第27話 犯行動機

「じゃあ、常磐さんって今二十歳なの!?」

「ああ……! 今大事なの、そこじゃない……!」

 永和はぐしゃぐしゃと髪を乱暴にかく。しかし、優紀は聞く耳を持たなかった。

「そういえば、同級生かって何度か聞いたことあったけど、毎回はぐらかされていた気がする……」

「だから、そこじゃないって……!」

「でも、好きな人の事だし……」

「口・説・か・な・いっ!」

 全力で怒鳴りつけると、優紀が背筋をピンと伸ばして返事した。

「はいッ!」

「ああもう、調子が狂う……」

 優紀といるといつもそうだ、と永和はこの一年を思い出しかけて、かぶりを振る。

 今は思い出に浸っていい時ではないのだ。

 火照った顔を冷ますように、深呼吸。

 そして、話を本筋に戻す。

「さっきも言った。私を誘拐したのは」

「うん。僕の父さんなんだよね」

 ちゃんと聞いているんじゃないか、とまたしても怒鳴りかけ、永和はごくりと息をのんだ。冷静に、冷静に、と自分自身に語り掛けつつ、優紀には当時のありのままを語る。

「意識不明の重体。そう診断されていたけど、私の意識は、実はあったの――……」


 五年前。永和が交通事故に遭ってから一年が経ってからのこと。

 真っ暗闇の中、永和の意識は目を覚ましたのだ。

 しかし全身の感覚がなく、手足を動かそうとしてもまったく動いた気配がしない。これが死んだということか、と思った矢先、聴覚だけが、仕事をしたのだ。

「永和。お母さん、今日も来たよ」

 母の声が、確かに耳に届く。

 なぜ? 私は死んだんじゃなかったの? お母さんも死んじゃったの? そう語り掛けたつもりだったが、声が出ていないことを自覚する。

「最近仕事も慣れてきてね――」

 パニックになりつつも、それを伝える手段がまったくない。

 しかし話を聞いているうちに、永和はようやく理解した。

 どうやら自分は、交通事故の影響で、聴覚以外がダメになってしまったらしい、と。

 そしてもう一つ。事故に遭って一年が経過しようとしているらしい、とも。

 最初はもどかしかった。

 同時に、ありえない、とも思った。

 まだ交通事故に遭う前の頃、友達と見に行った泣ける映画で似た境遇のキャラクターがいたことを思い出す。病気かなにかで意識不明と診断されたが、実は意識があったのだ。

 映画だから感動もしたし泣きもしたが、まさか現実に、それも自分の身に降りかかるとは思わなかった。

 もっとも、楽観はできない。映画ではそのキャラの好きな人に意識があることを気づいてもらえたが――たしか微妙に唇が動く、というもので、嘘か真か病名も語られていたはずだ――自分にも同じことができるとは思えない。

「それじゃあ、また明日来るね。永和。もちろん、車には気をつけるわ」

 ああ、お母さんが行ってしまう……。

 それから、母は仕事と家事以外の時間を、ずっと永和の病室で過ごしてくれていることがすぐにわかった。感極まるものがあったが、涙がこぼれる気配も、心臓が活発になる予兆もまったくない。

 少し慣れてくると、母の話に相槌を打ったり笑ったりする余裕が出てくる。もちろん、母はそれを認識できなかったが。

 それもしばらくすると、恐怖に変わった。いつもなら無意識に動く表情筋や、発した声が脳や口の中で反響したり、骨に薄く響いたりする感覚がない。

 そして、ついに恐ろしい声を聞いてしまう。

「また永和が笑ったわ」

 耳を疑った。笑ってなどいない。笑った感覚などない。

「でも、これも反射なのよね……」

 それからしばらくして看護師たちの言葉で判明したが、どうやらいわゆる植物状態と呼ばれる症状の患者は、時々不随意反射を行うそうなのだ。即ち、睡眠と覚醒の反復や、目を開くことがあるらしい。

 ただしほぼすべてが『本人の意思とは無関係』と思われてしまうようだった。

 おまけに、事故から一年が経とうとしている今、もう回復の見込みはほとんどないと言われてしまった。ダメ押しに、臓器不全や感染症などで死亡するリスクが高くなっているとも……。

 恐怖に蝕まれ、永和の心が死というものを、受け入れてしまいそうになった頃。

 よく聞く母や看護師の声とは違う、男性の声を初めて耳にする。

「宮藤龍馬、といいます」

 防衛省の幹部を名乗るその人は、どうやら永和を救う手段を持っているらしい。

 しかしそれは、まだ認可されていない方法であり……即ち、なにが起こるかわからないとも説明された。

 なんでも、サイコストーンという小さな石を身体に埋め込む手術をするのだそうだ。その石からは特殊なエネルギーが発されており、それはおそらく、筋力の上昇や思考の活性化をはじめ、自己治癒力の活性化にまで及ぶとのこと。

 それが本当なら、一命こそ取り留めたものの意識が一向に戻らない永和を助ける手立てになるだろう。人間での臨床試験をしたことが一度もない、というのがネックだが、理論上後遺症などのリスクはないとのこと。もちろん、机上の空論でしかないらしいが。

 不安半分、期待半分。それは永和も母も同じだったが、母は頑なにそれを拒んだ。

 まあ、身体に物を埋め込むというのは、たとえ無害と言われても十分怖い。なにより決め手は、次の質問だ。

「娘の意識が戻った時、埋め込んだその石を取り除くことはできますか?」

「経過を診てからでなければなんとも言えません」

 つまり、生涯その石を体内に入れていなければならない可能性があるというわけだ。確かにそれはぞっとする。

 こうして一度は追い返された宮藤龍馬だったが、二度、三度と病室を訪れた。

 さすがに母がしつこいと怒ってからしばらくは、病室に顔を出さなくなったが……。

 それから数日後、また、訪れた。

「……常磐永和さん。聞こえていますか? 宮藤龍馬さんがお見舞いに来られましたよ」

 よく来てくれる看護師のお姉さんが、唐突に語り掛けてくる。

 永和は驚いて返事をするも、やはり自分自身では伝わっている気がしない。今までもなんらかの方法で伝わっていたのだろうかという淡い期待は、しかし、すぐに裏切られた。

「……聞こえているわけないですよね。いままでだってそうだったんですから」

 どうやら、向こうが勝手に独り言として話しかけてきただけらしい。

 少し拗ねた永和だが、もちろんそれにも気づかず、看護師のお姉さんの声は続く。

「永和さんのお母様も……交通事故に遭われました」

 驚く暇もなく、宮藤龍馬の声が聞こえた。

「常磐遥様のご遺言に従い、常磐永和さんを自衛隊中央病院へと移送いたします」

 直訳すれば、母が、永和へのサイコストーン埋め込み手術を認めた。ということである。

 まさかそんなわけがない。

 あんなにも手術を拒否していた母が、そう簡単に手の平を返すものか。

 交通事故で死亡という死因だって、まさか真実ではないだろう。毎日別れ際に「車には気をつけるわ」と口癖のように言っていたのだ。なのに、事故に遭うものか。

 この男は防衛省の幹部である。きっとなんらかの方法で母を殺したに違いない。


 それから、永和の左胸にサイコストーンが埋め込まれた。

 もっともすぐに目覚めることはない。この地点から四年かけて、永和は徐々に回復していく。

 この四年の間に、SACTという組織の人間たちの声をたくさん聞いた。

 それらから察せるのは、もちろん治療されているとはいえ、同時に観察対象にされていること。

 これをきっかけにサイコストーンに秘められた力が証明されたこと。

 宮藤龍馬の娘だという美空も、自らサイコストーンの研究に被験者として参加するようになり、いよいよもって意図的な超常現象の発現が認められたこと。

 結果、防衛省は超常現象を利用した巨悪を想定することを余儀なくされた……ということも。


「……――そして去年、私は目覚めて、辻見堂医院から逃げ出した。行く当てのない私を奈々さんに拾ってもらって、それからは田中君の知っている通りだよ」

 倉林を通じて勉強を教えてもらえるようになり、交流が始まる。

 そして今年の春、優紀が両親の離婚話や父の話をした瞬間、永和はとても驚いた。

「田中君がお母さんの仇の子供だって知った時、やっぱり過去を見て見ぬふりなんてできないんだって気づいちゃったんだ。だから、復讐するしかないの」

「そ、そんな……」

 激昂した永和の瞳は、闇が燃えるような色をしていた。

「お母さんの無念を晴らす。そのために、田中君には人質になってもらうから」

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