推薦状と涙

(天空都市群グングニル・中央島南西地区内陸部裏路地通り:簡素なアパートの201号室内)




 成績開示資料を見て、そこに書かれてある事実を認識したとき、俺の時間は止まった。




 経験がないだろうか。人生には、たった数回、扉が開く瞬間がある。




 なんでもいい。受験で合格したとき、告白が成功したとき、特別な困難を乗り越えたとき……。そういうときに、人の扉が開くのだ。可能性の扉が。




 俺の場合は、これまで二回、扉が開いてきた。




 一度目は、アニマ―ガスになったとき。




 二度目は、インペリアルリーグに昇格を賭けた試合に勝利したとき。




 この二つが、俺の人生で可能性の扉が開いた瞬間だった。




 そして今、三度目が訪れようとしているのかもしれない。




「……この成績、本当なのか」




 俺の声は震えている。当たり前だ。これから訪れる数分は、俺にとって限りなく重要な数分になるかもしれないのだ。そういう直感が、俺に訪れている。




 苦学生キーロは、神妙に頷いた。




「ええ。本当」




 拾いなおした書類には、俺に扉が開きそうになっている音を、伝えてくる一つの事実がある。






――――受験番号1444番。受験者氏名キーロ・ククリュック。






――――受験者数15643人。うち、受験者席次、主席。






――――試験満点1500点。受験者合計得点、1500点。






 主席。つまり総合順位はダントツの一位。しかも、満点だ。理系特化五科目コースや文系特化五科目コースでの満点なら聞いたことはある。




 だが、天空獣医学部向けの15科目コースで満点なんて聞いたこともない。最上位で天空獣医学部に入学する奴だって、総合点で八割五分取れれば神童レベルなのだ。満点!? なんども言うが馬鹿げてる。天空都市の学問レベルは地上界の先進国よりも高いのに。




「……主席、なんだな」




「ええ」




「本来、あと二年先に受ける試験で?」




「そうよ」




「……満点、なんだよな」




「もちろん」




「……採点する機械、壊れてたんじゃないのか」




「失礼ね。あなたも知ってると思うけど、バカロレアには記述問題や論述問題、果ては論文試験だってあるのよ。大学教授が採点するの。それで、この点数なのよ」




「えーつまり、これは……」




「確固たる、事実よ」




 ……俺は、いままで自分がある程度、才能に恵まれていると思ってた。アニマ―ガスだし。そのうえワイバーンタイプだし。プロだったし。インペリアルリーガーだったし。元七帝の一角だったし。




 だが、井戸の中の蛙だったらしい。




 キーロは、本物だ。誰が、バカロレアの15科目コースで、満点なんてクレイジーな結果を残せる?




 誰もいないさ! 目の前にいるこいつ以外。天空都市始まって以来の大天才だ。本当に、後々歴史に名前を残す偉大な研究者になるかもしれない。






「おい、小娘、じゃなかった。キーロ!」




「ひゃわ! 何するの!」






 俺はキーロの両肩を勢いよく掴んだ。興奮のあまり、声が上ずっている。




「お前すげえよ! エリート学舎の秀才たちが、泣いて逃げ出す15科目コースで、1500点満点! しかも、ダントツで主席だ! 天空闘竜のプロになってから、すげえ奴には何人も出会ったけど、お前に比べりゃ可愛いもんだな! ここまで才能ある奴は、いない。本当にすげえよ! あ、でも。俺の尊敬するクラウンよりは、総合力で、ちょっと劣るかな……」




 最初の勢いがなくなってくるにつれて、恋人でもないキーロに触れているのが、なんだか恥ずかしくなってきた。台詞も竜頭蛇尾になってしまう。




 咳払いをして、彼女から手を話す。




「あー。ごめん。熱くなり過ぎちまった」




 なんだろう、キーロと目を合わせられない。




「ううん。いいの。それに、信じてくれて、うれしかったから」




 天才苦学生キーロは、頬をすこし紅潮させて、なんでもなさそうに答える。




 でも、なんで俺の反応にうれしそうなのだろうか?




 この成績表が帰ってきてから、すでに数ヶ月経ってる。近所の人達から洪水のような賛辞がきてもおかしくない。普通、慣れちまって、今更俺なんかの褒め言葉にのぼせることもないはずだ。




「……おい、この成績。近所の人は知ってるのか?」




「うん。そうだけど?」




「普通、大騒ぎになるよな。神童あらわるとか何とかで」




 キーロは不思議そうに小首を傾げ、過去のことを思い出しているようだ。




「ならなかったわ」




「は? なんで!?」




「うちの近所の人達、ブルーカラーの労働者が多いから……。成績表なんて、皆興味ないの。せいぜい、「東洋亭」のおかみさんが褒めてくれたくらいかな」




「……おい。大丈夫か、この地区…………」




 絶句してしまった。たいして学のない俺でも、キーロの神童っぷりが分かるのに。




 呑気すぎるだろ! この地域!




 ……いや、それとも、人間の価値は勉強だけじゃないから、あえて触れないのか? キーロを天狗にさせないために。そういうことか。そういうことだろう。奥ゆかしいな、中央島南西地区。




 俺は、この地区への猜疑心をいったん忘れることにした。




「ともかくだ。お前が嘘をいってないことは分かった。お前は嘘をついてない。冷凍庫の刑もなしだ。話を聞く気になったぜ、キーロ。GUA(G=gungnir , U=university , A=animagas。グングニル大学天空獣医学部の略称。読み方はグーアかジーユーエー)の天才学生が、俺の怪我について、話があるんだったよな?」




 何という僥倖だろう。ときの天獣会会長すら治せない俺の怪我を、治せる存在がいたのだ。




 無論、キーロがまだそうだと決まった訳ではない。というより、現段階でなにも確証はないのだ。




 それでも、三カ月ぶりに明るい気持ちだった。可能性の扉が開きかけているのだ。




 表情にも、思わず笑みが浮かんでしまう。




 ――――だが、対照的にキーロはうかない表情をしている。どうしたんだ?




「あの、そのことなんだけど……」




「ああ、GUAの学生だったことか。お前も回りくどい奴だな。学生証見せてくれれば、初めから疑わなかったのに。どうして最初に言ってくれなかったんだよ」




「その、私……。グングニル大学の学生じゃないの」




「……は?」




 俺は一瞬、馬鹿みたいに口を半開きにしたまま固まった。




 そして、噴き出した。そうか。からかわれてるんだな。




「おいおい、何処の世界に満点で主席の奴を不合格にする大学がある。カンニングした訳じゃないんだろ?」




「当り前よ! でも、推薦状が用意できなかったの」




「推薦状?」




 なんだ、推薦状って。調査票のような書類だろうか。




「なんだよ、それ」




「知らないの? 天空獣医師は天空社会で重要な役割を果たすから、有力市民の推薦状が必要なの。例えば、市長や市議会議員、天獣会の幹部、インペリアルリーガー……。そういう人たちの誰か一人に推薦してもらわないと、GUAは受験できない。私、受験資格すらなくて、願書すら去年は出せなかったの」




「願書すら!? なんてべらぼうな制度だ。というか、一人くらいいたろ! 推薦状書いてくれるやつが」




 キーロは、当時のことを思い出したのか、悲しげに首を振る。




「私、有力市民の知り合いなんていなかったから……。それに、いろんな人に手紙を送ってみたけれど、音沙汰なしだったわ」




「一人もか?」




「ええ。一人も。実をいうと、私、現役時代のあなたにも手紙を出したの。でも、何の返事もなかった」




「……嘘だろ?」




「本当よ。でも、当時のあなたはスタープレイヤーだったから、ファンからの手紙なんて何千通も来ていたでしょうし、私の一通に気がつかなくても、仕方ないわ」




 キーロは悲しそうに黙りこんでしまった。




 やばい。このお通夜みたいな空気、俺のせいだよな。




 とにかく、沈黙だけは避けよう。気になった点を訊いてみる。




「当時の七帝全員に送ったのか、キーロ? アウラとかには?」




 俺はガサツだが、現ランク一位の紅恋帝アウラはマメな男だ。ファンの頼りにも一通一通目を通す、プロの鏡である。あいつに送っていれば、気づいてくれるはずだが……。




 しかし、キーロは無念そうに首を振った。




「紅恋帝や紫呼帝にも送ったわ。でも、何故か手紙が返ってきたり、途中で紛失したりしたの。もしかすると、あなたに宛てた推薦状要望書も、返ってこないだけで紛失しているのかも……。市議会議員の人にお願いしにいったら、何故かデモ隊だと思われて強制退去させられちゃうし……」




「ううん。きな臭いな」




 悲しそうな表情で、キーロはぽつりとつぶやいた。




「やっぱり、私が孤児だからいけないのかな……」




 彼女の瞳に涙が滲む。




 俺は衝撃を受けた。察してはいたが、キーロも両親がいないようだ。




 それに、彼女は自分の人生がうまくいかない原因を、後天的な努力ではなく、先天的な出自に求めざるを得ない状況だ。天空人にとって、この思考回路はありえない。




 彼女の涙の輝きを見て、俺は過去の自分をぶん殴りたくなった。なんて様だ。何が七帝だ。何が有力市民だ。俺にそんな地位、相応しくなかった。






 俺はこの話を聞くにつれ、いらだちが募ってきている。




 天空都市の原則は、社会障壁を壊す合理主義と、世代障壁を壊す実力主義のはずだ。




 この両輪があるからこそ、最も実力あるものが、生まれや財力、年齢に関係なく、社会で活躍できる。社会的革新の速度あげて、天空世界をより豊かにする。そうやって、天空都市は発展してきた。




 俺はこの理念が好きだ。くだらない柵に囚われないで、実力勝負によって、優劣が決まる。シンプルだし、美しい哲学だと思う。




 だというのに、推薦状制度とはなんだ。もともと有力市民に生まれた子供には、こんな制度問題にならないかもしれない。だが、現に孤児のキーロは憂き目をみている。




 こんな制度、生まれながらに格差を製造しているようなもんだ。先天性ではなく、後天性を重視するのが、天空都市の理念ではなかったのか。




 だというのに、俺を含めたその「有力市民」とやらは、その原則を忘れて、一人の途方もない努力を、格差を肯定する制度の上に胡坐をかいて裏切ったのだ。何たる恥じ。何たる白痴。




 天空世界全体の敗北といってもいい。俺には制度の趣旨や法律は分からないが、なぜ一番の成績をとった奴が、望みの大学と学部に入れないんだ? こんなの、先人達が忌避した地上世界(の悪い部分。無論、地上世界にもいい部分は沢山ある。言葉の綾だ)と同じじゃないか。俺達は、まだ、地上の重力から自由になれないのか?




 くそっ! フラストレーションが溜まる。今の俺にはどうにもできないことだ。だが、今後の俺なら違うかもしれない。




 確か、推薦状を書けるのは、アニマ―ガスだとインペリアルリーガー以上だったな。つまり、ランク七位以上になれば、推薦状を書ける。キーロを、大学に入れてやれる。




 彼女をみつめる。




 キーロは、声を立てずに涙を流していた。可哀想なキーロ。難しい専門書に、あれだけ手書きの書き込みをしていたのに。推薦状なんて馬鹿な制度のせいだ。




 彼女が孤児だからじゃない。絶対に、違う。




 推薦状制度に立ち向かう方法は、俺には一つしか思い浮かばない。天空闘竜だ。




 天空闘竜しかない。ライバル選手だけじゃない。俺は、天空社会の不完全な部分とも、決闘して勝ってやる。みてろ。




「おい、キーロ! 泣くな。泣くなよ。俺がインペリアルリーグに返り咲いてやるから。そうして、お前に推薦状を書いてやる。絶対だ。だから、泣くな」




 彼女の肩を激しく揺さぶる。泣いている場合じゃない。俺は完全に目が覚めたのだ。




 だが、直視しなければいけない現実は過酷だ。怪我に、ブランクに、活動資金。それに、復帰戦の日程。前途多難だ。




 だが、それでも。




 やるしかない。戦うしかないのだ。現状を変えたければ、戦うしかない。




 キーロは、泣きはらした目でこちらを見つめる。




「本当、ザザ……?」




「ああ。やってやるよ。俺の怪我、治せるんだろ? 一刻も早く治してくれ。そうすれば、インペリアルリーグに返り咲いて、お前に推薦状を書くから。お前を、天空獣医師にするから」




「ザザ。ありがとう……」




 俺はキーロを抱きしめた。こういうのは恥ずかしいけど、今は少しだけ休息が必要なんだろう。




 それが終われば、きっとキーロは元気になる。俺の怪我を治してくれる。




 ……唯一の心配は、キーロに本当に治せるのか、ということだが。それは今考えても仕方あるまい。




 現状では、キーロを信じるしかないのだ。




 俺の二度目の競技人生を、キーロに託すだけである。








 ――――それにしても、どうして手紙が届かなかったり、デモ隊と勘違いされて強制退去させられたのだろう? 何か、このエピソードには、裏がある気がする。


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溶けゆく翼~スタープレイヤー氷息帝の復活~ @hariba

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