第6話

6、

 水平線に船影が現れたのは、ヴェリタスが予見した通り、三日後の夕刻のことであった。〈鳥影丸〉より少し大きい戦船が二艘、夕陽を浴びながら島を目指してやって来た。艫に掲げられた船艇旗に、〈聖なる金糸の魚〉が翻っている。

 タルスは、南西の崖の上にへばりつくように伏せて、待ち構えていた。こちらも読みは当たり、敵の総勢は二十名ほどと思われた。

 ーー敵は、夜襲をするはずです。

 とヴェリタスは洞窟に籠る前に述べていた。アスカランテの横紙破りを、リューリクの最高議決機関たる商人評議会は苦々しく見つめていて、故なく軍団を動かしたと知られれば、ダルファル本国に訴え出られるかもしれない。さしものアスカランテもそれは避けたい訳で、日が上るのを待つなどという悠長な作戦はあり得ない。拙速に事を進めようとする、とはヴェリタスの言であった。

 果たせるかな、残照が消えかかっている時分には、尖兵が崖の杣道そまみちを登り始めたのだった。小さな松明が掲げられ、縦列に登ってくる。彼奴らにまだ警戒心は薄く、まるで蜜に群がる兵隊蟻を眺めている気分だった。しかし蟻は、一匹一匹は弱くとも、集団になると自分たちより大きな昆虫も襲い、補食してしまう。況してやダルファル兵がそれなりの手練であるのは経験済みである。タルスは自分が餌にならないことを祈った。兵士たちが、正式な軍団兵の装備ではなく簡易兵装であるのが、僅かな救いであった。

 最初に崖の上に手を掛けた兵士は、不運であった。ヒョイと頭を出した途端、タルスの勢いを乗せた前蹴りで顔面を潰され、悲鳴を挙げるいとまもあらば、真っ逆さまに落ちていったのだった。

 すかさずタルスは、三日かけて崖上に用意しておいた大岩の一つに取り掛かった。両手と肩を当て、気息を整える。満身の力を込め大岩を押した。

 たちまち太縄のような筋肉が、全身に盛り上がった。呼吸法との合一によって、躰中の力を一点に集中させるヴェンダーヤの行が爆発的な突進力を生み出した。一抱えほどもある大岩が、みるみる横滑りし、崖下めがけて転げ落ちた。

 下方から岩が当たる鈍い音と、泡を食った叫びが聞こえた。やがて派手な水音がたった。覗き込むと、大岩が敵船の一艘に直撃したようだった。溺れ掛けた兵士と、それを助けようとする仲間で大混乱に陥っている。

「番神トトよ!」

 僥倖に感謝を捧げる間もあらば、タルスは次の岩に挑んだ。その次も。

 時機を見計らいながら、都合五つの大岩と無数のそれより小さな石を落とした。やがて相手方もだいぶ警戒して、ひさし状に張り出した岩棚の下に潜み、まったく出てこなくなった。日がとっぷりと暮れて、宵闇に包まれてもいた。東の空には月が出ていた。手持ちの石がなくなったのを潮に、タルスは後退することにした。

 半数、とまではいかないだろうが、幾らかは敵勢を減らすことに成功した。その中にアスカランテが含まれてくれていれば、襲撃自体が沙汰止みになるかもしれない。淡い期待だが、懐いて悪いことはあるまい。

 

 *

 しかし、番神の加護もそこまでだった。

 島の内側の所定の位置に隠れていると、崖を越えてきた攻め手が侵入してきた。その数、およそ十名余り。松明に兜と鎖帷子が煌めき、全員が、刃幅が広く短い刀身の剣を、油断なく構えている。盾こそないが、白兵戦に長けたダルファル兵たちは皆、鋭い剣技の持ち主と思われた。

 実はすでに二人が戦闘不能に陥っていた。崖の内側に出る一本道の降り口周辺に、半円形におとしあなを掘っておいたのだ。散開した兵士のうち、一人は完全に落ちてしまい、もう一人は足を痛めたようだった。

 ただ間の悪いことに、雲が風で千切れ、皓々たる明月が島全体を照らし出した。兵士たちもより慎重に歩を進めるようになり、残りのおとしあなは不発に終わりそうだった。

 タルスは壁づたいに、ジリジリと〈王宮〉を目指した。遠廻りになるが、もたついているダルファル兵の先手を取るのはわけないと思った。

 それが油断だった。

 松明を離れ、暗闇に目を慣らした気の利いたる兵士が、先行して動いていた。そしてまんまとタルスを視界に捉えたのだった。

 そいつは、余分なことは何もせず、真っ直ぐタルスに斬り掛かって来た。闘いの物音は自ずと判別出来るゆえ、仲間に声を掛けるなどという無駄を省いたのだった。

 辛うじて避けられたのは、軍装の立てる金属音を先だって捉えていたからだ。風で流れた音が一足早くタルスに危機を教えた。横に飛び退き、距離感の掴めぬまま、低い体勢で足払いを食らわせた。命中した。

 もんどりうって倒れた対手をタルスは、力一杯、踏みつけた。グエッという兵士の呻きが洩れた。鎖帷子越しに、肋骨がいったのを感じた。

 が、わざわざ息の根を止めるようなことも、仲間を迎え撃つようなこともしなかった。踵を返すと、素早くその場を離脱した。

 彼奴らの目的は、シスの身柄を確保することであって殲滅ではない。邪魔されれば排除もしようが、追いかけてまで血眼になるとは思えなかった。一方、こちらも相手を足止めするのが狙いなので、いちいち決戦を挑むつもりはなかった。

 敵勢の本隊は、すぐさま戦法を変えた。斥候を呼び集め、密集陣形を取った。そして一塊となって悠々と〈王宮〉を目指しだした。

 どうやら此方が単身であると知れてしまったようだった。リューリクから遁走した面々は三名。うちシスが戦闘に役立つとは考えていまい。後はタルスとヴェリタスだが、陸戦のやり口からヴェリタスの気配を感じなかったのだろう。相手が一人なら、バラバラにならなければ、恐れるに足らず、という訳だ。

 本隊を横目に見ながら、タルスもまた〈王宮〉方面へと進んだ。

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