第4話 相馬くん

寝て覚めたら全てが夢でした、なんてことがあれば良かったのだけど、やはり制服には青のバッジが付いていたし、食卓には薄青色の錠剤の入ったピルケースが置いてあった。


ダイナミクスの存在するこの世界で、Domの私はこれから生きていかねばならない。

今後は苦労も戸惑いも多いかもしれないけれど、トラックに撥ねられて死ぬよりかは大いにマシである。


制服に着替え、朝食を取り、身支度を終えると玄関から外に出る。気持ちよく晴れ渡った朝だが、めちゃくちゃに寒かった。

目元まですっぽりとマフラーに顔を埋める。学校まで徒歩15分、この時間は結構しんどかったりする。夏は暑いし冬は寒い。私は根っからのインドア派だ。



通学路を半分くらい歩いたところで、私は前方に見覚えのある人影に気がついた。

ミルクティー色の髪をした、背の高い男子生徒。相馬くんだ。


これまでも度々この道で、その後ろ姿を見かけることはあった。教室でもほぼ話したことがないし、いつもならスルーしている。

けれど昨日倒れた私を、相馬くんが介抱してくれたと聞いた。


少し迷ったが、早足で彼に追いつく。


「相馬くん」


声をかけると同時に肩をトンと叩いた。その肩の位置が私の視線と同じくらいだった。

彼は振り返った。少し驚いたような表情が一転、爽やかで人当たりの良さげな笑顔に変わった。


「おはよ、二見さん」


目鼻立ちが整っていて、薄い唇は緩いカーブを描いていて。背景に光のエフェクトでも見えてきそうなキラキラの彼を前にした一方の私は、刺すような冷気のせいで表情筋がほとんど仕事をしてくれない。これぞ対極である。


「おはよう。…あの、昨日は迷惑かけたって聞いて。ごめんね」


相馬くんは手をひらひらと振って言った。


「いいよいいよ、むしろ役得だから。それより体調は?」


「もう平気」


「……」


相馬くんは口の端に笑みを浮かべたまま、じっと私の顔を見つめてくる。

初めて真正面からしっかり見たその瞳は茶色かった。この明るい髪色が似合う人だとは思ってたけど、もしかすると元から結構色素が薄めなのかもしれない。


「…ダウト」


「は?」


「まぁ僕じゃなくとも、ノアくんとか真山まやまさんには頼りなよね」


「…あの、もし具合悪そうに見えるなら、それは朝だから。あと寒いから」


「あはは」


私の話を聞いているのか、いないのか。

相馬くんとまともに会話を交わすのはこれが初めてなので、どう受け取っていいのか分からなかった。どうにも捉え所のない人だ。


「二見さんから話しかけてもらったの初めてだ。ちょっと嬉しい」


その時、「ど〜〜〜ん!」という声と共に相馬くんが突然、前につんのめった。


「おっはー」


「危ねえよ中村、お前小学生なの?」


相馬くんの背後に忍び寄って彼を突き飛ばしたのは、同じクラスの中村くん。みんなからは中村とかユキとか呼ばれている。


ストレートの黒髪と奥二重の切れ長の目。両耳には複数のピアス。学年の垣根を越えた友達が沢山いて、いつでも賑やかな集団の中心にいる有名人だ。


中村くんが相馬くんと仲がいいのは知っているけれど、やはり私は一度も会話したことがない。…というかこの際ぶっちゃけると、近寄り難いクラスメイト圧倒的ナンバーワンである。いわゆるスクールカーストの頂点みたいな人。


「菫ちゃんじゃん。変な組み合わせ」


「…私もそう思う」


中村くんは、昨日の事の顛末を知らないみたいだ。

知っていたらそれはそれでしつこく弄られそうなので、少しほっとした。


「いつか訊こうと思ってたんだけどさ、菫ちゃんってノアと同じ家住んでんの?」


「ううん、近所だけど別」


「あ、そうなんだ〜。よくノアにお弁当渡してるからさぁ、従兄弟とか知らなかった時は付き合ってんのかと思ってたんだよね」


「はは、まさか」


ノアの馬鹿はお弁当を忘れて家を飛び出すことがしょっちゅうで、叔母さんから『ごめん〜今日もうち寄ってくれる?』とLINEが来ると私はノアの分のお弁当を引き取って学校へ向かう。

部活の朝練で早い時間に家を出るノアとは違い、一限や全校集会に間に合えばいいというスタンスの私。


「あ、でも従兄弟って結婚できるじゃん?どうなの?」


「やめろ中村」


相馬くんが呆れたように中村くんを制止した。

会話しながら学校へ近づくにつれ、周りを歩く生徒の数も増えていった。


「中村と相馬だ。おはよー」


「ユキがこんな時間とか珍しいじゃん」


「お前俺を何だと思ってんの?」


交友関係の広い二人と一緒にいると、明らかに私だけアウェーな雰囲気。あんまり周りの目を気にする事のない私でもさすがに、少し心が抉られる感じだ。





それからというもの、私は徐々にこの不思議な世界に適応していった。

首輪をしてひざまずくSub、その頭を撫でるDom。そんな光景は外でたまに見るけど、私の暮らしは今までとそう変わらなかった。

毎朝忘れず抑制剤を飲む。ただそれだけだ。


そしてたまに、通学路で会う相馬くん(と、ごく稀に相馬くんの友達)とも話すようになった。とは言えお互いにわざわざ時間を合わせるようなことはしないし、教室では相変わらず会話を交わすことすらないけれど。

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