを忘れていたような気もするが、今はせっかく王都を案内してくれるというのだから、王都観光に集中すべきであろう。
まだ婚約が決まって一日なので、エリーゼとは相互理解を深めた方がいいに決まっているのだから。
だが、俺たちが外に出たあとのブラント邸では、早速ひと悶着発生していたようだ。
「あの娘がヴェルの婚約者かぁ。でも、あいつも大変だよなぁ。あの胸は羨ましいとして」
「エルも普通に男の人なのね」
「悪いかっての。しかし、俺もヴェルと同じような境遇なのになぁ。婚約者の話なんて出た試しもない」
俺は正直に、ヴェルを羨ましいと思っていた。
特にあの胸がだ。
と同時に、イーナとルイーゼの胸に視線を送ってから溜息をついたせいで、二人からビンタを喰らって両頬にモミジを付ける羽目になってしまった。
「エルも、竜を倒せれば婚約者くらいできると思うわよ(私は標準なのに……)」
「無理を言ってくれるなよ、イーナ。俺は、地道に一旗挙げることにするよ」
「冒険者として? それとも、ヴェルの家臣として?」
「うーーーん、臨機応変で」
とにかく色々なことがありすぎて将来の予定が組めないため、俺としてもそう答えるしかなかった。
得意な剣をアピールして、魔法使いであるヴェルのパーティメンバーとなり、冒険者として活躍。
引退後、その経歴を利用してどこかの貴族家に仕えるか、冒険者予備校で講師を勤める、なんてキャリアで行こうと思っていたのに、ヴェルが成人前に貴族になってしまったんだから。
俺としても、ヴェルが貴族になる可能性は考慮していたけど、いくらなんでも早すぎる。
今は名義貸し扱いでヴェルの家臣になっているから、このままって手も。
なんかもうこれでいいって言うか、詐欺なんじゃないかって疑うほど話が美味しすぎるので、余計なことを考えてしまうな。
きっと、イーナとルイーゼもそう思っているはずだ。
「じゃあ俺も婚約してみるか! イーナ、俺の婚約者になってくれ」
「無理ね。というか、本気?」
「言ってみただけだが、即答かよ! 傷つくぞ!」
「私とルイーゼって、ヴェルの愛妾候補だと思っている人がいるから、名目だけでも従士長であるエルが手を出しちゃ駄目じゃないの」
「そうだったな」
「私もいまいち実感ないけどね」
ヴェルがアンデッド古代竜を倒して貴族になった時点で、たまたまパーティメンバーだったという理由からそう思われてしまう。
イーナとしても、責任取ってもらいたいなんて気持ちがあるのかね?
ルイーゼは……そうなっても構わないどころか、それを歓迎している節もあるからなぁ……。
ヴェルとイーナかぁ……。
二人とも本を読むから話題も合うみたいだし、ヴェルは優しいから、お似合いのような気もするけどな。
それに恋愛物語でもあるまいし、身分違いの恋をして『たとえ貧しくても!』とか言いながら駆け落ちするなんてまずあり得ん。
女性ってのは、男性に生活力を求めるものだ。
実際、跡継ぎの兄なんて、剣術はヘッポコなのにすぐに結婚が決まっていた。
女性は子供を産まないといけないからなぁ。
そういうものを求めて当然というか。
そういう条件でいえばヴェルは最高の相手だし、俺も貴族の家臣かぁ。
結婚できそうな気がしてきた。
「ルイーゼの嬢ちゃんよ。もう少し頑張ってほしかったな」
ブランタークさんがルイーゼに愚痴を溢しているけど、本当に愚痴でしかないような……。
予備校入学以来約四ヶ月間のつき合いだし、一緒にヴェルの屋敷に住んでいるから期待していたんだろうけど……。
あのエリーゼって子は、インパクトがデカすぎだっての。
「ブランターク様は無茶を言うな。もしボクかイーナちゃんがヴェルと相思相愛だったとしても、この状況で聖女様と張り合うなんて無理だと思うんだ」
「私もルイーゼも、生まれの壁はどうにもできませんからね」
陪臣の娘が、法衣子爵で教会有力者の孫娘と正妻の座を争う。
そんな無謀なこと、貴族社会を知っている人ほどやるわけがない。
ブランタークさんもそれを知っているくせに。
そんなことををするくらいなら、側室なり、愛妾になって結婚後に寵愛を受けるように努力した方が効率いいってわけだ。
「すまねえな。おっさんの愚痴だよ。ただ、わかっているよな?」
ヴェルが王都で名を挙げた以上、その身近にいるイーナとルイーゼは余計に周囲からそういう女性だと思われてしまう。
逆にいえば、ちゃんとそれを利用して……ってことなんだろうな。
「ボクの実家は、明らかに期待しているだろうね」
「もう実家からのお見合いの話はないわね。あっても受けないけど」
イーナとルイーゼの実家からすれば、自分の娘がブライヒレーダー辺境伯のお気に入りで竜殺しの英雄の妾になれれば都合がいい。
元々家格の問題で、正妻になれる期待など一欠片も持っていないだろうからな。
嫁ぎ先となるバウマイスター男爵家が将来領地でも貰えば、そこで娘が生んだ子を師範とした槍術と魔闘流の道場新設も可能となる。
弟子を道場の運営人員として送り出したり、バウマイスター男爵家で働けるようになったり……期待して当然か。
道場ってのは武術を教えるのが目的だけど、実はそれだけだと門下生が集まりにくい。
武芸を極めた弟子たちに就職先の斡旋ができる道場が人気で、それがあるから高い月謝を支払うという側面もあるのだから。
ただ武術だけ極めても、なかなか飯は食えない。
これは、イーナの亡くなったお祖父さんが言っていたことらしいけど、正論だよな。
道場運営ってのはとても大変で、俺も将来は剣術道場を……なんてなかなか思えないわけだ。
あっ、でも。
もしかしたら俺も、将来は剣術道場を……夢があっていいな。
「イーナとルイーゼも、色々と大変だな」
「しかしながら、将来への希望は見えてきたよ! 目指せ! ヴェルの妾にして魔闘流道場バウマイスター男爵領支部の創設と、初代師範の母!」
「ええと。同じく槍術道場バウマイスター男爵領支部の創設と、初代師範の母?」
「イーナちゃん、ここは淫靡に愛人とか妾とか言わないと」
「恥ずかしいじゃない……」
普段の冷静な表情とは違って顔を赤くさせるイーナを見た俺は、『そんな顔もできるんだな』ってある意味感心していた。
「俺はそうでもないけど、二人にすればあのエリーゼは脅威だな」
「頑張ってくれよ、お嬢ちゃんたち」
ブランタークさんはエリーゼに隔意を抱いているわけでもないけど、イーナとルイーゼには頑張ってほしいと言う。
なんか、都合よすぎるような気がするけど……。
そもそも、肝心のブライヒレーダー辺境伯様がちゃんと婚約者候補を準備していなかったのが悪いからなぁ。
ただ、実際にエリーゼを見て思ったんだけど、並の貴族令嬢が彼女に張り合うなんて無謀でしかないよな。
「ホーエンハイム枢機卿は、最強のカードを最高のタイミングで切ってきたわけでしょう?」
剣術で言えば、最高のタイミングで必殺の一撃が決まったようなものなんだから。
普通に考えたら、もうこれで勝負あっただよな。
「エルの坊主の言うとおり、挽回は難しいだろうな。しかも、あのアニータ様が候補に挙がるって……」
「アニータ様?」
「ええとね。ブライヒレーダー辺境伯様の叔母で、ヴェルのお母さんとそう年齢は違わないかな」
「……あっ、そう」
ルイーゼがアニータ様について教えてくれたけど、いくらなんでもそれはあまりにも無謀だ。
ブライヒレーダー辺境伯家は大所帯だから、好き勝手言う奴が沢山いて大変そうだな。
「えっ! アニータ様がヴェルの婚約者候補になっていたんですか? よく候補に挙げましたね」
「それが……市井の美少女を教育して、その子と組み合わせて?」
そこまでしようとしたのかよ!
ヴェルって、本当に注目の的なんだな。
「さすがのヴェルも、絶対に怒ると思いますけど……」
俺もイーナの言うとおりだと思うな。
言い方は悪いけど、いい年をして嫁ぎもせず、ブライヒレーダー辺境伯家の庇護下で仕事もせずに遊んでいるわけだから。
しかも領主の叔母なので、家臣たちは誰も本人に面と向かって批判できず……そんなのをヴェルに押し付けるって、嫌がらせじゃないか?
なんか、アニータ様を後ろから煽ってそうな連中もいそうだな。
関わらない方がいいような気がする。
「そういう人って、奥さんを亡くした金持ち爺さんの後妻に入るってよく聞くけど」
「だからさぁ。そういう金持ち爺さんも御免被るって人なんだよ。アニータ様は」
「このまま死ぬまで、ブライヒレーダー辺境伯家で静かに暮らしてほしいのが、大半の良識ある一族や家臣たちの願いってこと」
「そうね、それが一番いいと思うわ」
アニータ様、評価低いな!
ブライヒレーダー辺境伯様はもの凄くまともな人なのに、その叔母がその評価って……。
「エリーゼさんと比べるまでもないな」
「比較するだけ無駄。あくあでもブライヒレーダー辺境伯家の一部からそういう提案が上がっただけで、お館様も許可したわけじゃないから。とにかく二人は、なんとかして坊主に気に入られてくれよ」
「任せて! ボクのお色気でヴェルを見事に誑かすから」
「お色気ねぇ……私にできるかしら?」
「イーナちゃんは考えすぎなんだよ。ボクたちには、自然と湧き出る色気があるんだからさ」
今のルイーゼにそんなものあるのか?
今は十歳くらいにしか見えないルイーゼだけど、数年後には……なんかルイーゼってそういうタイプじゃないような……。
もしかしたら、ヴェルは小さな女の子も好きって可能性も?
「(そういう貴族も一定数いるからなぁ……)」
妾として、小さい娘を望む貴族も多いと聞いたことがある。
そういう西部貴族の噂は、実家でも聞いたことあるしな。
どうせヴェルは、これからある程度妻妾を増やさないといけないだし、色々な娘がいた方がいいのかも。
俺は別に、小さい子に興味はないけど。
やっぱり、エリーゼさんのようなタイプに魅かれてしまう。
「エリーゼさんに先制されたけど、これから巻き返すからね! 本妻を出し抜く妾って話も珍しくないから」
「それはそうだな。で? イーナのお嬢ちゃんは?」
「誠意、努力してみます……」
イーナは、再び顔を真っ赤に染めながらブランタークさんの問いに答えていた。
普段の冷静な表情よりも、その恥ずかしそうな顔をヴェルに見せれば、案外一発かもしれないな。
「しなしながら、どうせあと数日でブライヒブルクに帰還だものな。まさかエリーゼの嬢ちゃんがついて来るわけないから、向こうで三年間じっくりと、坊主を誑かしてくれや」
そもそも俺たちも含め、ヴェルはまだ十二歳なのに、色々なことが起こりすぎなんだよ。
今リンガイア大陸全土で、一番忙しくスリリングな夏休みをすごした十二歳かもしれないな。
そして俺は、それを傍で見学しているようなものだ。
実に貴重な経験とも言えるな。
「しかし、婚約者とのデートに執事が同伴とは。お嬢様だよなぁ」
デートとしてはどうかと思うけど、なにしろ相手は本物の貴族令嬢だから仕方がないか。
「いきなり、出会い休憩所に直行とかでも困るからな。大貴族のご令嬢は、嫁入りするまで清い体でいなければならないんだから。万が一があると困るから、ああしてデート中も監視がつくんだよ」
「貴族って、大変なんですね。息苦しいような……」
「その大変な貴族に、お前らの友人はなってしまったわけだ」
まだ若いのに、ヴェルも大変だよな。
せっかくの美少女だけど、執事の監視下でデートって、俺はそういうのは嫌だな。
「ボクたちはそういう制限がないから、今度ヴェルに、今日のデートで行った場所に連れて行ってもらおうかな。二人きりで」
「それ、いいかもしれないわね」
「あの二人がデートで行く店って、客を選ぶんだぜ。お嬢ちゃんたちだと入れてもらえないかもな」
「そうなんだ!」
「ガッカリ……」
それを聞くだけでも、エリーゼさんってマジもの貴族令嬢なんだなって思ってしまう。
それにしても、わずか十二歳なのに三人の美少女に興味を持たれるヴェルって羨ましい……とは思えないな、なぜか。
どうしてなんだろう?
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