貴方と私で詰み上げた反逆の6日間

晶良 香奈

第1話


 1 Day   覚 醒


 それは突然訪れた。


 最近よくある、祈りの時のめまいに耐えかねて思わず伸ばした指先を、床にできた小さなささくれが傷つけた。その拍子によみがえる記憶の奔流ほんりゅう


 聖水盤に散る赤い血の珠。表面を覆う光。額にはめられるサークレットの冷たさ。

 視界を覆う人影。耳に響く『力ある言葉』。

 それらは入り混じってハレーションを起こし・・・記憶が飛んだ。


 目を開ければ、そこはいつもの白い部屋。

 周りに人ひとりいない、静謐せいひつな空間。あるのは祭壇の水晶と私。

 ここでひたすら祈りを捧げて国の結界を支え、安寧を紡ぎ、安らぎを生み続ける、国の礎たれと教え込まれた存在、それが聖女たる私。


「・・・・・・・・・」


 私。わたしは、一体いつから、ここに居たのかしら?


 この国の女はすべて12歳の時に、教会の聖水盤に自らの血をにじませる。

 何もなければ聖水の中で傷つけた指が治るだけ。聖女たるときのみ、聖水盤が光り輝く。そして、聖女と認定されたものはこの部屋に導かれて、大切な勤めを全うせよと教え込まれる。


 この国にいる女の務めだと知っていた。大事なことであり、名誉なことだとも。

 父も、母も、祖父母たちも、親戚も。周りの人たちは誰もが、選ばれたならしっかり果たしておいでと送られた。

 聖女の務めは最長3年間。それが終われば解放されると聞いていた。

 実際、近所にいた雑貨屋のお姉さんがそうだった。

 5年前に聖女となって2年後に戻ってきていた。


 ただ、ひどくやつれていた。顔色が悪かった。

『祈ってただけなのよ、部屋で』

 そういってほほ笑む口元も元気がなかった。

 聖女のお役目が大変だったんだろうと、大人たちは噂した。


 そして・・・戻ってきた2日後に、お姉さんは不帰の人となった。

 あんなに元気な人だったのに。あっという間にいなくなってしまった。

 国からは死を悼む言葉と見舞金が届けられ、それを受け取った直後、雑貨屋の一家は引っ越していった。まるで、何かに追われるかのように、真夜中に居なくなってしまった。


 私はまだ幼すぎてよくわからなかったけれど。

 聖女の務めに何かいやなものを感じていた。


 その私が聖女をしているなんて。しかも、今の今までそのことを忘れていた。


 いえ、思い出してみれば、大司教から聖別のサークレットを授けられ、司教たちの『力ある言葉』を聞いた時から、私の記憶が途切れ、何も考えなくなったんだ。

 それからはこの部屋にこもって祈りを捧げるだけの毎日になった。


 この場所を動くことが許されるのは食事とトイレと沐浴、そして寝る時のみ。しかも食事は10分、トイレは1回3分、沐浴は15分と決められていて延長は許可されない。

 沐浴の後に寝る部屋へ行くのだけれど、起床時間が明け方設定。まだ空が暗いうちにジンと響く割れ鐘でたたき起こされるのだ。

 そんな生活に何の疑問も抱くことなく、そう、今日で1年と4か月過ごしてきた。

 私付きの護衛は扉の外にいて、私を守ってくれている。そう、思っていた。


 でも、拘束が解けた今になると、監視をしていたのではという疑いになった。

 聖女と言われながら、記憶を奪われるってどうして?

 祈りを捧げ、毎日疲れ切って寝るのに暗いうちからたたき起こすのはなぜ?

 明け方から寝るまで、延々と祈り続けた挙句にあの食事は少ないと思うけど?


 次から次へと疑問がわいてくる。でも、今はそれよりやることがある。

 衝撃にほどけていた手指を組みなおし、祈りの形に偽装する。

 そろそろ様子をうかがいに来るはずだ。その時にバレたなら、私はどうなるの・・・?

 逃げ場のない現実にカタカタと歯が鳴る。


「いつまでこれを続ければいいんですか・・・」


 独り言がこぼれ、白い部屋に消える。


「・・・もう、十分尽くしたと思う、けれど・・・」


 視線を下げると胸元のメダリオンが光る。


「私は・・・ここから出られないの?・・・」


 問い掛けに答える声は、どこからも来ない・・・と思っていたのに。


(やあ! やっと気が付いてくれたね! キミが初めてだよ)


 え!?

 思わず、組んでいた手をほどいて辺りを見回す。

(駄目だよ、姿勢を崩しちゃ。ほら、戻って戻って)


 慌てて手を組み、うつむく。動揺と衝撃で鼓動が痛いくらいに波打っている。

(やっと僕の声が届く人が出たんだね。いやあ、うれしいよ)


「あの、あなた、は・・・?」

(あ、声を出さないで、思うだけでいいよ。気づかれちゃうからね)

(は、はあ・・・)


 声(?)から判断して私とそう変わらないくらいの男性、だと思う。顔も何もかもわからないのだけれど、多分。


(色々聞きたいこととかあるのは分かるけど、今日はもう無理だ。もうすぐ夜の食事と沐浴だろ。見張りがやってくるよ)


 ああ、やはり護衛ではなく見張りだったのか。気づいた時ほどの衝撃はなかったけど、駄目押しされた気分でもある。


(そう落ち込まないで。悪いこと言っちゃったね。何せ、今までどんなに叫んでも聞こえない奴らばっかりだったから、相当口が悪くなってる自覚がある。でも、キミに対して悪意はないよ、ホントだよ?)


 何やら、両手を振り回してワタワタしている様子が目の前に浮かぶ。思わずクスリと笑ってしまった。


(無事に感情が戻ってきたんだね。よかったよ。ちょっと安心したなぁ。でも、その表情は隠しておいてね。教会の奴らに知られたら大変なことになるから)


 そうね。自分を守る意味でも気づかれないようにしないと。


(そうそう。キミ結構賢いね。短い間にそこまで考えられる人間はそういないんだよ? これはやっと僕にも運が向いてきたかな♪)


 今度は得意気に胸を張る姿が浮かんできた。それを見ていると、ノックの音が響く。


(来たよ、手先が。気を付けてね)


 分かってる。ひとつ頷くといつものように表情を消して振り向く。

「聖女様、お食事と沐浴の時間になりました」

「はい、参ります」


 簡素な食事と沐浴を時間通りに済ませ、寝台で目をつむる。いつもなら祈りの後の疲れですぐに眠りの世界に行けるのだが、今夜は興奮していて眠れそうにない。


 それでも廊下を往く足音が時たま止まり、ドアの窓から中を窺っている気配に身を固くして寝たふりをする。足音が遠ざかり、ほっとして体の力が抜けるとじんわりと汗をかいているのが分かった。


 寝返りをうった拍子に何かがほほに触れる。手をやるとそれは小さな結晶の欠片で、どうやらサークレットの内側にあったもののようだ。記憶が戻ったことから考えて、術が解けたために壊れたのだろうと思い至った。だが、疑問は残る。


 まるで囚人の生活だ、と思う。なぜこんなに見張られなければならないのか、管理されなければならないのか。明日こそ、あの人に聞こう。そう決めて、今度こそ眠りへ入った。



 2 Day   瞠 目


 


(おはよう、よく眠れ・・・なかったみたいだね。目の下が黒いよ)


 いつもの通り朝の食事と沐浴を済ませて部屋に閉じこもった途端、頭に響いた声は心配げに震えていた。


 いつものことだと思う。そもそも睡眠時間が短すぎるのよ。


(それはそうだ。誰もが早くから祈ってたね。代々そうなのかな)


 分からないけれど、多分。食事だって少ないわよ。もう慣れたけど、つらいわ。


(そうだね。祈りで気力を消耗してるのに、あの食事内容じゃ回復だってままならないね)


 なんで祈りで気力がいるのかしら。あなたは知ってるの?


(そんなことも伝えないでやらせてるんだね。まったく性質が悪いんだから)

 舌打ちするような感覚があった後、うなだれている姿が浮かぶ。


(いや、これは僕が悪いのかな。あの時に暴れすぎたせいで、こうなったのかも・・・)


 あなたが暴れた? 一体何をやったの?


(う、いや、その・・・ごめん、そっから話すと訳わかんなくなるから)


 そうなのね。あなたの話しやすいようにしてくれたらいいわ。聞いてるから。


 手指を組んで祈りの態勢を取りながら伝える。


 今日は祈るよりあなたの話を聞きたいの。私も聞きたいことがあるし。


(ありがとう。そう言ってくれると助かるよ。それじゃさ、基本的なことから。なぜ祈るのか知ってる?)


 本当に基本ね。聖女の素質がある女は結界に力を注いで国を守ることを求められているの。祈りはその行為だと教えられているわ。


(なるほど。それがなくなるとどうなるかは聞いてる?)


 この国の周りには恐ろしい魔獣がいて、結界によって阻んでいるのだからこれは大切なお役目、私はそう言い聞かされてきたの。これは正しいのかしら?


(結論から言うとね、半分正しく半分間違ってる。結界に力を注いでるのは正解。でも、その結界は国を守るためではないし、記憶を封じてまで祈りに没頭させ、生命力を削り取ってるのは教会と王家のわがままなんだ)


 生命…力? 何なのかしら、それ?


(聖女ってのはさ、祈りの形で生命力を込められる女性という基準で選ばれるんだ。聖水盤に血を垂らすのは、その素質を判断するのに一番いいからだと思うよ)


 ねえ待って、そしたら、生命力を吸い取られて、回復も少ししかできない、そんな日が続いたら・・・


(そう、聖女になることは、死を意味するんだ)


 死? 死ぬの、私? このまま死んじゃうの!? ねえ!!


(待って、落ち着いて! 死なないよキミは! 僕が死なせないから!)


 ・・・ご、ごめんなさい。びっくりして、怖くなって・・・


(死ぬのが怖いのは当たり前だよ。僕こそゴメン。順番に話さないとわからないって言ったばかりなのに・・・長い間自問自答してたから、言い方が直接過ぎてきつくなってるんだ。本当にごめん)


 もう大丈夫よ、落ち着いたから。続き、教えて?


(わかった。でも、途中で気になったら言ってよね。時間はたっぷりあるから)


 ふふっ、そうね。


(まずは、この国の成り立ちからだな。長くなるけど、聞いてくれ。建国記からだ)



 ・・・昔、ここには大きな湖があった。気候は穏やかで魚も獣も住み着いていて生活していくには格好の場所だったが、問題が一つあった。

 湖の中心にある島には悪いドラゴンがいたのだ。そこで人々は討伐隊を編成して島に送り込み、多大な犠牲を出しつつもドラゴンを倒して平和を取り戻した。

 その後、地殻変動で湖がなくなったが水脈は生きていたため、肥沃な土地に変わった場所に多くの人が住み着き、やがて国となっていった・・・



 それは誰もが知っているお話ね。おとぎ話に近いけど。


(ああ。けれど、これは実際にあったことを元にした建国物語だ。真実を嘘で塗り固めた偽物の、ね)


 偽物なの? どこが?


(湖があってドラゴンがいた。それは本当だ。違うのはそのドラゴンが何もしていないことだ)


 建国物語では火を吹いて作物を荒らしたり、牛や馬をさらっていたけど・・・?


(そのドラゴンはものを食べないんだ。空気に含まれる生気、精霊力、魔力の元、そういったものを取り込むだけで自分を維持できてた。食べ物に困らないからほかの生き物と争う必要もない。ただ、ゆっくりと生きていただけなんだ)


 それが本当なら、いえ、私たちが知っているお話が偽物だったなら・・・なぜ、ドラゴンを殺したの?


(ドラゴンの核を手に入れたかったんだ。空気中の力を取り込むだけで生成できる結晶を半永久的に作り続けるために)


 結晶!・・・魔道具の元となる、もの・・・


(・・・今回はここまでにしよう。もうすぐ見張りが呼びに来る。心を落ち着けておくんだ)


 ハッと気づくともう夕刻になっていた。今日は一度もトイレに立っていない。不審に思われるとまずい。ノックの音が響くと同時に、ドアを開けて走り出した。


「聖女さま!?いかが・・・!」


 誰何する声に応えず、決められた個室に向かって走りこみ、ドアに鍵をかける。そのまましばらくして水を流し、無表情を作って外にいる護衛に頭を下げる。


「申し訳ありません。祈りの儀式に集中していて、粗相をする前にと急ぎました。お叱りは覚悟の上です」


「そういえば今日は一度もお出になりませんね。そういう事なら問題ありません。お食事と沐浴の時間です」


「はい」


 あの人と話していると時間が早く過ぎるようだ。あれほど苦痛だった祈りもそれほどつらく感じられない。いや、今日は生命力を削られていないせいもあるだろう。沐浴を済ませてから寝台に横になると、昨日とは打って変わってすぐに眠りが訪れた。少しはあの人の心配も減らせるかも、そう思ううちに意識が途絶えた。



 3 Day   疑 念 

 


 朝。いつもの日課を済ませて祈りの部屋へ向かう。

 水晶の前に跪き、手指を組んで祈りの態勢をとる、が。


 普段ならここで護衛は出ていくはずなのに、後ろの気配が消えない。何か気付かれたのか、そう思ってじっとしていると、珍しく呼びかけてきた。

「聖女様、祈りに集中されるのはいいですが、トイレを我慢されることはありません。必要なら声をかけられますように」

 姿勢を解いて振り向き、頭を下げる。

「わかりました」

 返事を聞いて、護衛は出ていく。再び体勢をとり、しばらくは気配を窺う。


(もう大丈夫だ。見張りは見ていないよ)


 ああよかった。怪しまれたのかと思ってびくびくしたのよ。


(まったくだ。でもこれからは気を付けよう。どうも僕らが話していると時間が早く過ぎるようだ。時々打ち切って確認しよう)


 そうね、私も昨日は早く過ぎたと思ったもの。どうしようかと焦っちゃった。


(あははは。あれは文句が言えないうまいやり方だったよ。キミは頭がいい)


 そんなことないわ。私は普通の平民の娘だし。


(違うよ、『頭がいい』って言うのは機転が利くという事さ。とっさの判断がいいんだよ。さあ、今日も始めようか)


 その前にひとつ聞いてもいいかしら。


(なんだい?)


 昨日の話で、ドラゴンを殺した理由が結晶を作る核を取るため、って言ってたわよね? そのこと、どうして知ったのかしら。


(・・・キミは本当に鋭いね。あの話でそこまで気が付くなんてさ)


 褒めても何もないわよ。寝る前に考えてて思いついただけだから。


(それがすごいんだ。ああ、そう思うよね。実はその前にもうひとつ隠された事実がある)


 まだ何かあるの?


(ああ。キミたち聖女が生まれる遠因だと考えている事柄だ)


 !!


(今日話そうと思っていたことでもある。キミに言ったよね、聖女の判定には血が一番早いって)


 ええ、そうね。


(聖女の素質は遠い先祖から受け継がれたものだ。普通なら外には現れず、一生眠ったままになっている場合もある。ある意味先祖返りの形で表面化すると、それが聖女と判断されるんだ)


 よくわからないけど、私たちの遠い祖先にそういう性質があった、ってこと?


(そう。でもそれはやむを得ず、そういう形になったんだと思う。・・・そろそろ行ってきた方がいい。怪しまれないうちに)


 わ、かったわ。


 祈りの形を解くと、ドアを開ける。横に居た護衛が頷くのを見て、個室へと移動する。


 何か様子がおかしかったわ、あの人。用を済ませながらふと思う。痛みをこらえるようなつらそうな感じがしていた。よほどのことがありそうだ。何を聞いても動揺せずに聞こう。

 ある考えがよぎる。ひょっとしたら。そうね、それも併せて気を付けておこう。そう思いながら部屋に戻る。


 さあ、続きね。お願いします。


(・・・まったく、キミには勝てないね。そんな風に要求されちゃ話さざるを得なくなる。参ったな)


 聞かないと先に進めないもの。さあどうぞ。


(それもそうか。よし、覚悟を決めよう。・・・島に住むドラゴンは1体だったけれど、そのドラゴンを神として祀り、共に暮らしていた種族がいた。ドラゴンの結晶を元に生活用品を作って暮らしていく代わりに、身の周りの世話をする、共依存の種族だった。世話と言っても、身体を磨いたり、余分な鱗をはがしたりと、本当に隣人の世話焼き程度のことだ。

 ドラゴンはドラゴンで、結晶ができるのはいわば体の垢がたまるようなものだったから、それをはがしてくれる存在はすごくありがたかった。そうして暮らしていた中に、外界から結晶目当ての奴らが入り込んできたんだ)


 そのお話だと、最初は交渉、ううん、商売に来たような感じなのね?


(そうだね。でも、それはすぐにおかしくなった。何せ、ドラゴンとその種族はお互いのやり取りですべてが完了してしまうし、外界の品物を仕入れる必要がない。

 何より外界の物より品質がいいとくれば、要らない品物を押し売りされているようなもんだ。最初の1回2回はあまりのしつこさに負けた種族がタダ同然で渡したんだが、それが何回もとなると拒否するのは当然だ。外界の奴らは欲しいけれど、自分たちの品物では商売にならない。そうなってくると、次はどうすると思う?)


 ・・・行きつくところは戦争ね。


(正解だ。奴らは奪ってしまえと結論付けた。だが、結晶はこれから先も生成できるようにしたい。ならば、ドラゴンを味方に付けるか、その秘密を探るしかない。そうして種族の分断と秘密を暴く二通りの方法でじっくりと粘った。それがやがて、ドラゴンの核を奪うことにつながったんだ)


 ・・・まだ本題のところまで行ってない気がするけど、今日はもう終わりね。そうじゃない?


(うん。時間切れだね)



 4 Day   思 案



 次の朝、私はひとつ小細工をした。


 食事をするときにそばにあった暖炉から小さな消し炭を拾ったのだ。沐浴へ行く前と後にそれを目の下にこすりつけ、疲労しているように見せかけた。

 護衛はそれを見てかすかに口をゆがめていた。前は分からなかったことが一つ一つ見えるようになり、それと共に焦燥感が募ってくる。移動するときにふらつく演技を交えて部屋に行き、姿勢を整える。途端、


(どっ、どうしたのっ、その、その目の下の黒ずみはっ! なにかあったのっ、ねえっ、何されたのっ!!)


 落ち着いてよ、何もないってば。


(そっ、そんなこと言っても、その顔、顔がっ!)


 これは炭を塗ってるの。それだけよ。


(へ? 炭? 炭って、あの炭?)


 どの炭を指してるのか知らないけど、暖炉にあった炭でちょっとね。こうしないと今までと違いすぎて怪しまれるでしょ? だから少し演技を交えて、ね。


(あ、ああ~っ、そうか! あ~っ、びっくりした~。で、安心した~っ)


 胸を押さえてへたり込んでいる様子が感じられ、服の袖をかんで必死に我慢する。それでも少しもれてしまうが。


(あ~、も~驚いてひっくり返りそうになったよ。ふう~)


 脅かしてごめんね。でもこうしておかないと見張りに気づかれてしまうでしょ? 現に今日の顔を見てほくそ笑んでたもの。


(確かにそうなんだけどね。キミのやることは理にはかなってるけど、見ている僕にはちょっと辛いな)


 あら酷い。これでも一生懸命考えてやってるんだけれど?


(その努力は認めるけどね。びっくりするんだよ、斬新すぎて)


 それは失礼しました。さ、今日のお話を始めましょ。


(やれやれ、キミにはかないそうもないよ。じゃ、続きだ。ドラゴンと種族が暮らしている中に外界の欲張りが入ってきた。そして、自分たちの欲しいものはドラゴンの核であると突き止めた。ここまでだったね)


 種族って言ってるけど、一体どんな人たちなの?


(・・・エルフ、と呼ばれる一族だ)


 えるふ。居たんだ、そんな人たちが。


(ああ。あの頃でも数は少なかった、と思う。もともとエルフは森に住み、自然と同化して生きる種族だった。自給自足をしていた種族と自分自身で完結していたドラゴン、ぶつかるはずがないだろ?)


 そうよねぇ、実に平和的な生活だわ。そこに強欲な『人』が入り込めば、破綻するのは当然ね。


(ああ。『人』が現れた時点で、この展開は予想できたんだ。だのに、ドラゴンは何もしなかった。大切な隣人が滅亡し、初めて事態の重大さに気づいて愕然としたけれど、すでに後の祭りだった。馬鹿なやつさ)


 そう。あ、ちょっと早いけどトイレに行ってくるわ。


(うん、わかった)


 廊下を歩いていて考える。思い付きが確かな形になってきた。聞くべきだろうか?


 ねえ、まだ聖女にはつながらないのかしら?


(・・・ドラゴンは馬鹿だけどエルフはうすうす気づいていた。このままだと攻め込んでくることも予想していた。自分たちに太刀打ちできる力が無いことも、ドラゴンを守ることができないことも、ね)


 ・・・・・・


(だから、考えたんだ。神として崇めたドラゴンを、遠い将来甦らせることができるように、自分たちの中に力を鎮めておく方法を)


 ・・・・・・・・・・・・


(返事がないけどどうしたの?)


 ちょっとあまりに構想が大きすぎて何から聞いていいのか、突っ込んでいいのかわからなくなってきたわ。


(そうかもしれない。エルフの長老の考えはいつも訳が分からなかったからな)


 ・・・今日はここまでかな。あ、ちょっと演技するから驚かないでね?


(了解だ)


 ノックの音がしたときに、私はわざとふらついてたおれかかり、膝をついた。


「聖女様、大丈夫ですか?」

「は、はい。めまいがして、力が抜けて・・・少し、休ませてください」

「は、それは・・・支えますので、ゆっくりでいいですから食堂まで行きましょう」

「は、い・・・あ」


「・・・いけませんね。では少しだけ、その場でお休みください」

「・・・ありがとう、ございます・・・」


(くくくっ、すごいね、キミ。芝居やったらウケるよ?)


 こらっ、笑わさないでよ、こっちは必死なんだから。


(ごめんごめん。でもこの護衛君、言葉は丁寧だけど完全に見下してるね、キミのこと。ちょっとムカつくな)


 そうでしょうね。この人教会騎士だから、私を便利扱いできる道具にしか見てないと思うわよ?


(自分をそんなに卑下しないでほしいな。なんか哀しいよ)


 本当の事でしょう。あなたが苦しむことではないわ。


(ん~、でも、なぁ・・・)


「お待たせ、しました。参ります」


 じゃ、また明日。


 沐浴して眠りにつく前に、今日の話を思い返す。大きすぎて見えない部分もあるけれど、方向は決まった。

 話の流れ次第だけれどそろそろ確認する時期が来たのかも。そう考えたところで意識が落ちた。



 5 Day   驚 愕



 昨日の演技が効きすぎたのか、今日は朝から周りがおかしい。起床の時間が30分遅いことから始まって、食事の内容がちょっぴり豪華に。パンとスープのほかにチーズが一切れついただけなんだけど、表情に出さないよう必死になりすぎて味わえなかったのがちょっと悔しかった。

 ゆっくり歩いて部屋に入るとき、いつもは立っているだけの護衛が手を添えてきたのにもビックリ。一礼して姿勢を整えた後も、視線を感じてびくびくした。でも、ここで負けてたまるもんですか。我慢比べなら受けて立つわよ?という意気込みでしばらくじっとしていた。


(おはよう。今日はどうしたのかな。護衛君が何やら後ろめたそうにじりじりしてるし、キミも喧嘩腰だね)


 おはよう。そんな風に見えたの? 失敗したかしら。


(ああうん、僕はキミの考えを見て言ってるだけだから、表面的にはいつもと変わらないよ。おかしいのは護衛君の方だね)


 昨日の演技がハマりすぎて死にそうに見えたみたい。今日なんかチーズが出たのよ、一切れ!すごいんだから。


(あの馬鹿ども、食べ物すらまともに与えないんだな。自分たちは散々食い散らかしてるのに)


 やめなさいよ。そんなの相手にしてたって何にもならないわ。さ、始めるわよ。


(前向きだな、キミは。よし、始めよう)


 昨日の話、正直言ってよくわからなかったわ。エルフは自分たちが負けることも、ドラゴンが狩られることも気づいてたのよね? それで、どうするつもりだったの?私だったら逃げる方を選ぶんだけど。


(ドラゴンとエルフがいたのは湖の中央の島だったろ? 『人』はその湖をぐるりと取り巻いていたんだ。どこに向かおうと無理だってことをわかっていたんだ)


 そうだったわね。忘れてた。それともうひとつ質問があるの。いい?


(ああ)


 ドラゴンは空気中の魔力? で生きていたのよね。核になったらそれができなくなったの?


(どうしてそんなことを聞くのさ?)


 じゃ、何故聖女が必要なの? その当時にも聖女がいたならわかるけど、そんなこと言ってないよね、今まで。


(・・・・・・)


 核が、ではなくて。核だけになったドラゴンが結晶を生成する、その前の段階でエルフが何かしたんじゃないの?


(どうして・・・)


 ん?


(どうしてそんなことに気が付くのさっ!キミ、ホントはもっと知っているんじゃないのかっ!?)


 どうしたのよ、急に。


(キミは僕を、僕をからかっているのかっ、何もできない僕を嗤っているのか!)


 そんなことができるわけないじゃない、私がここに居るのが何よりの証拠でしょう!?


(あ・・・)


 今までのことを知っていたなら、こんなところに居ないわよ!何寝ぼけたこと言ってるの!!


(・・・そうだね、ごめん。キミが知っているはずなかったんだ)


 イライラしているのは分かるわよ。だけど、私が怪しまれてここから引き離されたらそれだけでお手上げなの。今はあなたの知っていることを教えてもらってふたりで考えるときじゃない?


(うん、わかってる・・・僕の声が届く人がいて、うれしくて、でもなぜ今なのか、もっと前に居なかったのか、そう思うと、もう、言わずにいられなくて・・・っ)


 私が言った何かが気に障ったのなら謝るわ。でも、これをはっきりさせないとどうにもならないのは確かなの。もう、後戻りできないのよ。


(・・・うん・・・)


 そのイライラはエルフがしたことにあるのよね? 何をしたのかしら。


(・・・核を抜かれたドラゴンは正気を無くしてしまった。ただ力をふるって暴走する化け物になり果てて、誰もかれも見境なしに襲いだしたんだ)


 ・・・そう・・・


(そのままだったら『人』も何もかも消えていた。湖がなくなったのもそのせいだ。『地殻変動』なんて言ってるけれど、実際は暴走したドラゴンの力に巻き込まれて消滅したんだよ)


 ・・・・・・


(そんな状況をエルフが止めた。何十人ものエルフが協力して魔法陣を構築したんだ。そして、化け物となったドラゴンを砕いて核を包む結界に変え、騒動を収めた。魔法陣を維持していたエルフたちの命を代償にして)


 そうだったの。大変な出来事だったのね。


(なのに!『人』はその事実を捻じ曲げて忘れ去ろうとしているんだっ!!)


 そりゃあイライラもするし、癇にも触るわよね。でも、ここで騒いでも何にもならないわよ。


(ああ、そうだ。ホントにそうだ。ごめん)


 本当に馬鹿なんだから、このドラゴンさんは。


(えっ、うえっ、な、なんで知ってっ!!)


 今までの話を聞いていればわかることよ。たとえ核を抜かれても、そんなことでドラゴンさんが死ぬわけがないとエルフが確信していたこともね。


(ちょ、ちょっと、待って待って待って!エルフが確信って、死ぬわけないって、どどどどうしてっ!!)


 あ、私トイレ行ってくるから、それまでに落ち着いててね。


(ええぇぇっっ~~っ!!)

 


 さて。落ち着いた?


(・・・&%#@!!・・・)


 何語かしら?


(ご、ごめんっ!!あのでもどうしてっ!!)


 ・・・黙んなさい。


(はい・・・)


 あれだけ話の中にとっかかりがあれば、気づかないわけないでしょ?


(え・・・そうなの?)


 まず第一に。私と話した時、『やっと出てきた』と言っていた。

 次に昔の・・・建国当時の状況を詳しく知っていた。

 3つ目、ドラゴンとエルフの関係も詳しく知っていて、なおかつドラゴンを責めていた。

 こうして考えていくと、その時その場にいて、ドラゴンの無策を後悔しているにもかかわらず、自分自身は何もできずに今に至っている、そんな存在じゃないかと思ったの。

 おまけにエルフの長のことを知っている発言もあったしね、その条件だとドラゴンさんの核しかいないでしょ?


(・・・なんていうか・・・もう・・・降参だな・・・)


 と、いう事で。エルフさんは何やったの?


(ここでそれ聞くの? あんな悲惨な話を聞いた後で?)


 だって、聞かなきゃ始まらないでしょ。ねえ、あなたならわかるわよね。今、こうして祈りを捧げてる聖女、何人いる?


(・・・・・・)


 ひょっとして、私ひとりじゃないのかな? 当たってる?


(当たってる・・・けど!どうしてわかるんだよっ、そんなことがっ!!)


 私の扱いが変わってきた。というか、少し良くなってきたから。

 ここしばらく私は祈りを捧げてない。ううん、捧げてるふりをしてたんだけど、それによって結晶の生成が遅くなるかできないかしてて、教会は焦ったんじゃないのかしら。私以外に聖女がいるのなら、そうはなっていないはず。でも、結晶ができないことと私の処遇改善が結びついてるなら、私以外に聖女がいない、そういう結論になるわね。


(はぁぁ~~っ・・・ホントに・・・言葉にならないよ。そう、キミの言うとおりの事態が起こっている)


 生命力を載せた祈りがしばらく行われていないから、ね?


(聖女の力で汲み出された生命力は僕の中へまっすぐに入ってくるんだ。それが結界の維持にもなるし、結晶の生成にもなるんだけれど、こうしておしゃべりしてたせいか結晶ができなくなっているんだ。すぐにどうにかなるわけじゃないんだけど、不安なんだろうね)


 何が?


(聖女がキミひとりだから。キミがいなくなれば祈りの儀式ができず、結界の維持どころか結晶の生成も無理になる。王家にしろ教会にしろ、今までの贅沢が止められないんだ)


 そっか。でも、そんなに聖女候補がいないの?


(もうほとんど出てこない。先祖返りみたいなものだし、そうなるべくしてなった素質でもないんじゃないかと思うから)


 それが何かいやな方法じゃなかったか、と疑ってるわけね。


(正解だよ。教会は次の聖女を必死に探してるんだけど、見つからないのなら、今残っている聖女、つまりキミをできる限り長く使おうとあれこれやりだしたんだ。もっと早くそうしていたら、ここまで聖女を減らさずにいられたってのに・・・あいつら、いつまでたっても考え無しなんだから)


 ・・・あのさ。エルフさんが何をやったか、わかった気がする。


(・・・!!?!?!・・・)


 多分、こうじゃないかという道筋だけ、ね。

 まず、エルフさんが使えるものだから、魔術もしくは魔法の関係だよね。

 次に、種族がいなくなっても使えるようにしなきゃいけないから、それは何かの魔道具の類でもなさそう。

 それと身体的特徴を使ったのは間違いないと思う。ほぼ確信ね。


(身体的特徴?・・・)


 うん、私は見たこともあったこともないけど、エルフさんとくれば美人美男子じゃない?

 そんな逸材、ただ殺すだけなんてするわけないじゃない。私としてはすっごく恥ずかしいけど、攻め込んだ『人』たち、エルフさんを奴隷にして自分たちの所有にしたんじゃないのかな。それもエッチな方向で。


(!!た、確かに、そうだった・・・)


 エルフさんはそうなることも予想してた。だからそれさえ利用して、術を使ったんだと思う。お世話していたからこそドラゴンさんの力も理解できていたしね。だから『人』の中に、ドラゴンさんと通じる何かを植え付けた。それが聖女判定の元となる力になった。どう?


(キミって人は・・・)


 当たってそうね、この考え方は。


(・・・どうして僕は分からなかったんだろう? エルフが性奴隷になって悔しかったのに、彼らはそれも予想して備えていたなんて。僕は・・・彼らが僕を呪って、苦しめるためにやったんだと思っていた)


 エルフさんって自然と同化して生きる種族だって言ったよね。そんな穏やかな種族が呪いなんて真逆な事すると思うの? エルフさんに失礼じゃない!謝りなさい!!


(はいっ!すみませんでしたっ!!)


 ん、よろしい。てところで、時間かな。今日も祈ってないから、また何か出るかな? それとも切られるかな~?


(!!た、頼むからっ!物騒なこといわないでぇ~~っ!!)


 はいはい、またあしたね。



 6 Day  反 撃 そして・・・



 翌日。変化は劇的になった。


 まずは、起床時間が1時間遅くなり、しかもいつもの割れ鐘ではなくドアのノックで起こされた。

 次に食事。いつもは固いパン1切れと薄いスープが1杯だったのが、今朝はふかふかパンが山盛りに具沢山の温かいポタージュスープ、それにチーズと野菜のサラダがボウルに1杯。極めつけにオレンジジュースが添えてあったのには言葉もなかった。

 流石に無表情を保てずに呆然と眺めていたら、横についてきたのは護衛君ではないエプロンを付けたメイドさん。にこやかに手を取り、きれいに拭き清めて(!)食事を勧めてきた。


「あの・・・これは何ですか?」


「聖女様のお食事ですよ。どうぞ召し上がれ」


「あ、はあ。こんなに食べられません。このパンひとつと、スープを少し、チーズを1切れでいいです」


「まあ、何という小食なんですか!聖女様は大切な祈りの儀式に臨まれますのに、そんなのでは体力は保ちません!ぜひともこちらを!」


「いえ、それこそ倒れます。これで十分ですから」


 と言う押し問答を繰り返し、制限時間を大幅に過ぎたところで護衛君が割って入って落ち着いた。

 あまりの変化に頭痛すら覚えながらも、いつもの部屋に入って祈りの形に手を組む。と、


(そのままじっとしてて。護衛君がキミの後姿を注視している。しばらくはこのままで、なんなら少し祈った方がいいかもしれない)


 成程、今朝の待遇はそういうこと。わかった、儀式を始めるね。


 祈り始めると、しばらく感じなかった疲れが出てくる。そうね、前はこれをずっとやってたんだわ。何も考えずに、いえ、考える力を奪われて。それこそ奴隷のように使われてたんだわ。

 エルフさんもこんな気持ちを味わっていたんだろうか。それでも、神として崇めていたドラゴンさんのために術を考えて・・・ううん。きっとそうじゃない。

 神ではなく、優しい異種族、大切な隣人という気持ちの方が強かったのかもしれない。その隣人を救おうとしたのが、今、私の中にある力、なのだろうか。


 分からない。答えは闇の中、手が届きそうで届かない。


 祈りながら必死に手を伸ばす。頭痛がひどくなり、身体が揺れる。閉じた目の中、見たことのないきれいな顔の人がひらりと手を振り、駆けていく。その先にあるのは大きな結晶の塊と、封印された心臓。


 ・・・ああ、見つけた。ドラゴンさんだ。


 一段と激しい頭痛がその映像を吹き消し、めまいに耐えられなくなって前のめりに倒れる。


「せ、聖女様!」


 その有様を見ていたのか、護衛君が慌てて抱き起こそうと入ってくる。でも、真実に気づいた今は触られるのも嫌なので、自力で体を起こし、呼吸を整える。


「だ、大丈夫、です。すぐに、落ち着きます」


「・・・そう、ですか」


「はい。儀式を続けますので、お戻りください」


「わかりました・・・」


 出て行った気配に背を向け、姿勢を整える。


(ど、どうしたの、急に倒れたよ。なにかされたのっ!?)


 ああ、違うの。久しぶりだからちょっと堪えただけ。それより、ドラゴンさんの心臓を見たわ。


(ええっ!?そ、それって、僕の今の姿、を、見た、ってこと?)


 そうなる、かな。大きな結晶の中に、心臓があったわ。


(それだ・・・ホントに、繋がったんだね・・・)


 何やら呆然といった風情のドラゴンさん。聞こうとしたら、急に扉の向こうであわただしい雰囲気がする。


 ドラゴンさん、どうなってるかわかる?


(フッ、教会のお偉いさんがドタドタとやってきたんだ。今の祈りで生成できたから確認しに来たんだろうね)


 はぁ、やれやれ。今朝の食事と言い、睡眠時間と言い、勝手だねぇ。


(へえ、今朝はおいしいものがあったの?)


 ええ、いつもの朝と比べ物にならないすっごいごちそうが並べられたの!

 とてもじゃないけど、あれ全部食べたら私確実にお腹がけいれん起こして一発で死ぬ自信があるわ!


(ははは、そりゃ嫌な自信だね。そうか、そこまで行ったんなら・・・)


 そこでドラゴンさんと秘密の打ち合わせ。手順を考えて、タイミングを計って。


 やがて、ドアが開かれる。教会のお偉いさんが入ってきたようだ。


「聖女よ、お勤めは果たしているか?」


 この声はサークレットを授けた大司教ね。いわば元凶だわ!


(よし、やっちゃえ!)


 ドラゴンさんの後押しを受けて私は顔を上げる。反撃開始!


 大司教の方を振り向きもせずに立ち上がる。

 そのまま前へ進んで水晶を手に取った。


「せ、聖女よ!何をしておる、返事をせんか!」


 その態度、今から言う言葉を聞いても維持できるかしら?


「神のお声が届きました。お言葉に従い、その御許みもとへ参ります」


「ば、ばかなことをっ!!」


 あららら、大司教ともあろうお方が神を否定してもいいのかしらね?

というより、これが本音だわね。


(まさしくその通り。いいぞ、そのまま続けて)


 了解!


 水晶を胸に抱き、振り向いてドアへと歩む。必然的に大司教と向き合ったんだけど・・・この人、こんなにおデブさんだったかしら。肌もぶつぶつができて脂ぎってるし、顔色は・・・あ、この状況じゃ青ざめて当然か。唇もアワアワしてるから、よっぽど衝撃だったのねぇ。


 そのまま進めば、よろけて退いてくれたから楽勝に通り抜けちゃったわ。さて、道案内よろしく!


(いいよいいよ、まっかせて!そのまま進んで、最初の角を右に、そのあと2つ目の十字路を左に曲がった先。その正面だ)


 意外と近くに居たのね、ドラゴンさん。


(ああ、結晶を生成する効率を上げようと聖女の部屋を近くへ作ったんだろうね。それがもう浅ましいと気付かないんだからな、こいつらは)


 ふふっ。今回はそのおかげで簡単でしょ。


(あはは。ホントにそうだね、愉快だよ!)


「ま、待て、聖女。その先に行ってはならぬ!」


 まっすぐの廊下に差し掛かると、そこにはたくさんの騎士と司教の姿が。

 廊下には陽射しが斜めに差し込み、まぶしいばかりの純白に輝いている。人々の群れているその奥には、ドラゴンを浮き彫りにした白い荘重な扉がある。そこに行かせまいと大司教が追いすがる。


「そ、その奥は悪しきドラゴンが封印されている場所じゃ!神など居るわけがない!戻るんじゃ!!」


 大司教の手が私につかみかかる直前、水晶から光があふれて私を包み込む。その光の結界に弾かれ、大司教は吹っ飛んだ。


「「「「「「大司教様!!!」」」」」」


 教会の頂点たる大司教が触れることもかなわない存在となった私に恐れをなし、人々は私の前から転げるように散っていく。うん、力があるってこういう景色が見えるんだ。癖になりそう♪


(キミはそうならないね。強い人だから)


 わかんないわよ、そんなこと。人は変わる生き物だもの、私だってどうなるか、自分でも自信ないわ。


(そういう判断ができるからこそ、強いんだよ。知ることの強さだね)


 大絶賛してくれてありがとう。じゃ、ここが最後の関門よ。頑張りましょ。


(ああ、やってやるさ!)


 白い扉の前に行き、立ち止まる。遠くからじゃわからなかったけど、扉のあちこちには傷がついているし、取っ手は使いこんだせいでガタがきているようだ。封印していると言っておきながらこの扉、しっかり使われているじゃないの。なに嘘ついてんのよ。


(そりゃそうだろ。ここに来なけりゃ結晶を手に入れられないんだから)


 そうなのよね。その辺、言いつくろう気もないのかしら、あの人たち。


(ある訳ないだろ。あ、王家の人間もやってきた。役者もそろったし、最後の詰め、やるか!)


 ええ、行くわよ!


 後ろでわあわあ騒ぐ声を聞き流し、私は水晶を掲げる。私を包んで輝く光の結界が一段と強さを増し、そして扉に向かって収束する。



    ドオォォォン・・・



 遠くの潮騒のような銅鑼のような音が響き、扉は中へ倒れこんでいった。

そのあとを追って、私は部屋に踏み込む。部屋の中央、見上げるばかりの結晶の柱。その中にある、紅く鼓動を続ける心臓こそが、ドラゴンの核であり、結晶を生み出す元でもあった。


 それに向かって、私は再度水晶を掲げる。そして、


「神よ。あなたのお言葉に従い、御前に参上いたしました。連綿れんめんと紡がれた数多あまたの聖女の祈りと想いをお受け取り下さい」


 これは私の即興の言葉。たとえ後で何を言われようとも、今までの聖女がやってきたことを無にされてたまるもんですか。観客がいる今こそ、言葉にしておかないと私自身が後悔する。


(やるね、キミ。ホントに役者だ。今度は僕が頑張るから、見ててくれ)


 鼓動を続ける心臓を中心に、細かくひびが入り始める。ピシピシピシ、とクモの巣状に伸びたひびがあちこちで繋がり、広がり、さらに伸びて・・・



  ピッシイィィィ・・・



 砕けるのではなく、崩れるのでもなく。


 水晶の柱は中から押し開けるように広がり、心臓を包み込んで形状を変え、持ち上がり、そして、ひとつの形を成した。


 ドラゴンに。


 透き通るようなアクアブルーが徐々に色濃いマリンブルーに変わっていく鱗も。

 牙も、角も、確かにあるけれど。その姿は恐ろしいよりも神々しく。

 何より紅玉の瞳に宿る輝きが、穏やかに優しくて。


 そんなドラゴンを、私は呆然と見上げていた。


「ドラゴン・・・」


 後ろの誰かがつぶやくと、それが野火のように広がっていく。


「ドラゴンだ、ドラゴンが居る!」


「伝説の、悪しきドラゴンが現れたぞ!」


「衛兵っ、い、いや、騎士どもっ、ドラゴンだ、ドラゴンを討ち取れ!」


「司祭は結界をっ、司教は守りを固めよっ!」


「王を、王族を守れぇぇっ!」


 そんな騒ぎの中、不思議と静かな気持ちで私はドラゴンと向き合っていた。


 ドラゴンさん、よ、ね?


(ああ、そうだよ。やっと本体を取り戻せた。ありがとう、キミのおかげだ)


 そう、良かったわね。これからどうするの?


(ここじゃない場所へ行く。人に見つからない、遠くへ。キミも行かないか?)


 え、私? どうして?


(ここに居たらキミはドラゴンを蘇らせた大罪人として処刑されるだろう。今だって後ろで騒いでるからね、間違いない)


 そ、っか。確かにそうなんだから、反論できないわ。


(そうなったら僕が僕を許せない。またあの時のように荒れ狂う事になるかも)


 そっ、それはやめて。被害が想像できない!


(だからさ、僕と来てくれないか。そうしたら暴れないから)


 ・・・脅迫じみたこと言わないで。でもそうね。もう、この国にはいたくないし。


(そうと決まったらここに乗って。大丈夫、怖くないから)


 それ、詐欺師の使う言葉よ?


 目の前に降りてきた手?前足?にそっと座る。軽い浮遊感の後、ドラゴンの胸の位置に収まった。


「聖女、いや、ドラゴンを蘇らせた魔女よ!ここで成敗してくれる!降りてこい!!」


(あれで言う事聞くと思ってるんだから。やれやれ、付き合いきれないな)


 本当に死んでたわね。命拾いしたわ。ありがとうね。


(あたりまえだよ。キミは恩人なんだからさ。さて、と。このまま言わせておくのもしゃくだから、一声吠えておくかな)


 ちょっとちょっと、何するのよ!暴れないって言ったじゃない!


(暴れないよ。いいから見てて)


『ヒトの子よ、王国の子らよ、その愚鈍な眼を開き、聞こえぬ耳を傾けよ。これは宣言である』


 その声は深く重く轟いて頭に直接入り込んできた。耳をふさいでも押さえても、変わりなく響き渡った。


『我は始祖、エンシェントドラゴンの一柱である。

 はるか昔、結晶を欲して核を奪い、今まで搾取してきた王国民を我は許さぬ。

この先、我が結晶を使ったものは等しく塵となり、すべて消え失せるであろう。

 また、我が聖女たちを酷使し、いたずらに監禁して死に至らしめたこと、誠に許し難い。この地が命の消え果てた不毛の地となるまで、我の呪いを受け続けよ。永遠の地獄が汝たちに降り注がんことを!』


 そう言い終わると、ドラゴンの背に翼が広がった。天井が崩れ、無残なありさまとなった教会から軽やかに舞い上がり、蒼穹を目指す。下からは絶望と悲鳴が追いかけてきた。


 ねえ、最後の宣言、か~な~り~ウソが混じってない?


(あはは、わかった?)


 だって、呪いなんて知らないはずでしょう。どうなるかと思ったわ。


(でもさ、結晶を使ったもの云々、てところはホントだよ。僕の力から生まれたものなんだから、それを消すことだって可能さ。あの国だけじゃなく、道具を使ってる国やら人やら、すべてに引っ掛かるんだから大騒ぎになること請け合いだね。周りじゅうから叩かれて消えるといいんだ)


 あららら~、そこまで広がっちゃうのね。じゃ、『不毛の地』って言うのも・・・


(あながち間違ってないと思うよ。呪いではないけど、ああやって宣言した土地に残る人間はいないから。どれだけ保つか楽しみだ♪)


 ・・・お父さんやお母さんもどうするかな・・・


(・・・ごめん。そこまではどうにもできない)


 ああ、責めてるわけじゃないの。王国に居る人間はみんなあなたに対して罪を負っているんだから仕方ないってわかってる。


(・・・ん・・・)


 ただ、そんな中で私だけいいのかな、と思うと、ね。


(そんなことない!)


 ドラゴンさん?


(キミはあんな状態で頑張ってきた。危うく死ぬ一歩手前まで行ってたんだ。誰に何を言われようと、キミだけは胸を張っていればいい!)


 ・・・ありがとう。そう言ってくれて、ちょっと安心したわ。


(それと・・・)


 え?なあに?


(ついてきてくれてありがとう。ホントはちょっと不安だったんだ。僕はドラゴンでキミは人。だから、同族の中に残るかな、って思ってた)


 ・・・・・・


(だから、脅かすようなことを言っちゃったんだ。そうしないとここで・・・もうお別れかもと思うと・・・そんなの許せなくて・・・)


 そう、許せないわね。


(えっ、や、やっぱり、許せないよね、僕の事・・・)


 あのまま別れるなんて、絶対に許せないわ。


(そうだよな、別れる・・・なんて・・・? へ?)


 そんなこと言ったら、かみついてやるから。


(は?・・・え? か、かみつく・・・?)


 だから、このまま一緒に居てね、ドラゴンさん。


(・・・いて、くれるんだ。僕のところに)


 ルーラ。私、ルーラと言うの。名前よ。


(名前・・・)


 もう、聖女はやめて、ルーラに戻るわ。だから名前で呼んで、私のことを。


(ルーラ。ルーラ!キミはルーラだ!)


 ええ。どこまでも一緒に居るわ!連れて行って!


(ああ、行こう、ルーラ!一緒に行こう!)


 青い空に舞い上がった蒼いドラゴン。その姿はやがて遠く消えていった。




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貴方と私で詰み上げた反逆の6日間 晶良 香奈 @Alies-Noa

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