第20話

 他愛もない話をしていると、初めの数品がテーブルに運ばれる。肉や箸休めなど様々ではあるが、それらは一様にそれ単体で一品料理として成り立っていた。コースの一部や大量に食卓に出すそれではない。

 僕がそのうち一つに手をつけると、日比野が肉を焼き始めた。見た目は牛のタンだとは思われるが、脂のつきがまるで違う。丁寧に薄切りされた肉を、サッと網の上に置き、数秒眺める。脂が数滴垂れた頃、裏返してまた火に当てる。

 その様子を興味深く見ていた小清水が、そういえばと呟いた。

 

「お隣さんから貰った料理、食べなくて良いのか。結構な量だったろ」

 

 ピクリと日比野の手が止まる。一瞬、溜息のように喉が動いた。だが、直ぐに彼は肉を自分の皿に拾い上げ、ワインを一口に飲み干した。

 

「新原さん? あぁ、先に約束していたのは君たちだったし、友人を呼んで食べるから良いんだよ。それに、中身はカレーだったんだ。一日くらい寝かせた方が美味しそうだろう」

「お前、俺以外に友達いたのか」

「君の言い方も大分酷くないか。いるさ。幼馴染が同じマンションに住んでるんだよ」

 

 小清水を見ながら、日比野は肉を口に放り込んだ。随分と美味そうに食う男だなと思った。僕もトングで近くにあった見知らぬ肉を掴み、網の中に広げる。小清水もまた、同じように肉を食らった。

 

「七竈君と小清水も幼馴染なのかい」

 

 唐突に、日比野が言った。僕は噛んでいた肉を無理矢理に喉へ通して、首を傾げた。

 

「そうと言えばそうか。幼少から知ってはいたが、ちゃんと関わり合うようになったのは中学くらいだったと思う」

 

 そうだな、と小清水が相槌を打つ。

 

「じゃあ、地元は同じなんだ」

「小中までは。僕は高校入学を機に引っ越した。けど、高校の時は二人で同じ寮に住んでいた。うちの実家の近くにも、小清水の地元にも高校は無かったからな」


 淡々と過去を振り返る。僕達はいつも一緒だった。小学校では関わり合わなかったが、中学校、高校と、小清水とは常に近いところにいた。関係性は幼馴染と言って相応しいだろう。

 味のついた肉に食らいつきながら、日比野は笑っていた。口角が常に上がり続ける質らしい。

 

「僕も幼馴染とは小学校から一緒だったな。小学校から大学までエスカレーターだったからね」

 

 さらりと、とんでもないことを言う。やはり、日比野は相当の金持ちらしい。初等教育から大学まで、ということは、今までの十五年間をずっと、馬鹿に金のかかる私立学校で過ごしているということだ。それがどれだけの授業料や寄付金で、維持されてきたのだろうか。僕達一般の人間には考えられないだろうということだけはわかる。

 

「ということは、幼馴染もお前と同じくらい金持ってんだな」

 

 小清水が言った。悪態でもなく、賛美でもなく、ただ事実だけが口から漏れていた。

 

「そうだね。彼もそこそこの家柄だよ。お母さんは旧家出身の美人だし、お父さんもそれなりに高名な学者のはずだ」

 

 思い出すように、日比野は宙を見た。目線の先には、少し眩しい電球が一つだけ、天井から焼き網を照らしていた。

 

「じゃあ日比野はどっかの社長の息子とか」

 

 僕が揶揄うように言うと、一瞬、日比野は長考するように眉間に皺が寄った。口も一文字に結い、ジッと僕を見ていた。そのほんの一秒未満の様子が、背筋に冷えた汗を伝える。

 だが、直ぐに何も無かったように、日比野は微笑んだ。

 

「そんなところかな」

 

 にこやかに彼は、新しいワインを口に含んだ。

 一瞬で冷えた手先を、僕は火の傍で温める。小清水は何も見ていなかったのか、バクバクと肉を口の中に放り込んでいた。

 意味を持たない会話が続いた。どうしてあそこまで部屋を汚く出来るのかだとか、嫌いな教授の話だとか、そういったものばかりループする。別段、記憶するものでもなかった。会話よりも、食べたことのない肉の旨味にばかり意識が動いてしまう。

 コースが一通り終わり、米もスープも腹に入れ終わる。加えて、最後に麺類を注文すると、日比野は少し驚いたように、よく食べるね、と笑った。

 暫くして、冷麺を食べ終え、茶で口を洗う。それと同時に、日比野が、茶を淹れにやって来た店員に会計を指示した。入る時も同じだが、この店には会計する場所が見えなかった。店員が胸ポケットから出した機械で、何かを打ち込んでいく。どうやら、この店では席で会計を済ませるらしい。珍しいものを見たと、内心で呟く。瞬き三回のうちに、金銭の受け渡しが終わったらしい。瞬きの間、黒いカードが見えた気がしたが、僕と小清水は顔を見合わせて、見なかったことにした。

 

「お茶を飲み終わったら、出ようか。もう夜の九時だ」

 

 日比野がそう言って、自分の湯呑みを口にする。スマホを見ると、確かに時刻は夜の九時前を示していた。夕方から数時間は堪能していたらしい。その間の飲み食いの量も尋常では無いだろう。割り勘ではなくて良かったと、心の底から感想が湧いた。

 茶を飲み干し、三人で外に出ようと通路を歩く。通路には最初に見た若い店員や、オーナー、そして何処から湧いたのかもわからない他の店員達までもが、揃って並んでいた。オーナーが日比野に頭を深く下げる。それに倣って、店員達も更に深く頭を低くした。仰々しい風景に、僕は目を合わせないよう、日比野の背中だけを見ていた。

 外に出ると、少しだけ涼しい風が吹いていた。密閉した個室に籠っていた炭火の熱気と真夏の空気に比べれば、冷蔵庫の中にいると錯覚する程だった。

 二回ほど日比野の髪が風で揺れる。すると、くるりと半回転して、彼は僕と小清水を交互に見た。

 

「それじゃ、今日はお疲れ様。助かったよ。話も色々聞けて面白かった。二人とも、また何かあれば付き合ってくれると嬉しいよ」

 

 じゃあね、と日比野は返答を待たずに繁華街の雑踏に踏み込んだ。僕と小清水は顔を見合わせる。先に口が動いたのは、小清水だった。

 

「俺達も帰るか」

 

 僕は頷いて、アパートの方向に足を踏み出した。格安の牛丼チェーン店の明かりが目に入る。現実が戻って来た。夢のようだった時間を思い出しながら、空を見た。月は無く、星は街の光で見えなくなっている。

 帰路を歩く間に、スマホでニュースを見たり、小清水と目も合わせずに言葉を交わす。現実感が段々と胃の中に組み込まれる。

 僕達が夢見心地に酒と肉を食い散らしていた頃、世間では芸能人が酒と車で捕まり、子供は行方不明になっていたらしい。

 

「今日も何も変わらない日、だな」

 

 僕がそう呟くと、アパートの階段の前で、小清水がそうだなと答えた。薄い鉄扉に、僕は鍵を差し込んだ。

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