三章 自死解体

第29話

 黒い幻覚が、真実に類するものだとわかったのは、刑事らしい大男の反応を見た時が初めてだった。

 軽い僕の体は、その大男に持ち上げられて、わずかに宙に浮いていた。現実感を失った義兄を置いて、僕は男に続けた。


「別に、何を知っているわけじゃない。そこに"いる"んだ。男二人は首吊り、女は飛び降り、少年は……安直に言えば、切腹でもしたのか」


 見えたモノを、ただ語る。男の背後、蠅の集らない腐肉たちは、じっと男を見続けていた。


 ――――全て、自殺というものだろう。もしもそうなら、僕はこの男に発言を聞かせてはならない。刑事が死人に添われるなど、大抵の場合、一つしか理由はない。


「それらが、立花さんが追い詰めた冤罪の被害者だと……そう言いたいのか、ハラヤ」


 息を整えた義兄が、ゆっくりと言った。彼は男――立花というらしいそいつの、腕を宥めるように撫でる。義兄の目は、困惑こそしているが、真剣さが伺えた。

 僕が頷くと、義兄は黙って、立花と目を合わせた。


「立花さん、俺としては気にかかりますが、貴方はどうですか」

「どうですかも何も、お前の義弟の印象が、ド底辺を飛び越えてマイナススタートというだけだが」

「それについては申し訳ありません。後でよく叱っておきます。それより、俺が気になるのは、その"四人"についてです」


 淡々と口を開き始めた義兄に合わせ、立花は僕から手を離した。ベットの上に尻を着く。

 立花が僕を見ながら眉を顰める。彼は義兄に目線を戻して、一言「守秘義務」と唸った。


「関係者の可能性を否定できないなら、俺は説明もしくは質問をするべきだと思います」


 義兄が口元を緩める。彼は僕と目を合わせて、今度は目を細めた。


「落ち着いて答えてほしい。ハラヤ、お前、その……何か怪しい車や人間を見たり聞いたりしていないか。特に、黒いワゴン車とか」

「車なんて、覚えてない。印象に残るようなことが起きてもいない。あったとしても、それよりもっと衝撃的な記憶で今はいっぱいだよ」

「そうか。悪い、かなり曖昧な質問をしてしまった」


 ふむ、と、義兄達は顔を合わせた。よくよく観察してみれば、この刑事二人は相容れないわけではないらしい。驚愕と苛立ちを示していた立花の表情も、すっかり義兄同様の真面目なものになっていた。


「俺はオカルトなんて信じないぞ」


 立花がぽつりと言った。義兄はそれに起伏無く応える。


「俺だって信じていませんよ……一応は」

「当たり前だ。だからこそ論理的に語ってみろ。何故お前の義弟は、知らない筈の"被害者"の死亡時の姿を知っているんだ」


 目の前で展開される、公人の対話を耳に流す。どうやら僕は、冤罪とはかけ離れた別の存在を言い当ててしまったらしい。

 ギロリと立花が僕を睨む。彼から感じる威圧感は体を駆け巡り、悪寒へと転じた。日頃感ぜられる性的な視線を受けた時とも違う。それは新鮮な負の興味だった。


「俺は、こいつを容疑者として仮説を立てる」


 立花の言葉に、ふと以前の霧子の言葉を思い出した。


 ――――信用と世間のことを考えなさい。


 成程、僕は自分の短絡的な思考と、純粋で殺伐とした言葉選びで、窮地に立たされているらしい。

 もう少し対話に臨めば、多少の認知のすり替えが利いたかもしれない。だが、こうなれば致し方が無い。


「お好きにどうぞ。何が何だから知らないけど、きっと何も出ないだろうし。アンタが捏造とかしなければね」


 僕を見下す立花は、すとんと表情を無にして、くるりと僕に背を向けた。彼はメモ帳か何かを義兄に投げ付け、病室の扉に手をかけた。


「出直す。要件が増えた」


 病室の扉が閉まり切るまで、何処か遠くに急ぐ立花の、力強い足音が聞こえた。静まり返った病室で、義兄と目を合わせずに二人、対面する。数秒の沈黙に耐えかねた義兄が、口を開いた。


「立花さんはな、本当は、人の本音を引き出すのが凄く上手い人なんだよ。絶妙に苛立たせたり、神の如く信頼させたり、とにかく感情を揺さぶるのに長けている」


 俺もよく乗せられてるよ、と彼は笑った。ベット傍の椅子に腰をかけて、腕を組む。言葉を選んでいるのだろう。義兄は再度、表情を作り直して、僕と目線を合わせた。


「お前はその……見た目が儚いんだよ、気弱そうっていうか、そんな感じ。義兄の俺と一緒だったから、立花さんは飴と鞭でいこうとしたんだと思う。まあ、お前が予想の遥か上をいっていたものだから、成功とはいかなかったが」


 おそらく、ここに小清水がいたら、うんうんと激しく頷いていたことだろう。見た目と中身の不一致は、昔からよく指摘されてきた。


「……それで、あの人は僕を何の容疑者だって」


 義兄の弁明を聞き続ける気は無かった。彼は僕に対してときどき、特に後ろ暗いことがある時、遠回しが過ぎて、話しが長くなる癖があった。

 また暫く黙りこくった後、義兄は、ここだけの話にしてくれ、と前置いて言った。


「遺体遺棄事件が起きているんだ。今のところ、見つかっているのは四人。もしかしたらもっといるのかもしれないが、首吊り二人、飛び降り一人、切腹一人……自殺だと思われる状況の遺体が、一部を損じて、死亡現場では無いだろう場所で見つかっている」

「それを調べてた一人が立花さんだと」

「一番駆け回って現場にも熱を入れていたのが、彼だ」


 そう、と僕は義兄の言葉を飲みこんだ。どうやらあれらは、感情的な立花に"付いて来た"存在だったらしい。


「現場の近くには、必ず夜に黒いワゴン車が現れていることが確認されている。だからお前、そのワゴンを目撃していないかと」


 再度問う義兄に、僕は首を横に振る。ここで嘘はバレる。どうにかして、真実同士を都合よくつなぎ合わせる必要があった。しかし僕はその事件について深くは知らない。繋ぐ真実そのものが薄いのだ。

 また、数秒の沈黙。義兄が再び口を開こうとした。だが、それは病室の戸をノックする弱々しい音で停止させられた。


「棗です。ハラヤさん、今良いですか」


 淡い、少年の声が聞こえた。僕がどうぞと言う前に、義兄が戸を開ける。そこにいたのは、病人服を着て、よりほっそりとしていたが、確かに棗だった。彼は僕と義兄を見るなり、怯えた表情をしたが、グッと堪えて、一歩足を踏み出した。

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