第5話 ホワイトデー

学年末テストという地獄の四日間の最終日は、3月14日。ホワイトデーでもある。


「二見さん」


帰り支度をしている私に声を掛けてきたのは、相馬くんだった。教室で話しかけてくるのは珍しい。


「お菓子いらない?」


相馬くんの手元には、コンビニで売ってる袋入りのマシュマロ。

そういえばついさっきまで、相馬くんたちのところへ集まった女子が賑わっていた。バレンタインのお返しがうんたらかんたら。


「わ…私バレンタイン何も渡してないんだけど…」


心なしか青ざめながらそう遠慮がちに言うと、相馬くんは笑って返した。


「知ってる知ってる。消費手伝って欲しくて、嫌いじゃなければ」


「あぁ…それなら。ありがと」


こんなことなら、バレンタインで相馬くんにも渡せばよかったかなぁ。

あの日はノアと文佳、それから私の所属している天文部の部員に市販のチョコレートを渡したくらい。


「二見さん一夜漬けとかするタイプ?」


「一応睡眠はとったよ」


「ほんと?でもなんか疲れてんな」


それは今朝方両親にも言われたし、文佳やノアにも言われたところだった。今日は確かにテストの科目が暗記系だったし、やればやるだけ点が取れるだろうと少し夜更かしはした。

…とはいえ、何人にも心配されるほどだとは思わなかった。


「私そんな酷い顔してる?」


「うーん…」


「あれ、珍しい組み合わせ。そこ仲良いっけ」


私と相馬くんは同時に扉の方を向いた。相馬くんとよくつるんでいるクラスメイトの男子数人に…


「いたぁ!相馬」


「げ、みやこ」


「げって何よ」


みやこちゃん。それが下の名前らしいが苗字は知らない。

その長い暗めの茶髪は巻いていることもあるけど、今日はストレートだ。可愛らしい顔立ちとそのフレンドリーな性格で、多分学年でも五本の指には入る人気の女の子。


彼女はクラスは違うはずだけれど、休み時間にやって来て相馬くんに絡んでいるところをよく見かける。


「みやにもちょうだいよ」


「別にいいけど、さっきいらねって言ったのそっちじゃん」


「だって、ホワイトデーに限ってマシュマロ持ってくるなんてサイテーでしょ。知ってたくせに」


みやこちゃんがまるで牽制するかのように相馬くんの腕に抱きつき、私の方を見た。ドキリとして一歩下がる。


「…初めましてだよね。名前なんて言うの?」


「二見…です」


緊張しながらそう返すと、みやこちゃんは警戒心を解いたようにパッと笑顔になった。


「二見ちゃん知ってる?ホワイトデーにマシュマロを返す意味」


私が首を横に振ると、みやこちゃんは人差し指を立てて真顔になった。


「…あなたが嫌いです」


周りが爆笑に包まれる。近くの席の男子やその辺で談笑していた女子まで混じって「相馬ひどーい」「相馬サイテー」と声が上がる。私も思わず笑ってしまった。


「でも君らお菓子もらえるなら、僕に嫌われようが関係ないんだよね。特にお前、高峰たかみね


目の前で遠慮の欠片もなくマシュマロを両手いっぱいに回収したクラスメイトの男子をしれっと名指しした相馬くんに、再びどっと沸く軽快な笑い声。


相馬くんや友達のそんなやり取りを、いつもは外側から見ていた。

けれど今は間近でこうやって目の当たりにして、もうみんなの話の内容はほとんど頭に入らないまま、自然に周りに人の集まってくる相馬くんって凄いなぁなんて場違いな思考を巡らせていた。






終業式の日。

すぐ終わるからと言われ、私は教室で文佳とノアが戻ってくるのを待っていた。


「ほんとごめんっ」


急いで戻って来たのはノア一人だった。

何やら最近たるんでると先輩にどやされて、ミーティング後そのまま自主練習に突入したという。


うちのバレー部はかつて強豪で、今もまぁまぁ実力があるらしい。そのせいか本来なら課外活動の許可が下りない今日みたいな日でも、突然に部活が入るのはよくあることで。


「分かった、先帰っとく」


「これはお詫びの品」


すぐそこの自販機で買ったばかりなのだろう、ほかほかの熱い缶を私の手に押しつける。


「ありがと。頑張って」


ノアは頷くと、小走りに去って行った。


手元の缶の中身はブラックコーヒーだった。

私は確かに最近このブラックコーヒーばかり飲んでいる。ノアって案外、人のことをよく見てるんだよなぁと思った。


「二見さん」


「うわ、相馬くん」


真後ろから声を掛けられて飛び退く。


「ど、どうしたの…まだいたの」


「忘れ物」


相馬くんは自分の机まで寄っていくと、机の横に引っかかっている折り畳み傘を回収した。


「二見さんは?」


「ノアと文佳待ってたんだけど、急遽練習入ったらしくて」


「ああバレー部よね。さっき高峰とすれ違って、なんかめっちゃ怒られたって萎えてた」


「んね。あ、相馬くんコーヒー飲める?」


私はノアから貰ったばかりの缶コーヒーを相馬くんに見せる。


「…それ今しがた、ノアくんから貰ったやつでは?」


「まぁそこまで気にしないでしょ。私が最近こればっかり飲んでて、だからくれたみたいだけど…実は好きじゃなくて。苦いの」


「そうなの?」


「うん、単なる眠気覚まし。ホワイトデーのお礼…は変かな?まあいいや、あげる」


受け渡した缶コーヒーを相馬くんがしっかり握る前に、私はうっかり手を離してしまった。


二人の手をすり抜けて落下する缶。私は反射でしゃがみ、それが地面に落ちる前にキャッチした。

一応そのまま口をつけるタイプの缶だったので、転がらなくて良かった。ギリギリセーフ。


…と、顔を上げた時、半屈みの相馬くんと目が合う。


「…どうぞ」


私がしゃがんだまま差し出した缶を、相馬くんは今度はしっかり受け取ってそのままそばの机に置いた。

相馬くんは無言のままで、不安定な置き方をされたコーヒーがカタカタ音を立てて揺れ、やがて止まった。


「…相馬くん?」


「二見さんってさ…」


私を見下ろす相馬くんは、目を細めた。

今まで見たことのない表情。まるで獲物を狙う獣のようにギラついた瞳。


喉が微かにヒュッと鳴った。

恐怖に似た、得体の知れない感覚に襲われて、私は取り敢えず立ち上がろうと闇雲にそばの机に手をかけた。なぜか膝に力が入らなくなっていた。


「…Kneel〈おすわり〉」


「……え?」


私の身体は、相馬くんの言うことを聞いた。

立ち上がれという自身の脳からの指令に背いて、勝手にぺたりと座りこんだのだった。

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