第25話 黒い翼
「室長なにがありました?」
戸惑う優紀たちを代表して、マリヤが早口で問いかける。
どこか不機嫌そうな文雄の声がスピーカーから返ってきた。
『職質された』
「ちょっと。警視庁の幹部ともあろう人がどんな走り方してるんですか」
『こんな朝っぱらっから、森から出たばかりの細道で、切符切りたがる警察官ってどんな奴だよ。実績大好き生真面目さんなら取り締まる場所がアホすぎるし、サボりたがりの不真面目さんならこんな時間に警察車輛になんぞ乗らん』
「……まさか相手は」
『ああ。相手は白バイでもパトカーでもない。おれたちと同じ覆面トラックだ。普通に考えりゃ、昨日お前たちがポカスカ喧嘩したやつらだろうよ』
「ポカスカって……こちとら実弾ばらまかれたんですけど? てか、やつらがあたしたちになんの用があるっていうんですか」
『今からそれを探るから黙ってろ。むこうの声は聞かせてやるから』
ブレーキがかかり、優紀たちは慣性の法則をその身に感じる。そして完全に停止したすぐ後には、スピーカーの向こうからぶっきらぼうな声が飛んできた。
『SETだな』
『は? なんて? セットダナ? 意味わかんないんですけど』
超ストレートな剛速球に対し、文雄はバットを投げつけるように喧嘩を売っていくスタイル。これを聞いたマリヤと将は、げんなりとあきれ顔である。
穂乃花はスタターンとキーボードを叩き、パソコン画面に『株式会社シンセン』の大型トラックを映し出した。その車体には運転席側から、緑生い茂る山、釣竿をダイナミックに振り上げる漁師、見事に宙を舞う鮭というイラスト。どことなく和風だ。
いつの間にか屋根の扉からドローンを飛ばしていたようで、そこから撮影しているようである。このあたり、さすがは穂乃花だ。動きが早い。
『なら積み荷を見せろ。いるんだろう、常磐永和が』
優紀たちは永和に注目し、永和は自ら口を手で押さえつつ驚いた。
なぜ自衛隊が永和を狙っているのか、そのあたりをうまく聞き出してほしいと願う一同の思いは、しかし文雄に届かない。
『うっわ山賊かよ。お巡りさん。なに疑ってんのか知らないですけど、こういう時は営業許可証確認するのが筋ってもんでしょうが』
『ならさっさと――』
『令状がないとなーぁ?』
態度があまりに粗暴すぎる。いくらなんでもやりすぎだろう、と、優紀や永和が顔を青ざめさせるくらいの挑発だ。
当然、自衛隊員もお怒りである。
『テメェ……来嶋ァ……!』
『しっかし、久しぶりじゃねぇか園原。まさかSACTにいたなんてな』
刹那、マリヤと将が腹から叫ぶ。
「「知り合いかよッッ!」」
『おい荷室から声聞こえたぞ! 強制的に踏み込めッ!』
この瞬間、優紀たちの身体が強い慣性で揺れた。文雄がアクセルを踏んだのだ。
走り出してすぐ、文雄が文句をつけてくる。
『てめえら、なに盛大に叫んでんだ』
「いや茶番ッ! 茶番が過ぎるッ! 素性割れてたんなら、なんでガラの悪い一般ドライバーの真似事してたんスか!?」
『向こうが下手な警察芝居してきたから……』
「だからってのる必要ありました!? ないですよね!? ありませんから!」
将とマリヤが必死にツッコむ。
間髪入れず、穂乃花も叫んだ。
「自衛隊、攻めてきます!」
パソコン画面に映るのは、なんと運転席の屋根の上に乗った美空の姿。薄紅色のサイコオーラを輝くほどの純白に変化させ、今にも氷の異能を発動せんとするところ。
「頼むね」
「おうッ」
マリヤの真剣な声と将のやる気に満ちた声が交錯。切り替えの早さはさすがだ。
将が屋根に飛び出した。
「優紀君。お姉さんの攻撃からあたしたち守れる? ついでに、なんで永和ちゃん狙うのか聞いて来て」
さらっと永和ちゃん呼びになっているマリヤ。優紀はそこをスルーして頷いた。
「やってみます」
緊張した面持ちで、優紀はカーテン手前まで移動。全身にサイコオーラを纏い、えいや、と飛び跳ねた。まっすぐ、天井の出入り口へ迫る。
飛び出した優紀は、風に身体を煽られながらも四つん這いの形で着地した。
空は水色、辺りは畑がメインの風景で、趣のある一軒家ばかりが遠くまでぽつぽつと見える。道路は多少のカーブこそあれど幅の広い一本道。
トラック二台の他に車はなく、美空の乗る株式会社シンセンのトラックの向こうには、永和を助け出した森が広がっている。
心の中で怖い怖いと連呼しつつ、恐る恐る立ち上がった。おもいのほかバランスが取れて、これもサイコオーラの影響が平衡感覚や脚力に効いているのだろうと本能でわかる。
「姉さん! なんで常磐さんを狙っているの!?」
「アンタには関係ないでしょ――なにも知らないくせに」
「姉さんこそ、常磐さんのなにを知っているっていうのさ!?」
美空は怪訝そうな視線を優紀に向けつつ答えた。
「彼女の経歴なら、余すことなくすべてよ」
優紀は言葉を詰まらせる。その反応を見て、より美空が眉を顰めた。
すかさず、将が口を挟む。
「自衛隊が追っかけてくるってことはよぉ……常磐某ってのはテロかゲリラでも企んでるってのか?」
「あら、察しがいいのね?」
少しずつ、自衛隊のトラックが自分たちのトラックを追い抜かんと横を迫ってくる。
優紀は永和を信じて叫んだ。
「そんなわけない! 常磐さんは普通の女の子だ!」
いよいよ、シンセントラックが自分たちのトラックの横を並走する。
「アンタこそ、いったい彼女のなにを知っているっていうのよ」
鏡のように返ってきた質問に、優紀はおもわず意地を張る。
「経歴なんて知らないよ。でも、僕は知ってる。物静かで、小物集めが趣味で、悪戯好きで、幼く見られることを気にしていて、本が似合う女の子。それが僕の知っている常磐さんだ」
そう言い切った。すると、美空は。
「……最悪……ッ。よりによって色仕掛けなんて……!」
悲観に満ちた瞳で静かにそう吐き捨てると、一転、大声で怒鳴り散らす。
「出て来なさいよ常磐永和ァッ!」
瞬間、優紀の視界が白と黄色のフラッシュに眩む。
美空の放つ猛吹雪に、将の雷が立ち向かったのだ。しかし拮抗したのは一瞬だけ。吹雪は雷を飲み込み、極寒の冷気と共に襲い来る!
優紀は目の前にシールドを展開、吹雪の直撃こそ免れたが、半透明なシールドが白に埋め尽くされて正面がまったく見えない。
「助かったぜ、優紀」
「いえ。それよりこのあと――」
どうしましょう、と言いかけたところで、突然シールドに貼りつく雪が消えた。
代わりに、白い甲冑が一体、シールドを挟んだ向こう側に立っている。冷気を放つ氷の甲冑、当然中身は美空だろう。
「守ることしかできない力で……いったいなにをどうしようというの?」
シールドに美空の手が触れる。瞬間、優紀のシールドは完全に氷に包まれた。
「まさか、なにも傷つけずに、守りたいものを守れると……本気で思っているの?」
美空の氷は、シールドを飲み込んでなお、止まらない。トラックの屋根を凍らせ、その冷気を存分に優紀たちにも浴びせてくる。
「そんな生易しい世界じゃないのよ、ここは。覚悟が甘いわ」
「僕だって、一人じゃなにもできないことは自覚してる。だから」
無意味なシールドなど邪魔なだけだ。優紀がちらりと横を見やると、将と目があった。それだけで、きっと通じたと信じて、シールドを消去する。
刹那、美空を包む甲冑が震え、黄色い直線が宙を伝い、短く雷鳴が轟いた。
「みんなと力を合わせるんだ」
これが僕の覚悟だ、と優紀は美空を睨みつける。
「……優紀。あんたの仲間に、パソコンに強い女の子がいるでしょう? 頼んで調べてもらいなさい、六年前の交通事故を。キーワードは『常磐永和』よ」
「は……?」
「さっき、経歴なんて知らないって言ったわよね。だったら知ろうとしなさいよ……!」
美空は肩を震わせて怒鳴りつけてきた。
「無知のままで強がってると、いつか後悔するわよ!」
刹那、ぐらりと衝撃。耳をこする衝撃音は、トラック同士が激突したから。
美空は咄嗟に足元を氷で固定したものの、将と優紀にはそれができない。
いともたやすく、二人は屋根の上から放り出された!
「バカやろう!」
将が叫んだのは、優紀に対してだ。
咄嗟に優紀が貼ったシールドは、将を受け止めるためのもの。そして、シールドは一枚しか出せないことを、優紀も将も把握している。
落ちながら、優紀の全身は吹き出す汗と風の感覚に翻弄された。
これは死ぬ……! と思ったその時、視界の端に、それを捉える。
ハクチョウ引越センタートラックから飛び出した、黒い翼の生えたその人は、みるみるうちに優紀に迫り、落下する優紀の下に手を潜らせると、音を立てて羽ばたいた。
ふわり、と身体が浮き上がる感覚。
見開いた目に映るのは、全身を薄紅色に染め……額から二本の角を生やした、永和の顔だった。
「間に合ってよかった」
「な、なんで……!?」
放心しかける優紀の視界の向こう、遅れて飛び出してきた穂乃花が見える。風の渦を両手両足から噴射して、全速力で迫りくる。
「優紀先輩! おねがい、振り払って! その人は――!」
穂乃花の叫ぶ言葉の、意味が分からない。
「今まで……偽物の私ばかり見せて、ごめん」
永和はそう言って、優紀を抱えたまま、空高くへ舞い上がった。
黒い翼で、空高く。
そのまま、つい今しがた逃走してきたはずの森へと、直進する。
迷うことなく、まっすぐに。
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