第69話 竜討伐後のバウマイスター騎士爵領にて

「行商隊が来たぞぉーーー!」


「今回は、なにか珍しいものがあるといいな」


「贅沢言うな、塩の確保が最低限だがや。でも、ブライヒブルクの珍しい品があるといいな」


「だろう? 早速見に行こうぜ」


「そうだなや」




 オイラの名前は、フリッツ。

 リンガイア大陸の南端、ブライヒレーダー辺境伯領から飛竜が生息するリーグ大山脈を越えたさらなる僻地、バウマイスター騎士爵領に住む農民だ。

 年齢は二十六歳で、家族は両親に嫁に子供が二人。

 男の子と女の子が一人ずつで、男の子が五歳、女の子が三歳。

 他にホルストと言う弟がいるんだけど、こいつは隣の村落に婿入りしている。

 その家に、男の子供が産まれなかったからだ。

 オイラは詳しくは知らないが、うちの村落の名主様と隣の村落の名主様が相談して決めたらしい。

 このバウマイスター騎士爵領は、リーグ大山脈の南側に唯一存在する人が住む場所だ。

 なんでも、百年以上も前に今のお館様の四代前のお館様が王都から人を連れて移住して来て、散々苦労してここまで開拓したそうだ。

 想像を絶する苦労だとは思うんだけど、オイラに言わせれば『フーン』の一言で終ってしまう。

 別に今だって、オイラたちは楽に暮らしているわけではないんだから。

 十数年も前の話だけど、オイラがまだ未成年だった頃に大規模な出兵があった。

 この村落からも、三十名ほどがお館様から命令されて出陣したんだ。

 他二つの村落も同じくらい人を出して、バウマイスター騎士爵領全体で百名ほど。

 お館様の大叔父に当たる従士長様が重たそうな鎧を纏い、農耕馬とは違う綺麗な馬に乗っていたのを、少年時代のオイラは記憶している。

 でも遠征は失敗して、うちの村落から出陣した三十名のうちたった五名しか戻って来なかった。

 従士長様も、その補佐をしていた息子様たちも戻らなかったそうだ。

 数少ない生き残りは、みんなボロボロの状態で痩せ細っていたのを記憶している。

 途中で飢えから馬を殺して食べ、槍を杖代わりに何とか数百キロを歩いて戻って来たらしい。

 途中、怪我が悪化したり、病気になったり、狼の群れに襲われたりで。

 どうしても、置いて行かざるを得なかった仲間もいたそうだ。

 生き残った五名が、悔しそうに語っていたのを子供心に記憶している。

 彼らだって、まったくの無傷だったというわけではない。

 妙に暗闇を怖がったり、秋の団体狩猟で大きな猪や熊を見ると怯えてしまって狩りにならなかったりと。

 彼らが行った場所は『魔の森』という場所らしいけど、相当に恐ろしい目に遭ったようだ。

 他に問題になったのは、村落同士の対立だな。

 このバウマイスター騎士爵領は大まかに三つの村落に別れていて、人口は合計で七百名ちょっと。

 騎士様の領地としては大きい方らしいけど、うちの領地は貧しいからなぁ。

 遠征の失敗で、人口が減ってしまったのは大きかった。

 んで、こんな時になぜか、農地の拡張を行うので労役に参加せよとお館様から命令がきたんだ。

 そりゃあ、うちの名主様も隣の村落の名主様も反対したさ。

 戦に負けたせいで働き手が減ってしまい、今の農地の維持で精一杯なのに、どうして新規の開墾計画を急ぐのか?

 それよりも、冬に備えて狩猟を強化した方がいいのではないかと。

 オイラに言わせれば、うちと隣の村落の名主様の方が正しいわな。

 正しいけど、お館様と、お館様に娘を妾として差し出している本村落の名主クラウス様の意見が通ってしまったんだけど。

 おかげで、オイラも忙しかった。

 十四歳なら、大人と同等に見なされて働かされるからな。

 それ以下の子供たちも、たまに合間に遊ぶ程度で、みんな開墾に家の手伝いにと精を出したんだ。

 おかげで、川で魚を獲ったり森で狩猟や採集をする時間がなくなって食事が貧相になった。

 この領地で暗い時間に外に出るのは危険だから、夜に狩猟や採集を行うわけにもいかない。

 明るい時間をすべて開墾と農作業に取られると、当然厳しいわな。

 開墾で農地が増えたおかげで小麦の収穫量は増えていたけど、お館様が税収以外も食べる分以外は強制的に買い取ってしまうからなぁ。

 飢饉に備えた貯蔵や酒造りに使えないから当然不満は出るし、その小麦の買い取り資金や開墾費用の一部が、あの出兵で戦死した者たちの遺族に渡す一時金だという噂もあった。

 なんでも、出兵を強要したブライヒレーダー辺境伯様が規定以上の慰労金を払ったのに、かなりの部分をお館様がピンハネしたらしいのだ。

 嫌な噂だけど、ろくに娯楽すらない村落だからな。

 噂は、静かに密かに広がったものさ。

 そこまでしたのに、こっちは開墾が終わるまで食事は薄い塩味野菜スープとボソボソの黒パンだけだったからなぁ。

 しかも昼食は抜きで、食い物の恨みは恐ろしいってわけだ。

 今でも毎日必ず三食食べられるなんて、名主様の家とお館様の家くらいなんだけど。

 でも、リーグ大山脈を越えたブライヒブルクではみんな三食らしいけどな。

 それを聞いたら、少し羨ましくなってしまったんだ。

 こんな状態なので、近所に住んでいる幼馴染の末弟ボリスが今度来る商隊について村を出るらしい。

 なんでも、ブライヒブルクにある工房に弟子入りするんだと。

 ボリスの両親は、彼が三男なので反対はしなかった。

 名主様からは、一家の大黒柱を失った農家に婿入りしてくれと頼まれていたらしいけど、ボリスはまだ十二歳だしな。

 まだ婿入りは不可能だし、その間彼に実家で肩身の狭い思いをさせるのも酷だと思う。

 結局、ボリスは村を出て行くことになった。

 オイラも、それでよかったと思っている。

 あっ、そうそう。

 ここからが一番大切な話になる。


 開墾がもう少しで終わりそうになった頃、オイラが二十歳になってそろそろ嫁をという話になっていた時のことだ。

 お館様の八男様について、少し噂が広まったんだ。

 なんでも、その八男様は魔法が使えるらしい。

 どの程度かよくは知らない。

 なにしろ、オイラは八男様の魔法を見たことがないのだから。

 少々の水を出せるだけかもしれないし、岩山を魔法で吹き飛ばせるかもしれないし。

 本当、噂っていい加減なものなんだよなぁ。

 でも、せっかくだから。

 今、オイラも含めて五名で懸命に動かしている大岩を魔法でどかしてくれないかなと思うのは、オイラが怠け者だから?

 しばらくして本村落の連中が、『ヴェンデリン様の魔法は大したものではない。あてにしないで開墾に精を出せ』と言ってきた。

 どうやら、お館様の八男様はヴェンデリン様と言うらしい。

 『どうして知らないんだよ?』と言われそうだけど、八男様なんて村にも残れないはずで、オイラたちが無理に顔と名前を覚える必要はないと思うんだよね。

 あと、本当に大したことない魔法なのかは、実際に見てないからなんとも言えない。

 なにしろ、それを言ったのは本村落の連中だからなぁ。

 このバウマイスター騎士爵領が、三つの村に別れている理由。

 それは地域対立があるからで、本村落の連中の言うことなんて信じられるかっての。

 昔のお館様が王都のスラムから連れて来た住民の子孫が、お館様の屋敷もある本村落。

 名主はクラウス様で、彼はお館様に娘を妾として差し出し、その褒美で税収業務の一切合財を取り仕切っているので、領内の実質ナンバー2だ。

 当然、評判はよくないわな。

 うちの名主様も隣の名主様も、大嫌いだと明言しているほどだ。

 オイラたちからすれば、名主様でも雲の上の人だからそっちは別にどうでもいいと思うんだ。

 でも、本村落の連中は嫌いだな。

 あの連中、最初に入植したから自分たちが、あとから移住してきたオイラたちの祖先より偉いと思っているんだ。

 元々スラムの住民のくせに、プライドが無駄に高いのな。

 うちと隣の村落は、第二次、第三次の募集で入植して来て出身地もバラバラ。

 でも百年以上も一緒に住んでいるし、本村落の連中が嫌いという共通認識があるから仲も悪くない。

 しかし、こんな小さな領内で対立って、やっぱりうちの領地は貧乏臭いよな。

 そういうのは、王都に住んでいる大貴族様にこそ似合うものなのだから。


『少しいいかな?』


『はい? ええと、確かヴェンデリン様で?』


 前に少しだけ噂になったウェンデリン様だけど、実はオイラ、何回か話をしたことがあるんだ。

 初めてヴェンデリン様が、自分で獲った獲物と大豆を交換してくれとオイラに頼んだ時、こんな風に話かけてきて、貴族様なのにまったく偉ぶっていなかったのが大きく印象に残っていた。


『ホロホロ鳥と野ウサギが二羽ずつあるんだ。大豆との交換を頼みたいんだけど、いいかな?』


『交換ですか? それはもう喜んで! ホロホロ鳥はありがたいです』


 こっちは、差し出せと言われても文句を言えないからなぁ。

 交換なら大歓迎だ。

 それにしてもヴェンデリン様は、まだ小さいのに狩猟が大変にお上手だ。

 ホロホロ鳥なんて、うちの村落で一番の猟師であるはずのインゴルフですら、三日に一羽も獲れれば御の字って獲物なんだから。

 でも、どうして大豆なのかな?

 これって、スープの具を増すのと、家畜の餌くらいにしか使えないのに。

 取り引きはこちら側がもの凄く有利だし、貴族様に質問なんて緊張するからしないけど。


『あと、子実が青い大豆も交換して欲しい』


『青い大豆をですか?』


『中の実が大きくなって、黄色くなってくる直前のものがいいな』


『へえ、別に構わねえですけど』


『茹でて、塩を振って食べると美味しいんだ』


『それは知らなかったです』


 なんというか、随分と変わった貴族様だったと、オイラは記憶していたんだ。

 でも、本当に青い大豆を茹でたものは美味しかった。 

 なぜか酒が欲しくなるんだけど、酒はここではそんなに飲めないから、それだけは残念だと思う。 


『大豆は、一定の間隔で植えた方が他の作物の成長を助ける』


『さすがはお館様のご子息様ですなぁ。博識でいらっしゃる』


 一回だけ、ヴェンデリン様はこう仰っていた。

 半信半疑だったけど、確かに作物の成長は悪くないんだよな。

 それから、また本村落の連中が噂していたな。


『ヴェンデリン様は、生来の気質で少し怠け者なのだ。早くに村を出て行くから、問題はないのだが……』


 と言っているんだけど、やっぱり本村落の連中が言っているから当てにはならない。

 怠け者が、狩猟でプロの猟師よりも成果を出せるはずがないんだから。

 それとなくうちの名主様に聞いてみたんだけど、本村落の連中からすると、優秀な弟ってのは領地の秩序を乱す存在なのだそうだ。


『あの連中は、生え抜きとしてのプライドが高い。よって、クルト様の領主継承が妨害されるのを極度に恐れる』


 全体的に領地が豊かになることよりも、自分たちが本村落で生え抜きとして優位に立てる方が大切。

 田舎だと、こういう考え方は珍しくないそうだ。

 オイラは、少しでも領地全体が豊かになった方がいいと思うんだけど。

 やっぱり本村落の連中は駄目だな。


『悲しいことに、人間とはそういう生き物なのだ。それと、ワシにはクラウスの考えが理解できん』


 クラウス様は、本村落の名主様だ。

 それなのに、お館様やクルト様に完全に従っているわけでもないらしい。

 裏でなにかをしているという噂もあるし、とにかくよく理解できない、危険な人間なのだそうだ。

 今さらだけど、うちの名主様はユルゲン様って言うんだ。

 クラウス様に比べれば、はるかにいい名主様だとオイラは思うんだけど。


『その前に、人間として嫌いだがな!』


『ユルゲン様、お館様やクルト様、クラウス様に聞こえたら大変だってばよ』 


 そんな経緯の後、十二歳になられたヴェンデリン様は村を出て行った。

 なんでも、冒険者になるべくブライヒブルクの学校に入学するそうだ。

 学校かぁ……。

 オイラも一度は通ってみたいと言ったら、マイスター様が休息日に開催する『教会学校』とそんなに違わないんだと。

 本当なのかね?


『それよりも、大豆でホロホロ鳥が食える生活は終わりか……』


 こう嘆く領民たちは多かったんだよな。

 本村落の連中は、ほっと胸を撫で降ろしていたようだけど。

 跡継ぎのクルト様と比べられて、色々と大変だったのかな?

 前にも、エーリッヒ様という五男様のせいで同じようなことがあったらしいけど。

 そして、ヴェンデリン様が村を出てから二回目の商隊が到着した。

 領内にお店がないので、みんなこぞって押し寄せる。

 値段は少し高かったが、みんな貨幣で買える珍しい品に飢えているから、懸命に吟味して買っている。

 まず最初に、生きるのに必要な塩を買ってからだけど。

 

「みなさん、今日はブライヒブルクで刷られた号外を持って来ましたよ」


 なんでも、商隊が出発直前に配られたものらしい。

 早速に貰って読むと、そこにはあのヴェンデリン様が伝説の古代竜を退治した記事が書かれていた。

 うちは田舎だけど、最低限読み書きくらいはできるからね。

 これもマイスター様のおかげさ。


「ヴェンデリン様って、あの怠け者の?」


「そんな噂、当てになるか。本村落の連中が言っていたことだぞ」


「あいつら、クルト様に媚びて優遇されているからな」

 

 こんな貧乏領地で優遇されても、高が知れているというもの。

 そもそも、本当に優遇されているかどうかも怪しいんだけど。

 お館様の屋敷がある村落に住んでいて、自分たちは生え抜きだ。

 そういうプライドだけで、彼らは満足しているんだと思う。


「倒した古代竜の素材を王国に買い取ってもらって大金を得た。双竜勲章という凄い勲章を貰って、準男爵に叙任されたか」


「全然、怠け者じゃないじゃん!」


 確かに、竜を倒す怠け者って聞いたことがない。

 それどころか、こんな田舎出身とは思えない大人物にしか見えないわな。

 というか、どうしてこれほどのお人を、お館様は手放したんだろう?

 号外を見たみんながそう思っているようだ。

 一方、その号外を面白くなさそうに見ている連中がいる。

 本村落の連中だ。

 彼らと一緒にクラウス様もいるんだが、彼は笑みを崩さないままで不気味だった。

 なるほど、ユルゲン様の言うとおりだな。


「しかし、これは……」


 ユルゲン様は、どう判断もつかないといった表情をしていた。


「ユルゲン様?」


「あと数年以内に、この僻地に大きな変化が起こる可能性が高い。はたして、それが吉と出るか凶と出るか?」


 そして三ヵ月後の今年三回目の商隊が、ヴェンデリン様が二匹目の竜を倒して男爵となり、また大金を得て、枢機卿とかいう偉い人の孫娘と婚約したという情報を持ち込んだ。


「よかった、この領地は豊かになるぞ」


「ヴェンデリン様万歳だよな」


 無邪気に喜んでいる人がいるんだけど、はたして本当にそうなのかな?

 オイラには、そう話が上手く行くとは思えないんだけど。

 あのユルゲン様の表情と、必ず笑顔で号外を手にしているクラウス様を見ると。

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