第5話 真田丸

「――放て!」

 敵将の号令が響くや否や、銃声と硝煙が辺りを覆う。前田軍の先鋒兵が次々と、鮮血を噴き出しばたばたと斃れていく。

「土塁の傍まで進め! 敵の陰に逃げ込め!」

 後方に控える前田家重臣、山崎閑斎かんさいの命を受け、一気に兵が土塁へと押し寄せる。

 しかし、

「ま、待て! 土塁の外には……うわあああああ!?」

 後続の兵に押された先鋒達が、次々と消えていく。

「申し上げます! 先鋒の兵共、次々と姿を消しておりまする!」

「馬鹿者! 人が消えるものか! 恐らく土塁の外側に空堀でも掘られておるのだろう。出丸に通ずる道は無いのか! 探させよ!」

「しかし、出丸の周りには乱杭や逆茂木が張り巡らされ、容易には近付けませぬ!」

「なに、あの出丸も浮島ではあるまい。探させよ」

 しかし、しばらくして戻ってきた伝令に曰く、

「申し上げます! 出丸に通じる道はありましたが、道幅は狭く、隊列が長く伸びておりまする。そこを真田に狙撃され、数多く損害が出ておりまする!」

「罠か!」

 閑斎が唸る。

「前言撤回、出丸の土塁には近付くな! 我が軍の土塁の内側まで退避せよ! 今攻めたところで兵が無駄死にするだけだ!」

「はっ!」

 閑斎の命を受け、すぐさま退き太鼓が打ち鳴らされる。程なくして、陣の近くに留まっていた後続軍が続々と引き揚げて来る。だが、太鼓の音色は耳をつん裂く銃声にかき消され、先鋒軍の旗印は、未だ鉄砲弾の雨の中取り残されたままだ。

「ええい、先鋒は何をしておる、一刻も早く退避するよう、直接言うて来い!」

「はっ!」

 退避してくる兵達に揉まれながらも再び先陣へと向かう伝令を見送り、閑斎自らも退避している頃、利常としつねの元では伝令がひっきりなしにやって来て、大混乱に陥っていた。

「申し上げます! 先鋒の兵共、空堀と後続軍に挟まれ、身動きの取れない状況! 空堀に落とされる者、真田の兵に撃たれる者が続出しておりまする!」

「申し上げます! 先鋒が出丸に通じる道を見つけましたが、そこでもまた真田に狙撃されておりまする!」

「申し上げます!閑斎殿より、一旦退避するとの報が入っておりまする!」

「申し上げます! 閑斎殿、先陣へ退避せよと伝令を送られるも、隼人はやと殿は『馬印を持った味方の将が先陣へ突出してしまっている。主は違うとはいえ同じ徳川の軍、彼らを置いて引き揚げる事は出来ない』と……」

「何という体たらくだ……。まるで統制が取れておらぬではないか……」

 眩暈めまいがするような状況下、さらに追い打ちが。

「申し上げます! 我等の出陣を受けて、井伊直孝なおたか殿、松平忠直ただなお殿、藤堂高虎殿の諸隊も、出丸の攻略を開始致しました!」

「何だと!? 百戦錬磨の藤堂殿はともかく、井伊殿も松平殿もまだお若く戦歴も浅い、真田なぞまともに相手しておったら、ひとたまりもないぞ!」

 だが、井伊は先代から家康に仕える重臣であり、松平は家康の孫だ。石高こくだかこそ加賀の方が上でさらに秀忠の娘を娶っているとはいえ、家の格はあちらの方が上、おいそれと口出し出来るような相手ではない。

「……ぐっ」

 利常は伸びきった鼻毛を力任せに毟る。

「くそ! こうなれば自棄やけだ! 閑斎ら退いてきた軍は、つつがなく陣に戻らせよ! 先鋒は……もう好きにさせよ! 別働隊は送ってやる!」

 一息にまくし立てると、利常は床几に座り込んだ。

「はぁ……これは大御所様も義父上様もお冠だろうな……」

 

 少し前、井伊直孝は、せっかくの戦場で武功を立てられず、八丁目口の前で痺れを切らしていた。

「くそぉ……俺だって親父みてえな武功を上げたいのによぉ……」

 彼の父親は、かつて家康に若年の頃より仕え、『井伊の赤鬼』とまで言われた猛将、井伊直政。12の頃まで父に会えず、縁は決して強くは無かったが、それでも、涼やかな美貌を向こう傷だらけにしながらも誇らしげだった父の勇姿は、彼の目に深く焼き付いていた。

 しかし自分はどうだ。父譲りの麗しの容貌には、敵に付けられた傷はまだ無い。

「だああああ! 俺だって赤備えを受け継いだんだ! 大将首の一つや二つ、いや百くらい挙げたい!」

「お静かになさりませ、殿。相手はあの真田でございます。手出しをすればろくな事になりませぬぞ」

「負けを恐れて戦が出来るかよ!」

「殿は今、兵の命を背負うておりまする! 戦である以上、生き死には避けられませぬが、いたずらに兵を失うてはいけませぬ!」

「ああもううるせえな! 分かってるよ!」

 老将に説教され、ぷいとそっぽを向いた直孝の目に、ふと、件の真田の出丸に突撃する軍が映った。

「あれは、前田の軍?」

 直孝の目が、爛々らんらんと光る。

 あ、これはまずい、と家臣が悟る前に、若き大将は鉄砲も両腰もすっかり整え、馬上で采配を振り回していた。

「父上は、常時先陣を駆ける事を重んじたお方! その嫡男たる俺が前田の殿様に先陣を獲られては男が廃る! 俺と共に死にたい奴だけついて来い!」

 そう言うや否や、大坂の城目がけて単騎で駆け出してしまった。

「まったく、先代様にそっくりだ。……皆の者、殿を追え!」

 老将達は頭を抱えながらも、大将の後に続いた。

「なぁんだ、お前らも結局出陣したかったのかよ」

 振り返ってにやりと笑う直孝だったが、老将達は口をへの字に曲げたままだ。

「殿をおめおめと討死させるわけにはいかぬからでございまする。それに、前田殿は既に退き始めておられるようですぞ」

「は?」

 直孝は、陣へと帰って行く前田軍を見て、唖然としていた。

「どうなさいますか?今退くならば無傷で済みますぞ」

「何言ってんだお前ら!赤備えに『退く』なんて選択肢はねえ!俺は行くぞ!」

「はぁ……」

 再びそっぽを向いてしまった大将の後を、老将達は渋々ついて行った。

 

 一方同じ頃、松平忠直も、八丁目口の前でがりがりと爪を噛んでいた。

「俺は……もっとやれるんだ……」

 忠直は焦っていた。父は家康の次男、結城ゆうき秀康ひでやす。家康の跡こそ継がなかったものの、文武に優れ、徳川家中でも別格扱いとなった名将である。忠直自身も、秀忠の娘を娶るなど、特別に扱われていた。

 しかし、彼自身の武功は無いに等しく、周囲にはお飾りだという者も少なからずいた。

御祖父おじい様は、攻め込まずに待機せよと仰せだが、御祖父様までも俺をお荷物だと申すか……」

 交友関係があまり広くない彼は、自分だけでなく諸将全員が待機を命じられている事など、知る由も無かった。

「くそっ」

 周囲の家臣もたじろぐ程不機嫌を露わにしていた忠直の目に、八丁目口目掛けて突撃を仕掛ける井伊の赤備えが目に写った。

「なっ! 井伊の野郎、抜け駆けかよ!」

 彼は、手の内で弄っていた采配を地面に叩き付け、武具を取り馬にまたがるや否や、家臣の方を一瞥もせず駆け出してしまった。

 

 その八丁目口には、盛親もりちか又兵衛またべえが既に控えていた。

 本来の布陣図では、八丁目口はそれ程重要視されていなかった。しかし又兵衛が、最も兵力の多い盛親を半ば独断で八丁目口の守りに配備し、ついでに周囲の兵も鉄砲もかき集めていた。

「すごい……又兵衛殿が言うた通りに敵が攻めてきおった……」

「な? 言ったろ? あいつの出丸は目立つから、夏の虫みたく引き寄せられるってな」

 既に兵は、城壁や土塁で敵襲を今か今かと待ち侘びている。いつの間にか、戦の気配を察知した勝永かつなが全登てるずみまでもが、持ち場を離れてふらりとやって来ていた。

「何やってんだよお前ら」

「武功の匂いがしましたので」

「幸村殿が出丸で敵を引き付けているのです。出丸の周囲が激戦となるのは必至。ならば、援護するのが得策と言えます」

「お前らは本当に節操がねえよなぁ……」

 又兵衛は頭を掻きつつも、鉄砲に弾を込める。

「まあちょうどいいか。敵は今出丸に引き付けられている。つまり、動きが読みやすい。ものすごく読みやすい。それに、八丁目口と出丸の間にも敵が入り込んできている。……言ってる意味分かるよな?」

「挟み撃ちですね」

「なるほど、だからこんなに鉄砲をかき集めていたんですね」

「正解だ。さ、撃ちまくるぞ」

 四人は、出丸に迫る敵軍に照準を合わせ、一斉に照射した。

 敵軍は完全に出丸に気を取られている。後ろからちょっと銃撃してやるだけでも、面白いほど撃ち倒されていく。

「すごい! 面白いですねぇ!」

「か、勝永殿、人を撃ち殺しておいて面白いというのはさすがに……」

「長さん、敵に同情する必要はねえ。遠慮なく撃っちまいな」

「確かにそうですが……」

「デウスよ、しばらく目をおつむり下さい……。これでよし」

「全登殿は思い切りが良すぎますよ」

 敵軍も黙って撃たれるわけにいかぬと反撃に転じるが、すかさず出丸から鉄砲玉が飛ぶ。右往左往としている間に、八丁目口と出丸の十字砲火に次々と兵が倒れる。

 出丸の上を見ると、赤備えの将がこちらを見ている。幸村だろうか。

「あいつ、良い武者っぷりじゃねえか」

 又兵衛が思わず呟く。

 それを、全登が聞き逃すはずがなかった。

「おや? 又兵衛殿が他人を褒めるとは珍しい。幸村殿に報告すればさぞ喜ぶだろう」

「てめっ! 何言ってんだオイ!」

「又兵衛殿! ここ戦場ですよ!」

 残りの三人が揉み合っている間にも、勝永は着実に敵兵を仕留めていく。

「もう、そんな馬鹿な事してると、私が手柄を独り占めしますよ?」

 競い合うように鉄砲を撃ち放つ戦友達の背中を呆然と眺めて、盛親が独りごちる。

「いいのか? これで……」

 

 他の四人がわいわいと砲撃している間も、幸村は粛々と陣頭指揮を行なっていた。

「八丁目口からの支援攻撃を活かせ! 前田軍と井伊・松平軍の二手に分かれて迎撃を行なえ!」

「鉄砲は最悪的に当てずとも良い! 弾薬の枯渇は恐れず際限なく撃て! 発砲音を切らすな! 恐怖で敵の思考を奪え! たとえ大将に討ち取れずとも、戦慣れしておらぬ大将には兵の混乱が伝染しうる! 冷静になる隙を与えるな!」

 傍らにいた重成が、おお、と声を上げる。

「さすが幸村殿! 狙い通り、井伊も松平も大混乱です!」

「うーん。前田も前線は混乱しているようですが、陣の方は案外微動だにしていない。戦慣れはしていないはずですが、さすがは未だに百万石を守る加賀藩主、一筋縄にはいきませんね。……しかし、損害自体は前田が圧倒的に大きいですので、前に出ていないだけで、焦りは確実でしょう。初手はこんな所でしょうかね」

「八丁目口からの援護も秀逸ですね」

「ええ。又兵衛殿が、『出丸が敵軍を引き寄せられるだろうから、八丁目口から狙えば側面を突ける』と仰せられて鉄砲をかき集めておられましたが、読みが見事に当たりましたね」

 八丁目口の方を見やると、勝永が呑気に手を振ってきたので、少し手を挙げて応じる。あちらは心配無さそうだ。

「さて、奴らが正気を取り戻して退却するまでに、どれだけ敵兵を屠れますかね」

 

 一方の前田軍先鋒、井伊軍、松平軍の混乱は凄まじかった。

「うわああああ!」

「出丸からだけじゃない、八丁目口からも撃たれてるぞ!」

「十の字の形に鉄砲玉が飛んでくるぞ!」

「これじゃあ引くに引けんぞ!」

 ただでさえ出丸からの銃撃だけでばたばたと兵士が倒れているというのに、十字砲火を受けたとあればさらなる混乱は必至。最早戦線を維持するどころではない、三隊入り乱れて右往左往する体たらくだ。

 出丸での惨状は、家康の元にも伝えられた。

「何!? 前田・井伊・藤堂と忠直が、勝手に出丸を攻撃している、だと!?」

「左様にございまする。四隊は、出丸に布陣していた真田軍から反撃され、戦線は崩壊。損害さえも把握出来ない状況に陥っておりまする」

「また真田か」

 家康は力任せに爪を噛む。

「これ以上損害を出されてはたまったもんじゃないわ! 四隊に、即刻退却するよう指示せよ!」

「はっ!」

 退却の令は、すぐさま四隊に伝えられた。しかし、退却しようと動き出した軍は、背後から出丸に追撃されることになった。半ば事故に近い形で攻め込んだ諸隊は、盾もろくに持ち合わせていない。

 直孝は退却を渋った。

「は!? 退却だ!? ここまで来たのにかよ!」

「周りをご覧下さい殿! この有り様を大損害と言わずして何と言うのですか! 今度こそ、引きずってでも退却していただきますからね!」

 忠直は苛立った。

「やっぱり俺は、御祖父様にとっちゃ孫じゃなくてただのお荷物なのかよ……!」

 利常は頭を抱えた。

「井伊殿も松平殿も大人しく退いてくれよ……。でないと、我が軍が退くに退けないんだよ……」

 ふと、直孝と忠直が、ほぼ同時に出丸を見上げた。

 しかし、二人が見上げたものは全く違っていた。

「おい、豊臣にも随分綺麗な武者がいるんだな」

 直孝は、美しくも凛々しい若武者に目を奪われていた。

「は? かんばせだけは直政様と直孝様が天下一品……ははぁ、彼ですか。秀頼殿の乳母子めのとごの、木村重成殿でしたか。確かに随分と美男で」

「欲しいなぁ……。な、あいつの首、欲しくねえか?」

「こんな時に何を仰せになる。撤退が先でございますよ!」

 一方の忠直は、鹿角が目立つ真紅の鎧に身を包んだ武者を睨み付けていた。

「あれが、真田か……」

 まごまごしている間にも、兵は次々と鉄砲の餌食となっていく。結局、徳川勢が全軍帰陣したのは、未の刻(十四時頃)を過ぎてからだった。

 利常、直孝、忠直は、早速家康から呼び出された。

「申し訳ございません!」

 開口一番で土下座した利常に対し、直孝と忠直は辺りを見渡している。

「……大殿、藤堂殿は?」

「そうですよ。彼も八丁目口攻めに参戦していたではないですか」

「藤堂殿は、そなた達と比べて損害が少なかった上に、招集する前に真っ先に謝罪に来た故、咎めはせなんだ。それに比べてそなた達は……」

 三人の面前に腰掛けた家康は、明らかにご立腹だ。

「本当に、申し訳ございません!」

「謝罪するならば、そなた達の采配のせいで死んだ将兵達に対して謝罪せよ。いくら頭を下げたとて、兵は戻らん。命を無視し、盾も持たず闇雲に突撃し、それで勝つならまだしもこれほどの打撃を被るとは。この度は決戦ではなかった故、軍全体に壊滅的な損害を与える程の惨事にはならんかった。だがこれが決戦であれば、申し訳ございません、では済まされんぞ」

「はっ……」

 利常は歯噛みした。元はと言えば、先鋒が命令を無視して突撃したのが原因だ。利常自身に否は無い。だが、先鋒の暴走を、大将である自分が止められなかったのもまた事実。

 彼の心情を知ってか知らずか、家康が小さく溜め息を漏らす。

「ま、申し開き程度は聞こう。まず、前田殿は一体なぜこんな無謀な突撃を行なったのだ?」

「はっ。各隊には、出丸に攻撃を仕掛けぬよう厳命しておりましたが、先鋒が真田の挑発に乗り突撃、その後後続も攻城体勢に入りました。私も当初は勢いに乗り突撃命令を出しましたが、真田軍が出丸周辺に罠を張っていると聞きすぐさま退却命令を出し、後続は無事退避出来ました。しかし、先鋒は『同じく攻城している他軍の将が近くにおる、見捨てられぬ』と言って退却を拒否、結果このような事態となりました」

「うむ。同情はするが、各将の連絡体制を整備する必要があるな。次、直孝は?」

「前田殿が攻城に乗り出したんで、一番槍を逃すまいと突撃しました」

「さては、前田殿の先鋒が退却出来なかったのはお前が原因か。一番槍への意欲が高いのは父親譲りで大変結構だが、今回は明らかに無謀だ。絶対家臣は止めていたはずだ、反省せよ。次、忠直は?」

「井伊が突撃しているのを見て、抜け駆けだと思い進軍しました」

「お前もか。かねてより、お前は命令無視が多い。独断で行動する将が一人でもおれば、全軍の統制が乱れる。総大将の命には従うように」

 一人一人の供述に律儀に突っ込みを入れた家康は、再び嘆息した。

「嘆いたところで、時が戻るわけではない。今後は、軽率な行為を控えるように。また、突撃の際は、必ず盾を持つように。必ず、な」

「はっ……以後心得まする」

「よっし、次は大功を挙げてやりますよ!」

「……はい、承知致しました」

 小さくなる利常、あまり反省の色が見られない直孝、ぶっきらぼうにそっぽを向く忠直が陣を去った後、家康は爪を噛みながら六文銭の旗印はためく出丸を睨み付けた。

「おのれ、真田め――!」

 

「よぉし! この戦を悔やんでも時は戻らぬ! 次の戦ではもう少し考えて動くぞ!」

 家康の陣を去った直孝は、肩を落としていたのも一瞬、気が付けばいつも通りの威勢の良さに戻っていた。

「もしや殿、今回の戦は何も考えておられなかったのですか?」

「違えよ! でも俺が戦を舐めてたのは認める。よく考えりゃ、戦となりゃあの強え父上でさえ傷だらけになるんだから、俺が舐めてかかったらああなるわ。今度はもう少し慎重にやるか」

「……殿はまだお若い。殿の御身は我ら家臣一同がお守り致します故、殿は思う存分悩み学べばよろしい」

 目を輝かせる若き当主に、老臣は孫を見守るような優しい笑みを漏らした。

 

「くそ……くそっ! 俺はまたお荷物かよ……!」

 一方、忠直の歩みは、正に地を叩きつけるようだった。べそをかきながらも、泣き濡れた顔で陣に帰るのは忍ばれたのだろうか、茶臼山の木々に隠れるように腰を下ろしうずくまった。

「俺は悪くない! 悪いのは真っ先に出丸に突っ込んだ前田と井伊だろ! なのに、何で俺だけ冷たくあしらわれなきゃいけねえんだよ! 俺はただ……俺はただ父上みたいな武功を立てたいだけだってのに!」

 鼻水をすすりながらも、地面を殴る。

「そもそも、全部真田幸村って奴が悪いんだ! あいつさえいなければ、俺も徳川も恥を晒さずに済んだというのに!あいつさえいなければ――」

 ――ふと、忠直が徐に顔を上げた。

「そうだ……。あいつを、真田幸村を俺が殺せば、御祖父様も俺を認めてくれるに違いない……!」

 その目にはもう涙は無く、ギラギラと光っていた。

 さながら、獲物を見つけた獣のようだった。

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