第48話 目覚め/永和

 優紀は足場代わりにシールドを貼り、将と美空と共に空中に立つ。穂乃花はマリヤと手を繋いで、風の力で浮いていた。

 二メートルほど下の大地には、うじゃうじゃと数えたくないほどの尾が蠢いている。

「逃がさないぃぃッッ!」

 永和が両腕を優紀たちの方へ伸ばした。両手の大小合わせて十二の嘴がパカリと開き、耳を劈く奇声を輪唱!

 たまらず誰もが耳を塞いだ。鳥肌が立ち、眩暈がするほどの不快な絶叫。

 優紀のシールドと穂乃花の風が強制的に解除され、五人は受け身すらろくに取れず地面に落ちる。

 死を叫ぶ絶叫の中、無数の尾が空を切って襲い掛かり、優紀たちは無抵抗のままぶたれ殴られ叩きつけられ蹂躙されていく。

 絶叫がやむ頃には、将の頬にあてた手と穂乃花の脇腹が朱に染まっていた。

「どんどんいくよー!」

 荒い呼吸のまま立ち上がった時にはもう、次の攻撃が始まっている。

 六枚の翼が音を立てて広がった。漆黒の羽が無数に舞い散る。微かに炭酸が弾け続ける音が聞こえ、優紀たちは身構えた。

 再び永和の翼が羽ばたく。舞い散っていた黒羽は、四方八方へ飛び散りながら、その一部が優紀たちに覆いかぶさろうとしていた。

「穂乃花ちゃんお願い!」

 苦痛に顔をしかめながら、穂乃花が風を操る。しかし一枚一枚が軽いことや広範囲に飛び散ったこともあってすべては不可能。

「むーだーだーよーぉ!」

 再びの尾の襲撃。一本一本が黒羽を巻き込んで乱舞する。

 それぞれサイコアーツを駆使して尾の攻撃をいなしていたが、舞い散る黒羽によって視界が悪くなっており、どうしても二度、三度と攻撃を受けてしまった。

 ここまでの攻防で、五人のチョッキとアサルトスーツはところどころが破れていた。最初に運悪く素肌と黒羽の接触を許したのは、マリヤだ。

 突然両手で口を押さえて、目を飛び出しそうなほどに見開きながら、地面に転がる。

「ん……ぐっ!?」

「どうしたおい!?」

 マリヤは悶えながら痙攣するばかり。次いで黒羽の餌食になったのは優紀だ。

 全身に、身体の内側から巡る吐き気。気持ち悪いほどに吹き出す汗と涙。息をするたびに喉が焼ける。それらを我慢しながら、震える小声で仲間たちに伝えた。

「吐きそう……。これ……毒……?」

 まだ黒羽に触れていない三人の顔が青ざめる。永和が頬に手を添えて、恍惚とした表情を見せた。

「だ~いせ~いか~い」

 美空は、ひっくり返った声で優紀とマリヤに向けて叫ぶ。

「無理矢理でも意識を持たせなさいッ! サイコオーラで活性化した自己治癒力があれば乗り越えられるわ! 負けるんじゃないわよ!?」

 もちろん、無数の尻尾の蹂躙はこの時も続いた。美空の吹雪が黒羽をすべて凍らせた時には、地面に五人の血の跡が凄惨な絵を描いている。

「これは早めに蹴りつけないとダメみたいね」

 美空が氷の力を振るおうと拳銃の構えを取った時、永和は目を閉じた。

 刹那、頭部を囲っていた冠上の角に無数の細い線が浮き出て、瞼のように上へ開く。中から覗く不気味な瞳たちは、将、穂乃花、美空と目を合わせた。

 たくさんの瞳がチカリと光れば、立っていた三人が膝を折る。もがくこともなくただ無抵抗に倒れるだけ。

 優紀が呼びかける。

「姉さん!? 将君!? 穂乃花ちゃん!?」

 元々倒れていたおかげで被害を免れたマリヤが、怒りの形相で永和を見た。

「今度はなにを……!?」

 ここで、永和が無邪気に命令する。

「殺し合っちゃえ!」

 優紀もマリヤも絶句した。

 将も穂乃花も美空も、ゆらりと立ち上がって拳を振りかぶる。

 大地を殴り、マリヤが絶叫。

「みんな目を覚ませぇぇぇぇ!」

 しかし、声は届かない。マリヤが咳き込み、血を吐くだけ。

 優紀はがむしゃらに起き上がった。

「くっそおおおお!」

「優紀君……ごほっ、ダメ、だ……!」

 マリヤの制止を無視して、三人の元に飛び込んでいく。将の拳はシールドで防ぎ、穂乃花と美空の拳は両手で受け止めた!

 しかし三人の暴走は止まらない。美空の足払いが優紀を転ばせ、穂乃花に蹴り上げられて将の頭突きが鼻先にめり込み大地に倒れる。

 身体の中では、未だに免疫力と毒が煮え滾るように戦っていた。もはや優紀に立ち上がる力は残っておらず、身体を丸めて耐え続けるしかない。

 しかしもう、優紀は狙われなかった。将たちは三人で殴り合う。

「もうやめて……」

 力ない優紀の声は、誰にも届かない。悲しい暴力の音だけが、何秒も、何十秒も……。

 やがて誰もが頽れたところで、ようやく三人は我に返ったようだ。

「う……お…………?」

「いったた……うぅ……わ、気を失ってたんですか、わたし……」

「な、なにが、起きていたのかしら……?」

 立ち上がることすらできない三人に、マリヤが苛立ったように注意喚起。

「あの角から出てくる目、しばらく他人を操作できるみたいだね。将たちの反応を見る限り、記憶には残らないか」

 野生動物を操作できる能力の延長だろうと察する。となれば、嫌な予感を覚えずにはいられない。

 永和が人差し指の嘴を天に向けた。

 甲高く鳴り響く、犬笛のような音が三秒。

 余韻と沈黙が森中を満たした後、ここに地獄が目を覚ます。

 森が鳴動、ざわつく木々。溢れんばかりの獣の雄叫び。

 優紀の心が涙した。

「もう……ダメだ……」

 最初に、鳥の群れが空を満たす。

 次に、暴獣の群れが沸いてきた。

 気絶していたカラスが起き上がり、熊や隻眼の猫たちと合流する。

 暴獣たちを侍らせて、永和は優紀に微笑みかけた。

「どうする? 田中君。一緒に死んでくれる気になった?」

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