第33話 それぞれの夜
時同じ頃、旧辻見堂医院。
眼が冴えて寝つけずにいた美空は、風に当たるため庭まで出てきていた。
「寝つけないのか」
低く重い声を聞き、振り返る。
「父さん」
優紀に似て、背の高い男だ。年齢はまだ四十九歳だが、離婚してからさらに老け込んでおり五十代にも六十代にも見えてしまう。
寝る気がないのか、それとも着替える気がないのか、服装はスーツのままだ。
龍馬は美空と同じく空を見上げながら呟く。
「まさか、優紀も関わっていたとはな」
「次も、きっと戦うことになるわ」
美空が告げれば、龍馬はしばらく黙り込んで、小さく咳払いした。
「……なにか、俺のことを言っていたか?」
「まさか。夕飯前のブリーフィングで報告した通りよ。常磐永和のことしか頭にないわ」
美空は淡泊に答えながら、ちらりと龍馬の顔を見やる。
気にしているとは思っていたが、まさかそれを口にするとは。
「……なんだ?」
「別になにも? まあ、うまくやるわよ。明日の作戦ですべて終わらせるわ」
そろそろ寝ようかしら、と踵を返した美空の背中に、龍馬が夜空を見上げたまま呼びかける。
「美空。くれぐれも無理はするなよ」
「わかってるわよ」
見ているとは思っていないが、美空は歩きながら軽く片手をあげた。
「父さんこそ、明日はじっとしていてよね」
返事も聞かずに、美空は旧辻見堂医院へ戻る。たった二人の女子陣に割り当てられた和室には、美人のお姉さんがぐっすりと眠っていた。
美空は彼女を起こさないようにしながら、畳の上に置いてある寝袋に籠る。
眼を閉じてまどろみに身を任せると、すぐに美空は眠りに堕ちた。
夢に見るのは、四人揃った食卓だ。
母がエプロンを外して美空の隣に座れば、正面の優紀が待ちきれないと箸を取る。
各々いただきますをして、醤油やソースを渡し合いながらお刺身やコロッケなどを取り合っていく。
……おかずが無差別なのも、母が五年前のままで優紀が成長した現在の姿なのも、夢だからなせるご都合主義的映像編集の賜物だろう。
「姉さん、大学で常磐さんはどんな様子?」
「そんなの自分で聞きなさいよ……なんでアタシがアンタらの仲介役せにゃならんの」
「なんだ優紀。美空の友達と知り合いなのか」
ホラ、すぐ人に頼るから。美空は鼻で笑いながら味噌汁をすする。
「あ、知り合いっていうか……彼女だよ」
「ッ!? ゲホッ、ゲホ!」
「姉さん、なんでむせるの……」
まさかあっさりと自白するとは思わなかったからだ。隠す気ゼロか。
「…………」
「あらまあ」
尋ねた当人である龍馬はなにも言えず、黙って聞いていた母の笑顔は崩れない。
「ねぇ優紀、今度お母さんにも紹介してちょうだい。会ってみたいわ」
「ええ、恥ずかしいよ」
「ならなんで最初から隠さないのよ……」
女々しくもじもじする優紀に呆れる美空に、優紀が睨みを利かせてきた。
「じゃあ姉さんは彼氏がいること隠してるの?」
「いないわよ、そんなもの」
「ねぇ美空」
なに母さん、と答えようとしたものの、自分の声が聞こえない。
ああ、夢にしたって短すぎると毒づいて、美空は素直に目を開いた。
「…………アタシも大概、甘いわね」
家族を元の形に戻す。それどころか、対立しているはずの常磐永和が友達として、優紀の彼女として登場するとは。夢の中とはいえ、いくらなんでもありえない。
気合を入れようと自分の頬をパン! と両手で挟んだ時には既に、寝ていた仲間の女性が起き上がって美空に拳銃を向けていた。サイコストーンの恩恵なしでそれだけの動きができるあたり、彼女も立派なSACTのメンバーだ。
「美空ちゃんだったか……。おはよう、脅かしてごめんなさいね?」
「い、いえ、こちらこそ……起こしてしまってすみませんでした。おはようございます」
バクバクする心臓を落ち着かせながら、心の中で感謝の言葉も贈っておく。
今自分の居る世界は、これくらい厳しい世界なのだ。
少しでも隙を見せれば、命を失う。
ただでさえ、最低限達成しなければならない作戦目標の壁が高すぎるのだ。余計なものを背負って登ろうとすれば、まさか手が届くわけがない。
気をしっかりと引きしめて、美空は早速、身支度を整え始めた。
***
「お母さん……」
寝言にしてははっきりと発音して、永和はむくりと上体を起こした。
深い森の中はまだ薄暗い。しかし夜明けはもうすぐだ。
二晩連続で入浴できていない身体はどうしても不快感が気になるが、それもきっと今日までだ。今晩は殺人罪で捕まった犯罪者として、それ相応の扱いを受けるはず。
常磐遥。永和の母が死んで、今日でちょうど五年目になる。
だから、昨日のうちに決着をつけたかった。なにせ、永和が母の復讐を望んでいることをSACTたちは百も承知である。となれば、命日であるこの日に構えてくるのは必須。
だからこそ、昨日のうちに優紀を人質に取って動揺させつつ、急襲するつもりだったのだ。
だが、失敗したのなら構わない。
むしろ母の命日に復讐が遂げられるのだ、ここでやる気を出さずしていつやる気を出すというのか。
眠気覚ましに準備体操をして、身体を温めた。
「やってやる」
永和の殺意に導かれるように、周りから気配がいくつも増えていく。
隻眼の猫。屈強な熊。巨大なカラス。
局所的に角が発達した鹿。牙が枝分かれするイノシシ。人より大きな野犬に、車にも負けない馬力がありそうなネズミ。すばしっこそうなフクロウ。土鳩、タヌキ、モグラ、ハクビシン。
永和のサイコアーツによって異種間でも高度な連携が取れるようになった化物たちが、一斉に旧辻見堂医院のある方角を向いた。
「宮藤龍馬……お母さんの仇、討たせてもらう……ッ!」
いよいよ、森の中に日の光が差し込んでいく。
刹那、永和は暴獣化させた動物たちを率いて駆けだした。
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