第5話 風の少女

 立ち上がった優紀の視界の奥、森の木々の向こうから、一人の少女が飛んできた。文字通り、空中を飛んでいるのだ。地表から一メートルほど上を、飛行機のようなポーズで。

 これには優紀の口がポカンと開く。

 全身がマリヤや自分同様薄紅色の光を纏っており、両手両足からは竜巻を噴き出している。その威力で、彼女は自身の身体を飛ばしているのだろう。

 猛スピードで迫ってきたその少女は、慣れた動作で制動をかけ着地。優紀たちに頭を下げてくる。

 ツーサイドアップにしたクセの強そうな黒髪と、大きなピンクのリボンが揺れた。

「すみません、お怪我はありませんか?」

 背丈は優紀の鼻の高さくらい。服装はマリヤと同じ。濃紺色のアサルトスーツに、ベストタイプのチョッキと腕や足を守る装備だ。特に、胸元の大きな膨らみは、分厚いチョッキ越しでも十分にその大きさが見てとれた。

 優紀の正面で、マリヤが肩を揺らして笑う。

「あたしたちは無事。それより紹介しちゃうね。こちら、迷子の田中優紀君。サイコオーラが出ているけれど、戦えないと思うからちゃんと守ってあげること」

 マリヤの手の動きに合わせて穂乃花の顔が優紀を向き、目が合う。眼鏡のレンズの向こう側には、可愛らしい、透き通った瞳があった。

「ど、ども……」

「あ、はい……」

 会釈すると、すっと視線を逸らされる。マリヤがすぐに紹介してくれた。

穂坂穂乃花ほさかほのかちゃん。ちょっと人見知りだけど、悪い子じゃないから。この後は穂乃花ちゃんと一緒に逃げてもらうからね。穂乃花ちゃんの指示に従ってちょうだい」

 永和を心配する気持ちが、優紀にマリヤへ反論させる。

「僕にも常磐さんを――!」

「あのっ、すみませんっ」

 優紀の声を遮って、穂乃花が話に割り込んだ。

「作戦通りに行きたいのはやまやまなんですが……しくじりまして」

 穂乃花が髪の毛を指先でいじった。彼女が来た方向から、複数の気配が近づいてくる。

 マリヤも冷や汗をかきながら頬を強張らせた。

「……もしかして、さっきの突風はやっぱり?」

「はい。逃走と攪乱に徹した余波です……が、撒ききれなかったようです」

 穂乃花が優紀たちに背を向ける。現れたのは、これまた暴獣化したイノシシだ。

 それも、なんと三頭もいる。

 その体格は牛に近い。牙は大鎌のように湾曲し、いくつかに枝分かれしている。掠れただけでも酷い怪我を負うはずだ。

「……穂乃花ちゃん。優紀君を守りながら、あれを突破してトラックまで逃げられる?」

「無理に決まってるじゃないですか! こちとら本来裏方担当ですよ!?」

「じゃあ優紀君ごと空から移動は」

「鳥類の暴獣たちが上空にいました。そうじゃなきゃわたし、地上から来ません」

「だよねー……」

 マリヤと穂乃花の会話を聞いて、優紀の歯を食いしばる力が強まる。

「しゃーない、あたしも手伝うから三人でトラックまで行こう。優紀君を室長に預けて、それから常磐さんの捜索を……」

「だったら僕のことは放っておいてください!」

 優紀が叫び、マリヤと穂乃花が呆気にとられた。

「そんなことしてたら、助かるものも助からなくなる……僕より、常磐さんを!」

 威圧するように、マリヤから見つめられる。優紀は持てる限りの意地と気迫で、睨みつけるように視線で訴えた。三秒後、マリヤがため息を吐く。

「そういうわけにはいかないんだけど……しょうがない。男の子だもんね」

「マリヤ先輩、まさか」

「うん。こうなったら三人で常磐さんって女の子を探そう。オーラを纏えるんだ、多少の怪我なら耐えてもらうだけだし、すぐ治るし。まあ、どっちにしろ……」

 こいつらどうにかしないとね、と刀を構えてイノシシ三頭を睨むマリヤ。

「了解です」

 穂乃花も戦闘態勢をとる。強力な風の渦を腕や脚に纏わりつかせると、左右に束ねた髪が上へたなびいた。波模様のような癖っ毛も手伝い、まるで妖精の羽のようだ。

「優紀君。言ったからには、あたしたちにちゃんとついてきてよね」

 その声は先ほどまでより一段低く、優紀は息をのんだ。

 もしついていけないようなら、本当に置いていかれてしまうだろう。そんな気迫が籠っている。

「……っ! はい!」

「行くよ!」

 真っ先に飛び出したのはマリヤだった。刹那、穂乃花が叫ぶ。

「前を走ってください! わたしの風で、後押しします!」

「は、はい!」

 返事はしたものの、脚を動かすことができない。

 当然だ、自分の背丈と同じくらいのイノシシが三頭も、狂暴な目つきで睨んできているのだから。

 一方マリヤは臆することなく突っ込み、左のイノシシに刀をぶん投げた。その身一つで中央のイノシシの懐に転がり込み、両手を地面に、両脚をイノシシの顔の下に。

「だぁっ!」

 自動車よりも重そうなイノシシの巨体が、マリヤに下から蹴り上げられて宙に浮く。

 すかさず穂乃花が手を伸ばし、太く渦巻いた風を伸ばした。イノシシの左に回り込んだ竜巻が攫い、右のイノシシへぶつける。

「早く走って!」

「っ! はいっ」

 穂乃花に急かされ、優紀はようやく動き出せた。

 日本刀を投げつけられたイノシシが優紀に突進しようとするも、横からマリヤの飛び蹴りを喰らって横転する。

 視界の右側では、イノシシ二頭が酷い交通事故のようにもつれ合っていた。駆け抜けるなら今しかない。

 マリヤを先頭に、穂乃花が殿を務めて、三人は森の中を疾走した。

「今さらだけどさ! お友達とはぐれた時、なにか目印になりそうなものなかった!?」

 前を走るマリヤに訊かれ、優紀は必死に記憶を辿る。

「そんなことを言われても……!」

 せめて今走っている方向が合っていることを願うしかない。

 祈るように目を閉じた、その瞬間。ゴガアア、と、上から重く響くカラスの鳴き声。

 マリヤと穂乃花が空を見上げ、優紀もつられて視線を上げる。

 翼を閉じた、それでいて巨大なカラスが一羽、嘴から落下してきたのだ。

 その標的は、どうみても優紀に絞られている。嘴はとても鋭敏で、刺さったらひとたまりもない!

 悲鳴を上げかけたところへ、聞き覚えのない男の叫び。

「伏せろてめえら!」

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