苦学生の正体
(天空都市群グングニル・中央島南西地区内陸部裏路地通り:飯所「東洋亭」)
ササミサンドは思ったよりも早くきた。
あれからたわいもない会話をキーロと再開し、一時の緊迫した空気は和らいできた。
俺としては、助かった心境である。気まずい空気の中で飯を食うことほど、苦痛な事はない。
「あいよ! サバの味噌煮サンドと、ササミサンド、お待ち!」
大将が、黒い陶器の皿にのった夕飯を運んできてくれる。
「ありがとう、おじさん」
「ありがとう、シェフ」
俺とキーロは、それぞれ両手で受け取る。分厚いバンズに、粗めに割かれたササミが乗っている。ソースは見たことない色だな。何だ、この乳白色のソースは、茶色の種みたいな物体が、所々に混じっている……。
「おう、二人とも。痴話げんかは済んだのかい? まあ、仲良く食べなよ」
届いた料理を観察する俺に、大将が笑顔で声をかける。
……痴話げんか?
「うおっほん。違うんだ、シェフ。俺とこいつはなんでもないんだよ」
「がっはは! そうなのかい。悪かったね。あと、こういう店の料理人は、シェフじゃなくて、大将って呼ぶ方がそれらしいぜ」
俺の抗議を豪快に笑い飛ばして、大将は去っていく。というか、やっぱりシェフじゃなくて大将の方が、しっくりくるんだな、本人も。
「……食べないの?」
キーロの奴は、すでに半分ほどサバのなんとかサンドを胃袋に収めていた。食うの早いな、苦学生。
「おい。何なんだ、このソース。ウスターでも、サルサでも、タルタルでもなさそうだが……」
「知らないの。胡麻ソースよ。ヘルシーで健康的なの。美容にもいいし」
「俺は美容に興味なんてない。まあでも、カロリーオフなら当初の目的は達成できるな」
そういって、何気なしに俺は一口目を頬張った。未知との遭遇のため、少しだけ警戒しながら、ゆっくりと咀嚼する。
……うまい。結構いける。現役時代、自宅でゆでて塩を振って食べていた、あのササミではない。
多少ササミのパサパサは残っているが、全体的にはジューシーさが勝っている。
「味付け次第で、ここまで化けるのか。ササミよ……」
やれやれ。もっと真剣に栄養学を学ぶんだった。現役時代は、筋肉に美味いものが、俺にとっての美味いものだった。そのため、食事はあんまり好きじゃなかった気がする。食べるのもトレーニングの一環だったからな。楽しみというより、仕事の一部だった。あの思い込みを、見直すべきだったのか……?
「塩分も控えめみたいだな」
隣で、謎のフィッシュバーガーを食べ終わった苦学生に尋ねる。
「そうだと思う。私がつくった訳じゃないから、正確には言えないけれど……。普通のソースより、控えめじゃないかしら。体を絞るのには、向いてるわよ。三か月練習をさぼった何処かの誰かさんの夕食になんて、もってこいね」
一言多い苦学生。本当に可愛くない。さっきのこと、まだ根に持ってるのか。
「ふん。言われなくても、すぐ痩せてやるさ。競技の為じゃないぞ。スタイルを維持するためだ」
キーロの言葉に現実を思い知らされても、すぐには現役復帰の決意までにはいかない。
そう思えるようになるには、精神論以上に乗り越えなければならない壁がある。
俺の怪我だ。
第一右翼支柱筋剥離の治療法及びリハビリ法を、見つけなければならない。これが見つからないことには、俺の現役復帰はありえない。しかも、現状この問題に対処できるうまい話は存在しない。停滞状態だ。
だが、それを見つける以外にも、やれることはある。例えば、くすぶっていた三カ月の間についた贅肉の処理だ。幸い、たまに体を動かしてはいたし、不節制だったとはいえ、まだアスリート時代の基礎代謝が残っている部分もある。つまり、比較的俺の身体は脂肪が燃焼しやすいのだ。
そこらへんの事情を考慮すれば、二週間あればかなり絞れるだろう。急激すぎる減量は危険だが、三か月で急激に太ったわけでもない。恐らく、体重が三、四キロ増加した程度だろう。これくらいの増量なら、短い期間でどうにかできるはずだ。落とした筋肉も、徐々に戻ってくるだろう。
「本当に、意固地なのね。氷息帝ってあだ名がつけられたのも分かるわ。あなた、空気読めないもの」
苦学生が呆れた表情で俺をみる。
ふん、お前にいわれたくない。
俺は苦学生に返事をせず、最後の一欠片を口に押し込んだ。よく噛んで、呑みこむ。
「……おかみさん、ごちそうさま。いくらだ?」
二人分を、まとめて払うことにする。
「え!? いいわよ。私、自分で払うから……」
「今日だけだ。気にしなくていい」
キーロが逡巡している間に、二人分の会計を払ってしまう。二人分で一千八百ミスリル。前の店の十分の一だ。安いな。またこよう。
木製の引き戸を開けて、外に出る。空気が冷たい。
「あの、ありがとう……」
苦学生がもじもじしている。俺に借りをつくりたくなかったんだろう。
別に、これくらいで借りをつくったとも思っていない。案外、こういうところは真面目な奴なのかもしれないな。
「気にしなくていい。それより、成績表だ。家は何処にある?」
「すぐそこよ。でも、ほんとにいいの?」
「くどい。気にするなと言ってるだろ。それに、あー……アドバイスのお礼でもあるし」
うわっ。何言ってるんだ俺。さっさと話題を変えよう。
「わかってるな。もしくだらない成績がそこに書いてあったら、建物ごと氷のオブジェにしてやる。……よし、行くぞ。案内してくれ」
「……うん。ありがと。じゃあ、案内するわ。家はこっちよ」
そういって、奴は細い裏路地を横切った。丁度、「東洋亭」の反対側にある簡素な人口岩造りの建物だ。たぶん、低所得向けの公営住宅かそれに似た建物だろう。やっぱり、こいつ本物の苦学生だったようだ。
「……家は、ここなの」
キーロは少し落ち着きがない。簡素な住居を恥ずかしがっているのかもしれない。
俺は、あえて建物の質素さには触れないことにした。
人間、誰しも触れられたくない一面はある。キーロの場合はそれが住居なのだろう。俺の場合は事故死した両親だ。
俺はあまり察しのいい方じゃない。でも、流石にこういうことまで話題のタネにするつもりはない。
「近所で良かった。何号室だ」
さっさと見るべきものを見せてもらおう。夜分に独身女性の家に上がり込むのはぶしつけかもしれないが、やましい思いがあっていくわけじゃない。本人も承諾してる。遠慮せずに上がろう。
キーロの部屋は201号室だった。このアパートは二階建てで各フロアに二部屋、合計四部屋しかない小さな建物だ。
経年劣化した階段を登り、古い床を歩くと、小さなドアまで来る。錆びたプレートに書かれた番号は、<201>。住人の名前は<キーロ・ククリュック>。俺に名乗った名前は本名のようだな。
キーロは言葉少なにアウターのポケットから鍵(今時、金属製のカギだった。因みに、天空都市では指紋、声紋、眼球認証が普通だ)をとりだし、玄関の扉を開ける。
先にキーロが入った。続いて、俺も中にないろうとするが……。
「あなたは、そこで待ってって!」
キーロに止められる。
俺は両手を広げて抗議した。
「なんでだよ」
「乙女の部屋に入るつもり? 成績表を見せれば、それでことたりるわ」
「偽造の文書だったらどうする」
「言いがかりだわ! 本当は、部屋に入りたいだけなんじゃないの……?」
「なんだって!? 冗談じゃない。誰がお前の部屋をみて喜ぶんだ。被害妄想もたいがいにしろ」
「じゃ、そこでいいわね?」
「そういう意味じゃ……」
「二分で戻るから」
その言葉を最後に、ドアはバタンと閉められた。俺は寒い外に置き去りだ。
もし、嘘を隠すために籠城しやがったら、アニマ―ジュ後の姿になって、この部屋を冷凍庫にしてやろう。そうすれば、寒さに耐えきれず外に出てくるだろうからな。いっそ、そっちの方が楽しいかもしれない。
だが、キーロは約束通り二分後に部屋のドアを開けた。
「いいわ。入って」
「乙女の部屋じゃなかったのか」
俺がからかうと、苦学生は露骨に不機嫌になる。
「ほんとは入れたくないわよ。でも、他の人に聞かれたくないから」
「そういうこと。じゃ、おじゃまします」
キーロの部屋に入る。俺は驚いた。
女っ気が無い部屋だろうとは思っていたが、それどころじゃない。
本だ。本で溢れかえっている。玄関、廊下、リビング……それらの壁という壁が、本だなと難しそうな専門書によって、覆われていた。それに、専門書のタイトルはどれも、天空獣医学に関係のあるものばかりだ。
――――これは、とんでもない奴と出会ってしまったかもしれない。
アニマ―ガスの直感として、俺はそう思った。この研究室みたいな雰囲気……。こいつ、ただの苦学生じゃなかったようだ。
「まるで本の砦だな。これだけよく集めたもんだ」
「図書館や古本屋さんから、廃棄する本をただで引き取ったの。新品の専門書なんて、高くて買えないし……」
確かに、漫画や新書と違って、専門書は高い。一冊一万ミスリルくらいはするし、分厚い図鑑や辞典なんかには、十万くらいするものだってある。
よく見ると、キーロの蔵書はぼろぼろの年季が入ったものばかりだ。劣化が来て一部分が読めなくなったりして、廃棄される運命にあったのだろう。それを、引き取っていたのか。
成績表のことも忘れて、異様な紙の砦を、俺は隅々まで眺めた。一冊手にとってみる。ほとんどすべてのページに、手書きの書き込みがある。おそらく、これはキーロの字だろう。細かくて、几帳面そうな字だ。もう一冊、別の本も手にとってみたが、同じようにびっしりと書き込みされていた。そうとう真剣に勉強したらしい。
――――なるほど。ただの苦学生じゃなかったわけだ。秀才の苦学生だったんだな。
俺は驚いていた。驚愕していたと、言ってもいい。
だって、ほとんどいたずらか狂言だと思っていたんだ。いきなりこれを見せられずに初対面の相手を信じろってのにも無理がある。それにしても、学問への凄まじい熱意だ。現役時代の俺に引けをとらない水準かもしれない。
「はい、これが成績表よ」
部屋主の言葉で、意識が現実に呼び戻された。
俺の目の前には、秀才苦学生キーロが差し出す一通の便箋がある。表には、バカロレア試験を管理する文部科学省のエンブレムがあった。バカロレア試験の成績開示資料だ。恐らく、本物だろう。日付は、今年の四月。たぶん、今年の一月に行われた試験の成績が、記載されているはずだ。
バカロレア試験は、年齢に関係なく受けることができる。いわゆる、飛び級も可能だ。
通常は、上級教育舎三年の卒業前に、この試験を受ける。でも俺の目の前にいる苦学生は、上教舎一年の時点で、この試験を受けていたのだ。まあ、受けるだけなら誰でもできる。問題は、その成績だ。
「開けてみて。そこに、載ってる」
キーロが、俺を促す。
何故か、俺の指先は震えていた。この中に、なにか俺の人生を変えるような、そんな事実が眠っているような気がしたのだ。
俺は無言のまま、慎重に便箋から中身をとりだした。
とりだした紙を何枚かめくって、お目当ての成績開示資料を見つける。
そこに書いてる情報を、目から取り込む。
時が、止まった。
指の間から、資料がこぼれおちる。
そこから視線を徐々に上げていく。
彼女の姿があった。
俺は、目の前のキーロを凝視する。
――――こいつ、まさか……!
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