第39話

 父の納得を、理解として煙と共に飲み込む。一方で先生は演技を解いて、その辺に投げ捨ててしまったようだった。


「やっと信じましたか」

「食えないお人だとは思ってこそいた。が、ハラヤがいると……あぁ、よりはっきりと


 歯が、またギシと鳴った。父のそれは怒りではなく、笑みに似ていた。あんなに楽しそうな父を見るのは人生で初めてかもしれない。


「それで、私と息子を交えて話したいこととはいうのは、何でしょうか。韮井先生」


 父はそう言って、もう一つ煙を飲んだ。部屋は三者三様の口鼻から吐き出される紫煙で、他人との境も分からなくなていた。輪郭を、視界を緩めて、僕は父達の言葉に耳を澄ませた。ここでは、音だけが親和性を失っていた。


「――――まず、一つ質問を宜しいでしょうか」

「可、だ」

「では一つ」


 先生の座るソファが、ギシ、と、父の歯と同じように笑った。


「貴方は"神を作る法"を知っていますよね」


 それは質問と言うには確定的な、否定を許さない言い癖だった。先生が持つ特有の舌先の色は、煙の中にも鮮やかだった。


「そうですね」


 父は、動揺も無く淡泊に音を零した。僕の大脳皮質には、ある一人の男が過る。彼の言う"神"の形を、僕は父に重ねた。


「で?」


 カタン、と、音がした。父の煙管には、新しい刻みが詰められていく。


「貴方はその法に則り、神を作ろうとしている。いや、最初は貴方自身が成ろうとしたんでしょう。貴方達はそういうものだ。だが既にピースが足りなかった」


 僕の外側で、論が進んでいく。先生は今までに何を見たのか、父が何を肯定しているのか、点を結ぶ、糸が足りなかった。


「何が、どうあって、何を、どうしたのか」


 先生の言葉が、ねじれる。この感覚には覚えがあった。これは、葬儀屋で嗅いだ、腐肉と煙の臭いに近しい。


が、神を作ろうとして、を、犯し続けた。その結果が、これだ」


 先生の煙が、火が、消える。彼の獣を模した瞳は僕を見ていた。


「貴方達は一体、どれほどの禁忌を踏み荒らし続けたんだ」


 僕に向けられるその視線は、日頃のそれとは違う。好奇心はそのままに、遊び心は失われ、幼稚な畏れと入れ替わっている。


「そこまで」


 三秒後、父は煙管を大きく打ち鳴らして、唸った。四文字の重低音は、煙の中によく響いた。


「貴方、それを知って、如何するおつもりですかね」

「特に、私は何も考えてはいませんが」

「本当にそうでしょうか。今、貴方がしていることは、脅迫のそれだが」

「金に興味は無いんですが」

「背徳を極めた者が何を言う」

「その汚い顔鏡で見てきたらどうだ。同じことを言うべき輩が写ってるだろうよ」


 先生は、笑っていた。実に、少年のように、悪だくみする様な楽し気な口元を称えていた。一方で、父の表情は変化しない。元々、表情を作る皮膚も筋肉も死んでいる人だ。感情が何処を向いているのかすら、わからないのが日常である。今わかるのは、父は立ち上がって、先生を見下し、その歯を鳴らして、不機嫌を意図していることだけだった。


「ハラヤ」


 父は変わらない語調で僕の名を呼んだ。僕が、はい、と応えると、左目だけを動かした。父の視界は僕を捉えている。


「部屋に戻りなさい」


 反射的に腰が浮いた。どうしても、この身体は父の命令に従ってしまう。


「何をしている。早くしなさい」


 二度も言わせるな、と言い終わるより前に、僕の足は扉の方を向いた。心拍が上がっている。久しくこの感情に支配されることはなかった。油断していた。父への恐怖を、僕は完全に忘れていた。


「七竈」


 先生の声が、ぬらりと耳を撫でた。無意識のままに進んでいた足が止まる。振り返った。手の震えも止んでいた。


「小清水によろしく」


 そう言って、先生は二本目の煙草に火を点けた。新鮮な熱を吸って、僕は廊下に出た。外の空気は冷えてこそいないが、不快感は薄まっている。


「何だ、あれ」


 やっとのことで、口が、僕の意志を漏らす。ノドに気泡が通る感覚があった。吐き気がする。葬儀屋に出向いた時と、似てはいるが、こちらの方が幾分か閉塞感を伴っている。

 壁を伝って、僕は自室へ向かった。脅迫概念のようなそれで、足が動いた。鳩尾の辺りが、石でも詰められたように重い。


「何の話だったんだ」


 頭は無駄に軽やかだった。意味も理解も無く、ただ単語が壊れた音響機器のように流れ続ける。

 ――――先生は、何を見て、聞いたんだ。

 彼は僕の生まれた場所に行くと言っていた。多分、実際に行ったんだろう。きっと何があったかも把握している。それ以上に、僕の知らない僕の話までつまみ食いしているのだ。

 その中の"神を作る"という言葉には、覚えがあった。日比野の、あの血だらけの笑顔が過る。日比野は狂人だ。それ以上に、僕の父も狂っている。それくらい、幼年の時分でも知っていた。僕の家族は普通だ。。それらを全てのみ込んで、家庭を演じた。家族というのはそういうもののはずだ。多少おかしくても、受け入れて生きていく。その理不尽に大小とベクトルの違いがあるだけだろう。

 真に温かな家庭など、小説の中での話だ。父は小説が好きだ。だから僕は、小説のように普通を演じなければならない。


 そうして、僕は自室に入る直前、首を舐める和泉の舌を引き千切った。部屋は寒く、僕の私物は一つも無かった。

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