第8話 異能の理屈

 ハクチョウ引越センタートラックは、SETに支給された覆面トラックだ。当然、SETの作戦のために様々な工夫が凝らされている。荷室の屋根にある緊急時用の隠し扉を遠隔操作で開いて、優紀たちは荷室の中へ飛び込んだ。

 横二メートル、高さ二メートル、奥行き九メートルの荷室は、女子力高めのカーテンで二つに区切られている。運転席側三メートルほどが、原宿チックなデザインで『Garls Only』と描かれたカーテンに遮られ、中は見えない。

 残る空間、二×二×六の中央には、二人掛けのソファが向かい合うように並び、それぞれソファの左右の計四ヶ所に正方形の小さなテーブルがある。

 出入口側の片隅には小さな冷蔵庫。反対側の隅には、男物のリュックが乱雑に置かれていた。

『なにやってんだお前らは!』

 荷室の隅に置かれたスピーカーから、大人の男の怒鳴り声が響き渡る。

 ソファに座った優紀の正面で、マリヤが俯いた。

「……申し訳ありません。敵の総数、個体の強さ。すべてを見誤っていました。……接近戦で、それも一対一で、あたしが勝てないなんて……ッ!」

 優紀の隣に座る将も、イラついた声で吐き捨てる。

「つか、なんなんだよあの野良犬ども。動きも連携も尋常じゃねぇ」

「それに比べて、わたしは……パニックしちゃって、なにもできませんでした……!」

 穂乃花は膝の上でぎゅっと拳を震わせていた。

『ったく、お前らの頭の中は戦うことばかりかよ。まあいい』

 スピーカーから咳払いの声が聞こえると、続く声はやや穏やかになる。

『田中優紀君、といったね。スピーカー越しに失礼。おれは警視庁超常事件対策官室室長の来嶋文雄という。今、喋れるだけの気力はあるかね?』

「あ、はい……。不思議と、おもいのほか」

 イノシシに撥ね飛ばされた際は、涙をこぼすほどの衝撃が全身を襲ったのだが、今はもう気にならない。とっくに痛みは引いていた。

 そう戸惑う優紀に、気を取り直したマリヤが説明する。

「さっきは説明を端折ったけど、それがサイコオーラやサイコアーツの原理なんだよ」

 まったく説明になってない説明だ。穂乃花が呆れた視線を投げながら、眼鏡を外す。

「これだから感覚で生きる人は……。これがサイコストーンです。お持ちですよね」

 眼鏡を外せば、長いまつげが女子らしさと可愛らしさを一気に引き立てた。

「……あの、わたしではなく、眼鏡を見てくれませんか?」

「ごっ、ごめんっ」

 優紀はすぐに気を取り直して、穂乃花の指さすフレームの耳当ての先端に注目した。右側にだけ、薄く白みがかった透明な小粒の鉱石が接着されている。

「もしかして」

 優紀はおもむろにポケットに手を突っ込み、サイコストーンと呼ばれるそれを取り出した。

「やっぱり持ってたんだね」

 マリヤが肩を竦めるのを見て、優紀は経緯を説明する。

「最初に遭遇した野犬の怪物が咥えていたんです。マリヤさんが空に吹っ飛ばしてくれた時、ちょうど僕の足元まで飛んできて……。それに、前にテレビで見たカラスの怪物も、似たようなものを集めていたので、気になって」

 まじまじと見つめる。小指の爪ほどもないその鉱石。

「これ、サイコストーンっていうんですか」

「うん。サイコオーラを発している結晶体だから、サイコクリスタルって言う方が近いかもだけど、とにかくサイコストーンって名前だよ。だよね、穂乃花ちゃん」

「はい」

 眼鏡をかけて、穂乃花は人差し指を立てる。

「サイコストーンは常に微弱な電波を発しています。この電波を浴びることで、身体機能が一気に活性化します。この際、全身が薄く光を纏うことから、サイコオーラと呼ばれることになりました。もっとも、誰にでも起きる現象ではないようですが。……とまあ、大雑把な部分は優紀先輩もなんとなく実感していると思います」

「う、うん」

「具体的に説明しますと、この電波を浴びている間、全身のホルモンバランスが乱れて、様々な神経伝達物質が恐ろしいほどに分泌されます。例えばアドレナリンですね。血管の拡張により筋肉に血液が多く流れて筋力が増加することをはじめとして、多くの影響を体に与えます。聞いたことありません?」

「ま、まあ名前くらいなら」

 気圧され気味に頷くと、穂乃花は得意げに続けた。

「サイコオーラの恐ろしいところは、本来同時には活性化するはずのない何百種類もの神経伝達物質をすべて、過剰に分泌させる効果を持つことです。即ち、異常に興奮している状態でありながら異常に落ち着いた状態になるわけです。矛盾しているように聞こえますがそうではなく、要するに人間の持つキャパシティがすべて、限界の限界まで引き出されている状態が永続的に続く……これがサイコオーラの影響です」

 いよいよ優紀がついていけなくなった。しかし穂乃花は止まらない。

「しかも驚くべきことに、あらゆる筋繊維の密度が倍に増します。これは骨格筋平格筋心筋を問いません。つまり、腕や脚はもちろん、肺や腸などの臓器すら、そもそも人間の限界を超えるわけです。さあ、ここまでくれば結論もわかりますね?」

 優紀は無反応だった。しかし。

「その通りです!」

 誰もなにも言っていないのだが、彼女はいったいどこの誰の声を聞いたのだろうか。興奮冷めやらぬ様子で、結論を告げた。

「筋繊維の密度倍加により、オリンピック選手たちを凌駕するほどのポテンシャルを手に入れ、神経伝達物質の過剰分泌により、その超人化したポテンシャルを余すことなく引き出せる……。まさに、超人化すると言っていいでしょう」

 優紀は曖昧に頷きながら心の中だけで呟いた。マリヤさんが説明を雑にした気持ちが痛いほどよくわかる、と。これは確かに、一度では理解できまい。

 とにかく非常識なほど超人化するのだな、と自分の中で結論づけたところで、穂乃花の声が落ち着きをみせた。

「ちなみにサイコオーラをコントロールしている時、全身が薄紅色の光に包まれているように見えるのは、血液が激しい発光現象を起こすからです」

「え、じゃあ血の色で僕たちは光ってたってこと?」

 つい驚きの声をあげれば、我が意を得たりと穂乃花が鼻を伸ばす。その表情は鼻につくものではなく、可愛らしいとしか思えない愛嬌があった。

「そういうわけです。また、サイコオーラ――身に纏う光エネルギーが物質化したり、まったく別のエネルギーになったりする現象を、サイコアーツと呼んでいます。こちらはその過程がまったく判明していません。サイコオーラを纏える人と纏えない人がいるのはなぜか? なぜ人によってサイコアーツの現象が違うのか。まだまだ謎は多いのです」

 穂乃花は感慨深げに腕を組み、何度も頷く。

「とにかく、わたしたちサイコストーンの恩恵を受けられる人間は、総じてサイコホルダーと呼称されることになっています。……とまあ、一気に説明してしまいましたが、理解できました?」

「えっ……た、たぶん……?」

 おもわず目を逸らす優紀。

「要するに、あたしたちサイコホルダーは、サイコストーンを持っていれば身体能力や五感の強化、超常現象の発動まで自由自在ってことさ。怪我や痛みがすぐ和らぐのも、その恩恵ってわけ」

 マリヤが呆れ半分にまとめる。そう、最初からそれで済んだのだ。優紀としては。

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