第10話 深青色の抑制剤

修学旅行の三日目、つまり最終日の前日の朝。

ビュッフェスタイルの朝食で、生まれてこのかた和食派を貫く私は手前の混み合う洋食エリアをさっさと通り過ぎる。

茶碗としゃもじを手に取り、炊飯器を開けるとふわっと白い湯気が立った。やっぱり朝はこうでなくちゃ。


「二見さん。おはよう」


振り返ると、相馬くんが立っていた。

随分と久々な気がしたが、考えてみれば一昨日プレイに付き合ってもらって以来だ。私と相馬くんは班が別々だし、バスの座席も離れているから仕方がない。


「おはよう。相馬くんも和食派なんだ」


「どっちも好きだけど、ご飯の方が腹持ちいいんだよね」


そう言いつつ相馬くんは炊飯器の隣の味噌汁の蓋を開けると、玉葱とかぼちゃの味噌汁を自分の椀によそった。


ふと、相馬くんのトレーの上の抑制剤のピルケースが目に留まった。その存在自体は何ら不思議じゃない。大多数のDomとSubが朝に服用するため、周りのクラスメイトたちも各々の薬を持参している。

ただ、相馬くんの透明のケースに入ったそれは自分のとは色が随分異なっていて、思わずまじまじと見てしまう。


「相馬の薬、色エグいよねぇ」


真後ろから声がして、振り返ると中村くんが立っていた。手にオレンジジュースのコップを持っている。

普段と印象が違うように思ったが、いつも欠かさない両耳の複数個のピアスが今は一つもついてなかった。寝坊したのだろうか。わざわざ数えたこともないけれど合わせて10個以上はありそうだし、慣れていたって着けるのにそれなりに時間がかかりそうだ。というか、つけっぱなしにしていないのが意外だった。


相馬くんは味噌汁の入った保温ジャーの蓋を閉めながら、怪訝そうに中村くんを見る。


「なに、突然」


「いや、菫ちゃんがガン見してたから」


「や、そんなつもりは…ごめん」


咄嗟に謝ると相馬くんは笑う。


「いいよ。珍しいよね」


それは私や他の多くの人が飲むような白に近い薄青色ではなく、毒々しいほどに鮮やかな濃い青色だった。

そうか、抑制剤は色の濃淡でその効能の強弱が分かるのだ。そして強い薬を飲んでいる相馬くんは恐らく、Dom性が他の人よりも強い。


ちなみに隣のクラスの人が持っているSub用の抑制剤は、薄い赤色をしていた。間違えて飲んではまずいので、逆のダイナミクスの薬と一目で判別がつくようになっているらしい。


「あれ、菫ちゃんは持ってきてないんだ」


「そ、部屋で飲んで来た。何の変哲もない白っぽいやつだよ」


「菫ちゃんってDomっぽくないもんな。あ、いい意味で」


それはきっと性格が、という意味だろう。

DomとかSubには特徴的な性格の傾向がある。Domなら独占欲が強いとか面倒見がいいとか、Subなら自己肯定感が低いとか承認欲求が強いとか。

それはダイナミクスに基づいての生物学的な根拠があって、性格というより本能と言った方が近い。

日本人にしか通用しないなんて言われる血液型占いなんかよりよっぽど当たっている。私やノアはA型だけど、全然几帳面なんかじゃない。


「そういえば、けいちゃんも結構Dom性強いんだっけ」


中村くんが思い出したように言った。

けいちゃん、もとい柏崎かしわざきくん。クラスで一番の美少年とも称されるルックスの持ち主で、中村くんや相馬くんと仲がいい。

当然私とは縁のない人物のはずだけど、偶然今回の修学旅行において私と同じ班のメンバーである。


「あ、いた!けーちゃん」


「うわ、何……中村か」


柏崎くんは肩に腕を回してくる中村くんに対して露骨に嫌そうな顔をしている。機嫌が悪いのかと思うかもしれないが、これは柏崎くんの通常運転である。


「耳がスッキリしてるから一瞬誰か分かんなかった」


中村くんは期待に満ちた眼差しを向けて尋ねる。


「何、新鮮で格好いいって?」


「地味」


たった一言の捨て台詞を吐いて颯爽と立ち去る後ろ姿を見送ってから、相馬くんが堪えきれず「仲良いよね」と笑った。





その後すぐに相馬くんと別れてから、再び顔を合わせたのは同じ日の夕方だった。


丸一日自由行動が許されていて、沖縄市内の観光を十分に満喫した帰り際の電車内。


「…うぜぇ」


ぽつりと独り言のようなその柏崎くんの呟きは、少し離れたところに立つ乗客に対するものだった。

腕組みをして不機嫌そうに席に座る中年の男性で、しきりに貧乏ゆすりをしている。時折舌打ちを挟んでぶつぶつ何か文句を垂れていて、それだけで周りの乗客が白い目で見る理由に事足りると思う。が、それに加えてグレアを放っているのである。その男はDomであるらしい。

故意であろうとなかろうと、Subも居合わせるであろう街中でそれを撒き散らすのは完全にマナー違反だ。


柏崎くんが強いDom性だという話を、ちょうど今朝聞いたばかりだった。グレアを感受するのは何もSubだけではない。他のDomに対する威嚇の効果もあるそれは、特に柏崎くんにとって相当不愉快なものなのだろうと思う。

隣の文佳、そしてノアともう一人のメンバーである高峰くんは柏崎くんほどではないようだ。


突然、肩をトントンと突かれた。

驚いて振り返ろうとすると、耳元で囁かれる。


「平気?」


今度こそ振り返ると、驚いたことにそこには相馬くんが立っていた。私は無言のままこくりと頷く。


ちょうど目的の駅に電車が到着し、駅舎に降りた。同じ電車にうちの学校の人たちが結構乗っていたらしく、ホーム上は見慣れた制服でごった返している。

隣の車両の方から中村くんが歩いてきた。


「あ、相馬いたぁ。けいちゃんたちといたの?勝手にどっか行っちゃうから」


柏崎くん含め、班の他のメンバーはその時に初めて相馬くんの姿に気づいてギョッとした様子だ。


「え、何お前いつからいた訳」


高峰くんに問われ、相馬くんはしれっと「降りる直前」と答えた。そんなの電車を降りてからでもいいだろうに、グレアの気配と私の姿を捉えてわざわざ来てくれたのだろうか。…私の主人あるじだから、心配してくれたのだろうか。

何とも言えない気分になった。


二日前のプレイのお陰で、少しばかりのグレアなど何ともなかった。けれどもしまともに当てられて倒れでもしたら、そんな時に頼れるのは文佳でもなくノアでもなく、事情を知る相馬くんだけだ。


「あ〜〜!相馬、同じ電車だったんだ!」


改札を抜けた辺りで、聞き覚えのあるはしゃいだ声がした。振り返れば、隣のクラスのみやこちゃんとその仲間たち。


「相馬ぁ、会ったの一日ぶりだよ?」


人目も憚らずに相馬くんの背中に抱きつくみやこちゃんに、普段は好き放題させている相馬くんも困ったように言った。


「こら、公共の場だよ」


私はその様子を傍目にしながら、何故か相馬くんを横取りされたような気分になった。そもそも私のものなんかでもないのに。

今は相馬くんと私は主従じゃない。私はDomだし、相馬くんはただのクラスメイト。

自分に言い聞かせるようにして彼らからふいと目を逸らすと、ノアに話しかける。


「ノアー、おじいちゃんたちに買ってくお土産どうする?」


「あ、俺…手持ち残り二百円なんだけど…」


「…私は百円」


ノアと私は揃って、横を歩いていた文佳に目配せをした。私たちの会話を聞いていた文佳は、その後の展開を察したように顔をしかめた。


「…何よ」


「文佳ぁ〜〜」


「ふみちゃ〜〜ん」


「あんたらねぇ…!」

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