第26話 優紀拉致

 永和によって優紀が運び込まれたのは、よりにもよって、永和を救出した岩のあるポイントだった。

 しかも、マリヤを圧倒した熊の暴獣、永和救出の際に恐怖の形相を見せた、隻眼の野良猫の暴獣……と、とりわけ強そうな個体まで揃っている。

「いったい全体、どうなってるのさ……」

「嫌ってくれていい。私は、田中君の敵だから」

 突然の宣戦布告。その割には、永和も暴獣たちも、襲い掛かってきそうな気配はまったくない。

「敵って……今さっき、死にそうなところを助けてくれたのに?」

 その質問は、なぜか永和を怒らせた。

「君のお姉さんの言う通り……! 田中君、色々甘すぎる」

 睨みつけられても、本当に優紀には心当たりもないのが実情である。

 呆然とする優紀の雰囲気は、より永和を苛立たせたようだ。永和が荒いため息を吐く。

「あぁ~! もう!」

 何度も、何度も。永和は呼吸を整えようとした。

 最初に角が消えて綺麗な額に戻り、次に翼が消える。あくまでもサイコオーラを物質化させただけのようで、服の背中に穴は開いていなかった。

「……あの時、言い損ねたこと。言うね」

 あの時というのがどの時のことを指すのかは、聞かずとも不思議と察せる。

 初めて暴獣と鉢合わせする直前。告白の答えを、してくれる時のことだろう。

 そしてその予想は、ちゃんと当たった。

「私には……殺したい人がいる」

 優紀は、相槌も打たず、続きを待つ。衝撃的なことなのに、なぜかすっと、理解できてしまったのだ。

「だから、あなたの気持ちには、応えられない」

「……そっか」

 断られることはわかっていた。てっきり、異性ではなく友達としか見られない、というのを想像していた優紀だったが、どうやらそれ以上の理由だったらしい。

「ちなみに。スマホ、ある?」

「ううん。荷物はあのトラックの中」

 意外にもすんなりと答えることができた。告白を一日越しに断られたショックは、覚悟していた分小さかったらしい。

 むしろ。

「……使えない」

「えっ」

 予想外なタイミングで罵倒されて、胸が苦しくなった。告白よりよほど精神的に辛いものが込み上がってくるのがわかる。

「……なんでそっちで、ショックを受けるかな……」

 優紀のリアクションは、どうやら永和も持て余すようだった。


***


 株式会社シンセンのトラック内。

 これはれっきとした人員輸送車であり、まさか『Garls Only』なんて描かれた原宿チックなカーテンもなければ、ふかふかのソファもない。手すりも背もたれもない長椅子が、ただ壁際にずらりと固定されている。他にあるとすれば、運転席側の壁がはめ込み式のスクリーンになっているくらいだろう。

 その一角に座っている美空は、苛立ちを隠せずにいた。

「最悪……最悪最悪最悪ッ!」

「落ち着け美空」

 隣に座る一回りも二回りも年上の同僚、園原に宥められる。

「これが落ち着いてられるもんですか!」

「たたた、頼むから、おおお、落ち着いてくれ……さむ、さむ、寒いっ」

 言われ、美空はハッとする。同じく長椅子に座っている二十人近い仲間たちが、美空に不服そうな視線を向けていた。

「あ、すみません」

 感情が昂るとついサイコアーツが発動し、周囲を冷気に曝してしまう悪癖があるのだ。

 いい加減直さないとなあ、とは思っているが、そう簡単に直れば苦労もない。

 園原は身体を両腕で抱き、震えながら、語りかける。

「し、しかし、常磐永和がいつの間にか君の弟君と接触していたとは……あーさぶい」

「すみませんってば……。それにしても、どうやってこっちの身辺調査を行ったんだか……。動物や自身を改造するサイコアーツといい、得体が知れなさすぎるわ」

 最後に舌打ちをつける美空に、どうどう、と園原が手を向けてきた。

「頼むからもうしばらく冷気は出さないでくれよ……。まあなんだ。その件に関しては、もしかすると偶然かもしれんぞ」

「偶然ー? そんなわけ」

 ありませんよ、と口答えしようとする美空は、園原の目を見て口をつぐむ。

 園原の瞳が、あまりにも真っすぐ、真剣な眼差しだったからだ。

「こんな仕事をしているとな、結構あるんだぞ、これが。偶然であってほしくないことに限って、運命のいたずらだったりする。意地の悪い神様もいたもんだ」

「運命ねぇ……」

 呆れたように呟いて、ため息を吐く。

 どちらにしても、と美空は怒りの籠った声を発した。

「アタシの弟を人質に取るなんて、絶対に許さないんだから!」


***


「マジかぁ~……永和ちゃんが……じゃなくて永和さんが……マジかぁ~……」

 一方、ハクチョウ引越センタートラックでは、マリヤがソファでぐでんとしていた。

 穂乃花の隣で足を組み、腕も組み、明らかに苛立っている将の声が届く。

「完全に踊らされたな、俺たち」

「こんなことって、ないですよ……」

 穂乃花の膝の上。ノートパソコンのディスプレイには、美空が調べるように言っていた六年前の交通事故についての全容が表示されている。

 内容は、常磐永和が交通事故に遭い意識不明の重体になった、というもの。概要によれば、当時永和の年齢は十四歳なので、今年で二十歳ということになるが、もはやそんなところで驚いている余裕はマリヤたちになかった。

 問題はその一年後のことである。永和の母親まで交通事故で死亡し、唯一の肉親がいなくなったのだ。しかもそれで終わりじゃない。その数日後、永和は別の病院に移送されることになるのだが、その記載事項がまったくのデタラメなのだ。

 つまり、五年前の永和の母死亡以降、永和の足取りはつかめない状況になっている。少なくとも当時、永和は意識不明の重体であるため、永和以外の何者かが関与していなければならない。

 即ち、れっきとした誘拐事件だ。

『さて、ここまでの情報をまとめるぞ』

 それぞれ姿勢を正すと、マリヤからわかったことを挙げ始めた。

「まずは五年前。優紀君のお父さんである、宮藤龍馬さんが旧辻見堂医院を買い取った」

 穂乃花が頷く。

「ほぼ同時期、常磐先輩が何者かの手によって誘拐されます」

 視線によるバトンタッチで、将が繋いだ。

「優紀の両親が離婚したのもこのタイミングだな」

 そしてマリヤへ戻る。

「今度はそれ以降から去年までの間。なんらかの理由で、永和さんは旧辻見堂医院でSACTと関わっていた謎の四年間があるね」

「次は時間が飛んで去年の話です。常磐先輩は、自衛隊から図書館に潜入していた倉林という人物に匿われ、同居を開始します。ほぼ同時期に、優紀先輩と出会っています」

「さらに同時期に、暴獣が現れるようになったな。そして昨日、優紀と共に暴獣たちに襲撃された。今日、俺たちが暴獣たちから救出したのも束の間――」

「なんと永和さんもサイコホルダーだって判明したね。しかも優紀君を連れて森に逃げちゃった」

「そんな常磐先輩を、なぜかSACTが追いかけている――という構図なわけですが……さて」

「どうにも、俺たちは肝心な部分がまったくわからないらしい」

 最後に、文雄がまとめた。

『常磐永和とSACTの関係……だな。倉林という人物がキーか』

 みんな揃って唸り声をあげる。

 やはり、常磐永和が意識不明の重体のまま何者かに誘拐された部分から、倉林と同居を始める去年までの間――謎の四年間について、もう少し情報を仕入れたいところだ。

「ところで室長、SACTに追いつくまであとどれくらいです?」

『もう森の中に入る。穂乃花、優紀君の位置は?』

 穂乃花は素早くマウスを動かし、ワンクリック。

 優紀の身につけている穂乃花特製ワッペンには、発信機が埋め込まれている。その位置を特定した穂乃花は、ため息まじりに報告した。

「……どうも、わたしたちが常磐先輩を救出した地点に留まっているようですね」

「俺たちの苦労は一体……」

 げんなりとする将の正面、マリヤはワントーン声を落とす。

「でも、これで全部が繋がったね」

 ――人間の身体が、異形化した。まさか、野生動物の暴獣化と無関係だなんて、ありえない。

 マリヤの推理は語らずとも通じる。将と穂乃花が頷き合う。

「今回の事件の構図は、自衛隊SACTと、常磐永和の抗争、ってことで確定だな」

「ですね。東京都内野生動物暴獣化現象については、常磐先輩が用意した戦力――即ちサイコアーツが発動した結果でしかなさそうです。だとしても規格外な気がしますが」

『対立の内容、及び倉林の立ち位置についてはどう見る?』

 文雄の問いに、マリヤは即答。

「そのあたりは、優紀君を取り返してからの方がいいでしょ」

「元々親しげな仲だしな」

「ですね。もしかしたら、常磐先輩から直接話を聞いているかもしれません」

『なるほどな。となれば、次の作戦は』

 文雄の声を遮るように、マリヤは宣言した。

「優紀君奪還作戦!」

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