第2話 赤備え

信繁のぶしげ達が九度山を発った、その数日後。

「お名前は?」

ばん団右衛門だんえもん直之なおゆきでございます!!」

「遠方より遥々おいで下さり、誠に感謝致します。では次の方」

「……ああくそ、忙しい。まさかこれ程来るとはな」

「声が大きいぞ治房はるふさ。味方の将が増える事は悪い事ではない」

 大坂城では、檄文を受けた牢人達が、各地より続々と集まっていた。

 その賑わいは、城の外にいる信繁にも聞こえていた。

「さて、これからどうするか……」

 茶をすすりながら、信繁が呟く。

「流石に手ぶらで参戦は駄目でしょうから、武具を揃えなければなりませんね」

 傍らで団子を頬張る大助が応える。

「幸い、明石殿から渡された金銀がございますので、武具一式揃えられそうですね」

「そうだな。最期の戦となるかもしれん。正直な所名を残したい願望は否めない故、なるべく目立つ装備に整えたいのも事実だが……」

 ふと、街の方に目をやると、墓地の脇に彼岸花が咲いていた。

 その燃えるような赤が、ふと昔の記憶を呼び起こす。

「――そうだ。赤備えにしよう」

 大福餅をつまんでいたお竹が振り返る。

「赤備えとは、あの武田の?」

「そうだ。父が昔、赤備えの話をしてくれた。将は皆目立つ鎧を身に纏うものだが、中でも赤備えは目立つが故に討死する危険もある。しかしだからこそ、赤は武勇の誉れ高き勇士のみが纏うことを許された、とね」

 信繁は、お萩を一気に口の中に放り込む。まるで、手の震えを誤魔化すかのように。

「もちろん、私だって簡単に討たれてやる気は無い。戦うからには抗ってやるさ。しかし、この度の戦は、一面の霧の中微かな光を求め彷徨うようなものだ。生きて帰って来られる可能性は皆無に等しい。どうせ死ぬのなら、真田ここにありと名が残るような最期でありたいと思う」

 そう言うと、お竹はふふんと得意気に笑う。

「実は、そう言うと思いまして才蔵達に頼んで赤備えの鎧兜を発注しておきました」

「嘘!?」

 勢い余って、お萩を喉に詰まらせてしまう。

「ごほっごほっ……何で分かったんだい!? 確かに私は武田の赤備えに憧れていたが!」

「だって信繁様ったら、暇があれば在りし日の武田の絵巻物を見ては妄想に耽っていらしたんですもの。徳川と豊臣の関係が悪化したと聞いて、きっと信繁様も参戦されると思い、前もって注文しておきましたの。ほら、最近、私の紐を組む量が多くなっていたのもその為でございます」

「何から何までお見通しだったか……」

 信繁は今にも顔から火が出そうだ。

「ふふ、夫の一世一代の門出ですもの。それに、信繁様だってきっと、赤備えが似合うはずですよ。しかしその前に……」

 唐突に、お竹の指が信繁の頬に触れる。

「頬に餡を付けたままでは締まりがないですよ」

 お竹の指に付いた餡を口に付けられながら、信繁は苦笑いした。


 その日の夕方である。

掃部かもん殿! いきなり走って来られてどうなさったのですか!?」

 豊臣家の家臣、大野治長はるながの部屋に、全登てるずみが駆け込んできた。

「修理殿、もう一人、牢人が来られました!」

「何だと? この遅い時間にか。何者だ?」

 全登は、顔を上気させ一気にまくし立てた。

「真田左衛門佐さえもんのすけ信繁のぶしげ殿でございますぞ!」

 がん、と大きな音が響く。治長が、慌てて立ち上がる際膝を机に強かにぶつけてしまったのだ。

「掃部殿がかねてより話されていた者か!? それは真か! すぐ参る! 其方は私が来るまで真田殿をもてなしておいてくれ!」

 と言いながらも膝を押さえうずくまる治長に促され、全登は城門まで走る。

 門番に城門を開けさせた全登が、思わず声にならない声を上げる。

 城門の向こうには、見るも鮮やかな真紅の鎧を纏った精悍な男達が待ち受けていた。

 男達は元より女達も全員赤い打掛を身に纏い、まるで炎が迫っているかのよう。

 その中でも一際目立つ鹿角脇立兜かづのわきだてかぶとを被った男が、一歩進み出る。

「全登殿、お待たせ致しました。真田左衛門佐信繁、只今到着した次第でございます」

「お待ちしておりました」

 半分呆けたような顔のまま、全登は一行を城内へと招き入れた。


 やはり赤備えは目立つのだろうか、城内の人間達が一斉に真田一行に目を向ける。

「うわぁ」

 間の抜けた声の方へと振り返ると、一回り程年下であろう顔立ちの整った線の細い壮年の男と目が合った。

 信繁様は、その男を見知っていた。

「其方は確か、太閤様の黄母衣衆にいた毛利豊前守ぶぜんのかみ吉政よしまさ殿――」

「いえ、今は改名し、毛利勝永かつながと名乗っております。御無沙汰しております、信繁殿」

 人懐っこく笑う男だったが、信繁は既に、その仏のような顔の奥底に潜む修羅を見抜いていた。

「……なかなか油断ならない男だな」

 彼の予感が的中していたと気付くのは、また後の話。

「あれがかの真田ですか」

 違う方向から聞こえた声の方を見やると、勝永と同世代くらいの色が白い顔立ち・体格共に精悍な大男が、家臣らしき男達に囲まれながらこちらを覗いていた。

「其方は……」

長宗我部ちょうそかべ土佐守とさのかみ盛親もりちかと申します……と言っても自称ですが」

 あ、と信繁が声を上げる。

「長宗我部盛親殿と言えば、土佐一国を所有していた正真正銘の大名ではないですか。これほどの大物まで集まっていらっしゃるとは恐れ入った」

「いやいや、私はもうとうの昔に改易され、今やただの牢人ですよ」

 そう自嘲して微笑む盛親の顔は、どこかくたびれていた。

「いやいやそう言ったって長さん。あんた俺達の中で一番兵を率いてきてるじゃねえか」

 盛親の隣には、城内でありながらくたびれた衣服を雑に羽織った還暦間近であろう中年男が気だるげに寝転がっていた。

又兵衛またべえ殿、ほら、そんな寝転がっていないで挨拶なされてはいかがです?」

 盛親がたしなめると、又兵衛と呼ばれた男は呻きながら身を起こした。

「うっせえなぁ……。要は俺たちと同じ牢人なんだろ?」

 白髪が混じったぼさぼさの頭をぼりぼりと掻きながらも、その鋭い眼光はずっと信繁を凝視し続けていた。

「又兵衛……という事は、貴方がかの有名な後藤又兵衛基次もとつぐ殿なのですか?」

 黒田家に後藤又兵衛という歴戦の猛者がいるという噂は、信繁も既に聞いていた。なんでも、槍の達人であり、朝鮮での役の際人食い虎を討ち取ったという話もあるのだとか。よく見れば、無精髭だらけの顔には数々の戦で受けたと思しき痛々しい古傷がそこかしこに残っていた。

「まあな。しかしそんな大仰な名前で呼んでくれなくていいぜ。又兵衛とでも気楽に呼んでくれや」

 それだけ言うと、又兵衛は再びごろりと寝転がってしまった。

 すると、

「又兵衛殿! 秀頼様や淀君もお通りになるかもしれんと言うのに、何ですかその態度は!」

 廊下の奥より、一際上等な肩衣姿の男がこちらに向かってきた。

「まぁたお前かよ頭でっかち野郎。こんな牢人がたむろしているような所までお偉方が来る訳ねえだろ」

「だからと言って! ここはあくまで城内ですよ!? ……失礼致しました。申し訳ございませぬ。貴方が真田信繁殿ですね。私は大野治長と申しまする。お待ちしておりました」

「いいえ、大丈夫です治長殿。申し遅れました。真田左衛門佐信繁と申します。只今参上致しました」

 丁重に頭を下げる治長に、信繁はすっかり恐縮して深々と頭を垂れる。

「貴方様の事は太閤様より聞いております。是非とも、我らにお力をお貸し下さい」

「……承りました。我ら真田家一同、命を課して秀頼様に力添え致しましょう」

 差し出された治長の手を、信繁は強く握り返した。

 その時だった。

「おお。その額と口元の傷は、真田か?」

 背後より、太く溌剌とした声が掛かった。振り返ると、治長よりもさらに豪奢な装束に身を包んだ、小柄な信繁の一回りも二回りも大きい天を衝くような若い大男がそびえ立っていた。

 大男が現れるなり、牢人達もその家臣も、又兵衛さえも雷に打たれたかのように起き上がり頭を下げる。

「信繁殿、頭を下げて下され!」

 治長に頭を押さえ込まれながらもぽかんと口を開ける信繁に、大男は微笑みかける。

「そうか、信繁はまだ余が小さかった頃しか知らぬか。余はこの大坂城の城主、豊臣前右府さきのうふ秀頼じゃ。九度山より遥々、よう来られた」

「ひ、秀頼様!?」

 慌てて治長の横で平服する信繁に、秀頼は大声で笑う。

「それ程畏まらなくても良い。其方は我が父、秀吉が存命の頃からの仲ではないか。父より噂は聞いておる。この度の働き、期待しておるぞ」

「ははっ……」

「うむ。良い返事じゃ。それでは、今後ともよろしく頼むぞ」

 そう言うと、秀頼は膝をつき信繁の両手を強く握り締めると、一際大きく床板を軋ませながら廊下の奥へと去っていった。

「秀頼様……。見違える程立派に成長なされたな……」

 信繁は、しばらく床に腰を下ろしたまま、まだ痺れの残る手を見つめた。


 この日こそ、真田信繁の嵐のような日々の幕開けであった。


 翌日、信繁が城内で使用する部屋が割り当てられたと聞き、あてがわれた屋敷を出て城に赴いた。

「お初にお目にかかります。豊臣家家臣、木村長門守ながとのかみ重成しげなりと申します。何卒なにとぞよろしくお願い致します」

 二十を超えたばかりであろう美青年に連れられ、信繁は大坂城を案内される。

「こちらがくりやでございます。何か召し上がる際はこちらにお申し付け下さいませ」

 何かを煮込む食欲をそそる匂いが外にまで溢れている。

「こちらは大野治長殿がいつも篭っておられるお部屋でございます。豊臣家の政務は主に彼が担当しておりますので、何が御相談がございましたらこちらまでお越し下さい」

 耳を澄ますと、紙をめくる音と唸るような声が聞こえる。

「こちらは毛利勝永殿と明石全登殿が使われているお部屋でございます」

 覗くと、全登が部屋の隅で十字架を置いた祭壇に向かい、その反対の隅で勝永が鉄砲の手入れをしていた。

「あ、信繁殿お早うございます」

 勝永が人懐っこく微笑むのに対して、全登は会釈だけして再び祭壇に向かい何やら呟き始めた。

「こちらは長宗我部盛親殿が使われているお部屋でございます。盛親殿の家臣団が大変大所帯のため、一人部屋という特別な措置を取っております。御承知おき下さいませ」

 見れば、確かに盛親は一際大勢の家臣に囲まれており、皆で何やらつまんでいた。

「おや信繁殿に重成殿、貴方がたも如何ですか? 今は藤堂家にいるうちの旧臣が沢山送ってくれたんです」

「桑名で獲れたはまぐりだそうです」

「ちなみに送ってきたのは桑名弥次兵衛やじべえって奴です」

「……何ですかその駄洒落は」

 言いながらも、蛤を1つもらい口に含む。弾力のある身を噛むと貝の旨みと出汁が溢れ出す。美味しい。

「しかし、藤堂家という事は、徳川と親しいのでは? 対立するかもしれませぬが」

「そうなるのを見越して、弥次兵衛達にはもう一度長宗我部家家臣として豊臣方に参戦するよう書状を送っています」

 順調に案内が進む中、盛親の部屋の向かい、勝永と全登の相部屋の隣で重成が立ち止まった。

「そして、こちらが信繁殿のお部屋でございます」

 襖を開けると、既に先客がいた。

「おお。真田の坊主か」

「又兵衛殿!?」

 畳の上に寝転がって兵法書を読み漁っていたのは、他でもない又兵衛であった。

「という訳で、後藤又兵衛殿と相部屋となっておりますが……よろしいですか?」

「私は問題ございませんけど……又兵衛殿がどう言うか、ですよね」

 昨日の鋭い眼光を思い出し、固唾を呑む。

「いや、俺はいいぜ?」

 又兵衛から、思いもよらぬ返事が帰ってきた。――少し悪戯じみた笑みを浮かべているのが気にかかるが。

「又兵衛殿には予め承諾を得ておりますので、問題ございません。では、今後城内ではこちらのお部屋を御使用下さいませ。では失礼致します」

 重成が去ると、信繁は又兵衛と二人きりになってしまった。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 先に沈黙を破ったのは信繁だった。

「そういえば、盛親殿が蛤を皆に分けてましたよ」

「とっくに食った。勝永の坊主も、伴天連ばてれん野郎もな」

「伴天連野郎って……確かに全登殿、先程訪問した際も礼拝されておりましたが」

「うるせえだろあいつの礼拝。前はあいつと俺が相部屋だったんだが、すぐ取っ組み合いになるもんで部屋を変わった」

「しかし勝永殿はあまり気にされていないようですね」

「いや、正直な所うるせえと思うぜ? しかしだな。実は伴天連野郎の後に勝永の坊主と俺が相部屋になったんだが、今度は俺が旧主の黒田家の話をしたらあいつがえらく怒り出して暴力沙汰になってな。そん時に今の部屋割りに落ち着いたんだが、その件であいつも反省してとりあえず大人しくしてるんじゃねえか?」

「あのおっとりした勝永殿が暴力沙汰、でございますか?」

「そうだ。あの手合いは、怒ったら何をしでかすか分かったもんじゃねえからな」

「…………」

「…………」

 一通り会話が成立したが、打ち解けた感覚がまるで無い。

(この又兵衛という男、口調こそ乱暴だが、事実と推論しか言っていない。会話に彼自身の感情という物がほとんど含まれていないな……。おそらくだが、他者と交流しようとする気が乏しいのだろう。対話を単なる情報伝達手段としか考えていないのだろうか)

 信繁は早速気が滅入りそうになった。

「これから共に戦う事になる連中はあいつ等以外にも沢山いる。顔見せに行った方がいいだろうな。その前に、荷解きくらいしたらどうだ?」

「痛い! 尻を蹴るのはおやめいただきたい! …………では失礼して」

 尻に鈍痛を覚えながら荷物を解くと、又兵衛はおっと声を上げた。

「あんた、よくそんな数の兵法書を抱えて来たな!」

「山に篭っていると兵法書を読むか村人と碁を興じるか村人と遠出するか、あるいは酒くらいしか娯楽が無いんです」

「十分じゃねえか。どれ、見せてみろ」

 そう言うと、又兵衛は山積みにされた書物を引ったくりぱらぱらとめくり始めた。

 信繁は、咎めるでもなく肩を竦める。

「では、少し城内を見て回って参りますね」

「おぅ、行って来い。こいつが、城内にいる連中の特徴をまとめた物だ。参考にでもしてくれ」

 又兵衛から紙切れを受け取ると、書物を読み漁る彼を残して部屋を出た。


 廊下を歩いていると、奥から筋骨隆々とした壮年の男がのそりのそりと歩いて来た。傍らには、男より数歳年下であろう二人の供を連れている。

 信繁はぶつからない様壁際に身を寄せたが、男は彼の肩を掴むと壁に叩き付けた。

「あぁ? あんた見かけねえ顔だな。手前、まさか間者じゃねえだろうな?」

どすの効いた声に、固唾を呑み震える手を握り締める。

「兄上、流石にやり過ぎでは?」

「これでは、仮に間者だとしても吐く物も吐かないですよ」

 見かねた供二人が筋肉男の肩を掴み信繁から引き剥がそうとするも、筋肉男に弾かれてしまった。

「うるせえな! この大坂城の時勢、いつ間者が牢人の面して紛れ込んで来るか分かったもんじゃねえだろうが!」

「だからと言って、新入りの牢人が来る度に詰め寄るのはあんまりなのでは?」

「知らねえよ。俺にびびっているようでは徳川なんざ相手出来る訳ねえだろ。ところで、手前名前は? 名乗れよ」

 今にも殴り掛かられそうな中、信繁は小さく息を吐き、穏やかに名乗る。

「真田左衛門佐信繁です」

 すると筋肉男は、けっ、と小さく舌打ちして首と肩から手を離す。

「張り合いがねえ奴だぜ。じゃああれか? あんたが兄貴が言ってた真田昌幸の倅か?」

「左様ですが……兄貴、とは一体――」

 その時である。

「――こら、治房! 信繁殿に何をしておる!」

 治長が二人の間に割って入り、治房と呼ばれた男を信繁から引き剥がした。

「ちっ、何だよ兄貴」

「牢人達に食ってかかったのはこれで何度目だ? 治房。間者を疑いたくなるのは分からんでもないが、それにしてもやり方という物があるだろう」

 取り残された信繁が、言い争う二人の顔を交互に見やる。

「治長殿……。この筋肉男の御兄弟なのですか?」

「ぶふっ!」

 治長が盛大に噴き出す。

「誰が筋肉男だ! 俺は大野治房だ! 覚えとけ!」

「いやでも筋肉男と言われても可笑おかしくないですよね」

「『脳まで筋肉略して脳筋』と呼ばれるよりましなのでは?」

「うるせえ!」

 そんな治房等三人のやり取りの横で、治長がすっかり壺に嵌ってしまったのか、げほげほとむせる。

「いや失礼致しました信繁殿。この機会に御紹介しましょう。この筋肉男……ふふっ……此奴は私の弟の治房。そして、この二人も弟でしてね。治胤はるたね治純はるずみでございます」

 信繁は、会釈する二人と治長と治房をじっと見つめる。

「……似ていないですね」

「まあな。よく言われるよ」

 治房がばつが悪そうに頭を掻く。

「さっきは疑ってすまなかったな。悪い」

「もう少ししっかり謝りなさい! ほら頭を下げて! ……本当に申し訳ございませぬ、信繁殿」

「痛ててて! 頭押さえんなよ! 分かったって! すみませんでした!!」

「……まあまあ。私はあまり気にしておりませんので」

 信繁が制止すると、治房は治長や弟達に引き摺られるように廊下の奥へ消えて行った。


 大野兄弟が去った後、又兵衛に渡された紙切れを開けてみた。

「うわ、治房殿を『脳筋野郎』呼ばわりしている犯人、又兵衛殿だったのか」

 ついでに、他の牢人達の渾名も見てみる。

「全登殿は『伴天連野郎』、治長殿は『頭でっかち』、『妖怪木札男』に『腰抜け茶坊主』……中々容赦が無いな」

 少し自分の渾名が気になったので恐る恐る見てみると、案の定『真紅のちび』と書かれていた。

「『真紅のちび』か。思っていたよりましか。あ、盛親殿は『長さん』。いいなこれ。勝永殿は『隠れ弾薬庫』、重成殿は『ひっつき虫』……これも中々に酷いな。あとは――」

「おや!! 貴方様はもしや、噂の真田左衛門佐信繁殿ですかな!?」

「おぉっ!?」

 突然耳元に響いた馬鹿でかい声に驚き振り返ると、信繁と同い年くらいの恰幅の良い髭面の中年男が、息も掛かるような近距離に立っていた。

「どうしたのですかな信繁殿!! もしや……隠し事!?」

「いいえ、挨拶がてら城内を見回っていただけです。貴方は?」

 思わず後ずさりする信繁に、男は懐から何やら取り出し手渡した。

 見れば、木札にでかでかと『塙団右衛門参上』と書かれている。しかも無駄に達筆だ。

「塙……団右衛門殿、ですか?」

「申し遅れました!! 私、加藤嘉明よしあきらの旧臣、塙団右衛門直之と申します!! 以後何卒よろしくお願い致しますぞ!!」

「はぁ、よろしくお願い致します」

 会釈しながらも、又兵衛の紙切れにあった『妖怪木札男』の記述を思い出した。

「ところで団右衛門殿、先程私を『噂の』と呼ばれていましたが、何か噂になっておるのですか?」

「勿論ですぞ!!」

 言うなり、団右衛門の顔面が信繁の鼻擦れ擦れまで急接近する。

「何でも信繁殿は、勇壮な赤備えで入城し、秀頼様も淀君も、あの気難しい治長殿からも気に入られておるとか!! 信繁殿が来られてからというもの、城内は信繁殿の話題で持ち切りですぞ!!」

「そ、そうなのですか?」

「そうなのです!!」

 信繁が更に後ずさりすると、団右衛門もこれは失礼、と顔を退けた。

「では信繁殿!! 以後よろしくお頼み致しますぞ!!」

 言うと、団右衛門は足早に去っていった。

「嵐のような人だったな……」

 毎度のように絡み酒をしてきた九度山村民とは別の方向で押しが強い男だった。

「しかし、ああいう人も嫌いではないな」

 信繁は微笑むと、木札を懐に仕舞った。


 その後も、城内を見て回り、豊臣家家臣や牢人達と出会っては別れを繰り返した。

「団右衛門殿が言っていた通り、私は想像していた以上に名が知れた存在となっているようだな」

 だが、流石太閤様のお気に入りと賞賛する者もいれば、生意気な新参者と不快を露わにする者もいた。後者の中にも、信繁の温厚な人となりを知った後は好意的に接してくる者もいるにはいるが、彼を見るなり露骨に舌打ちする者も少なくなかった。

「中々、前途多難の予感がするな」

 そんな中最後に会ったのは、意外にも彼がよく知る人物だった。

「おや、義兄上」

吉治よしはる殿ではないか! 久々だな!」

 部屋から顔を出したのは、大谷吉継の子息であり信繁にとっては義弟にあたる、大谷吉治であった。

「お竹は息災ですか?」

「ああ。大坂に来てからも、組紐をこしらえては武具の費用に充ててくれておる。誠に、良き妻に巡り会えたものだよ」

「それは良かったです。義兄上も息災のようで何よりです。そうだ。よろしければお茶を一杯如何ですか?」

「いや、悪いが次の機会にしておこう。同室の又兵衛殿が退屈しているだろうからね」

「又兵衛殿って……義兄上、又兵衛殿と同室なのですか!?」

 吉治の目が輝く。

「私の部屋に来るかい? おそらく、又兵衛殿は今兵法書を見ながらごろごろしているだろう」

「よろしいのですか!? 是非御一緒させて下さい! 一度じっくりお話してみたいとは思っていたのですが、機会に恵まれなかったのです!」

「なら、案内しよう。この機会だ。私の部屋は勝永殿や全登殿、盛親殿とも近いんだ。挨拶すると良いと思うよ」

「それでは遠慮無く!」

 興奮する吉治を引き連れ、又兵衛が待っているであろう部屋に戻る。

 部屋の前に差し掛かった、その時であった。

「…………ん?」

「何か聞こえますね」

 又兵衛の声に混じり、若い男の声が聞こえる。と言うよりも、若い男が一方的に興奮しているようだ。

「又兵衛殿! 本日も手解きをどうぞよろしくお願い致しまする!」

「こら! 離れろ重成! 待て……!」

 信繁と吉治が顔を見合わせる。

「…………これは入らない方がよろしいのでしょうか?」

「……いいや、又兵衛殿が襲われている可能性も無きにしも非ずだ。突入しよう。一、二の、三……!」

 二人で襖を開け放った、その奥では、

「あっ!」

「げっ!」

 又兵衛が床に押し倒され、重成がその上に馬乗りになっていた。

「死んだ……世間的に死んだ……」

 又兵衛が手で顔を覆い呻く。その上では、重成があからさまに狼狽えている。

「ご、誤解なさらないで下さい! 私が戦の手解きを又兵衛殿に教授して戴こうと思ったらこうなっただけでございまする! 又兵衛殿に非は一切ございませぬ!」

「お二人共落ち着いて下され! この事を公言するつもりは一切ございませぬ!」

「わ、私は何も見てませぬ!」

 2人の狼狽ぶりに釣られて、信繁と吉治も慌ててしまう。吉治など、手で顔を覆ってしまっている。

「重成……一先ひとまずどいてくれねえか?」

「こ、これは失礼致しました!」

 重成がようやく又兵衛の上から離れる。

「それはそうと、本日も戦について御教授よろしくお願い致しまする!」

「よくこの状況でそんな事を言えるな……。まあいいか。いつも通りしごいてやる。二人もどうだ?」

「是非。私も御一緒致します」

 言いながらも、他ならぬ又兵衛から貰った紙切れの一部を思い出していた。

(なるほど、「ひっつき虫」か……)


 夜、慌ただしい一日に疲れ切った信繁は、又兵衛が自分の邸に帰った後も、一人畳の上に寝転がり物思いに耽っていた。

「これから、今日顔を合わせた仲間と共に戦ってゆくのか……」

 今日出会った個性豊かな武将達の顔を思い出す。

「思えば、今まで一族郎党以外と力を合わせ戦うという経験があまり無かったように思えるな……」

 信繁が、天井を見上げながら少し微睡(まどろ)んだ、その時だった。

「信繁、又兵衛、まだおるか」

 襖の向こう側から、凛とした女性の声が聞こえた。

「!!」

 豊臣と長く日々を過ごしていた信繁は、直ぐにその声の正体に気付いた。

「の、信繁はここにおりまする! 又兵衛殿は帰ってしまわれましたが……」

「む、それは残念だな。まあ其方だけにでも挨拶をしておこう。失礼するぞ」

 襖が開けられた先、月明かりに照らされたのは、目尻に皺が刻まれていながらも尚氷のような美貌をたたえた、豪奢な打掛を纏った四十ばかりの女性だった。

「よ、淀君……。どうして此方に?」

 その女性は誰あろう、実質的に城の権力を握っていると言われる秀頼の母、淀君であった。

「何、それ程畏まらずとも良い。先程言った通り、単に挨拶をしようとしただけだ。秀頼の命を預ける事になるであろう者の顔は覚えておきたい。それに、其方にはまだわらわが茶々とだけ呼ばれておった時分にも世話になった」

 そう言って、淀君は信繁の目の前に腰を下ろす。

「秀頼も言っておったであろうが、改めて言おう。この度、九度山よりこの大坂まで馳せ参じた事、誠に大儀である。其方には、また長い間世話になるであろう。よろしく頼んだぞ」

 淀君は、つい先日まで一罪人に過ぎなかった牢人に深々と頭を下げた。

 信繁はかっと顔を紅潮させる。

「そ、そんな、淀君が御自ら頭を下げられなくとも! 私が大坂まで参ったのは、太閤様の御恩をお返しする為でもございますが、そもそもは武将として名を立てる為! 淀君に頭を下げて戴く資格などございませぬ!」

「それは百も承知よ。秀頼の為とあらば、武将の私欲も毒さえも飲んでやるつもりだ。だからこそ、檄文にも秀頼が勝利した暁には恩賞も弾むと記した」

 だが、と、彼女は俯き大きく溜め息を吐く。

「敵は今や天下を掌握した徳川だ。我等はおめおめと敗北する気は毛頭無いが、万が一敗北したならば、秀頼や妾は元より其方も助からないであろう。もっとも、あの赤備えを見るに、其方は元より死ぬつもりと見えるがな」

「いや、そのような事は決してございませぬ」

 口でははったりを言いながらもしどろもどろな信繁に、淀君は首を振る。

「いいや、良いのだ。そう気に病むでない。其方が豊臣の為に殉じる覚悟でこの大坂まで遥々来た事、妾は嬉しく思うぞ」

 淀君が、静かに信繁の右手を取る。

「信繁よ。どうか、妾達を勝利に導き、秀頼を救ってはくれぬか。秀頼の命を救う為ならば、妾は何でも捧げようぞ」

 信繁が、淀君の潤んだ目をじっと見つめる。そして薄くはにかみ、淀君の右手に自らの左手を重ねた。

「承りました。この信繁、命を懸けてでも、勝利を掴み取りましょうぞ」

 氷のように冷ややかな淀君の顔が、少し緩んだ気がした。

「よう言うてくれた……。任せたぞ……」

 ふと、彼女が高く昇った月に目をやり、信繁の手をそっと膝の上に置くと、打掛の裾をさばきそそくさを立ち上がった。

「いかん。こんな時間だとは。引き止めて悪かったな、信繁。明日は早くから話し合いを行なうが故、今宵は早く休むが良い」

「話し合い、でございますか?」

「左様。牢人達を率いる指揮役を決めようと思うておってな」

 昼に会った、説得に骨が折れそうな連中を思い出す。

「……揉めませんかね」

「いいや、指揮役も居らず牢人達が勝手気ままに動く方が揉めるであろう。なに、安心せい。家中の中では、既に指揮役を五人決めておる。明日治長より話しがあるだろう」

 淀君が信繁に背を向けると、打掛の紅葉を散らした文様が目に飛び込んでくる。

「では、お休み。信繁」

「お休みなさいませ」

 信繁は畳に頭をつけ、淀君の足音が聞こえなくなるまで見送った。

「……しかし、何故指揮役の話を私に言ったんだろうか」

 もしや、とは思ったが、まさかと首を振る。

 まだ冬は訪れていないものの夜は冷える。思わず盛大なくしゃみが出てしまった。

「ああ、そうだ。あまり帰りが遅いとまた梅が浮気したと勘違いしてねるか……。『父上不潔』とか言われたら地味に堪えるんだよね……」

 ぶつくさ呟きながら、信繁も夜風に身を震わせながら部屋を後にした。

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