後編 もしも、最後に願いが叶うのなら(現在)

「……じいちゃん、雨のにおいがするね」

 星ノ宮市街を歩いていた正行は青信号で横断歩道を渡っているときに春平に言った。

 二十三歳になった正行は春平の背を越した。

 今は春平が正行を見上げる。

「お前って、時々不思議なことを言うね。この前は『なんか夕焼けのにおいがして切ないね』とか……」

「大学でも言われる……でも、雨降るかも」

 正行は現在大学二年生だ。


 今日は、十七年前に死んだ友人親子の墓参りと同行させた成長した正行に合うように木刀を剣道専門店で新調した。


「じいちゃん、俺もこの街を守りたい」

 と正行が宣言したのは二人だけで十歳の誕生日を迎えた頃。

 その前から「健康に育つため」と道場に通ってくる子供たちと一緒に剣術の練習はさせていた。

 正行の性格と行動力からして引き留めたところで『生兵法は大怪我の基』で勝手に真似事をされても困る。

 なので、最初は徹底的に体捌きを叩き込み基礎体力を上げた。

 次に基本動作を教え込んだ。

 最初は他の子供と同じに途中で泣き言をいうかと思った。

 体は鈍傷だらけだ。

 大人でも根を上げる修行を正行は一切文句も言わない。

 これには祖父である春平も驚いた。

 やがて、少しずつ逞しく優しい青年になった正行は星ノ宮の裏社会に入っていく。

 だが、正行は未だ殺人に手を汚してはいない。

 春平自身、不思議に思っていたがどうも正行を殺人者にしたくないようだ。

 そういう風に育てたし、また、そういう風に育った。

 自嘲的な疑問がわく。

――自分は、あれだけ人を殺しておいて?


「じいちゃん?」

 木刀を包んだ刀袋を持ったまま成長した孫は春平を見ていた。

「ああ、すまん。少し、考え事をしていた」

 祖父の言葉に正行は首を傾げた。

 どうやら、考え事をしている間に正行が上手に電車まで連れてきてくれたようだ。

「気分、悪い?」

「いや」

 心配する正行に春平は首を振った。

「ただ、年寄りになると昔のことを思い出したがる。悪い癖だな」

「……あの墓の人は大切な友達だったんだね」

 正行が小さく言葉を返した。

 休日の日昇線は昼下がり。

 比較的席が空き、のんびり電車に揺られる。


 駅から降りると、正行が言っていたように雨が降り出した。

 使い慣れているタクシーを呼び自宅に戻る。

 慌ててタクシーから飛び出る。

 家に入った時、妙に居間が騒がしいことに気が付いた。

 覗くと、スーツを着た両サイドの白髪以外禿上がったやせ型の老人とド派手な短パンとアロハシャツを着た筋骨隆々の大男がテレビでゲームをしていた。

 画面の中では、キャラクターが激しく動き回る。

「権之助!?」

 名前を呼ばれた老人は同じ歳の春平のほうを見た。

 手は忙しなくコントローラーを動かしている。

「よう、お邪魔している」

「お久しぶりです」

 正行は丁寧に頭を下げる。

「いっけぇえ、必殺パンチ‼」

「親父、うっさい!」

 正行が、隣にいる大男で在り父の秋水に乱暴に言う。

 だが、秋水は正行を一瞥しただけですぐにテレビ画面を食い入るように見た。

「なんで、ここにいる?」

 急いでうがいと手洗いをして土間から靴を脱いで上がるとゲームは勝負が決まったらしく秋水が喜んでいる。

 権之助と呼ばれた老人、名は沖場権之助と言う。

 春平の幼馴染である。

 権之助は座ったまま春平たちに体を向けた。

 秋水はゲームに夢中だ。

「いやね、今日、俺の孫がお泊り保育で家に息子と嫁さんだけなんだ」

「だから?」

 不審がる春平に長年の友はあっさり言った。

「二人きりにすれば、来年あたりには孫娘が見られるだろう?」

 その言葉を瞬時には理解できなかった正行の顔が数秒で真っ赤になる。

「だからさ、今晩はここで泊めてくれよ」

 悪びれもせず、権之助は春平に笑顔を向ける。

「だからって……ホテルでも泊まれば……」

 春平は反論する。

 権之助が手をひらひらさせる。

 すると、何処からかショットグラスが生まれ権之助の手の中に納まった。

 それを卓に置くと反対側の手をひらひらさせる。

 今度はスキットボトルが出て、権之助は中身をグラスに開けた。

 琥珀色の液体がグラスに満ちる。

 それを権之助が飲むより早く春平が飲んだ。

「なんで……」

「ケチくさいなぁ。俺もタダで泊めろとは言わないさ……正行君、冷蔵庫を見てごらん」

 不思議そうに正行は祖父を見るがすぐに立ち上がり下駄をはいて土間に出て冷蔵庫を開けた。

「あーー‼」

 正行が驚愕した。

 だが、春平はそれだけで内容が分かった。

「お酒がいっぱい入っている‼」

「今夜はさ、四人で飲もうぜ」

 ゲームに飽きて電源を切った秋水が言った。


 宴は深夜まで続いた。

 大いに飲み、大いに食べ、大いに騒いだ。

 正行と春平の親子は程よく酔って二階にある各自の部屋に行った。

 春平と権之助は残った酒のつまみを食べ、まだ残っている酒を飲んだ。

 その権之助も、いつのまにか寝ていた。

 脱いだはずの上着がかかっていた。

 そういえば、一緒に飲んでいた春平がいない。

 権之助は辺りを見た。

 雨戸は締めておらず、静かな雨が縁側を少し濡らしている。

 友の姿は無い。

 と、嘔吐する音がする。

 医師免許を持っている権之助はこの音に敏感だった。

 縁側の行き止まりは便所になっている。

 そこから、ふらふらした足取りの春平が出てきた。

 昼間の足取りとは違い、今にも倒れそうだ。

 反射的に権之助は春平に駆け寄り体を支えた。

 権之助は春平の意識が消える寸前なのが分かった。

 春平を縁側の柱に寄りかからせ急いで台所からコップに水を注ぎ戻り、ポケットから何種類からの薬を手のひらに出す。

「そろそろ、限界だと思ったら当たりだったな」

 権之助は春平に薬と水を半ば強引に口に入れた。

 春平の体はすぐに反応し飲み込んだ。

「……毒じゃねぇだろうなぁ?」

 途切れ途切れの息の中で春平は薄い目で苦々しく言った。

「馬鹿。そんなことはしないよ」


 雨はますます弱くなり、鈴虫も鳴り出した。

 権之助は春平の側で様子を見ていた。

「……なあ」

 春平は苦しみながらも聞いた。

「俺は、『限界だ』と言ったが、あとどれだけ生きられる?」

 その言葉に権之助は少し考え答えた。

「正直に言うと、あと少なく見積もって二か月、奇跡が起こっても半年は無理だろう。秋水君も覚悟している」

 言葉が止まる。

 権之助は続けた。

「これは俺個人の考えとして聞いてくれ。お前は癌で苦しんでいる。でも、それは癌細胞に対して他の細胞が生きようと抵抗している証でもある。それだけ、『生きよう』とする意志が強いということだ」

「……馬鹿野郎。こんな酷い苦しみは宗太郎以来だぜ」

 弱々しくいう春平。

 宗太郎とは、春平の幼名である。

 彼は元々分家筋から本家の養子になった経緯がある。

 元の名前は夏田宗太郎。

『平野平春平』になったのは七歳になった時だ。

 権之助は、その頃からの付き合いである。

「ああ、インフルエンザだな。あの頃は戦時中で俺の親父も八方手を尽くしたな」

「……今でも感謝している」

「体は大丈夫か?」

「だいぶ、マシになった」

 ため息とともに春平は言った。

「貧乏くじを引いたな……」

 春平は一人、愚痴った。

「貧乏くじ?」

 権之助が問う。

「ガキの頃、宗太郎の頃に思ったんだ。『平野平家に養子になれば俺は一生衣食住に困らない』……先代には悪いが種なしだったのはチャンスとすら思った」

 ここで春平は言葉を止めた。

「無理しなくていいぞ」

 友の言葉に春平は首を振った。

「大丈夫だ……俺の人生、安泰だと思ったらやれ戦争だのと兵隊になって、帰ってくれば結婚だの道場主に成れだの言われて星ノ宮の鬼になって猪口家の手先にもなって違法紛いなことして……全くひどい貧乏くじだったよ」

 静かな夜だ。

 友と胸襟を開けて話すのは久々だ。

「春平、いや、夏田宗太郎。お前が望めば、俺はその望むものすべてをやろう」

 意外な言葉に春平は権之助を見た。

 権之助の目は本気だった。

「俺が望むもの?」

「そうだ、お前が我慢していたものを吐き出せばいい。地球の裏側だって連れて行ってやる。誰も知らない場所で余生を過ごすのもいい……」

「遅かったな」

 春平の言葉に権之助の目は悲しみにくれた。

「あ、違う、違う」

 泣きそうな権之助をとめる春平。

「『今の俺は幸せだから、そういうことは今はいらない』ということさ」

 今度は権之助が意外そうに春平を見た。

「孫の正行がここに来た時、最初は気まぐれで引き取った。あいつは俺の閉ざした心をゆっくり開けてくれた。俺のために一生懸命になる正行が健気で愛おしく感じた。そうすると、周りの景色や人々が違って見えた」

 春平は断言した。

「もしも、最後に願いが叶うのなら俺が死んでも秋水たちを頼む。あいつらも俺と同じで傷だらけになるだろうから、時々は治してやってくれ」

「……分かった」

 春平は笑顔になった。

「……癌の痛みも過去の嫌なことも今に繋がっているのなら安いものだ」

「そうか……」

 と、春平が耳打ちをした。

「俺が死んだあとでいいからバカ息子に言ってくれ。『盗み聞きをするなら、もう少し上品に気配を消せ』」

 権之助は思わず後ろを振り返る。

 そこには影一つもない。

「もう、布団の中さ……図体のデカいわりに小心者だからな……ちゃらんぽらんしている暇あったら離婚したカミさんと仲直りしろってんだ!」

 顔を離して春平は言った。

 空が闇から群青に変わり始めていた。

 まぶしい朝日がそろそろ顔を出す。

「あー、でも……やっぱり、生きたいや」

『現代の剣聖』と謳われ、『星ノ宮の鬼』と恐れられた老人は、年相応の健やかな笑顔でともに告白した。


 それから、三か月後。

 春平は静かに息を引き取った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もしも、最後に願いが叶うのなら 隅田 天美 @sumida-amami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ