第7話

7、

 月は完全に昇りきって、妖しいような銀光で島を染め上げていた。進軍した敵本隊は、〈王宮〉に到達しようとしていた。

 夜風がまた強くなってきた。

 タルスは火口箱から燧石ひうちいしを取り出して、次の一手のために先回りした。

 〈王宮〉の内と外には、予め数箇所、粗朶そだや枯れ草を纏めて火点を作ってあった。とはいえ、配置は勘頼みだし、また、島は湿気が多く、都合よく点いてくれるのかも判らない。相手方が逃げられずに煙りに巻かれるよう、出来るだけ引き付けねばならないが、然りとて、着火にもたもたしているうちに気取られてしまうかもしれなかった。いずれ成功必至の妙策などないのだ。

 本隊が〈王宮〉内の探索に掛かっている間に、素早くことを進めた。火口で小さな松明を作りそれで点火して回る。一通りやり終えると、すぐさま離脱した。

 しかし身を隠す前に、敵兵との遭遇が待っていた。兵士を二人一組にして配し、建物の周りを哨戒させていたのだ。

 出会い頭の戦闘になったのが、タルスに幸いした。相手が剣を構えるより早く距離を詰めた。遠い間合いからの跳び蹴りが、ダルファル兵の戦法にないのは波止場で経験済みだったが、あの時の不覚を再現するつもりはなかった。二人を同時に倒さなければ、此方が殺られる。

 それは矢のような二段蹴りだった。大きく踏み込んで跳び、右の爪先で手前の兵を鳩尾みぞおちを捉えたが、ほとんど同時に左足がもう一人の顎を捉えていた。一瞬のうちに両名ともが昏倒した。

 短い呼気だけが、タルスの小さな凱歌となった。

 

 *

 始めは燻っているだけだったが、火勢は次第に強まっていった。強い風が思いの外、焔を煽ってくれていた。

 ダルファル兵たちの取り乱した声が、洩れてきた。

 侵入した開口部から、ばらばらと男たちが飛び出してきた。立木の根元のくさむらに潜んでいたタルスの目が光った。

 男たちの中の、異質な一人が目についたのだった。真っ先に飛び出してきた、辺鄙な孤島にそぐわない豪奢な紫の長衣には、〈聖なる金糸の魚〉が翻っていた。

 ーーアスカランテ!

 顔を知らなくても、我先にと他を押し退けて出てきた素振りで、見当はついた。しかしその隆とした立ち姿には意表を突かれた。シスへの執着から、司祭カスパ殿はどんな狒々爺かと想像していたが、どうして中々の男振りだった。

 確信したタルスの行動は、俊敏極まりなかった。

 手頃な大きさの石ころを選んで拾うと、アスカランテを狙い済ます。飛礫つぶて打ちは、貧者の戦術の基本で、タルスも得意な領分だった。

 物陰から黒い颶風めいて飛び出すと、一直線にアスカランテ目掛けて殺到し、立て続けに飛礫つぶてを打った。

 先頭にいた為、アスカランテは格好の的になった。吸い込まれるように、飛礫つぶてが、アスカランテの顔面と胸板に命中した。

「ぐえっ」

 アスカランテの逃げ足が止まった。無様な呻きが、立派な身形に対して、酷く滑稽であった。

 接近の勢いは充分だった。体当たりのように、体重を乗せた拳を、アスカランテの腹に突き立てた。

 今度は呻き声さえ、洩れなかった。衝撃は鎖帷子を越え躰の深奥に達し、内臓をズタズタにした。アスカランテの口腔が、大量の鮮血を吐き出した。だけでなく、眼窩からも鼻腔からも血が噴出する。一撃で、アスカランテは絶息した。

 後ろからやって来た兵士たちは、暫し茫然となった。タルスは野生動物に対峙したときのように、相手方をヒタと見据えたまま、後ずさった。 

「無体な上官は死んだぞ。お主らも栄誉あるダルファル兵としての任務に戻れ!」

 なにがしか、痛いところをついたようで、兵士らの足並みに躊躇いが生まれた。

 その隙間にタルスは、疾風の如く走り去った。

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