ピアノソナタ第一番

増田朋美

ピアノソナタ第一番

ピアノソナタ第一番

その日は、いつもだったら、10月らしく寒いはずなのに、なぜか、暑くて半そでのひとが、いろんなところで見られた日だった。其れを、善ととるか、悪ととるかは、人によりさまざまなのだが、今年は、というか年々、環境問題の事もあって、本や新聞などで、これではいけないと警告している人がだんだん増えてきている。もっと一人一人が、地球を守るために何とかしなければと必死になって呼びかけている人も多いが、それでは、もう取り返しがつかないと嘆いて、何もしない人のほうが圧倒的に多い。それでは、もう無理だと思うけど、人間は、どうしようもないことに打ち勝つことに、生きがいを見出すものだから、自然に従っていくことは、もう無理なのではないかと、思われる時もある。

ここにいる、早川清子もその一人。大学を卒業して、大学院へすすみ、卒業後は、留学して作曲を学び、帰国後、有名な音楽学校に教員として就職することができた。いわば、人生というものに対して、勝利を収めることができた、優秀な女性ということができるだろう。そういう彼女を、誰もが偉い人

というだろう。そして、若い人たちは、そういうことを成し遂げた彼女を尊敬の目で見て、彼女は、若い人たちに、夢を大事にとか、そういうことを発言し、著書を出したり、大学で講義を行ったりして、名声を高めていくと考えられる。そうして、彼女は住むところの違う、人間になって、最終的に勝利を収めた、偉い人になっていくわけだ。

今日も、清子は、東京都内の音楽学校にて、和声の講義をしていた。まだ、音楽というものを、学び通せていない学生たちに、彼女は、連続八度の事とか、異端とされる増四度の事とか、そういうことを教え込んでいく。そして、来週までに、ここまで覚えてきてと強要する。そうすることによって、彼女は、和声というものを教える役目を負っていたが、実は彼女の本音の部分では、こんな集団に、和声を教えることよりも、もう少し本気を入れてやりたいことが在った。其れは、自身の楽曲の出版である。ほかの教員たちが、何十冊もの本を出しているのに、彼女はまだ、ピアノソナタ集しか本を

出せていない。其れだけではない。まだ、ほかの作曲家が書いた作品の解説本すら出せていない。そういうことをしないと、音楽業界では、しっかりした人間と認めてもらえないのだった。楽譜集を一冊だすには、膨大な資金が必要で、彼女はそれをまだ持てていなかったことから、今はそのために、こうしてバカバカしいことに夢中になっている学生たちを相手に、来週試験をするとかそういうばかばかしいことをして、資金を集めなければならないのだと思っていた。時折、自分が大嫌いな、ポピュラー音楽とか、そういうものを使わなければならない時もある。裏では、吐き気がするほどの、いやな作業なのに、表の顔では優しい大学の先生を演じなければならないことは、結構な重労働だった。

清子は、今日の授業を終えて、早々に自宅マンションに帰ろうと、駅へ向かった。この駅は急行列車が止まるということもあり、かなり大きな駅だった。そういう駅だから、売店というものもある。売店には、新聞や雑誌などが売られていることがある。その中には、音楽系の雑誌も売られていた。清子はそういう雑誌を買うのはあまり好きではなかったけれど、その日は、なんとなく、ピアノについて言及している雑誌を手に取った。ぺらぺらと開いてみると、なぜかポピュラー音楽を中心に扱っていたその雑誌が、「日本演奏家コンクール、結果速報」という特集を組んでいたので、驚いてしまった。いつのまに、クラシック音楽なんか扱っていたのだろうか。まあ、とりあえず、その内容を見てみようと、清子は、その雑誌を読んでみる。お茶らけた雑誌だと思っていたのに、コンクールの内容とかちゃんと載っている。読み進めていくと、そのコンクールで優勝した人物が、女優みたいにきれいな人だったからという理由が分かったが、清子が、そのほかの結果発表という欄に目をやると、なんと、好演賞、久保智博という名前が載っていて、演奏曲は、早川清子作曲、ピアノソナタ第一番より第一楽章と書かれていたのである。

こんな事は初めてだ!と清子は思った。初めて自分の曲が、こうした場所で取り上げられた。其れはもちろんうれしいことだし、なぜか自分が育てた子が、生育してくれた時の喜びにも似ていた。清子は、すぐに、思い切ってその雑誌の出版社に電話をかける。そして、自分の曲を演奏した男性の住所を教えてくれとしつこいほど問い詰めた。出版社のひとは、初めのころはプライバシーにかかわることだからと言って教えてくれなかったが、電話の主が、早川清子であるということを知ると、急に態度を変えて、教えてくれた。静岡県富士市鮫島云々と聞き取ると、清子は、さっそく急行列車で、自宅マンションに帰り、久保智博に手紙を書き始めた。自分のマンションが、急行が止まる駅近くにあってよかったと思う。手紙を書く何て、ほとんどの伝達事項はメールで済ませていた清子にとって、非常に大変な作業であったけど、どうにか文章にすることができた。清子は、それを封筒に入れて、切手を貼りつけ、ポストに投函しようとしたときは、もううれしくてたまらなくて、スキップしたいくらいだった。

其れから数日の間、清子は大学から帰ると、毎日郵便受けを開けて、手紙が来ないか待っていたが、結局久保智博という人物から手紙は来なかった。まあ、きっと受験とかそういう事で忙しいのか、それとも一社懸命に仕事に追われている人だろうということで、清子は納得してしまっていたから、そのことは、気にも留めなかったのであるが。

コンクールが行われて、三週間ほどたったある日の事だった。今日は、休日で大学へ行く必要がなかったから、清子は朝の10時くらいまで寝て、遅い朝食を食べようと食堂へ出て、何気なしにテレビをつけたその時。

「きょう未明、静岡県富士市の公園で、男性の遺体を散歩に来た住民が発見しました。男性は、富士市鮫島に在住の久保智博さん、31歳とみられ、周りに争ったような跡はなく、遺書もありませんでしたが、警察は、その状況から、自殺と判断しました、、、。」

と、テレビが報道したのである。清子はびっくりしてしまった。其れは、あの時手紙を送った男性だったのだろうか。でもテレビは確かに鮫島といったし、私が送った住所も鮫島だった。それではやっぱりその人は死んでしまったのだろうか。

清子は、すぐに、報道局に電話をかけてみた。その事件があったのは本当なのか確かめたかったのだ。報道局のひとは、清子がクレームの電話を入れてきたのかと思ったようで、事件があったのは本当だとすぐに答えた。ただ、事件の詳細は、教えられないと言った。其れは警察になぜか口止めされてしまっているという。清子は、久保智博という人物がどんな人物か聞きたかったが、報道曲のひとは教えてくれなかった。普通のひとであれば、それ以上関わらないほうがいいと判断するのだろうが、清子は、それで我慢することはできなかった。なぜなら、久保智博という人は、私の作品を生まれて初めて演奏してくれた人だから。其れは、絶対に、外してはならない。私の人生の中で、大事な人だと思っていたから。その人が亡くなったんだもの、とにかく、静岡へ行って、彼にお悔やみに行こうという発想が、彼女の脳裏に浮かんだ。清子は、思いついたら即実行するタイプであった。何もくよくよしている暇はない。すぐに、電車で東京駅に向かい、東京駅から、新幹線の切符を買って、新幹線のひかりとこだまを乗りついで、新富士駅に着いた。

新富士駅に着くと、まず彼女は、タクシー乗り場でタクシーを見つけ、鮫島というところまで行ってくれないかと尋ねる。一体どうしたんだと運転手は動揺したが、彼女が、久保智博という男性に会いに行きたいというと、親戚かなんかだと思ったんだろうか、彼の家まで走って行ってくれた。

久保智博の家は、一軒家ではなく、市営住宅であった。それも、外壁はくずの蔓でおおわれて、日の光も入って来なさそうな、そんな古ぼけた建物である。タクシーは、この市営住宅の一番東端の部屋に住んでいると言って、彼女を下した。まるで、こんなところに来たくなんかないとでも言いたげな顔をして、走り去ってしまう。下ろされた清子は、とりあえず、その通りの部屋まで行ってみる。確かに表札には久保と書かれていたが、不思議なことに、喪中を示すものは何もない。インターフォンもついていなかったので、とりあえず、ドアをたたいてみた。

「あの、久保さんでいらっしゃいますか。わたくし、東京音楽大学で講師をしています、早川清子と申しますが。」

とりあえずそういってみる。と、玄関のドアがギイっと開いて、一人のやや高齢の女性が現れた。

「あの、お母さまでいらっしゃいますか。久保智博さんの。」

と、清子は何も問題なく、彼女にそういったのであるが、彼女は、変な顔というか、とても合わせる顔がないという表情をしている。

「そんなに、恐れ多いお顔をされなくても結構ですよ。私は、ただ、お礼がしたくて、こちらへお伺いしただけですから。久保さんのお宅に、私が送った手紙、届きましたよね?本当は、智博さんの顔が見たかったんですが。」

と、清子は、彼女に言った。

「そうですか。一度だけ、そういうことをしてみたいと智博が言っていたことがありました。私は、反対したんですけど、あの子は自分の力を試したかったんだと思います。表彰されるようなことはなかったのが、運の救いだったかもしれません。」

と、お母さんは、そういうことを言った。

「なんでですか?賞をもらえたなんて、彼にとってはうれしいことだと思うんですけどね。私は、彼のしたことは素晴らしいことだと思っていますよ。だって、自分の運試しをしたくて、それで私の曲を選んだんですから。そして、彼が、順位に入らなくても好演賞をもらうことができたということは、素晴らしいことじゃないですか。私は、そのことに、お礼がしたいんです。そのことは、手紙に書いたはずなんですけど。お母さん、智博さん、あなたに見せましたよね?」

清子がそういうと、お母さんは、ちょっとお待ちくださいと言って、一度部屋の中へ入っていった。清子は見える範囲で部屋の中を観察する。なんとなく、革のバックのにおいがする。ということは、レザークラフトの講師でもしているのだろうか。まあ、こういうところで教室を開くというのも、ありだなあと清子は思ったが、其れとはまた違う雰囲気があった。

「こちらの事でしょうか。私が、あの子にこれ以上ピアノというものにかかわらないように、こういう細工をしてしまったんですが。」

と、お母さんは、びりびりに破れた手紙を清子に見せた。そんなことをされて少々むっとしてしまった清子だけれど、お母さんの顔は真剣だ。

「あの子に、二度とピアノというものにかかわらせないよう、こうするしかありませんでした。私たちは、どうしても、先生に出すお金を工面することはできないから、智博にあきらめてもらうよう、持っていくしかなかったんです。あの子を普通の学校にやってしまったのが間違いだと思います。あの子は一度でいいから、コンクールに出たいと言いだして、どうにかこうにか参加費は工面できたんですけれども、もしそのままピアノを続けていたら、どうなってしまうか。私は、怖くてたまりませんでした。」

「ちょっと待ってください。其れじゃあ彼は、誰か、先生に師事したとか、そういうことはなかったんですか?」

と清子は、音楽教育者らしいことを聞いてしまった。お母さんは、はいと頷いた。

「学校の同級生の影響で始めたんです。私がキーボードも買えませんでしたので、学校のピアノを借りて練習していました。卒業後も、同級生のピアノを借りるなどして練習していたようです。まあ、簡単な曲しか弾けませんでしたけど。それでも、自分でソナチネアルバムとかそういうものを買って、暇なときは、どこかに行って練習していました。」

そんなことを言うお母さんに、

「それではある意味、才能があったことになりますよね?何十時間も練習しても、賞をもらえない子はたくさんいるんですよ。其れなのにそんな短時間の練習で好演賞をもらえたということは、彼はすごい音楽性があったということになります。なんで、息子さんの才能をつぶすようなことをしたんですか?親御さんだったら、それを応援してやるべきではなかったんですか?」

と、清子はお母さんを責めるように言った。

「なんで、それに反対するようなことをしたんです?息子さんだって、そっちの道に進みたかったのではありませんか?現在は、職業選択の自由だってあります。其れなのになんで応援してあげなかったんですか?」

「いいえ、私たちは、そうするしかありません。私たちのような日常生活をやっていくだけで精いっぱいな人間の苦しみなんか、あなたのような人には分かるはずがありません。それを教えることも私たちには必要なことなんですよ。」

お母さんの言っていることは、清子には意味不明なことである。親だったら、子どもが目指していることを全力で応援してあげて、その子の夢をかなえてやることが、必要十分条件ではないのか?其れなのになんで、子供がしようとしていることを、取り上げようとしてしまうのだろう。

「きっと、先生にはわからないでしょうけど、私は、あの子がピアノをやっていた時、これ以上続けないでと神様に祈ったことさえありました。あの子は、ああいう死に方をして終わってくれましたが、それでよかったんだと思いなおしたこともあります。」

「何を言っているんですか。子供さんが自殺したことを悔やまない親がどこにいますか。そんなこともしないなんて、彼、つまり、久保智博君は、浮かばれませんよ。そんなことしたら、彼がかわいそうじゃないですか!」

清子は、お母さんにそういうことを言ったのであるが、お母さんの表情は変わらなかった。其れは、誰が言っても変わらないという固い硬い表情であった。

「先生、もう帰ってくれますか。学校の先生も同じことを言いました。私はその時に、この先生は、若いから、私たちの事情を知らないんだっておもって追い出しました。先生も、私のような人にはかかわらないほうがいい。あまり関わりすぎると、先生も、こういうひとと接触を持ったとひどい目に会うことになりますよ。」

まるで予言者のようにお母さんは、そういうことを言った。なんでそんなことを言うのか、お母さんに聞きたかったけれど、お母さんはもうそういう話はしたくないという感じだった。清子は、仕方ないなという気持ちで、その市営住宅を出ていった。せめて、久保智博君の遺影だけでも見させてもらえればと思ったが、お母さんは、自分を家の中には絶対に入れないという表情をしていたので、引き下がるしかなかった。

とりあえず、その廃墟みたいな市営住宅を抜け、近くの大型ショッピングモールまで歩いていく。そこでタクシーを拾った。その時の運転手は、一寸年を取った、この辺の事なら、何でも知っているような感じのひとである。

「ねえ運転手さん。」

と、清子は、運転手に聞いてみる。

「ここに住んでいる人って、昔からの権力というか、古い習慣が根付いているというか、あまり子供を大切にしない人が多いのかしらね?」

「いや、其れはどうかな。」

と、運転手は言った。

「子どもを大切にしないというか、している人が多いと思うけど、、、。」

「じゃあ、久保智博さんという人が、ここで自殺しているでしょう。彼がそうしたとき、話題にならなかった?お母さんとの確執があったとか、久保さんが、何か悩んでいたとか。そういうことは噂にならなかったの?」

と、清子は、なれなれしく運転手に聞いてみる。

「そうだねえ。お母さんが、ああいう地区のひとでなかったら、そういう事もできたかもしれないけど、其れは、無理だったからねえ。」

運転手は、しんみりとした表情をした。

「わしらも、びっくりしたもんだよ。ああいうところに音楽を志す若いものがいたとは。もし、お母さんが、ああいう地区のひとじゃなかったら、きっと身を粉にして働くこともできたんだろうと思うけど、あのお母さんは、そういうひとじゃなかったね。」

「じゃあなんですか。地域で、久保さんのことをいじめていたとでもいうの?それは、一寸ひどいんじゃありません?」

清子は、一寸運転手に感情的に言ったが、

「いやあね、この地域では、まだ、ああいう地区に対して、馬鹿にするようにという教育をする機関があるということだ。そして、そこの人たちがなにかしでかしてもわしらは何もしない。子供のころからそういう風に教えられた。今は、そういうことをするなと、憲法で言われているようだけど、やっぱりできないよ。」

と、運転手は答えた。

「あのねえ、お客さんみたいなエリート階級には、学校も教えることもなかったんだろうが、ここには、革を細工して、差別的に扱われた人が、まだ住んでいるんだよね。」

「そうかもしれないけど、やっぱり、子供さんの持つ夢に対して、応援してあげるのが、親の務めだと思います。其れは、たとえ差別的に扱われてもそうです。アメリカの大統領だってそういうひとがなったでしょう。其れは、もしかしたら、教育放棄になってしまうのではありませんか!」

「まあ、お前さんのような偉い人には、何を言ってもわからないだろうね。」

と、運転手は、新富士駅の前でタクシーを止めた。清子は、まだわからないという顔をしたまま、タクシーを降りた。結局、今回の訪問は何だったんだろうか。其れは、清子には一生分かることはないだろう。


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ピアノソナタ第一番 増田朋美 @masubuchi4996

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