もしも、最後に願いが叶うのなら

隅田 天美

前編 雨と血のにおい(十七年前)


 本州、千葉県から太平洋に向かって伸びる『豊原大橋』で繋がった深海地方。

 ハワイから続く天皇海山群が突然隆起してできた島全体が豊原県である。

 その中核都市に星ノ宮市がある。

 日本のインターネット黎明期時代においていち早く官民挙げてネット環境などの整備などを薦めていた。

 そんな街から約一時間のところに『平野山』があり、そこに平野平春平が住んでいた。


 平野平家は文字通り、『平野山』の中腹よりやや上にあり、少し開けた場所にある。

 県指定の文化財でもある武家屋敷で道場も併設されている。

『平野山』自体が登山初心者や散歩コースにもなるなだらかな山なので時々、無人と思い好奇心の強い侵入者もいるが、それは休日が多い。


 その日。

 外は雨が降っていた。

 部屋中を雨音が覆う。

 居間の真ん中にある卓を退けて代わりに布団を敷く。

 その中に壮年の男性と男児はいた。

 布団の中で二人は『見えない絵本ごっこ』をしていた。

 目の前に絵本があると想像してお話を作っていく。

「それでね……あのね……」

 布団の中でパジャマを着た正行は眠気を我慢しながら必死で続きを考える。

 当時、六歳。

 親元を離れて地元の小学校に入学し半年ばかり。

 疲れているのだろう。

 話ながらも、うつらうつら、頭を振っている。

 それでも、一生懸命面白い話を作ろうとしている。

「じゃあ、今夜はここでしおりを置いておこう」

 目の前に本があるとして正行の祖父、平野平春平は見えない、架空のしおりを本に置いて閉じる真似をした。

 この時、彼は六十代に入ったばかりだ。

「さあ、もう、お終い……おやすみ。面白い話をありがとう」

 春平は掛布団の上から正行を軽く叩いた。

「……おやすみなさい」

 ほとんど聞き取れるかどうかの返事を最後に正行は枕に頭を落とし、瞼を閉じ睡魔と共に夢の世界に入った。

 浴衣姿の春平は正行が熟睡していることを確認すると、布団から立ち上がる。

 それでも、正行は起きない。

「おやすみ……」

 しゃがんで孫の頭を撫でる。

 寝息を立てたままの正行。

 少し乱れた掛け布団を直して、再び立ち直り、今度こそ春平は部屋を出た。


 数分後。

 春平の姿は庭先で見出すことが出来た。

 雨に濡れるがまま立っている。

 街灯でぼんやり春平はいた。

 腰には家宝である太刀『神成』と脇差『渓水』を下げている。

「出てこい」

 その声は孫にかけていたものと違い、地の底から這い出たような声だ。

 そこから湧き出るよう茂みから、庭先の末から、井戸の陰から男たちが出てきた。

 一見しただけで極道やヤンキーと分かる顔つきと服装だった。

 中には特攻服を着たものまでいた。

 彼らは金属バットやナイフを持っている。

 普通の人間ならば、逃げるか警察に連絡をする。

 だが、春平は違った。

 片方の口をにんまりと笑って見せた。

 言った言葉もやさしいものだった。

「お前ら、可愛いな」

『神成』の鍔に指をかけて春平は続けた。

「寝込みを襲うなり、風呂に入っている間に突入するなんて考えなかったかい?」

 もちろん、襲撃者たちはただ、指を咥えてみていたわけでない。

 実際、孫の正行を人質にしようと策略を立てていた。

 しかし、単純な家であるはずの平野平家が微妙に侵入しづらい仕組みになっていた。

 例えば玉砂利。

 雨のおかげで何とか庭先までたどり着けたが、それから先は砂利の大きさなどが違うのか音が大きくなって侵入しにくい。

 また、家の出入り口は小さな玄関で人一人が通れるぐらいだ。

 雨戸も閉まっている。

 この武家屋敷が実は様々な仕掛けのある忍者屋敷であることを襲撃者たちは知らなった。

 全ては先人たちが計算済みだった。

 それを熟知している春平は、挑発した。

「おい、来ないのか?」

「うるせー‼」

 一人の男がいきなり金属バットを振り上げて襲い掛かってきた。

 春平は笑顔を消した。

 その瞬間だ。

 何かが飛んだ。

 何が飛んだのかは街灯が映し出した。

 血をまき散らしながら飛ぶ金属バットを持った男の両腕であった。

「ぎゃあ……‼」

 その叫びが男の絶句になった。

『神成』が男の首を跳ね飛ばしたからだ。

 その場にいた襲撃者たち全てがあまりの早業に呆然とした。

 雨と血に濡れた『神成』を春平は握り、死体をしげしげと見ていた。

「俺の孫が今、寝ていてな。起きるような声や音を出せば、容赦なく殺す」

 死体から生きている者たちに目を移し春平は断言した。

「自信のない奴や死にたくない奴は帰れ」

 だが、誰も引かない。

 むしろ、春平を殺すことで名を上げようとする野心で燃えていた。

 

 数分後。

 片手で数えるほどの時間。

 その間に春平の『神成』と『渓水』は襲撃者たちの血を啜った。

 恐ろしいのは浴衣に血の染みも大きな乱れもなかった。

 あたりには雨に濡れる、物言わなくなった襲撃者だった者たちが倒れていた。

 雨は小糠雨になっていた。

 春平は、そのまま井戸の側まで寄った。

 井戸の裏側に、死んだ者たちとは違う、明らかに学者風情の男がいた。

「よう」

 男は血の気が引いている。

 春平の声に腰を抜かした。

「人殺し……」

 男は尻もちをついたまま後ずさりをする。

「おいおい、同業者に非難される理由はねぇぜ」

 この言葉に男は動きを止めた。

「本業に隠れて星ノ宮市街で売春の斡旋をやっていただろ?」

「それは……」

「別にそれは咎めてねぇ。この街はそういう汚いこともあるさ」

「なら……」

 同意を求める男に春平は厳しい顔をした。

「でもな、如何様な理由があれ、お前を追っていた俺の友人を殺すことは無かったはずだ」

「友人?」

「緒方雄一。娘の名前は緒方夕子。両方ともお前の口封じで殺された」

「!……あれは……すまない‼ 自首する……」

 土下座する男。

 その手の中には隠しナイフが隠されていた。

 だが、春平の声は冷たかった。

「お前、同じことを言った親子に何をした?」

何度目かの首が飛んだ。


 死体を裏山に捨て春平は家に戻り、拭いをかけた刀を二階の空き部屋にしまい風呂場に向かった。

 脱衣所で濡れた浴衣や下着を籠に入れて五右衛門風呂の残り湯に入る。

 まだ、温い。

 ため息をつく。

 天井を見る。

 死んだ親子を思い出す。

 確かに友であった。

 向こうはどう思っていたか分からないが……

 清廉潔白な彼から見下されたような目線を何度も受けた。

 だんだん、疎遠にはなっていた。

 彼らとは関係ない人物からの依頼で男たちを追う記者のまねごとをしたら見事に食らいついてきた。

『無念を晴らす……なんて柄じゃねぇなぁ……ただ、人殺しが人を殺した』

「……当たり前のことじゃん」

 思わず、呟く。

 朝、目が覚めて床を出る。

 顔を洗う。

 食べ物を食べる。

 便所に行く。

 平野平春平にとって、その行為は日常だった。

 思いを断つように春平はふやかした体を洗い再び湯船で温まり、風呂場を出てあらかじめ用意しておいた別の下着と同じ柄の浴衣を身に着けた。


 居間に戻り、正行が入っている布団の中に入る。

「……じいちゃん?」

 薄く目を開け、正行が祖父を見る。

「起こしたか?」

 だが、夢と現実の境目にいる孫は一言だけ言った。

「……じいちゃん、雨のにおいがするねぇ」

――雨のにおい?

 血のにおいならば分かる。

 死体を捨てる時も細心の注意を払ったし、体も洗ったが子供の敏感な臭覚は反応したのかもしれない。

「そうかい? 俺は隣の書斎で調べ物をしていたんだけど……」

 嘘を付いた。

「ふうん……」

 正行は分かっているかあやしい。

「でも、いいにおい」

 孫の幼い腕が祖父の体に巻き付いた。

「正行?」

 しかし、すぐに力を無くす。

 思わず、春平が抱きしめる。

――温いなぁ

 電灯の薄暗い部屋の中で春平は孫の体温や柔らかさを感じていた。


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