第31話 脱出

 土煙が上がる中、一気に膨れ上がった暴獣たちの殺気。

 微かに動物が地を蹴る音。

 優紀は、視界の左端で土煙の揺れから敵の位置を掴み、シールドを展開。

 ――誰であろうと、熊と同じように跳ね返してやる!

 キリキリと悲鳴を上げる身体に鞭を打って立ち上がり、全身で左側を向く。

 土煙を纏ったまま、シールドにぶつかったのは――。

「石ッ!?」

 まさかの、ハッタリ。

 優紀が目を見開くと同時、背後から視線。

 振り向けば、もう目の前に猫の前脚。

 シールドは間に合わない――ッ!

 全身を強張らせる優紀の眼前、猫はイカレた形相だった。左目と、口が、三日月型に歪んでいる。

 ぐっと歯を食いしばったその刹那、猫の身体が潰れるように地に落ちた。優紀を捕えかけた前脚も、地面をべたんと叩くだけ。

 痛みの代わりに全身が感じるのは、荒れ狂う風の流れ。

「よく言った! ちゃんと聞こえたよ、優紀君!」

「ったく。口だけはいっちょ前なんだからようわ!?」

「助けにきましたよ。ご無事です?」

 シュタ。どてっ。シュタ。空から三人分の人影が落ちてきた。

 マリヤと穂乃花がゴミを見るような目で将をみつめ、将は無言で立ち上がる。

「マリヤさん……穂乃花ちゃん……!」

「…………俺は!? 俺を見なかったことにするんじゃねぇ!?」

 つい気が緩みかけてしまうが、ぶんぶんと首を振って現状を把握しなおす。暴獣たちと距離を取り、向かい合う。

 こちらは四人。相手は、熊と猫と、その他数十体。

 注意すべきは、熊のパワーと猫のスピード、そしてなにより野生の本能。

 ごくりと誰かが息をのんだ。

 マリヤが静かに、しかしはっきりと指示を出す。

「いい? 隙を見つけ次第一気に逃げるよ。すぐに集まれるように、お互いがお互い、離れないように戦うこと」

 優紀たちに返事をする間も与えず、暴獣たちが攻め込んできた。

「穂乃花ちゃんッ!」

 マリヤは叫ぶと同時、自身の周囲に大量の刀を量産する。

「はいっ!」

 穂乃花の放った竜巻が、マリヤの刀を飲み込んでいく。刀がもれなく竜巻の外側へ刃先を突き出した。そして向かうは、敵の群れ。

 彼女の隙を突こうと、背後に飛び込む隻眼の猫。

 気づいたうえで、穂乃花は無視する。首筋に鋭利な爪が迫る。

 しかし、薄紅色の壁が、猫の攻撃を阻んだ。

 穂乃花の口元が、満足げに笑う。

 それを見て、優紀も少し、口角を上げた。優紀の心に、絆が芽吹く。

 言われずともわかっている。みんなの防御は、優紀に一任されていることを。

 隻眼の猫がたたらを踏む。

 その間にも、殺戮の竜巻が暴獣の群れを飲み込んだ。直撃した個体は竜巻によって遠くへ吹き飛ばされ、回避が遅れた個体は身体中に無数の刀傷を刻まされていく。確実に回避できた個体も数多くいたが、竜巻から弾けるように射出されていく刀が追尾。ただでは済ませない。

 四方八方に散った刀は、地面に、木の幹に、枝に突き刺さった。

 一瞬で惨酷な天変地異を描いた刀たちが、紅の粒子になって散っていく。

 穂乃花を守るのに手一杯な優紀を狙わんと、熊が横から突進した。

 熊の足元の地面が突然爆ぜて、そこへ黄色い閃光と雷の怒号。

 舞い上がった土煙を巻き込み、マリヤは刀で斬りかかる。

 熊は咄嗟に腕でガードしたようだが、後ろへよろけるほどの威力を出せたようだ。

 マリヤの頭上へ跳び上がる隻眼の猫。のしかかるように前脚を振り下ろす。

 寸前で受け止めたのは穂乃花の風だ。そこへ将の雷がすかさず追撃した。

 将の足下に飛び込んだネズミは、マリヤの投げた刀で殴るように吹っ飛ばされる。

 マリヤが再び熊に斬りかかる。割り込むイタチ。弾き飛ばす優紀。その隙を突く猫。拒む暴風。舞い上がる土に紛れて、雷が幾線も飛んで行く。

 乱戦の様相を見せた戦場で、優紀たちのコンビネーションは最高だった。多少の無茶をすれば最後、致命的な隙になる。そこを獣たちは見逃さない。しかしそれを補って余りあるチームワークが、今の優紀たちにはある。

 絶対的な信頼があるからこその、綱渡りのような連携。

 個々の身体能力で互角以上、数で圧倒的に勝っているはずの暴獣たちは、しかし、彼らの気迫に度肝を抜かれ始めていた。

 その気配を悟ったか、マリヤが号令。

「行くよっ!」

 いつの間にかぽっかりと空いていた空間に、優紀たちが飛び込む。

 すかさず穂乃花の四肢から風が渦を巻いた。静かに、力を蓄えるように。

「真似して」

 言われ、優紀はマリヤの鏡を演じるように動く。

 穂乃花の右肩にマリヤが両手を重ねて乗せた。優紀は穂乃花の左肩で、同様にする。

 逃がさないと跳びかかってくる猫には、将が対応。

 バチチチチィッ! とけたたましい音が響く中、隻眼の猫は全身を電気に焦がされる。

 が、猫の戦意は喪失しない。それどころか、より増したようにも窺えた。

 これはまずいと、将が拳を振りかぶる。サイコオーラで強化した腕力で、猫を強引に殴り飛ばそうという魂胆だ。

 そこへ割って入ったのは熊だ。将を返り討ちにすべく、剛腕の一撃を将に合わせた。

 将の目が、鋭くなる。将の口元が、不気味に歪む。

「へっ、悪く思うなよ?」

 熊の全身が大きく震えた。轟く雷鳴と共に、将の拳が雷色に輝く。その拳が熊の胴体にクリーンヒット。熊の口から涎がこぼれた時には既に、猫共々吹っ飛んでいる。

 振りぬいた姿勢をすぐに直して、将は優紀たちの元へ。

「将、よくあの熊殴り飛ばせたね」

 地面に落ちる猫と熊を見ながら、マリヤが感心しきった声をあげた。

 将はマリヤと優紀が重ねた両手に自身の手を乗せながら答える。

「これでも中学時代は野球部キャプテンだったんだ、なめんな」

 マリヤが「あたしが倒したかったな……」とのんきなことを言うそばで、穂乃花が合図した。

「さ、飛びますよ! せーのっ」

 穂乃花に合わせて、優紀たちは膝を曲げ、真上へ跳ねる!

 強化された脚力に加え、風の噴射も合わさり、四人はロケットのごとく打ちあがった。


***


 一方、白い冷気が漂うエリア。

 美空の元に園原たちが合流すると、美空はすぐに指示を出した。

「今から拘束を三段階で解いていきます。寒さで気絶しているはずですが、くれぐれも気をつけてください」

 半球状の氷のドームが一回り、そして二回り小さくなる。そして最後の拘束も解いた瞬間、誰もが絶句した。

 地面に、穴が開いていたのだ。

 ぽっかりと大きく開いたその穴は、永和はもちろん大柄な大人でも入るサイズ。

「地中から……逃げられた!?」

 刹那、美空が痛恨のミスに気づいて肩を強張らせる。

「モグラか……!」

 完全に失念していた。永和の仲間は野生動物ばかりだということを。それにしてもまさか、こんなことまでできるとは。

「……ここは引くぞ。作戦本部が心配だ」

「ッ……。はい。申し訳ございませんでした」

 美空は舌打ちだけ残して切り替える。

 森の中を駆け抜けながら、しかし確かに、感じ取っていた。

 次の戦いが、最後だろうと。

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