第38話 師匠の師匠

「お手間をかけさせて申し訳ありませんね」


「いえ……」


 

 俺がブライヒレーダー辺境伯に案内されたのは、なんと彼の私室であった。

 しかも室内には、俺と彼の二人だけ。

 最初にメイドが二人分のマテ茶を煎れていたが、彼女は一礼してからすぐに部屋を退室してしまった。


「それでご用件とは?」


「気がつきませんか?」


「ええと……なにがでしょうか?」


「才能は折り紙つき。ですが、まだ経験不足といったところでしょうか。ブランターク」


 ブライヒレーダー辺境伯がそう俺を評しつつ誰かの名前を呼ぶと、すぐに一人の男性が入ってきた。

 年齢は、四十歳代後半くらいであろうか。

 白髪混じりの黒髪を角刈りにしている、鋭い眼光を放つ歴戦の冒険者といった風に見える人物であった。

 しかも彼は、魔法使いに多いローブ姿であった。

 つまり彼は、魔法使いというわけだ。

 初めて自分以外の魔法使いを見るな。


「うちの、筆頭お抱え魔法使いです」


「ブランターク・リングスタットだ。見てのとおり、以前は冒険者をしていてな」


「さらに付け加えますと、前にうちの筆頭お抱え魔法使いであったアルフレッド・レインフォードの師匠でもあった人です」


「えっ?」

 

 いきなり師匠の名前を出された俺は、間違いなく顔に誰にでもわかる驚きを示しているはずだ。

 死んでから語り死人となり、五年以上も自分の魔法を有望な後継者に伝えるべくその姿を維持し続け、ついに俺と出会ってその願いを成就した師匠。

 俺はこの話を、できれば他の人に伝えないで墓まで持って行こうと考えていた。

 師匠が語り死人になっていた件や、俺と出会って魔法を教えてもらった件。

 そして最後に、無事免許皆伝を貰って彼の遺産を引き継いだ件などもだ。

 特に一番最後は、実は大きな問題を孕んでいる。

 魔の森で壊滅したブライヒレーダー辺境伯軍は、遠く数百キロ以上の行軍を含めた遠征を行うに対し、その弱点である補給を師匠に一任していた。

 二千人の軍勢を養う食料や物資を、すべて師匠が魔法の袋に入れて運んでいたのだ。

 そしてそれらブライヒレーダー辺境伯軍の物資は、あまり使われないまま軍勢のみが全滅してしまった。

 魔法の袋には、まだとんでもない量の物資が残っていたのだ。

 そしてその物資は、すべて俺の腰に下げている魔法の袋に入っていた。

 この魔法の袋は師匠から譲られたものなので、当然と言えば当然であろう。


「私は、先ほど言いましたよね? 君はまだ経験不足だと」


「まだ子供で学生ですからね」


「そうさな。結構な魔法は使えるようだが、まだ他の魔法使いの気配に鈍感だ。アルに教わらなかったのか?」


「えっ? 俺には、リングスタットさんが仰っていることが理解できません」


 さすがは、師匠の師匠なだけのことはあるらしい。

 俺が師匠から、魔法の手ほどきを受けていたことに気が付いているようなのだ。

 しかし、ここで素直にその事実を認めるのも危ないような気がする。

 ここは、一旦とぼけて様子を見ることにしよう。


「あれ? 俺って、この子に危機感を抱かせちまったか?」


「駄目じゃないですか。ブランターク」


「なあ、坊主。俺は、別にお前さんを罰しようとしているわけでもない。当然、お館様もだ」


「私は君と交渉がしたいのです。そして、ブランタークはお弟子さんの最後の様子が知りたいわけでして。その辺は、信用していただけませんでしょうか?」


 二人に諭され、俺は遂に師匠と二人だけの秘密を語ることになるのであった。





「そうか。器合わせまでしたのか。お前さん、相当にアルに気に入られたんだな」


 それからしばらく、俺は二人に長い話をした。

 魔法の素質があることに気がついたので森で静かに練習していると、そこに語り死人になった師匠が現れて声をかけられ、そのまま彼の弟子になったこと。

 師事した時間は短かったが、そのおかげで今の俺があること。

 最後に卒業試験として、聖の属性魔法で師匠がゾンビになる前に成仏させたこと。

 そのお礼と卒業祝いとして、彼から魔法の袋とその中身を遺産として受け継いだことなど。

 俺が話をしている間、二人は神妙な顔付きでそれを聞いていた。


「そうか、奴は満足して成仏したんだな」


「あの、疑わないのですか?」


「いや、疑う余地などない」


 師匠の師匠であるブランタークさんは、些か他の魔法使いには使えない特殊な能力を持っているという。

 それは一度覚えた魔力を記憶し、その魔力の持ち主である人物がどこにいるのかを感知できるというものであった。

 正直、この能力は凄い。

 いくら魔力の多い魔法使いでも、普段体の表に出ている魔力の量は少ない。

 優れた魔法使いは、他の優れた魔法使いの気配に敏感だとは言っても、実はこれは一種の勘であったし、その探知範囲もよくて数百キロ程度。

 魔の森で語り死人になっていた師匠が俺の存在に気がついたのは、探知範囲で言えばギリギリであったのだ。

 それをブランタークさんは、一度覚えた魔力ならば数千キロまで探知可能だと言うのだから。

 ただ凄いとしか言いようがなかった。


「まあ、その能力は凄いんだがな。魔力量は、上級の下ってところ。アルの師匠だなんて言ってもな。すぐに抜かれてしまったほどで、師匠だなんておこがましいにも程があったのさ」


 そのブランタークさんであったが、なぜか南部の魔の森がある地点で、師匠の魔力を五年以上も感じていたと言うのだ。


「俺は、奴がリッチにでもなってしまったのかと思っていた」


 リッチとは、ゾンビの上位種にあたるアンデッド系の魔物だ。

 理性などないし、喋れないで魔法も使えないゾンビとは違って、リッチは生前には及ばないが知性と魔法が使える魔物であった。


「リッチでも、あの天才だったアルだからな。退治しないと駄目なんだが、場所が場所でな」


 軍隊でもようやく辿り着けたのに、冒険者が、それも単独か少人数であの魔の森に到着するのは不可能に近かった。

 

「幸いにも、アルはそこから動かなかったからな」


 ところが、その師匠の魔力反応が突然移動を開始する。

 俺と合流するためだったのであろう。

 ブランタークさんからすれば、辺境の村にリッチが移動を開始したと思ってしまったようだが。


「討伐をと考えたんだが、当時は俺も冒険者でな。依頼も出ていない件で仲間に無理は言えなくてな」


 山脈一つを越えて、元は天才魔法使いであったリッチと戦闘を行い、報酬どころか経費しかかからない。

 ブランタークさんは、早くに討伐依頼が出ることを祈っていたそうだ。


「ところが、アルは一箇所に留まったままだ。しかも、二週間ほどで反応が消えてしまった。最初は、誰かが倒してしまったものだと思っていたんだ」


 しかし、あの魔法使いが一人もないはずの辺境の村で誰が?

 そんなことを考えているうちに、以前から決めていた冒険者稼業からの引退と、死んでしまった弟子の代わりにブライヒレーダー辺境伯家のお抱え魔法使いとして転職してしまったので、暫くはそのことを忘れてしまっていた。

 だが、ここ最近になって話は急展開する。

 その魔法使いがいないはずのバウマイスター騎士爵家から、冒険者予備校に特待生で魔法使いが入学したのだと。


「今日で確信したさ。坊主が、アルの魔法の袋を下げているのを今目にしてな」


「奪ったのかもしれませんよ」


「それはないな。その魔法の袋は、アル自身が所有者の変更をしないと他の誰にも使えない。ということは、アルはリッチになっていなかった。語り死人として、坊主にそれを託したのだとな」


 語り死人は、生前に残した未練をはたそうとする。

 その魔力が消えたのに討伐の噂が流れないということは、無事にその未練をはたしたのであろうと。


「なるほど、アルフレッドには家族がいませんでしたからね」


「アルは、もの凄く女にモテたんだがなぁ。ついぞ結婚しなかったな」


 十五歳の頃から冒険者として十五年間以上も活躍し、それから鳴り物入りでブライヒレーダー辺境伯家のお抱え魔法使いになった師匠であったが、彼は孤児出身ゆえにどこか家族を作ることに恐れを抱いていたらしい。

 女性に言い寄られることは多かったが、ついに家族を作らないままで死んでしまったそうだ。

 

「そんなわけだから、坊主がアルの遺産を受け継いでもなんの問題もないわけだ。なにしろ、本人からの譲渡だしな」

 

 語り死人でも、師匠本人と言えば本人だ。

 ブランタークさんは、俺が師匠の遺産を受け継いでもなんの問題もないと考えているようだ。


「私も、問題はないと思うんですけどね」


 とは言いつつも、ブライヒレーダー辺境伯にはなにか懸案事項があるらしい。

 俺には容易に想像がついていたが、違う可能性もあったので本人から先に言ってもらうことにした。


「アルフレッドは、今は亡き父が実行した魔の森遠征において、非常に大きな役割を担っていました。遠征軍の副将兼参謀長、魔法部隊隊長、補給部隊隊長などです」


 師匠は、魔法使いとしてはこの大陸で間違いなく五本の指に入る存在であったらしい。

 魔力も上級クラスでトップクラスの量を誇り、各種攻撃魔法はおろか、師事していた俺は師匠の多彩な魔法を見本にそのレパートリーを広げていたのだから。

 当然、軍内では攻撃の要であり、それを認められて遠征軍でナンバー2の地位を得ていた。

 魔法部隊の隊長については、他の少数従軍していた魔法使いが全員、よくて下級と中級の間くらいの実力しか保持していなかったので、自動的に隊長に任命された。

 補給部隊の隊長に関しては、彼がすべての物資を魔法の袋に入れて運んでいたのと、他に補給部隊で偉い人がいなかったという点も大きかった。


「彼は膨大な物資を袋に仕舞い、その中に入れた物を自由に取り出せます。おかげで、あの二千の遠征軍は補給の心配をしなくてもよかったのですから」


 他にも、重要ではあるが荷を抱えているので足が遅い補給部隊を同伴しないで済んだ点も大きかった。

 行軍が早ければ、その分必要な物資も減るからだ。


「その魔法の袋の中には、遠征軍の補給物資が納められているはずですが」


「はい」


 知らなければネコババでも問題はないと思っていたのだが、知っているのであればこれは返すのが筋であろう。

 なにしろ俺は、彼の領内にある冒険者予備校に通っているのだから。

 正直、あんまり実家のことは考えていなかったが。


「ちなみに、こちらがそのリストです」


 師匠は生前、毎日律儀に袋に入っている遠征軍の物資の種類と量を欠かさずチェックしていたらしい。

 それを記した彼直筆のメモが残されていて、俺はそれをブライヒレーダー辺境伯に渡した。

 各種食料、水、薬草などの医薬品、資材、予備の武具に。

 兵士に与えるためや、魔の森で得た魔物由来の素材やその他の物資などを買い取るため、かなり高額の金銭も持っている。

 さらには、すでに一部褒賞を与えたのであろう。

 かなりの量の魔物の素材に、薬草や鉱石なども入っていた。


「兄を治す霊薬の材料には手が届かなかったものの、さすがは魔の森。貴重な素材なども多いですね」


「それで、これをお返しすればよろしいのでしょうか?」


「ええ、さすがはアルフレッド。律儀に自分の資産と分けていてくれたのが幸いですね」


 物資などの返還が決まったので、俺はすぐにブランタークさんが持っている魔法の袋と自分の魔法の袋の入り口を合わせる。

 続けて俺が頭の中で指定した収納物を思い浮かべると、それらは次々とブランタークさんの魔法の袋へと移動した。

 この方法を使うと、わざわざ一旦すべての物資を外に出さないで済むからだ。


「俺の魔力量だとギリギリだな。行軍や侵入で消耗する前であったらお手上げだったな」


 魔法使いしか使えない持ち主を限定する魔法の袋は、魔力をほとんど使用しない癖に、その魔法使いの魔力限界量で収納する量が決まる厄介な機能を備えていた。

 ブランタークさんは、自分の弟子の魔力量の大きさを改めて実感したようだ。


「ブランタークだって、名の知れた有名な魔法使いじゃないですか」


「お館様はそう言ってくれるけど、坊主は他の魔法使いなんてあまり知らないでしょう」


「そう言われると、確かに……」


 生い立ちと今までの生活のせいで、俺には世間で有名な魔法使いへの知識があまりなかった。

 図書館では、もうとっくに鬼籍に入った、半ば歴史の登場人物のような人物の記載しか見れなかったからだ。


「これでも俺は、結構な有名人なんだぜ。だが、そんな俺を遙かに超える天才だったんだよ、アルは。本当、惜しい男を亡くしたものさ」


 ブランタークさんが嘆いている間に、リストを持っていたブライヒレーダー辺境伯は、返却された物資の資産価値を丼勘定ながらも急ぎ計算していた。


「白金貨五十枚分は軽くありますね」


 皮肉なことに、魔の森で得た素材などがかなりの価値を占めているようだ。

 でなければ、普通に人が食す保存用のパンや干し肉や水や酒。

 それに、予備の武具や宿泊用のテントなどがそこまで高価になるはずがない。

 むしろ、資産価値のかなりの部分がこれら魔の森で採集された素材の評価額で占められていた。

 

「おかげで、我が領の財政も一息つけるでしょう」


 いくら十二年近くも前も領軍の大損害とはいえ、二千人近くの人死を出せば損害の回復には長い年月がかかる。

 諸侯軍の建て直しのために軍事費の支出は増えるし、その間、それを理由に内政をサボるというわけにはいかない。

 税収が落ちれば、増大する軍事費をねん出できないからだ。

 いまだに開墾地の増大や、次第に人口が増えるブライヒブルクやその周辺にある町の整備なども必要なので、いくら大身のブライヒレーダー辺境伯家とはいえ、決して楽な財政状態ではないのであろう。

 俺が返却した物資に、ブライヒレーダー辺境伯はもの凄く嬉しそうな顔をした。

 天の恵みというわけだ。


「君がいてくれて助かりました」


 普通に考えれば諦めるしかないものを、すぐ傍にいる俺が持っていて、しかも素直に返還に応じたのだ。

 嬉しくなって当然というわけだ。


「それで報酬なのですが……」


「えっ? あるのですか?」


「それは当然あります」

 

 もしその物資が入った師匠の袋が、いまだに魔の森の中に置き去りにされていた場合。

 冒険者にその回収を依頼しても、これを受ける人は皆無であろう。

 それを考えると、俺に報酬を払うのは安上がりとも言えた。


「二割を報酬とします。一千万セントを受け取ってください」


 随分と準備がいいらしく、ブライヒレーダー辺境伯はすぐに謝礼として評価額の二割を渡してくれる。

 さすがに白金貨はなかったので、すべて金板で支払われていた。

 元々白金貨は、大商人が大口取引の決済に用いたり、王族や大物貴族が嵩張らない資産として保持しているくらいで、市場にはまず出回らないから当然と言えよう。

 お店で使おうにも、お釣りがないので断られてしまう。

 なので、俺が持っていても意味がなかったのだ。

 あとで両替しないとな……使い道がないから必要ないか。

 どういうわけか、師匠の遺産の中に十枚ほど入っていて、冒険者はリスキーな分稼げる可能性があるのだという証拠でもあった。

 結局物資は返す羽目になっていたが、それでも報酬は貰えたし、師匠の遺産や、俺が自分で得た物資などには一切変化がなかったので特に問題はなかった。

 変に返還を断れば、この大陸南部で大きな力を持つブライヒレーダー辺境伯家を敵に回してしまうが、素直に返したので彼の好感を得たし、コネも得た。

 ただ魔法が上手ければ好きに生きられる世界などないはずだから、俺の判断は間違っていない。

 少なくとも、俺はそう考えることにした。


「(白金貨十枚か。日本円で十億円とか……)」


 実は師匠は、もっと多くの現金を持っていた。

 それでもこの金額は大金であったし、前世でも今世でも大金を使う環境になかった俺からすると、正直あまりピンとこないのも事実であったのだ。

 変に気を大きくして破滅しないように、やはり今の生活レベルを維持しようと俺は決意する。

 まあどうせ、高級外車とかが買えるわけでもないし、服や服飾品でもオーダーすれば大金なのだろうが、生憎と俺はその分野に興味がなかった。

 唯一あるとすれば、冒険者や魔法使いとして使う、高価な素材や、魔法的な能力を付与された武器や防具なのであろうが、これも師匠は冒険者時代に相当に高価な物を多数手に入れて魔法の袋に仕舞っていた。

 俺が新しく買う必要はまるでなかったのだ。


「さて、思わぬ幸運により、我らは臨時収入を得ることができたのですが、もう一つヴェンデリン君に渡さなければいけないものがあるのです」


「もう一つですか?」


「はい。君は、我がブライヒレーダー辺境伯家の首席お抱え魔法使いであったアルフレッドの遺産を受け継ぐ資格のある人間です。実際に、その魔法の袋と中身は正式に受け取っている。違いますか?」


「確かに、受け取っていますが」


「彼の資産は、その魔法の袋だけではありません。他にもあるのです」


 ブライヒレーダー辺境伯が言うには、彼は冒険者稼業を引退する間際にブライヒブルクに屋敷を購入したらしい。

 他にも、冒険者ギルドにある程度の金を預けてもいたようだ。


「冒険者を引退しても、そこから一切冒険者ギルドと縁がなくなるという話ではないのです」


 冒険者ギルドに再就職をしたり、有名で名の知れた冒険者はギルドから名誉的な役職を貰って名義貸しをしたり、現役時代に貯めた金を預託金としてギルドに預けたりもするらしい。

 その預託金で、新人冒険者に基本的な教育を施したり、初期装備を買う資金を低利で貸したり、他の商人ギルドや職人ギルドに低利で貸し出して利益を得たりと。

 預託金に利息は付かないが、冒険者ギルドに窃盗に入るバカはいないし、預けている預託金の額が多いとそれだけ冒険者ギルドに貢献している扱いになって名誉なので、元冒険者はあまり必要のないお金は冒険者ギルドに預けてしまうことが多いようだ。

 銀行などないので、安全にお金を預かってくれる冒険者ギルドはありがたい存在なのであろう。

 これを、持ちつ持たれつとも言う。


「でも、師匠が死亡扱いになったのは、もう十年以上も前の話ですよ。残っているのですか?」


「こちらにも事情がありましてね……」


 師匠には家族もいないし、以前のブライヒレーダー辺境伯領は今とは比べ物にならないほど財政的に苦しかった。

 なので、師匠の遺産はすぐに接収したらしい。


「ギルドの預託金はいいです。金額は記録に残っていますから、引き揚げた分の金額を君に渡せば良い。一千万セントだったかな? 確か?」


「……」


 さすがは、有名な冒険者でもあった師匠。

 ギルドに預けている預託金も大金であった。


「よろしいのですか?」


「というか、君に返さないと駄目なんです」


 このブライヒレーダー辺境伯領は自分の領地ではあるが、領地の運営には各種の法が適用されている。

 遺産の受け渡しなどは、毎年大小多くの争いが発生して、その度にブライヒレーダー辺境伯家の事務方が、苦労して裁定する羽目になっているそうだ。


「彼らが裁定に従うのは、私たちが厳格に法に則って動いているからです。なので、それを私が破るわけにはいかない。君は、アルフレッド本人から正式に遺産を譲渡された人間です。よって、私が接収していた他の遺産も君に渡す義務があるのです」


「確かに、ブライヒレーダー辺境伯様の言うとおりですね」


「屋敷は予備校にも近い。今の寮を引き払って、そこに住めばいいじゃないですか」


 冒険者ギルドブライヒブルク支部にも近いから、師匠はそこに家を建てたのであろう。


「年数は経ちましたが、状態保存の魔法がかかっているから当時のままで綺麗ですし、中の家具などもそのままにしています」


「えっ、どうしてですか?」


「アルフレッドの奴、魔道具で家の警備をかなり厳しくしていたんだよ」


 とっくに運び出されていると思われていた家の家具などが運び出されていなかった理由を、ブランタークさんが教えてくれる。

 家の家具の中には、魔道具に改造されていて他の人間が使えなくなっていたり、無理に外に運び出そうとすると、家の警備をしている小型ゴーレムたちが飛び込んで来るそうなのだ。

 この小型ゴーレムも魔道具の一種だそうだが、これは師匠が冒険者時代に古代の遺跡から手に入れたものらしい。

 今よりも遙かに進んだ魔導技術によって作られているそうなので、到底解除は不可能という結論に至ったそうだ。


「つまり、都合よく俺が現れたから押し付けたと?」


「そうとも言うな。それと、坊主なら魔法の袋のように専属使用人の変更も可能かと思ってな」


「家が貰えるなら努力してみます」


「おお。期待して待っているからな。引っ越したら俺も祝いに招待してくれよ」


「もしできたら招待しますよ」


 パーティーに招待された件自体には裏はなかったが、まさかそこでこのような交渉をブライヒレーダー辺境伯とするとは思わなかった。

 多くの軍需物資と魔の森の魔物から取った素材は失ったが、その代わりに得たものも多かったので、俺としては大満足と言ったところであろうか。


「ヴェンデリン君がここに本拠を構えてくれるとなると、こちらも色々と助かりますね。君が冒険者を引退した頃には、ブランタークもお抱え魔法使いは引退でしょうから、そのままうちに仕えて貰えると大歓迎です」


「そうですな。さすがに六十歳を超えると現役は辛い。俺の跡を坊主が継いでくれると安心だな」


「はあ……」


 いくら師匠以外の人間が入れない家でも、こんな小僧に景気よくくれた理由はそんなところにあったようだ。

 冒険者を引退後なので、いきなり俺を引き抜くということはしないようだ。

 いくら魔力量に優れていても、ろくな社会経験もない魔法使いを大貴族家の筆頭お抱え魔法使いにするのは、色々と問題があるのであろう。

 師匠の遠征時の役割の多さを見るに、ただ魔法をぶっ放すだけでなく、一種の知恵袋的な役割も担う必要があり、それを得るための冒険者としての経験というわけだ。

 ある程度年齢を重ねて得られる、人生経験や人間関係などもあるのだから。


「確約はできませんが……」


「今日は、君と繋がりを持てただけで私としては上等なのです。君はまだ冒険者予備校に通う生徒だから、焦らないで待つことにします」


 いつの間にか俺はブライヒレーダー辺境伯と知己になったばかりではなく、将来のお抱え魔法使い候補として唾を付けられたようだ。

 いつまでも冒険者というわけにもいかないので、第二の人生としてはありがたい話なのだが。


「預託金は、あとでうちの人間に届けさせます。では、園遊会を楽しんで行ってください」


 結局、一時間ほど席を外していた俺であったが、急ぎ園遊会の会場に戻ると、そのまま残っていた料理を集めて食べ始める。


「おいおい、やっと戻って来たと思ったらよく食べるな」


「お腹減ったしな。なにより、元を取らないと」


「それが大切なのかよ。ブライヒレーダー辺境伯様に呼ばれていたんだって? 実家絡みのことか?」


「そんなところだな」


 まさか、あの取り引きの内容を他の人に話すわけにはいかないので、俺は主に肉料理を頬張りながら、エルの質問に適当に答えるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る