柳生暦37564年のシガーキス

「貴様ら…それでも武士の端くれか…?揃いも揃って、見下げた臆病者どもめ…」

腹を刺されて瀕死の月風連の一人が、息も絶え絶えに罵った。


柳生十兵衛は町田を出た。だというのに、この男たちは腹も切らずにただ立ち尽くしているだけだ。


「お、俺たちにもわかんねえ…だけど…あそこは…!あの橋の向こうは…まだ”町田”なんだ!理屈に合わねえが、そんな気がする!町田に住んでる俺たちにはわかる!」


その場にいる町田武士の一人がそう叫ぶと、町田の男たちは次々に十兵衛、そして百手のマサの方向へと走りだしていく。


「何が…起こった…?」

月風連の男はその様を訝しむ。川向こうの様相は中々掴めない。


「煙草…あるかね」

声をかける者がいた。彼と同じく取り残された、町田の荒武者の一人だった。月風連と同じように…いや、それよりも酷い傷である。はらわたが溢れかけている。長くはなかろう。


「貴様にやる分はないな」

月風連は無愛想に言い放った。

「あちらの様子が気にならんか」

荒武者が顎で川向こうを示す。月風連は少し逡巡し、荒武者に無言で煙草を差し出す。


煙草を受け取ると、荒武者は乱暴に月風連を担ぐ。

「おい、怪我人だぞ…」

激しい痛みに顔をしかめ、月風連が咎める。

「どうせ助かる傷ではなかろう」

荒武者はあっさりと答え、傷を押さえながら瓦礫を飛び移り、廃ビル屋上へと登る。

「それも、そうだな…!」

運ばれながら月風連が答える。己より深傷でありながら、大した根性だ。内心舌を巻く。


屋上、荒武者は月風連を乱暴に下ろすと自身も腰を下ろし、壁にもたれる姿勢で二人は並んで座る。ここからであれば対岸も見渡せる。


「火」

月風連が自分でも煙草を咥え、荒武者に言う。

「お前の煙草だろう」

月風連が懐から無残に壊れたライターを取り出す。

「名品だが、貴様らのせいでこうでな」

「なるほど」

荒武者は頷くと、顔をしかめて唸りはじめる。

その親指から、小さな炎が上がる。


人体発火能力。そういえば先の乱戦、少し離れた所で幾度も火柱が上がっていたか。

「もはや、この程度の炎しか出せぬがな」

月風連の考えを読むように、荒武者が自嘲気味に言う。


「火がつけば十分だ」

月風連がぶっきらぼうに答えた。

荒武者はまず月風連の煙草に火を付け、そして己の煙草に火を付けた。


二人は並び、黙って煙草を吸う。


間も無く、街全体にマダム・ストラテジーヴァリウスの放送が響いた。


中身の詳細は掴みかねるところもあるが、要するに町田の連中が何らかの賭けに勝ったということだろう。


歓声がここまで聞こえて来る。それは鬨の声に変わる。


「十兵衛とうちの大将の一騎討ちだな」

荒武者が楽しそうに言う。吸う速度が月風連よりずっと早く、タバコはもう半分も残っていない。


「あの若造が大将なのか」

「十兵衛を斬ったら、奴が大将だ」

「斬れぬさ」


月風連が笑う。荒武者の煙草が尽きる。

「もう一本くれ」


月風連は黙って煙草を荒武者に差し出す。

荒武者は煙草を咥えると再び唸り、親指に念じる…が、何も起こらない。

「参った、もう火も屁も出ぬわ」

荒武者が傷口を抑えて笑う。


「仕方ない奴め」

月風連が溜息をつく。

そのまま難儀そうに手をつくと、その身を荒武者の方に寄せる。


「動くな」

月風連の顔が荒武者に近づく。まだ火の残る煙草を、荒武者の煙草の先に当てる。

荒武者が息を吸いこむと、火が移った。


「すまんな」

「全くだ」

少しの沈黙。川の向こうも水を打ったように静かだ。


十兵衛とマサの斬り合いが始まった。


二人はそれをしばし見ていた。


「長引きそうだな」

月風連が傷口を抑えて言った。溢れる血は止まらなかった。

「決着が気になるか」

荒武者が答える。こぼれたはらわたは地面に落ちている。

「いや…どちらでも構わぬさ」


月風連と荒武者は並び、川の向こうを見るでもなく見ている。


柳生十兵衛。百手のマサ。町田の男たち。


「いい街だな」

「そうだろう」


二人の手から、同時に煙草が落ちた。


(終わり)


※これはカキヤザクロ(@z_kakiya)さんのリクエスト「シガーキス」を受けて書かれたものです。



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