第11話 お仕置き
修学旅行の余韻が薄れてくると、あっという間に木の葉が色づく季節がやってくる。
先日の席替えにより窓際の特等席を手に入れた私は、暇さえあれば窓の外をぼーっと眺めていた。
その窓は中庭に面しているため、空がほとんど見えない代わりに向かい側の校舎の様子がよく見える。同じ三階のそこは教室ではなく廊下になっていて、あまり距離がないため顔見知りがいれば案外気づくものだ。
「すーちゃん。何見てんの」
ノアの方を一瞥し、それから視線をまた窓の外に戻した。
「いや…あの子、カラーつけてんなぁって」
ガラスと中庭と、またガラスを隔てた先で談笑する女子の横顔には見覚えがある。みやこちゃんとよく一緒にこの教室を頻繁に訪れる、隣のクラスの子だ。
シャツの襟ぐりがはだけたその首には水色のチョーカーらしきものがちらりと見えた。
彼女の話し相手をしている男子は知らない人だけど、ブレザーにDomの印の青いバッジを着けているところからして一年生か三年生だ。同学年のDomはこのクラスにしかいない。
つまり彼が恋人であり、あのチョーカーらしきもの――すなわちカラーを送った
カラーとは、DomがパートナーのSubに贈る首輪のことだ。革製でバックルのついた文字通りの首輪もあれば、チョーカーやネックレスなどといったものでもカラーの役割を満たす。
カラーは所有の証。夫婦にとっての結婚指輪と同じような意味合いを持つと同時に、Subにとってその存在そのものが『支配されている』という自覚をもたらし、従属欲求を満たしてくれる。
あの始業式の日、保健室のベッドで目覚めてからあと少しで一年が経つ。堂々と首輪を身につける人々に最初は違和感を覚えたが、見慣れてしまえば暫定Subである私もカラーというものを少し羨ましくも思うようになった。
自分の首元に相馬くんが腕を回し、カラーを着ける光景を想像してみたりする。どんな感じなんだろう。
「隣のクラスの子か。この前までは着けてなかった気するけどね」
ノアも私の視線の先に目を凝らしながら言った。
「ところですーちゃん、今日は何の日?」
何の変哲もない平日。ただし今日は10月最後の日だ。
「ノアの誕……ハロウィン」
「いや言いかけた方!毎年それやるよね!」
本日めでたく一つ歳をとったノアは、バレー部の腕力を駆使して私の背中をバシバシ叩いた。
「痛い痛い痛いっ!ごめん!おめでとう!!」
「ふん、ハロウィンなんてクソ食らえだ。誰が何と言おうと今日は俺の日だからな!!」
「あはは、横暴じゃん。お菓子持ってないの?トリックオアトリート」
「あるよ」
ハロウィンを散々罵ったノアはしかし、律儀に何かお菓子を取り出すと私の口にいきなり突っ込んだ。
「ふぁに!?」
素朴な甘さと口の中の水分が持ってかれる食感。ノアのお気に入り、コンビニの鈴カステラだった。
その日の放課後、私は少し息を切らしながら約束の教室のドアを開けた。プレイの約束をしている日だった。
「遅かったね?」
「…ごめん」
私は拍子抜けしてそう返す。
確かに遅かったとはいえ、たったの一分か二分だ。いつもの相馬くんなら気にしないで、と軽く流して許してくれるのに。
笑みを浮かべてはいるけれど、その目の奥は笑っていないことに気づく。私は重ねて謝った。
「…ごめんなさい」
「いいよ」
相馬くんは柔らかく微笑むと、“Kneel”のコマンドを出して彼の足元に私を跪かせた。見上げるとやはり、その表情から隠しきれていない苛立ちが垣間見える。
「…そんなに怒ってるの」
「遅刻のことじゃないよ。…二見さんさ、ノアくんと仲が良すぎるんじゃないの」
驚いて返答に詰まると、相馬くんは頬杖をついて視線だけをこちらに向けた。
「餌付け。身に覚えがないとは言わせないけど」
「えづ…け…」
耳慣れのしない言葉に面食らう。餌付けってつまり、食べさせられること、だよね。
ふと脳裏に浮かんだのは朝休みの記憶だ。ハロウィンだなんだの流れで、お菓子をノアに貰った…というか口に突っ込まれた。もしかしてそのことだろうか。
「……」
「見当はついた?DomがSubを餌付けするのはね、立派な
悪い子、と言われたのがかなり響いた。途端に罪悪感が胸の中を渦巻き始め、指先からだんだんと冷たくなる感じがする。気がつけば私は震える声でごめんなさい、を連呼していた。
「お仕置きしようか。…“
グレアがぐんと強くなり、私はおすわりの姿勢すら保てずにその場で床にへばりそうになった。
「駄目だよ、伏せなんかしちゃ。ほらあそこ、教室のすみっこに行くんだよ」
私は床を這いつくばるようにして、相馬くんが指で指し示した教室の角の場所へ何とか自力で移動した。
相馬くんに教えられたお仕置きは初め、なんてことないように思えた。部屋の隅で、許されるまで壁の方を向いて座る。ただそれだけ。
しかし、そんな簡単なことがお仕置きとして機能する理由はすぐに分かった。
きついグレアを浴びせられながらコマンドも出されず、放置される。自身の支配者のDomの姿を確認することも許されない。
それがこんなにも恐怖に満ちて、不安で胸を締め付けられるものだとは思わなかった。
まるでベルトも安全バーもなしで絶叫マシンに乗っているような、そんな感じの精神状態だった。
得体の知れない絶望に、次第に震えが全身へ広がっていき、涙がつぅっと頬を伝った。
あ、無理かもしれない。
頭の中にふと『セーフワード』の文字が浮かんだ瞬間。
「もういいよ、二見さん。おいで」
想像してたよりすぐ近くで、甘い声がした。
私は振り返り、泣きながら相馬くんに縋りついた。
「ごめ…なさい……っ」
「よく頑張ったね。いい子」
優しい声音と頭を撫でる手つき。
あぁ、私をどん底に落とすのも引き上げるのも、何もかもこの人次第なんだ。私のたった一人の主人。
「君は誰のSub?」
「相馬くんの――」
相馬くんが嬉しそうに笑う声がした。それからぎゅっと抱きしめられ、さっきまでの地獄はどこへやら、多幸感に溺れてしまいそうだった。
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