第43話 永和の異変

 マリヤが美空を足留めすべく、優紀の隣からいなくなった、そのしばらくあと。

 優紀と将の目の前に、なにかが落ちる!

 正体は一振りの枝。地面にザクリと刺さったのだ。それも片手で持てるサイズじゃない。枝葉をたっぷり蓄えた、極太の枝。

 これには将も驚きの声をあげる。

「来たか!?」

 優紀はつい見上げてしまった。木々の上方、一対の翼を生やした常磐永和が、投擲直後のポーズでそこにいる。

 刹那、目の前を吹っ飛んでいく将。宙に放り出される龍馬。

 気づいた時にはもう遅い。その屈強なカラスの足が龍馬を掴み、奪い去る。

 やられた……。優紀は硬直した。永和はカラスを襲撃させるための囮だ。

 力なく倒れていく将のそばで、優紀の視線が永和と交錯する。

 直後、ゴッ。という音を聞きつけて、二人揃って音のした方を向いた。

 龍馬とカラスが、折り重なって木の根元に倒れていたのだ。双方共に、気絶している。

 優紀と永和、二人の視線は、またしても揃って地面に倒れた将へ向かう。

 彼の人差し指だけが、カラスに向けられていた。

 カラスに攻撃された直後、薄れゆく意識の中で電撃を放っていたらしい。

「常磐さん」

「……なに」

 優紀は永和の動きに細心の注意を払いつつ、将の呼吸が安定していることを確かめる。

「復讐なんてやめようよ」

 上っ面な言葉が、永和に届くわけがない。それどころか、怒らせるだけ。

「ふざけないで……! 前にも言ったでしょ!? あの男は、貴方のお父さんは……!」

「常磐さんのお母さんを殺した。そう思っているんだよね」

「なにその言い方! まるで私が間違っているみたいに……!」

「常磐遥さんの交通事故は、不幸な偶然だったんだよ」

「そんなわけないでしょ! 私は直接聞いたの! 私を実験台にしたがって、お母さんにしつこくつきまとって! そんな中不運にも事故死です、なんて絶対あり得ない! 殺したに決まってる!」

 優紀は顎が震えるほど奥歯に力を入れる。

 感情を赤裸々に叫ぶ永和の姿が、とてもやるせなくて。

 以前の自分を見ているようで、とても不快なのだ。

「……常磐さん」

 優紀が今ここにいるのは、すべて永和がきっかけだ。永和のことを好きになって毎日が楽しくなったし、永和を助けようとして気がつけば特殊部隊の新人である。

 根源なのだ。目的なのだ。永和は、優紀にとって、生きる希望なのだ。

 感謝してもしきれない、そんな相手がこんなにも絶望の淵にいるなんて……。

 以前の優紀なら、勝手に同情して、勝手に目を背け、塞ぎ込んでいただろう。

「田中君、そこをどいてッ!」

 永和が再び一直線に飛んできて、優紀は咄嗟に将の右手首、リストバンドに触れた。素早くサイコオーラを纏い、シールドで受け止める。

 永和の拳がシールドを崩さんと震えているが、薄紅色の壁にヒビは入らない。

「嫌だ」

 きっ! 永和に睨まれる。額から生える角が、背中から伸びる翼が、腰から見える尻尾が、不気味に殺気を発していた。紅潮し、眉間に皺を寄せた顔は怖い。

 それでも、優紀はひるまない。なにせ彼女は。

 腐った優紀を励ましてくれた、大切な女の子なのだから。

 将からリストバンドを拝借し、左手首に嵌める。

「お願い。耳を塞がないで、最後まで聞いて」

 永和からなにか言われる前に、優紀は言葉を並べ立てた。

「常磐遥さんが交通事故に遭った原因は、子供が飛び出したからなんだ!」

 硬直する永和。やはり、そこまで知らなかったらしい。

「穂乃花ちゃん、覚えてるよね。あの子が調べてくれたんだ。事故当時、常磐遥さんはただ車に轢かれたんじゃない。道路に飛び出した子供を庇ったんだ。子供は片足を骨折したけど、一命はとりとめたって」

「……嘘だ」

 永和の声は、掠れるほどに震えていた。遠くから聞こえてきた爆音は、まるで彼女の動揺の激しさを思わせる。

 優紀はゆっくりと、語って聞かせた。

「嘘じゃない。嘘じゃないんだ、常磐さん。……その交通事故、父さんもそばにいたんだって。実際、警察と救急に通報したのも父さんだ」

「信じられないよ!」

「それに、常磐遥さんが子供を守るために道に飛び出したと証言したのは父さんだけじゃない」

 連続する爆裂音を聞いて、優紀の視線が少しだけ逸れた。永和の向こう。森の奥。

 上空に、薄紅色の光が点々と増えていく。

 あの真下は、およそ美空とマリヤが戦っている辺り。

 深紅の雨が降り注いだと思ったら、下から跳び上がってきたミサイルのようなものが突っ込んで、白と紅色の粒子になって霧散する。

 ……いったい、どんな戦いが繰り広げられているというのだろう。

 そう思ったのも束の間、別の方向からやってきた人影に気がついて、優紀は見やった。

 気配に気づいたのだろう、永和も振り返る。

 森の奥から出てきた人物は、永和の瞳孔を痙攣させるほどの人物だった。

「……奈々……さん……なの……?」

 優紀は驚愕に言葉を失った。なぜ来てしまったのだ。そもそも、目を覚ますまでが早すぎる!

 自衛隊装備の若い女性――倉林奈々が、腰を折る。

「ごめんなさい」

 突然の謝罪に、永和は動揺するばかり。

「奈々さん……本当に、奈々さん!?」

「今まで騙していてごめんなさい。これが私の……本当の姿よ」

 意味がわからず、永和は大粒の涙を流した。

「嘘……嘘だよね、奈々さん……! 嘘って言ってよ!」

 取り乱し、ひっくり返った声で喚く。

「田中君っ! 田中君は、知ってたの!?」

 どう答えるべきだろう。悩んで、悩んで。

「……ごめん。常磐さんとはぐれた夜に、館長さんから聞いたんだ。奈々さん宛の手紙を受け取ったのも、そこで」

 サイコオーラが、永和に無理矢理、理解させた。

「なにもかも……偶然じゃ、ないんだね。悪いことばかり、偶然とか言うくせに」

 なにも言い返せない。

 永和はゆっくりと地面に降りて、苦しそうに左胸を抑えた。

「ああ、あああ……ああああああ!」

「常磐さんッ!」

 頭では次々と理解が進んでいるのだろう。それも強制的に。しかし心が追いつかないようだ。

 龍馬は遥を殺していない。倉林は最初から永和を知っていて近づいた。倉林は龍馬の部下だ、まさか優紀のことを知らなかったわけがあるまい。

 偶然を必然と勘違いしながら、永和の中ですべてが繋がっていく。

「全部、全部、全部、全部! なにもかも私の信じていたすべてが嘘だなんて! 偽りなんて! はぁ、うぐ……っ」

 呻き、喘ぎ、咳き込みはじめる。

 慈愛に満ちた怒りが、感謝してもし尽くせないほどの憎悪が、優しく寄り添い包み込んでくれた孤独が、永和の心を砕いた時。

 彼女の胸の中で、サイコストーンが呼応する。

「常磐さんダメだ! それ以上考えたらいけないッ!」

 おもわず、優紀は叫んだ。

 強い想いに触れた時、サイコストーンは自壊して、サイコホルダーにさらなる超常の力を与える。

 ――たとえそれが負の感情でも。

「ああああああ――――!」

 永和の全身が目映いほどの紅色に包まれた。紅の繭。

「ゆ、優紀くん……? 永和ちゃんに、いったいなにが……!?」

 恐怖に震える倉林の問いに、優紀は捲し立てるように答えた。

「さっき僕が倉林さんに逆転できたのは、サイコストーンを代償に捧げたからなんです! 今の常磐さんはさっきの僕と同じ状況なんですよ!」

「まさか……心臓の……!? でもそんなことをしたら……!」

 言いながら理解して、倉林は絶望した。

 涙が流水のように優紀の頬を伝う。

「常磐さんが……!」

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