第55話 ヘルムート王国貴族事情(前編)

「はあ……。疲れたなぁ……」



 夕方、エーリッヒ兄さんの結婚披露パーティーは無事に終わった。

 花嫁さんも含めて、エーリッヒ兄さんは役場の同僚や友人たちから暖かい祝福を受け、エルやイーナやルイーゼもそれに混じって楽しい時間をすごしていたようだ。

 どうして俺が『いたようだ』と言うのは、そこに参加できていなかったからなのは言うまでもない。


「ヴェルも大変だな。やっぱりモンジェラ子爵がしつこかったのか?」


「いや、あの人は抑えに回ってくれたんだ。おかげで、アレでもマシだったんだから」


 一方の俺はというと、結婚式の間中、ずっと多くの参加者たちに囲まれ続けていた。

 この時になって、俺はようやくエーリッヒ兄さんの謝罪の意味を知ったのだ。

 俺とブランタークさんが古代竜を退治した話は、わずかな時間で王都中に広がっていた。

 ブランタークさんが自分の魔法では古代竜は倒せないと知り、魔道飛行船に留まって船の防衛に努めたことや、古代竜を昇天させた聖魔法を撃ったのは俺だと言う事実まで。

 普通、この手の噂は尾ひれがついて大分事実と異なってくるのだけど、それがないってことは噂を流したのは……王国なんだろうな。

 事実と異なる噂を流されてそれを訂正する手間は省けたが俺は彼らパーティーの参加者たちに新しい玩具の如く弄られ続けてしまう。

 まさか、今日自分たちが参加する結婚パーティーに、噂の竜殺しが参加しているとは思わなかったのであろう。

 それに加えて、花婿の実の弟であったという事実もだ。

 目敏く気がついた人たちの中には、どうにかパーティーに参加して俺と接触をしたいと考えた貴族や商人もいたらしく、彼らの無理な懇願を上手く波風立てないように断ったのが、ルートガーさんとブランタークさんと、ブラント騎士爵家の寄親をしているモンジェラ子爵であった。

 年齢は四十歳前後であろうか?

 身長が百九十センチほどと高いが、その体は細身で肌も白く、いかにも官僚といった面持ちのモンジェラ子爵は、大切な寄子の結婚披露パーティーなのに俺が主役のような結果になるのを失礼だと感じたらしく、長時間俺に食い下がる連中を度々連れ出してくれたのだ。

 そういう細かい配慮ができるのは、代々官僚を務める貴族だからなんだろうと思う。


「モンジェラ子爵様に感謝しないとな」


「そうだな」


 エルの言うとおりだ。

 結婚式の間、酷い人になると、せっかくのエーリッヒ兄さんの正装姿や花嫁さんのドレス姿に視線すら向けず、俺に一方的に話し続けていたのだから。

 家臣や使用人候補として、自分の知り合いや子弟を紹介したり、妾でもいいからと自分の娘を紹介したり、酷いのになると怪しげな投資話や借金の申し込みだったりした。

 有名人になると友人、親戚が増え、怪しい商売を持ちかける人が増えると聞いたことがあるけど……。

 正直なところ、エーリッヒ兄さんに申し訳ない気持ちで一杯だったのだ。

 ただ、俺が苦労している横でエルたちと楽しそうにしていたから、それはよかったのではないかと。


「エルたちは、楽しそうだったな」


「俺たちは、注目されていない一招待客だからな」


 パーティーは無事に終わり、俺はブラント家が用意した客室のベッドの上で寝そべりながらエルと話していた。

 エーリッヒ兄さんの計らいで、王都滞在中はこの部屋に泊まれることになっていて、俺とエル、イーナとルイーゼで二つ部屋が割り当てられていた。

 来客用の部屋があるという時点で、ブラント騎士爵家とバウマイスター騎士爵家は、同じ騎士爵家でもまるで違うな。 


「一応家臣なのに、助けにも来ないで」


「今はまだ名目上だけだし、給金も貰っていないからな」


「正論なだけに、なにも言い返せない」


 エルたちが名目上の家臣になっているのは、俺に群がるであろううるさい就職希望者たちを避ける狙いがあるからだ。

 今の関係は同じ冒険者志望で、パーティメンバーでしかない。

 家臣としての実が伴うのは、俺たちが冒険者を引退してからになる予定であった。


「しかし、ヴェルもこれから大変だな」


「王都から離れれば……」


「それはどうかな? とにかく今は夏休み中なんだから、王都観光でも満喫していたらどうだ?」


 突然ドアがノックされたので開けると、そこにはブランタークさんが立っていた。

 しかも俺たちの会話が聞こえていたようで、それに返答するかのごとくそう言ってくる。


「『それはどうかな?』って、どういう?」


「ああ、これから坊主の争奪戦が始まるんだよ。おかげで俺も、しばらくは王都で坊主たちのお守りだからな。楽だからいいんだがよ」


 突如古代竜を討伐し、その功績でここ二百年以上も叙勲者がいなかった勲章と、準男爵位を与えられた若者がいる。

 しかもその若者は、討ち取った古代竜の骨と魔石の売却で莫大な富を得た。

 ならば、この国の富と権力を司る貴族たちの考えることは一つ……というわけね。

 

「押し掛け家臣に、嫁、妾志望者なんて序の口なんだよ。まず、争いになる件がある」


「誰が、ヴェルを寄子にするかですよね?」


「おおっ! エルの坊主は、意外と知恵が回るんだな」


「微妙に傷つくなぁ……」


「すまんすまん。これで俺が、坊主たちに付いている理由がわかったよな?」


 寄親と寄子。

 この制度を一言で言えば、貴族社会の本音であろう。

 騎士爵も公爵も、王家から爵位を与えられた貴族たちは全員が同じ王家の臣下である。

 これが建前とすると、経済力は一つの村から税を徴収できる程度で、動員できる兵員がせいぜい数十名の騎士爵と、その領地と経済力は小国にも匹敵し、その動員兵数が千、万単位である伯爵や辺境伯が同じ立場であるわけがない。

 これが、本音の部分であろう。

 それに加えて、あまりに多すぎて王国だけでは管理が面倒な騎士爵と準男爵を、中央と地方の上級貴族たちに管理させる。

 王国側のこのような思惑もあって、この制度は王国の成立直後から続いていた。

 俺の実家であるバウマイスター騎士爵家の寄親は、言うまでもなくブライヒレーダー辺境伯家である。

 王国南部を取り纏めているのがブライヒレーダー辺境伯家だからという理由が大きいが、普通領地持ち貴族たちは近場にいる大物貴族を頼るし、中央の法衣貴族たちも世襲している役職などで纏まるのが普通だ。

 実際、エーリッヒ兄さんが婿入りしたブラント騎士爵家も代々財務関係の仕事に就くことが多く、寄親はルックナー財務卿の腹心であるモンジェラ子爵というわけだ。


「でも変ですね。ヴェルの寄親なら、ブライヒレーダー辺境伯様に優先権がありませんか?」


「普通に考えるとそうだな。だが、そう考えない奴がいるんだよ。しかも、その考え方が間違っているわけでもないしな」


 俺はブライヒレーダー辺境伯の寄子であるバウマイスター騎士爵家の出で、今は冒険者を目指してブライヒレーダー辺境伯領内にある予備校に通っている。

 卒業後は、ブライヒレーダー辺境伯領内を含む南部が活動エリアになるであろうし、となれば、俺を寄子にする権利はブライヒレーダー辺境伯家にあると考えるのが普通だ。


「本当は、お館様は坊主をお抱えにしたかったんだがなぁ。あの食えない陛下の横槍で、直臣にされちまったが……」


 そう。

 準男爵となった俺はブライヒレーダー辺境伯と同じく王国貴族なので、ブライヒレーダー辺境伯家の家臣にはなることはできない。

 それを意図して俺を貴族にしたのだとすると、やはりあの陛下は相当に食えない人のようだ。


「坊主が誰の寄子になっても、陛下はなにも言わないだろうけどな。万が一の時には、王家の方が優先権があるんだから」


 寄親の命令よりは、主君である王家の命令。

 まあ当然であろう。


「じゃあ、ブライヒレーダー辺境伯様が寄親で決まりなのでは?」


「ところが、そういうわけでもない」


 まず、俺が領地を持たない法衣貴族扱いなのが問題らしい。


「坊主のように、過去にも功績を挙げて同じような形で叙勲された例は多いんだよ」


 功績が大きいから、貴族にして年金とそれを子孫に継承させる権利を与えた。

 だが領地はないし、なにかの役職に任命されたわけでもない。

 年に一度は年金を王都に貰いに行く必要があるが、あとは基本的になにをしていても自由。

 俺のような立場の貴族は、実は結構な数存在しているらしい。


「領地があれば、その地方で顔役になっている子爵以上の中、大貴族か、ブライヒレーダー辺境伯家のような方面を統括する大物貴族の影響下からは逃れられない。自然と選択肢は縮まるものなのさ」


 続けてドアがノックされ、今度はパーティーも終えて普段着に着替えたエーリッヒ兄さんが現れた。

 どうやら、俺たちの話を聞いていたようだな。

 エーリッヒ兄さんも、俺の寄親に興味あるのか。

 

「でも、その選択肢が狭まらないと? エーリッヒ兄さんにはもう別の思惑がある?」


「僕とブライヒレーダー辺境伯とでは立場が大きく違うからね。僕の立場で言わせてもらうと、できればルックナー侯爵の寄子になってほしいかな?」


「あれ? モンジェラ子爵なのでは?」


「モンジェラ子爵の寄親が、ルックナー侯爵なんだよね」


 ここが寄親、寄子の制度のややこしい部分なのだが、モンジェラ子爵はブラント騎士爵家の寄親で、ルックナー侯爵の寄子でもあるのだ。

 ブラント騎士爵家が、ルックナー侯爵の『寄孫』と言えば分かり易いのかもしれないが、寄孫という言葉はないらしい。


「ルックナー侯爵ですか?」


「ヴェルは、陛下に謁見した時に会っているはずだよ。財務卿をしている人だから」


「ああ、あの骨と魔石の売却代金をケチろうとした……。おっと、失言」


「まああの方はね……。でも、財務卿ともなると、色々と大変なんだよ」


「予算だって、無尽蔵じゃないからな。陛下がケチ臭いことを言うと、民衆や貴族たちからの人気が落ちる。時には、陛下の代わりに嫌われることを言うのも財務卿の仕事なんだよ」


 ブランタークさんは、あの謁見の際の骨と売却代金の値切り騒動には、そのような裏があったのだと説明した。

 財務卿が必要以上に値切って俺に嫌われ、そこに陛下が助け舟を出す。

 そのお礼に陛下が、魔導飛行船予算の余り分を、他の予算が不足している事業などに回す許可を財務卿に与える。

 完全に、ギブアンドテイクの関係らしい。


「ルックナー侯爵は優れた政治家だし、職権乱用をして財産を増やすようなこともしないからね。陛下からの信用も厚いし」


「それは結構なんですけど、なんかここ一日、二日でお腹一杯ですよ」


 正直、魔法なんていくら使えても、それで面倒の種が消えるわけでもないのだ。

 前世と同じく、面倒なのは人間関係というやつであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る