第22話 永和救出作戦(後)

 ――ピシャアアン!

 轟く雷鳴が、スタートダッシュの合図だった。

 駆けだす優紀はもちろんサイコオーラを纏っており、ぐんぐんと永和たちに近づく。

 暴獣たちはもれなく、当然永和も、優紀に背を向け、空を見上げているところ。

 迫る、迫る。

 優紀の視力がすべてを捉えた。大きな化け猫一匹、三羽の土鳩。ネズミやタヌキなどの比較的小型な種類も、常識より一回り大きい個体ばかりが二~四体ずつ。

 マリヤが苦戦を強いられた、二メートル越えの熊の個体もいる。

 それを見てもなお、優紀は怯えない。怯えている暇などない。

 暴獣たちの意識が将の雷に向いている間に、できる限り接近するのだ。

 はたして最初に振り返るのはどの個体か……。

 意外にも、それは永和だった。

 優紀の方を見て、目を見開く。その時には既に、あと十メートルを切っていた。

 土を踏みこみ、大きく蹴り込む。

「た――」

 なかくん、と続く前に、両手を伸ばした。

 岩に足をつけて強引にブレーキ。抱きしめられるほどに近づくと、躊躇いなく永和を抱える。背中と、膝裏に腕を通し、お姫様として扱うように。

 この時にはもう、怪物たちが敵意を優紀へ向けていた。優紀が岩に足をつけた時から、嗅覚が、野生の勘が、気づいている。気づいたならば、身体が動く。

 岩にひびが入るのと、怪物たちの初動が、まったくの同時。

 奇声を上げる怪物たち。岩を蹴る優紀。

 身体のばねは、怪物たちの方が優秀だ。優紀の肩に触れんとするネズミ。

 そのネズミが痙攣する。

 ネズミに向けて伸びる黄色の細い光。光を追う再びの雷鳴。

 駆ける優紀。ピタリと追いかける怪物の群れ。

 優紀の左頬、前から後ろに極細の裂傷。遅れて刀がそばを通ったのだと把握した。

 三度轟く雷鳴。まばたきの隙に、雷光は見逃している。

 怪物奇声オーケストラから、タヌキの低音とイタチの高音が一匹分ずつ弱まっていた。

 優紀は駆ける。駆け抜ける。

 視界の中でみるみる鮮明になっていくマリヤと将。マリヤは既に次の刀を握って斜め上に振り切っていた。

 マリヤの横にあった大木の幹に、斜めに斜線。遅れて、枝葉がゆっくりと傾く。

 将がもう一度電撃の援護射撃。

 マリヤと将が背中を向けた。大木は、斜線より上側が、優紀の進行方向に倒れていく。

 二人の隙間を、優紀は目指す。

 タイミングは完璧だ。優紀が速度を落とさず通り抜けつつ、怪物たちの行く手を遮る形で、大木が道を塞いだ。偶然にも、土鳩が一羽下敷きになり、残る二羽は激突する。

 二人の隙間に、優紀が並ぶ。

 素早く目配せしあって、それだけ。

 マリヤと将の顔が強張る。遅れて優紀も、察知する。

 背後からの圧迫感。すかさずシールドを展開した。

 マリヤと将が振り返るのと、頭を鈍器で殴る衝撃音が同時。

 優紀が振り返る頃には、二人の悲鳴が届く。

「「ひ――ッ!?」」

 ドアップで映る、左目だけを見開いた化け猫の顔。背筋の凍る、歪んだ顔。

 それが貼りつく、半透明な紅色のシールド。

「間に合った……!」

「さすが優紀君っ!」

「脅かすなよな……」

 優紀は再び正面を見てから、視線を真下に。

 永和は今の恐怖映像を見ていなかっただろうか。

 そう思ったが杞憂らしい。口を少し開けて、目を閉じて、気絶しているようだった。

 しかし、森のド真ん中で安心などしていられない。

「ひぃ!?」

 優紀は突然悲鳴を上げる。

 突然目の前に、黒いそれが、音もなく現れたのだ。

 優紀を守るように前に出たマリヤと将が、ふう、と息を吐く。

 四つのプロペラを備えた、一つ目の飛行機械。前後に長いデジカメのような本体は、深緑色を中心とした迷彩柄になっている。

 その正体は穂乃花特製ドローンだ。その静音飛行能力は、今まさに優紀も実感したところ。

 耳元に穂乃花からの無線通信が届く。

『エースから全カード傍受願います。皆さんとは別方向に走った個体が、別ヶ所の暴獣の小グループと合流しました。発信機つき個体とは遭遇しないよう案内しますどうぞ』

 ほぼ同時に、遠吠えが多方向から聞こえた。

 マリヤと将の口こそ笑っているが、目つきに余裕はなさそうだ。

「クイーン了解。あとは任せたからね、穂乃花ちゃん!」

『はい。皆さんもご武運を』

 ドローンが一直線に宙を飛ぶ。音もなく森に紛れるそれを見失わないよう気をつけながら、優紀はマリヤと将の背中を追いかけた。

 数秒としないうちに、再び穂乃花から指示が飛んでくる。

『イノシシ一頭と会敵します。回避ないし撃破し直進願います』

「了解!」

 ドローンが時計回りにくるりと回転。一秒後。

『なお後方上空五メートル、カラス一羽フクロウ一羽確認。これ撃墜してください』

「フクロウもいんのかよ、りょーか――」

 優紀の視界の中、将の姿がブレて、マリヤがつんのめる。

 同時、優紀の左足が地面ごと沈んだ。

 驚きの声が出ず、口だけが開く。転ぶマリヤと将が、優紀の視界を下から上へ。

 おもわず放り投げた永和の身体も上へ流れていく。

 違う、優紀が落ちたのだ。

 落とし穴。それも、膝丈までぽっかりと。

 右膝を折り畳んだ格好で、左足から、落ちていく。

 大地に手をつき、湿った土の感触を覚えた。

「優紀君前ッ!」

 マリヤの絶叫。視線を上げれば、迫るイノシシ。

 枝分かれした牙、地を踏み鳴らす太く短い四肢。

 将は今まさに顔面を土にぶつけたところで、マリヤはなんと永和をキャッチしていた。これでは助けは見込めない。

 左足に激痛、脛になにか太く鋭いもので引っ掻かれた痛み。それでも得体のしれない恐怖の方が、痛みより勝る。

 飛び出そうと腕に力を籠め、前を向けば、イノシシ。

 咄嗟に広げた薄紅色のシールドが、イノシシを受け止めた。

 足の痛みに顔をしかめるも、伸ばした右足で穴の壁を蹴りつける。後ろへ転がるように脱出した。引っ掻かれたアサルトスーツが血に染まっている。

 ビリビリと骨に響く痛み。

 シールドを突き破らんと踏ん張るイノシシの正面で、穴からなにかが飛び出した。

 両目のないバケモノ。長い鼻先。黒い胴体。体長およそ一メートル。

 発達した両腕には、それぞれ五つの円錐を外側に歪ませたような鉤爪。

 モグラの暴獣だ。

 落とし穴の作り手であり優紀の足を引っ掻いた正体。

 聴覚か、それとも本能か。優紀の位置を狂いなく把握し、短すぎる脚で、しかし確かな瞬発力で、地面を蹴る!

 上から迫るモグラに対し、優紀はシールドを展開。大きく体を捻って振るわれた鉤爪を受け止める、薄紅色のシールド。なんと鉤爪の動きを止め、攻撃を受けた部分も傷一つついていない。

 しかし今度は、イノシシが迫る。

 イノシシの牙が、優紀を突き飛ばした。イノシシの身体が震え、辺りがフラッシュ。雷鳴轟く。

 轟音の中で受け身を取りつつ、優紀は気づいた。シールドはどうやら一枚しか出せないようだ、と。

「悪い遅れた、怪我は!?」

 将は言いつつ、モグラを狩る。

「た、助かった……ありがとう」

 怪我をした左足を撫でると、硬いなにかが触覚を刺激した。アサルトスーツのズボンの裾を捲り上げると、既にかさぶたができている。

「えっ」

「サイコオーラの影響は、自己治癒力にも及ぶんだ。この調子だと昼飯までにはかさぶた取れるだろうよ」

「お、おお……」

 まだモグラがいると判明する前、得体のしれない痛みの時より、その事実の方が背筋を冷やした。

『至急、至急! 皆さんどうしました!?』

 ドローンが戻ってきて、マリヤは顎でモグラを示す。

「ごめんモグラに翻弄された」

 将が上空に電撃を飛ばす中、無線から穂乃花の声が届く。

『な……走れます!?』

 将の手を掴み、優紀は立ち上がった。

「うん! 僕は大丈夫!」

『では急いでください、どんどん集まってきます!』

「将! 行くよ!」

「チッ、カラス取り逃がした!」

『今は逃走優先でッ! 先回りだけはなんとしても避けてから追手に対処で!』

「きわどいなッ!?」

 声を荒げる将に、優紀が叱咤する。

「でもそうするしかない! でしょ!?」

 将はニヒルに笑って、優紀の背中をバシッと叩いた。

「へっ、そりゃそうだ!」

 再びドローンを追いかける。繋がったままの無線から、穂乃花の息をのむ音がする。

『……バッテリー、持つかな……ええい、ままよ!』

 暴獣たちVS優紀たちの逃避行。

 勝利の女神はSETに微笑んだ。特にドローンに内蔵された熱感知機能が大活躍。それを組み上げた穂乃花の技術力と、マリヤの的確な判断力は称賛に値するだろう。

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