第38話 将VS園原

 穂乃花が作ってくれた胸のエンブレムを握りしめ、気合一声。パキリとサイコストーンが砕け散る。同時、全身を乱暴に破りちぎるような痛みが襲った!

「うあああああああ!」

「なっ!?」

 激痛に耐え抜いたご褒美だろうか。倉林の身体が軽く感じられる。いや、それだけではない。

 全身に浮遊感。重さがない水の中に揺蕩うような、不可思議な感覚。

 直感が、教えてくれた。

 今の優紀は、あらゆる物理法則から解放されている。

 究極の防御――即ち、無敵状態。

 理解する合間にも、優紀の全身から紅色の光が薄れていった。これが消えれば、最後の恩恵が終わってしまうのだろう。十秒と持たなそうだ。

「おおおおおおおお!」

 一心不乱に腕を振る。先ほどまでの苦戦が嘘のように、倉林を腕で跳ねのけた。触れた感触すらまったくない。空気の中を滑らせるように、なんの抵抗もなく、押しやれた。

 地面を蹴ることもせず、優紀の身体が宙に浮く。

 重力はおろか、慣性の法則すらも超越した。動く、止まるが自由自在。

 ――倉林さんに突進しよう――そう思うだけで、なんの予備動作もなく、優紀の身体が倉林の方へスライドした。たたらを踏んでよろける、倉林の方へ。

 慣性がない故、初速から全速力。しかし、優紀は歯噛みした。

 あらゆる物理的エネルギーを無視するため、加速のために力を加えることも不可能。穂乃花以上に自由に飛べるが、穂乃花のように加速ができない。

 ――体感として、地上から見た飛行機より速い程度。速度を測ることができたなら、秒速十センチと計測されるはずだ。

 即ち、倉林が態勢を整え、回し蹴りを繰り出す余裕があった。迫力、威力共に死神の鎌だ。

 その一撃は見事に優紀の首を捉えたが――触れた感触すら無敵の力が無効化する。

「ちぃ……!」

 苦い顔をする倉林の鳩尾に、優紀の掌底がのめり込む。

「ふぐっ……!?」

 そのまま、秒速十センチで押しやられる倉林。壁にぶつかり受け身を取るが、まったくの無意味。腹筋による抵抗も、限りなく無意味。内臓が、秒速十センチの速さで圧し潰されていく。

 いよいよ無敵の効果時間が切れて、重力が優紀を引っ張った。

 どさりと落ちる優紀の正面、倉林は力なく頽れる。両眼を剥きながら、必死に呼吸を整えていた。

 一方優紀も、ほぼ限界に近い。視界がくらみ、肺が必死に酸素を取りこむ。

「ふぅ……ふぅ……ガハッガハッ! だ、大丈夫ですか……?」

 さすがに心配になって優紀が近寄るも、倉林は額に脂汗を大量ににじませるだけ。

「し、死ぬかと、思ったわ……。ゆっくりな割に、ゆっくりだからこそ、恐怖が」

 言いたいことがまとまらないくらいには、生命の危機に脅かされたようだ。

 もしもあと一秒でも無敵時間が続いていたら殺していたかもしれない。そう気づいて優紀の方がぞっとする。

「ご、ごめんなさい! ……でも、常磐さんは、そんな気持ちを五年間も、ずっと抱いていたんですよ?」

「それは、どういう……まさかっ」

 驚きで呼吸が乱れたのか、激しくむせる倉林。

 優紀は落ち着いた声音で言い聞かせた。

「意識だけが、あったそうです。父さんが常磐遥さんの元を訪れる、数日前から」

「ああ……そんな……わかっていたなら……こんなことには……」

 瞳孔を震わせて、倉林が涙する。

 小さく「ごめんね、永和ちゃん」と口にして、いよいよ彼女は気絶した。

「……倉林さん」

 本当に、永和のことを大切に考えていてくれたようだ。

 せめてその気持ちだけは、彼女に伝えられたらいいのだが……。優紀は目を閉じる。不幸と誤解の糸が複雑にもつれている以上、それすらも難しいだろう。

 刹那、跳び上がるほどの音量で銃声! 使命感を呼び覚ます。

 今は考え事をしている暇などないのだ!

 一目散に廊下を目指し、引き戸を乱暴に開いた。

 すぐそこで、大人の男に取り押さえられている将がいる。

「なに負けてんの!?」

 無駄のない肉体を誇る男が掲げる手には、将のサイコストーンが埋め込まれたリストバンド。これでは捨て身の一撃すら放てない。

 しかし、将はニヤリと笑って見せた。

「お前を待ってたんだよ」

 将の手が、右手の爪が、自らの防護服を引っ掻いた。刹那、将の全身が黄色く明滅!

「ぐっ……!」

「がっ……!」

 将を取り押さえている男と、将が、同時に苦痛に悶えて脱力。

 三秒待っても、ピクリとも動かないままだ。どうやら気絶しているらしい。

 一部始終を目の当たりにした優紀だが、なにが起きたのかがわからなかった。

「ど、どういうこと……?」

 おそるおそる近づくと、将が勢い良く起き上がった。

「いってぇ!」

「うわあ!?」

 将の上に乗っていた男が、力なくごろんと転がる。

「穂乃花のやろう、全然耐えられるレベルじゃねえじゃねえかよ!? ったく……」

 腰を抜かしてへたり込む優紀の前で、将は男の手からリストバンドを取り返した。手首に嵌めて、サイコオーラを身に纏う。彼の呼吸が、落ち着いていく。

 将は、ぱくぱくと口だけで疑問を示す優紀に、めんどくさそうに答えた。

「俺の防護服にはな、小さな電極がいくつも入ってるんだよ。で、ここのスイッチを入れれば電気が流れる。まあ、全身スタンガンみたいなもんだ」

 優紀の喉が、声をとり戻す。

「全身スタンガンって……作ったのは穂乃花ちゃん? というか、そんなものを生身で喰らって、なんで将君は平気なの……!?」

「平気じゃねぇさ。でも、サイコアーツが雷だからか、サイコストーンがなくても感電系には耐性ができているらしい」

「耐性って……」

「たぶん優紀の姉ちゃんも、やたら寒さに強くなってるんじゃねぇか? 寒中水泳くらいはお手の物だろ」

 およそ人間の域ではないが、先ほどの倉林の動きを見た後では、それほど荒唐無稽な話でもないのかもしれない……と思ってしまう優紀であった。

「それより、降りるぞ。マリヤが心配だ」

「うん!」

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