第11話 目覚め/マリヤ

 一方マリヤは、森の中を駆けだした優紀を見つけ、その腕をがっしりと掴んでいた。

「ちょっと待って、優紀君!」

「離してください! マリヤさんには関係ないでしょ!」

「関係大アリだよ。あたしにも手伝わせて」

「……じゃあ、僕はこっちに行くので、マリヤさんはあっちを」

「そうじゃないでしょ。いったん戻って、室長に頭下げて、穂乃花ちゃんと将にも協力を仰ぐんだよ」

「それ、僕まで戻る必要ないじゃないですか!」

「ごめんね」

 低い声でそう言って、マリヤは優紀の頬を引っ叩いた。

 優紀が硬直。

 やりすぎたか、と後悔しつつも、説得に移る。

「常磐さんって子の特徴、君しか知らないんだよ。手分けして探すなら優紀君用の無線も必要でしょ。お願いだから自棄にならないで。常磐さんの命がかかっているんだよ、ここで無駄な時間を使いたくない」

「うっ……!」

 今にも泣きだしそうな優紀の頭に、マリヤは自然に、手を乗せていた。

「行こう。みんな待ってる」

「……はい」

 素直に隣を走り出した優紀へ、マリヤの口が、勝手に言葉を紡ぎ出す。

「ここで無理にでも動かないと後悔するって思う気持ち、よくわかるよ」

「え?」

「今から一年半くらい前の十二月にさ、金髪女子高生連続殺人事件ってニュースになったの、憶えてる?」

「あ……はい。なんとなく。あれ? でも犯人って結局捕まったんでしたっけ?」

「むしろ、優紀君が事件の結末まで知っていたら逆に怖いんだけどね。というのも――」

 マリヤは語る。事の顛末を。


 ……――マリヤの高校一年生時代もあと少しで終わりという、寒い日のことだった。

「いいよねぇ、マリヤは綺麗な金髪で」

「突然どうしたのさ」

 当時、下校を共にしていた友人の優子が、マリヤの金髪を唐突に褒める。

「いやね、うちのねーちゃん昨日成人式だったの」

「うん、おめでとう」

「や、祝ってほしいんじゃなくてさ」

 髪の話だよね、とマリヤが首を傾げれば、黒い艶のある髪をポニーテールにした優子がスマホを取り出す。

「見てよこれ、ねーちゃんとんでもない髪の色に染めててさ」

 紫色のツインテールが目立つ巨乳の女性が、大きな渦巻きキャンディを顔の横に構えている写真。キャンディを持つ右手人差し指だけがピンと伸び、その第一関節に絆創膏が巻かれている。

「『七草おかゆ』!? え、『ミックスベジタブル』実写化するの!? このクオリティなら観に行こうよ! これ、どこで撮影されたの!?」

 マリヤの言う『ミックスベジタブル』とは、アニメ化も果たした大人気少女漫画のことだ。

「人の話聞けよ! これウチのねーちゃん! 一般人ッ!」

「女優さんだったんだ! サインもらってきて!」

「だ・か・ら・一・般・人だって言ったでしょーが!? ……とにかく、成人式にアニメのコスプレして行ったおばかなねーちゃんなんだけどさ。もう、見た目がうざくてうざくて。どうせ染めるならマリヤみたいな綺麗な金髪がいいなって話」

 おおげさに優子が肩を落とす。その仕草に合わせて揺れる胸は、どうやら姉妹揃って似ているらしい。

 そこはかとなく羨ましいなと思いながらも、マリヤは苦笑する。

「あっはは……。あたしは、優子の黒髪、好きだけどなあ」

「な――やめい褒めるな。……でもマリヤ、興味あるなら染めてみれば?」

「え。だってウチの高校染髪ダメって」

「黒に染めるんなら問題なくない? ウチも見てみたいし。それに最近物騒じゃん」

 ああ、とマリヤは頷いた。

 年明け前から都内で相次いでニュースになっている『金髪女子高生連続殺人事件』が脳裏に浮かぶ。被害者は皆、髪を金色に染めた女子高生なのだそうだ。

「でも、あれって山手線沿線でしょ? それも特に大きい駅」

「確かね。一件目が秋葉原、二件目が池袋、三件目が上野だったかな。犯人の行動範囲広すぎでしょ」

「でもこの辺り、最寄りは恵比寿駅じゃん。渋谷だったら大きい駅だし危ないけれど、恵比寿駅の路線は四番線までしかないよ。地下鉄とは微妙にずれているわけだしさ」

「そうだけど……さすが、剣道部の女剣士は肝の座り具合が違うみたいね」

「いやいや、剣道部員とはいえ普段は丸腰だし。得物ないし」

「得物って、戦う気満々か! 逃げることを考えなさいよ!」

「てへ」

 軽い冗談を言い合いながら肩を並べて歩く二人。しかし、和やかな二人の雰囲気は、突然張り詰めた。

 前方遠くから歩いてくる男の歩幅が、一歩ごとに広がったり狭まったりするのを見て、得体のしれないなにかを感じたのだ。

「……ねえ。犯人の特徴、忘れてないよね」

 マリヤが尋ね、優子が答える。

「えっと。身長一七〇センチ前後。痩身で水色のシャツ。黒いズボンと茶色の革靴」

「服装が一致するって、たまたまだよね?」

 マリヤが横を向いた時、優子はもう、立ち止まっていた。その表情は、青ざめている。

 改めて男の方を見ると……口が、三日月のように不気味に笑っていて、震えた瞳孔二つがマリヤをジーッと見つめていた。

「………………………………みぃつけたぁ」

「まじで嘘でしょ!?」

 マリヤが腰を落として反転するのと、男が大きく一歩踏み込むのが同時。

「優子逃げるよ!?」

 マリヤが声をかけるより先に、優子は脱兎のごとく逃げ出していた。

「いやいやいやいやいやいやいやいやなんなのなんなのいやいやっ」

「落ち着いて優子、今はとにかく逃げるしかないッ!」

 優子の体力を持たせるべく、後ろから声をかける。

「無理無理無理むっ――!?」

「優子ッ!」

 優子が足をもつれさせて転ぶ。マリヤはすぐに追いついて、強引に立ち上がらせようと脇に手を入れた。

「ばっか止まんな! 狙いはマリヤでしょマリヤが逃げないでどうするの!?」

「優子置いて逃げる方がよっぽどばかでしょ早く立って!」

 なんとか優子を立ち上がらせる。しかしその時点ですでに、男との距離は十メートルを切っていた。もはや、二人とも足がすくんで背を向けられない。

「くふひひひひっ」

 男が奇怪な笑い声をあげて、シャツを捲り上げた。ベルトと腹の間に包丁の鞘が挟まれており、包丁の柄を掴みながらマリヤを睨む。

 それならば、と、マリヤは優子から距離を取った。予想通り、男は優子に目もくれず、足先をマリヤに向けている。

 大きく円を描くように走り、男を誘導。優子が逃げられるようにと祈りつつ、男と優子の方向へ、背中を向けた――その、刹那。

「行かせるかーっ!」

 優子の雄叫びに、マリヤは振り返る。

 男の背中に、優子が体当たりをかましたのだ! 二人はアスファルトの道路に転ぶ。

「優子なにやって!?」

「ウチは黒髪だから狙われ――……え」

 マリヤの全身が一気に凍える。呼吸すら忘れた。

「そこまで律儀じゃねえんだよオレサマはよぉ」

 さっきまで不気味に笑っていた男が、怒りの形相になって、包丁の刃先を優子の首筋に突きつけていた。うつ伏せの優子の背中に膝を押し当て、いつでも殺せる体勢をとる。

「おい金髪。次の標的。こっちへこい」

 マリヤは無言で男を睨みつける。焦点をわずかに下に落とせば、泣きじゃくった優子と目が合った。

「だめ……ばかなことしたのはウチだから……そのせいでマリヤが死んだら嫌だよ……」

「そんなこと――」

「マリヤには、言ったことあったっけ……? ウチが小学生の時に遭った、交通事故のこと」

 マリヤは頷いた。軽トラックが突っ込んできたところを、見ず知らずの大人の女性に救われたらしい。その女性は死んでしまったらしいが、死に際に「君を守れてよかった」と優子に言ったという。その女性が優子の目指す姿だ、と語っていたのを、マリヤは忘れたことがない。

「もしウチが生き延びても、マリヤがその時死んでたら……すぐ追いかけるから……!」

 視線を再び上げれば、男は優子の首筋に、ほんの少し刃先を押しつけた。優子の掠れた悲鳴と共に、皮膚から、ジワリと、血が滲む。

「ずいぶんと固い友情だが……金髪の方は親友とは思っていないらしいなぁ? お友達がこんな目に遭っているのに、オレサマの言うことが聞けないんだからなぁ」

 マリヤは、ギリ、と歯ぎしりをして、一歩前に踏み出した。

「来ちゃダメ!」

 無言でもう一歩。さらに一歩。いつもの歩調で、近づいていく。

「おお、わかっているじゃないか金髪の癖に」

 男は楽しそうに嬉しそうに口を歪ませた。それを見ても、マリヤは動じない。

「大丈夫」

 それは、自分に言い聞かせた言葉。

「逃げて! 逃げなきゃ絶交だから、もうマリヤとは口効かないからッ」

 もう覚悟は決まっていた。

「大丈夫」

 マリヤは内心で優子を称える。こんなに心が強い人、世界のどこにだって居やしない。

 だから、きっと。マリヤの覚悟を、受け止めてくれるだろう。

 マリヤはもう、目の前の男のことなんて考えていなかった。

 明日マリヤに降りかかるであろう、絶望のことしか考えていなかった。

 その想像の中で、マリヤは家族から拒絶され、学校から追放され、社会から糾弾され、孤独になっている。それでもただ一人、マリヤの真正面で微笑む少女がいるのだ。

 それが、優子だ。

 右足を出し、左足を出し、歩く。そしてすぐ左足でアスファルトを踏む。いよいよ優子や男の手が、その左足に触れることができる距離になった、その刹那。

 右足が大きく跳ねて、男の包丁を蹴り上げた。

 血しぶきが盛大に散らかる。

「は――――?」

 この場において、呆然としたのは優子だけ。

 マリヤは最初から、これを狙っていた。優子を救い、そして優子を自殺させないためには、これしか思いつかなかったのだ。そして見事に、狙い通りに、男を仕留めた。

 男は今頃、もうとっくに天国にいるだろう。いや、既に三人の少女を殺しているのだから、地獄か。

 優子にのしかかった男の死体を、マリヤは左足で蹴り飛ばす。

 いまさらになって、呼吸が乱れた。優子が向けてくる視線が辛い。

 動けなくなる前に……。マリヤはなんとか心を奮い立たせて、スマホを出す。アメリカから日本に引っ越してきてすぐに教わったダイヤルを押し、通話する。

「――人を殺しました。逮捕してください」


 こうして、金髪女子高生連続殺人事件は幕を閉じた。こちらの事件も、文雄が見事に裏で工作し、あらゆる報道を強引に封じ込めたのだ。

 ちなみに、この事件のすぐ後。優子は彼女の両親に連れられて、遠くの地へ引っ越したという――……。


 森の中、ハクチョウ引越センターのトラックが視界に映る。

「同じ年、将と穂乃花ちゃんも似たような状況になっていたんだって。そしてこの年は、室長にとっても苦難の年だったの」

 走りながら、マリヤは言葉を紡ぎ続けた。

「サイコストーンのメカニズムが解析された年。転じて、超常現象を意図的に引き起こせることがわかった年。つまり、超常現象を犯罪に転用できることが確定した年。即ち、警視庁が、超常現象を利用した犯罪を取り締まる方法を、早急に考えなければならなくなった年」

「……じゃあ、室長の苦難って」

「そう。超常現象に対抗できるのは、極論、超常現象しかないんだ。要するに、正義の心を持ち、絶対に悪に染まらず、超常現象を引き起こせる人材が必要だったわけ。そして室長は、そういった人材を探してこい――なんて無茶振りを、上から命じられていたのさ」

 マリヤは清々しいほどの笑顔で言い切る。

「こうして目をつけられたのが、あたしと優子と将と穂乃花ちゃん。ま、あたしが室長に優子を巻き込まないようお願いしたから、優子はこのこと知らないけど」

 優紀から唖然とした表情を向けられて、マリヤは咳払い。

「そんなわけで、これがSETの成り立ちだよ。それから一年半が経って、あたしたちは優紀君に出会ったってわけだね」

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