第23話 海には夢が詰まっていると思う

「しかし、そこで諦めては○西先生も駄目だと言っていたな」


 数日後。

 俺はこの世界の人たちには理解できない深い言葉を発しながら、海岸で新たな取り組みを開始していた。

 別に海岸で試す必要はないのだが、ここだと人目は皆無であったし、なにより自由に海の幸が食べられるのがいい。


「ここでは、塩も大量にあるからな」


 俺が今挑戦しているのは、土系統魔法の応用オリジナル魔法であった。

 まずは、いくらでも好きに使える大量の海水を材料に、魔法で塩を作る実験を行うのだ。

 ただ、この魔法は師匠が残した本にも書かれている。

 冒険者が塩を切らした時に、土や岩塊、動植物に、果ては魔物の死骸まで。

 そこにわずかに含まれる塩を、魔法で精製して得ることはよくあるそうだ。

 人間とは不思議なもので、まだ食料が十分に残っていても、それに塩味がついていないだけで、食欲をなくして死んでしまうケースがあるそうだ。

 人間にとって、塩とはそれほど重要なものなのだ。

 話を戻すが、師匠からの本に書かれていた魔法のコツによって、俺は素早く大量に高純度の塩を得ることに成功していた。

 塩化ナトリウム99.9%とまではいかなくても、白くてサラサラした塩は、屋敷にある少し黄色がかった塩や岩塩とは一線を画するものだ。


「というか、塩の販売で生きていけるかも」


 塩商人も悪くない……などと考えてしまう俺であったが、ここで満足をしてはいけない。

 この塩を材料に、あの調味料の復活を企んでいたのだから。


「まずは、味噌からだ」


 領内どころか、この世界でも大豆はポピュラーな作物だ。

 家畜の餌にしたり、スープに入れて煮込んだり、雑穀として麦粥に入れたりして食べられている。

 値段も安いので、俺はここに来る前に屋敷の近くで畑を耕している領民から麻袋一袋分をゲットすることに成功していた。

 なお代金は、自分で獲ったウサギの毛皮と肉である。

 さて、あとはこの大豆と塩を材料に味噌を作るだけだ。

 この世界には味噌がないので完全に手探りとなるのだが、幸いにして参考になる魔法が存在する。

 魔法使いの一部には、自分で準備したブドウを材料に一瞬にしてワインを造ってしまう猛者が存在するらしい。

 他にも、麦を材料にエール、砂糖を材料にラム、ハチミツでハチミツ酒なども作れるそうだ。

 この世界でも糖質がアルコールに変化する仕組みは知られているようで、色々なものを材料に酒を造る魔法使いは存在していた。

 普通なら長期間かかる醸造の行程を、魔法で一瞬のうちに行うのだと言う。

 真面目に酒を作っている醸造元から商売敵扱いされないのかと思ったが、そんなことはないらしい。

 なぜなら、酒の味はやはりプロが醸造した方が上であったし、たまにプロ顔負けの酒を造る魔法使いもいるようだが、今度は量が伴わない。

 大半が趣味で作って、自分や家族で楽しんでいるレベルなのだそうだ。

 冒険者パーティが遠征先で酒が切れてしまい、仲間の魔法使いに酒を造ってもらう……ということも多いらしい。

 のん兵衛からしたら、魔法で酒が造れる仲間ってのは非常にありがたそうだな。

 そんなわけで、上手く魔法を使えば酒がわずかな時間で出来上がるのだ。

 ならば、味噌の醸造だって可能なはずだ。


「まずは味噌だ。そこから、味噌溜りに進み、最後に醤油の醸造も魔法で。夢が膨らむなぁ」


 俺は早速、魔法で味噌の作成を始めるのであった。





「はははっ……。まさか、こんなに苦戦するとは……」


 俺は、ようやく完成した味噌と醤油を前に、この一年ほどにも及ぶ苦労を思い出していた。

 魔法なら、味噌や醤油だって気軽に作れるはず。

 そんなに量も必要ではないし、俺の分だけあればいいんだからと。

 もし過去に戻れるのなら、そんなお気軽な発言をした俺に注意したくなるほどであった。

 味噌の造り方は、昔田舎の祖母が自分で作っていたのを何度も見ていたので、行程くらいは知っていた。

 何回か、実際に手伝ったこともあったからだ。

 大豆を煮る作業は、これは魔法に任せることができるのでしない。

 豆を、煮えた状態に魔法で変化させることは簡単だったからだ。

 次の工程で、材料を混ぜ合わせるまではよかったが、次の発酵で大きく躓くこととなってしまった。

 混ぜ合わせた材料が、何回魔法をかけても腐ってしまうのだ。

 昔、高校時代の生物の教師が、授業中に雑談をしながら質問してきたことがあった。

 『発酵と腐敗の差とはなんだと思う?』と。

 みんな色々な答えを出したが一人も正解せず、正解はこうであった。

 発酵も腐敗も、同じ現象でしかない。

 人間にとって有用なのが発酵で、害なのが腐敗なのだと。

 こうして俺は、山ほどの大豆を無駄に腐敗させながら、狩ったウサギと大豆を毎日のように交換し、領民たちから変な目で見られ続けることになる。

 それでも諦めず、何千回もの失敗の後に、どうにか味噌の製造に成功した。

 そして、それと同じくらい醤油でも失敗を繰り返すこととなる。

 師匠の本ではかなり難しいと書かれていた上級魔法でも数回で成功させてしまう俺なのに、他にも色々とオリジナル魔法の開発を成功させているのに。

 まさか、味噌と醤油の製造で失敗を繰り返すとは思わなかった。

 ただ醤油の場合は、なかなか味噌溜りから進歩がなかったという種類の失敗だったので、これは大豆を無駄にはしていない。

 やはり毎日大豆を交換していたので、領民たちからは変な目では見られていたけど。


 あまりに毎日大豆を交換するので、領民たちは食事に大豆を使わなくなったらしい。

 それよりも、俺とウサギや猪の肉と交換した方が毎日肉が食べられる事実に気がついたのであろう。

『領主様の八男坊は、大豆をなにに使っているのであろうか?』

 領民たちの多くは疑問に思ったであろうが、そこは一応領主の息子。

 対等な交換で搾取されているわけでもないので、心に棚を作って普通に交換に応じているのだと思う。

 うちの家族が、なにも言ってこなかったのも幸いとも言えた。

 扱いが、腫れ物に触れるの類だからなのだろうが。

 なお、なぜか酒の製造魔法の方は一発で上手くいっていた。

 またも屋敷近くで畑を耕す領民たちと、狩ったホロホロ鳥と麦を交換し、それで麦焼酎やエールを。

 他にも、未開地で採集した山ブドウや野イチゴなどの自然の果物を材料に、ワインのようなお酒も製造に成功していた。

 まだ体が子供なので試飲は味見程度しかできなかったが、なかなかに美味だったので、これは魔法で土から頑丈な甕を作り、そこに酒を入れて密封して魔法の袋に仕舞っておくことにする。

 土から魔法で焼き物の原料として最適な二酸化珪素、酸化アルミニウム、水を取り出して粘土状にし、甕の形に整形して、高温の釜で焼成を行った後の状態を目指して材質を変化させたのだ。

 火の魔法で焼くという考えも一瞬浮かんだのだが、さすがに高温の火魔法を一週間出し続けるのは不可能であったので、これはすぐに却下した。

 最初は、脆くてすぐに崩れたり、水漏れが酷い甕ばかりが完成して粘土を相当に無駄にしたが、数百回の試行錯誤の後に、酒や味噌や醤油の保存に相応しい甕が完成している。

 甕の造形美に関しては、これは俺の芸術センスの欠如によってまず売り物にはならないであろう。

 ようは、作った酒や発酵食品の保存に使えればいいのだ。

 中身が漏れなければ、魔法の袋にさえ入れておけば品質劣化しないのだから。

 そんなわけで、この一年間は甕と味噌と醤油の製造に全力を傾けていたような気がする。

 当然他にも、魔法で塩を精製したり、ふと南方に島を発見し、そこで自生していたサトウキビから砂糖の精製を魔法で試みていたりと。

 砂糖は、リンガイア大陸の南端地域や南方海上に浮かぶ島嶼などで栽培されているらしい。

 当然、王都や北方地域、果ては輸出品としてアーカート神聖帝国にも輸出されていると本で見たが、俺はバウマイスター騎士爵領内では一度も見たことがなかった。

 なんでも、需要に比べて極端に生産量が少ないので、価格が塩よりも圧倒的に高いからだそうだ。

 財政的に厳しい我がバウマイスター家ならば、贅沢品の砂糖などよりもその何十倍もの量が買える塩なのであろう。

 あとは、森で獲れるハチミツや果物とか、汁を煮ると軽く甘い蜜が出来る蔓などで甘味を補っているのが普通であった。

 話は長くなったが、なににせよこれでサバの味噌煮を作ったり、サザエのツボ焼きに醤油を垂らすことが可能になったわけだ。

 海と繋がっている河川では、南方なのになぜか鮭に似た魚も遡上するので、これでチャンャン焼きやイクラの醤油漬けなども作れるはずである。


「だがこうなると、余計にアレが必要となるな」


 日本人には欠かせない主食、米の存在であった。

 ここは南方なので栽培しているのかと思ったのだが、少なくとも我が領では栽培されていないらしい。

 だが、ないはずはないと本で調べた結果、他の南方では作られているという記述を発見していた。

 この事実を知った時に、俺は自分の新しい父親がバカなのではないかと思ってしまったほどだ。

 水が不足しているわけでもないのに、麦よりも収穫効率のいい米を作らないとは……。

 最初は水田を作るのに苦労するはずだが、水田ならば連作障害も起きない。

 どうせ開墾で苦労するのであれば、水田を作るべきだと俺は思っていた。

 ろくに家の手伝いもない放蕩息子が口だけ出しても、まず受け入れられないであろう意見であったが。

 俺が進言してもまず聞き入れてはもらえないと思うし、南方で栽培しているとなれば、これは自前で手に入れるしかないであろう。

 普通に市場で買えばいいわけだが、それにはまず外部に『瞬間移動』可能なように、ポイントを領外に多数作る必要がある。

 つまり、一度はそのポイントに自力で到着しなければならないのだ。


「第一の目標は、ブライヒレーダー辺境伯家の館がある南部最大の商業都市ブライヒブルクだな」


 ブライヒブルクは、先代が大きな失敗をしてその損害の回復で苦労はしていたが、その程度では揺るがない大身ブライヒレーダー辺境伯領の本拠地で、南部辺境地域における最大の商業都市であった。

 南部に領地を持つ貴族たちは、必ず贔屓の商人に商会支店を作らせて常駐させていたし、近隣の領地からも多くの人たちが観光や買い物に訪れる。


 そしてなにより、ここには南部辺境地域を統括する冒険者のみならず、各種ギルドの南方本部が設立されていたのだ。


「次の目標は、ブライヒブルクに『瞬間移動』できるようになることだな」


 米の購入に関しては、魔法の袋の中に入っているものでいくらでも購入可能であった。

 師匠の財産や、ブライヒレーダー辺境伯軍の軍需物資に、壊滅するまでに得ていた魔物の素材なども大量にある。

 これに加えて、この一年ほどで大量の発酵食品や塩や砂糖なども大量に生産していたのだから。

 保存する甕と合わせて、毎日必死に努力した甲斐もあり、魔法の袋にはすでに数万個に及ぶ甕が収納されていた。

 数が異常に多いような気もするが、これも魔力量の増大を兼ねた訓練のためでもあったからだ。

 慣れるとどうしても魔力の使用量が効率化されて減るので、魔力量上昇のために限界まで魔法を使う訓練をする時に、次第にできあがる成果物が増えてしまった。

 別に攻撃魔法でもいいのだけど、いくら無人の平原とはいえ火炎や竜巻の魔法を連発させると環境に悪いので、魔力量を上昇させる訓練では土系統の生活魔法を使うことが多かったのだ。


「明日からは、山道を走らないといけないからな。早く帰って寝よう」


 俺は、『瞬間移動』を唱えて急ぎ家へと帰還するのであった。

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